第82話 スポーツ大会③

 結局日南ちゃんの怪我は本人が大騒ぎした割に大したことはなく、その後の練習が続けられた。十キロ走にも慣れ、いよいよやってきたスポーツ大会。


「さあ、今日はいよいよ本番だ!」

「頑張るね、私。いままで、練習に付き合ってくれてありがとう」


 瞳がうるんでいる。 


 日南ちゃんは、朝食のトーストをかじりながらしみじみという。スタミナをつけなければ、と目玉焼きが添えられトーストにはたっぷりのバターとジャムが塗られている。僕の入れたカフェオレはいつもよりミルク多めだ。


「僕までも走ることになるなんて、思いもしなかった」

「付き合わせちゃったみたいで、悪いな……」

「まあ、そんなことでもなければマラソンに出るなんてなかった。いい経験だ」

「そういってくれると……いいけど」


 練習に付き合いながら、どうせ練習したんだから、と僕まで大会に出ることになったのだ。亜里沙ちゃんに練習しているところを見られ、そこから香月さんにも伝わり、彼女に練習してるんだから出たらいいんじゃないのと勧められ、あれよあれよという間にそういうことになった。成り行き上とはいえ、出るからには完走したいし、みっともない走りはしたくない。


 この大会、運動部の学生だけではなく、そんなずぶの素人のような参加者もいるようなのだ。


「いい思い出になるよ、きっと」

「だといいけど……」


 そのあとに何が続くんだ。こんな日にネガティブ思考はやめてほしい。


「まあ、完走できればいいし、入賞するなんて、みんなも期待してないから」

「そうだよね。ここまでできたんだから、完走目指して走ればいいよね」

「そう、その通り!」


 もともと、僕たちの場合そうでしょう。やっとポジティブ思考に持っていけた。走る前のメンタルトレーニングも必要だった。


 

 大学につき、いよいよ始まるマラソン。男女ともに十キロのゴールテープを目指して走る。


「夕希君! 頑張れ~~~!」


 香月さんが声援を送っている。上村君と亜里沙ちゃんもいる。クラスのメンバーの顔もちらほら見え、プレッシャーはマックスだ。この競技はやはり注目度が高い。運動部の記録を争う連中が前列に並び、僕や日南ちゃんたちの集団は後方で待機する。


 パ~ん、という音がした。


 走者一斉に走り出した。ペース配分をして練習してきたように走る。早すぎてはいけないし、遅くならないよう気を付けなければならない。


 こちらはあまり記録にはこだわっていないので、途中まで日南ちゃんのペースに合わせるつもりだった。初めはグラウンドを数周回り外の道へ出る。外では陸上部のメンバーやOBたちが警備に当たる。


 グラウンドではずっと日南ちゃんに並走した。


「気にしないで自分のペースで走って!」

「うん」


 調子はまずまずだ。


「練習の時みたいにね!」

「わかってる……」


 今までのもじもじした日南ちゃんではなくない。彼女をのろまだのデブだのと馬鹿にした男子も見ている。ひそひそと何かささやきあっているのがわかる。どうせ走れないだろうと、悪口を言い合ってるんだろう。


「飛ばしすぎないで、この調子で!」

「うん。いつもありがと」

「もう、そんなこといいから」

「うん、集中する」


 順調にグラウンドを走り切り、外へ出る。ここからが勝負だ。長くて孤独な道。声援の声もまばらになる。ほとんど交通量のない道を選んでコースが設定されている。ほとんどが舗装道路だが、一部砂利道があるので気を付けなければならない。


「しっかり足元を見て、転ばないようにね!」

「あ……そうだった。完走すれば、もう馬鹿にされないよね」

「されない! ここに来ることだけでもすごいんだ。自信もって!」

「私、すごいんだ……」

「そうだよ」


 暗がりで、石につまずき用水路に落ちた時の記憶がよみがえる。次第に息が上がり、声をかけるのが苦しくなる。


途中で、日南ちゃんがぽつりと言った。


「えっ、何?」

「もう、大丈夫だよ、夕希君……」

「えっ?」

「自分のペースで走って!」


 僕のことを気にしていたんだ。


 ずっと並走していた僕が、自分に合わせてゆっくり走っていると思っていたようで。だが、こちらとしては結構自分のペースに近かった。


「もう少し並走したら、飛ばす!」

「そう……ありがと」


 そういって、あとは二人とも黙った。


 五キロ走って折り返し地点に来た。もう彼女は大丈夫だろう。僕はほんの少しだけ前に出て、後方を振り返った。


 日南ちゃんの顔は真っ赤だ。あと半分は知り切れるだろうか。すると、笑顔になりこちらへ向かって片手をあげた。大丈夫、というサインだ。僕は前方を向き少しだけスピードを上げた。

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