第111話 シェアハウスに再び春がめぐってきた①
大学へ行くのが怖いような気持ちだ。だって、香月さんにあんなことを電話で告げてしまったのだから。もう付き合うのはやめよう、と告げたようなもの。保留とかって、ありえないよな……。彼女を相手にいい身分だな、と誰かに言われそうだ。
ぐじぐじと考えながら大学へ向かっていた。
あっ、香月さんの後ろ姿が見える。前を歩いて早い足取りで歩いている。彼女はベージュのコートを着て、下からは花柄のふんわりしたスカートが見える。すらりとした足、風に揺れるロングヘアー、いつも通り可憐だ。
同じ授業を受けるのだから、教室でも一緒だしサークルも一緒だ。まだ気づかないかないかな……と後ろを歩いていると、彼女はおもむろに振り向いた。はっとしてた。そして、目が合った。
「あっ……」
「夕希君……」
彼女は困ったような顔をした。
「おはよう……この間は、驚かせちゃってごめん」
「本当、驚いたわ。だけど、気になって仕方なかったんでしょう、日南ちゃんのことが」
「まあ、なんだか情けない」
「まったく、しょうがない人ね。どうせそんなことだろうと思ってた……」
「そうか……」
はあ、彼女の予測の範囲内だったということ。
彼女の表情から、本心を読み取ろうとする。やっぱり怒ってるようだし、かなりむっとしているようにも見える。笑顔とは程遠い。
いや、自分の考えすぎかっ。いやっ、やっぱり違うよ。怒ってるよ。
あ~あ、そりゃそうだよな。ゲームが一番盛り上がったところでゲームオーバーを言い渡されたようなものだ。ゲームだなんて、例えが失礼だ!
「気長にやりましょう。まだまだこの先一緒にいる時間は長いんだから」
「そうだね、あと三年間は一緒だ……」
僕たちは教室へ入り、何事もなかったかのように隣の席に座った。ここに日南ちゃんが現れたら、彼女はどこに座るんだ。多分、僕の後ろに来るだろう。
「あっ、夕希君。ここいいかな」
「あっ! 日南ちゃん、いいよ」
僕の後ろに座った。やっぱり……。隣に香月さん、後ろに日南ちゃん。もう、破れかぶれな気持ちだ。
ちらりと香月さんがこちらを見ると、冷や汗が出た。
授業中はできる限り教授の話に集中して、その時間をやり過ごした。
外へ出ると、まだまだ風は冷たかったが、梅の花がちらほらと咲き始めていて季節の移り変わりが感じられる。
「きれいねえ、まだまだ寒いけど……もうすぐ春……ね」
香月さんが言う。
「わあ、可愛い花。私梅の花大好き!」
日南ちゃんがうなずく。二人の間の空気とそれに挟まれた僕は、梅の花を愛でるどころじゃない。だけど何か言わなければ。
「長いようで……短かったな、一年って」
本当にいろいろなことがあった。ふう……二人の言い争いにはならなかっただけで一安心。高校時代とは違うのか。
授業を終えてシェアハウスに戻ると、萌さんがキッチンで調理の支度をしていた。
「萌さん、帰っていたんですね。ただいま~~」
「うん。今日は定時で帰れたから。最近珍しくね」
「あっ、シチューを作るんですか?」
「そうよ、楽しみにしててね。今日はごちそうするからね」
「わあ! 僕シチュー大好きなんです!」
「だと思ったわ」
萌さんはちょっと考え込むように、動作を止めていった。
「あのね、私明日ちょっと実家へ行ってくる」
「何かあったんですか? ああ……いや……遊びに行ってくるんですよね」
「父が倒れちゃって……」
「えっ、それは大変だ! 早くいかなくちゃ!」
「そんなに具合悪いわけじゃないから明日でいいわ」
「長くなりそうなんですか?」
「う~ん、多分すぐ戻ってくるわ」
「だけど、大変ですね」
「まあ、ね。血圧が高いって、体に爆弾を抱えているようなものなのよ」
「ああ……そうなんですね」
「それよりも、いろいろ面倒くさいことを言われるのが嫌で、本当は行きたくないんだ。一人暮らしをするのだって反対してたんだもの。それを説得してやりたい仕事をするためにここに来たの」
「そうだったんですか……」
大変だったんだ……。
「私ここでの生活が気に入ってるから、離れたくないの」
「お父さんの具合、それ程悪くないといいですね。それから、いろいろうまくいくといいですね」
そうだよ。戻って来られなくなった、なんてことになったら目も当てられない。ここはうまく説得してほしい。
春って、いろいろなことがあるよな。
「まあ、湿っぽくならないでおいしいシチューを作るわよ! 期待しててよ。料理上手はみのりさんだけじゃないんだから、えへへ……」
「はいっ、期待してますっ!」
僕は急いで荷物を置いてきて、隣で調理補佐をすることにした。
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