第84話 スポーツ大会⑤

 今まで体力を温存してきた分を、一気に吐き出すつもりで体中に力を入れた。少しでも前方へ、という気持ちを下半身に集中させ、両脚を思い切り動かす。


 あと二キロ。


 ゴールは間近だ。大学に近づくにつれて、沿道に人の姿が見えてきた。


 地面を踏みしめながら後ろを振り返ると、米粒ほどになった女の子の姿が見えた。


 あれは日南ちゃんだ。両足を必死に動かしてこちらへ進んでくる。歩幅が短い分、沢山足を動かさなければならない。疲れていることだろう。だが、一歩一歩着実に動かしこちらへ向かっている。


 よし、彼女も大丈夫だろう。


 僕は大きく手を挙げた。彼女からは見えたはずだ、と言い聞かせて前方を向いた。


 向井君はもうはるか前の方にいるのだろう。ひょっとしたら、ゴール付近まで進んでいるのかもしれない。彼の姿は全く見えない。


 あと一キロの地点に差し掛かると大学を周回する。応援の学生たちが大勢いて、声援が聞こえてくる。うちわを上に掲げている女の子がいる。


「夕希君、あと少しだよ!」


 沿道で手を振っている亜里沙ちゃんだ。うちわには、「夕希、ファイト」と赤とピンクの派手な色で書かれている。


「よく頑張ったね、ファイト!」


 香月さんもうちわを挙げて応援している。そこにも、「夕希、がんばれ」の文字が。


 彼女が大声で声援する姿を見るのは初めてで、何とも照れ臭い。普段の落ち着いて大人びている彼女からは想像できなかったので、新鮮だ。


「片手をあげて声援にこたえると、飛び切りの笑顔を見せてくれた」

「あと少しっ!」


 彼女たちからいったん遠ざかり大学を回り再び戻ってくる。あと数百メートルだ。順調にペースを上げ、敷地内へ入る。今度は彼女たちはグラウンドへ移動し待機していた。


「あっ、夕希くんだわっ! 頑張れ~~~!」


 真っ先に香月さんの振るうちわが見えた。クラスメイト達もその周囲に固まっていて注目している。結果も気になるのだろう。


 男子の姿も見える。


 おっ、向井君だ!


「木暮君、ゴールはあと少しだ。最後まで気をぬくな!」


 そうだ、最後で集中力が切れて転倒したくはない。


 僕は彼に大丈夫だと目配せした。呼吸もリズミカルにできている。


 グラウンドを一周走る間にも、どんどん後方から走者が迫ってくる。最後の力を振り絞って飛ばす。グラウンド内で数人の学生を抜いた。


 ――――そしてゴール!


 ゴール付近に移動してきた亜里沙ちゃんと香月さんそして上村君も大喜びしている。


「われらがヒーロー、よく頑張ったね!」

「ああ、走り切った……疲れた」

「お疲れ~~」


 亜里沙ちゃんがねぎらいの言葉をかけてくれる。香月さんは、ちょっと涙ぐんでいるようだ。僕の走り、感動的だったかな。


「香月さん、最後まで走れた。応援ありがとう」

「よかった、心配してた……お疲れ様……」


 手を出してくれたので、強く握った。そうだよな。運動部にも入っていない僕が、急にマラソンに出るんだからな。


 そして、最も気になる日南ちゃんの動き。どこにいるんだろうか!


「日南ちゃんは!」

「あれっ、一緒に走ってたんじゃなかったの?」

「途中で別々になって……」


 心配だ。


 ここまでたどり着くだろうか。あと二キロの地点にはいたはずだが。


「あっ、日南ちゃんだわ!」


 校門に目を凝らした亜里沙ちゃんが叫んだ。


 日南ちゃんが無事に戻ってきた。小柄な体を揺らせて、足を一歩一歩前に出す姿……ハムスターを彷彿させる。顔は真っ赤で、今にも泣きそうな表情。それを見ていた、クラスの男子は驚きの声を上げている。


「えっ、あいつ、朝霧日南かあ……」

「まさか、最後まで走れるかよ。あんな鈍い奴が」

「そうか、朝霧だよ、確かに。ほらあの真っ赤な顔を見ろ。よく十キロも走れたもんだな」

「へえ、あいつも普通に走れるんだ」


 なんというコメント。いまだに馬鹿にしているのか。僕はそばへ寄って怒鳴った。


「ちょっと、お前らうっせんだよ~~!」

「なっ、なんだよ。木暮か」

「あんなに頑張ってるんだ。すごいだろ。今までほとんど運動したことがなかったのに、あれだけ走れるようになったんだ!」

「おお、お前あいつの応援団か、ちぇっ」

「馬鹿にするのはもうやめるんだな」

「ふん、ゴールできるかな。見ものだ」


 僕はそいつらと離れゴールに向かった。亜里沙ちゃんたちもゴール地点で待機している。


「日南ちゃん、いいぞ。あと少しだ、このペースでいい!」


 赤い顔をこちらへ向けてじっと見た。ああ、泣きそう。


 そうだ、その調子! 


 苦しそうだが、走ったことのある距離、いつも通りに走ればゴールにたどり着けるだろう。


 あと、数十メートル。


「日南ちゃん、いいぞ! ファイト」


 クラスメイト達も応援する。こんな大勢の人に注目され、応援されたのは初めての経験だ。


 泣いているのか笑っているのかわからないような顔でゴールした。


「やったぜ、日南ちゃん! 完走できたんだ! すごいよ! 今までよくやった!」

「う……ん。ハア、ハア、苦しい……」


 僕は駆け寄って、ありったけの言葉で彼女をたたえた。日南ちゃんはゴールするとペタリと地面に座り込んだ。そして泣きそうな声でいった。


「ああ~~~、ゴールできた~~~~っ! やった~~~~~っ!」


 しゃがみこんでいる日南ちゃんをガシッと抱きしめる。彼女も両腕を出して僕の体にしがみつくように、完走できた喜びをかみしめた。


「わあ~~~~ん、やったよ~~~~っ! 夕希く~~~ん。できたよ~~~っ!」


 もう周囲など目に入らないようだ。


「よ~~~く頑張ったよ! えらいっ!」


 いつの間にか向井君がそばに来ていて腕組みをして見下ろしている。


「二人とも完走できてよかったな!」

「おお、向井君。君のおかげだよ、ありがとう。陸上のプロだな、君は」

「どういたしまして。僕の方こそいい思い出になった、しばらく運動を離れてたけど、出場してよかったよ」


 彼から差し出された腕をぎゅっとつかんだ。


「ほら、日南ちゃんも手を出して!」

「ああ……はい」


 二人の手の上にちょこんと日南ちゃんの手が乗った。遠くの方で、馬鹿にしていた男子たちがつまらなそうな顔で離れていくのが見えた。


「あんな奴ら相手にするなよ、日南ちゃん。俺たちが羨ましいんだよ、実は。ワハハ……」


 クラスに向井君のような人がいてよかった。今までどこを見て生活していたんだろうな。

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