第83話 スポーツ大会④

 ほんの少しスピードを上げただけだが、かなり息苦しくなった。このままではあと半分走り切るのはきついだろう、と判断し再びペースを下げる。記録を競い合う運動部の連中の姿はほとんど見られないが、趣味のスポーツサークルの学生や、力試しで参加したような学生の姿はちらほら見える。


 前方に見えるのは、同学年の学生。教室で見たことのある男子学生がいる。スリムで引き締まった体、ふくらはぎにはしっかり筋肉がついている。走り慣れている感じがする。


 さらに飛ばして追いついてから、隣をちらりとのぞき込む。彼もこちらを見て、ああ君かという表情を見せた。今の彼は普段とは全く別人に見える。教室の隅で一人うずくまっているような姿が印象的な彼だが、力強く地面を踏みしめている。


 彼に並走していこうか。


 追い越さずに一緒に行くことにした。ペースはほとんど変わらず、隣で声をかけた。


「オッス!」

「ああ、君か」

「調子は?」

「何とも言えない」


 並走しているとはいえ、ほかの走者はライバルだ。自分の手の内を見せるはずはない。僕が出たのが意外なようだ。


「君が出ているとは知らなかった」

「走るつもりはなかった。締め切りぎりぎりに決めた」

「そうだったんだ」


 苦しいので、会話は短めだ。またしばらく無言になる。


「マラソン経験者?」


 ちらりとこちらを見る。まだ手の内を探ろうとしていると、疑っているのだろう。


「そうでもない。運動はしてたけど」

「陸上?」

「いや、サッカーだ」


 すごいじゃないか。走りなくしてはできない種目だ。彼のペースで走れそうだから、まだついていこう。

 

 後ろを振り返ると、まっすぐな道のはるか彼方に、日南ちゃんの姿が見えた。短い歩幅で必死に足を動かしているのが健気だ。置いてきてしまってよかったのかな、と頭をよぎる。


「あの女の子、君の友達でしょ? ハッ、ハッ……」

「そう、日南ちゃん。高校の同級生で大学も一緒だった。ハア、ハア。しかも同じシェアハウスに住んでる」

「へえ、仲がいいんだね。ハッ、ハッ……」

「そういうわけじゃない。お互いに引っ越すまで知らなかった。ふう、ふう……」

「じゃ、顔を合わせて驚いただろ?」

「うん。ハア、ハア……」


 話をすると苦しくなる。


「もうちょっと着いててあげないと危ないなあ。あの子の走りじゃ、完走できないかも……」

「えっ……」

「完走を目指してるんだろ?」

「ああ」

「……だったら、あと三キロぐらいは並走してあげた方がいいと思う。俺は別にライバルを減らすために忠告してるわけじゃない。ふう、ふう」

「そうなのか……」

「だって、距離がどんどん開いていく。気力もなくなっているんじゃないのか?」

「そうかな……大丈夫って、送ってくれたんだけど。ハッ、ハッ」

「彼女君にかなり頼ってるぞ。それにああいう性格だろ」

「ああ……」


 彼も日南ちゃんがどういう女の子か、クラスで見ていてわかったんだろう。


「まあ、君の判断に任せるけどさ」


 もう一度後ろを振り返った。さらに後方に下がり、ほとんど姿が見えなくなってきた。彼も後ろを振り返って様子を見る。


「肩で息をしてるよ」

「かなり苦しそうだな」

「最後の二キロまで一緒にいてから、ラストスパートした方がいい。それなら、君も結構体力を温存できるだろ?」

「多分」

「俺の助言を信じるか信じないかは、君しだい」

「ああ、名前は?」

「俺……向井」

「向井君」

「君は?」

「木暮……夕希。よろしく」

「二人ともゴールしろよ!」

「ああ」


 少し考えてから、僕はペースダウンした。彼の姿が小さくなり、日南ちゃんが近づいてくる。


 すぐ後ろに迫った時、にっこり笑って彼女に合図した。


「ハッ、ハッ! なんで……あんなに前を走っていたのに……。どうしたの……」

「まあ、いいってこと」

「ハッ、ハッ……だって、せっかく……」

「気にするな。もう少しペースメーカーになるよ。僕は直前でも飛ばせる」

「悪いよ……」


 日南ちゃんは真っ赤な顔で謝っている。一緒に走っては迷惑だろうと、平気な顔をしただけ? 


 やっぱりそうだ。

 

 そうだよ、こっちは順位は別にどうでもよかった。日南ちゃんを完走させるのが目的だったはず。


「悪いって思わないで、このくらいのペースで行こう」

「うん」


 彼女は申し訳なくて泣きそうな顔をしている。疲れもかなり増している様子。やはり、もうちょっとついていればよかった。


 それからは、日南ちゃんは先ほどと同じペースで走ることができた。気持ち次第でこんなに違うものなのか。


 日南ちゃんに笑顔が戻っている。並走してもらっていることをこんなに喜んでいる。やはり向井君の助言は正しかった。


 もう二キロを切った。


 今度こそ本当に大丈夫という表情でほほ笑んだ。


「先に行くけど、一人でゴールできる?」

「うん。頑張ってみる……もう大丈夫」


 日南ちゃんを後に残し、僕はラストスパートした。

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