第81話 スポーツ大会②
今日も帰宅してから夕陽を見ながら走る。
「ハア、ハア……今日はこのくらいかな……」
「疲れたな。今日は七キロぐらい走った。いつものコースプラス二キロぐらいだから」
「十キロってかなりあるよ……」
「あと少しだから、そうあと三キロ。あと少しだ、日南ちゃん!」
日南ちゃんは肩で息をしている。道端の石の上に座り込んだ。
「日南ちゃん、顔が真っ赤だ」
「苦しい……」
「大丈夫か?」
肩に手を置いてみる。
うん、うん、とうなずく。
「ずいぶん体力ついたよね、高校のころに比べると」
「そうだね。あの頃は二キロ走るのもやっとだったな……」
遠い目をしてうなずく。
彼女にとっては、これでもかなりの進歩なのだ。だがスポーツ大会までに、十キロ走れるようになるだろうか。あと三週間しかない。廊下に貼られていたポスターの日付が恨めしく見える。
「明日は十キロ走ろう。ペースをつかまないとね。僕がタイムを記録しながら走るから、完走できるように体力を配分して走るんだ」
「やってみる……」
できるかな……と、とりあえずいうのが口癖だったのに、変われば変わるものだな。
「チームメイトがいるって心強いんだね……」
「その通り! 今は、僕がチームメイト」
一人ぽつんといた日南ちゃんは、常に一人で戦わなければならなかったのかも知れない。今の言葉、心にしみるな。
次第に夕日が沈み、沈んだばかりの太陽の光でほの明るかった空が暗くなってきた。月明りと外套だけを頼りに走る。
「いい調子だ、ちょっと早いかもしれない」
ストップウォッチを片手に、一キロのタイムを記録していく。初めからちょっと飛ばしすぎてる。張り切ってるようだ。
「少しペースダウンし他方がいい」
「だけど……そんなにゆっくりじゃ……ハア、ハア」
「しゃべらなくていい。ファイト!」
力強い足取りで走っていた日南ちゃんの体がぐらりと揺れた。
何かにつまずいたのか、体がよろけて道の端の方へ大きく傾いた。体をつかもうとして手を伸ばしたが、さらに体が傾きぐらりと揺れた。
「日南ちゃん、どうしたのっ?」
転んだものと思い手を伸ばすと、ぺたりとしりもちをつく彼女の姿が! しかも畑の隅のあたりで……。
「うわっ、冷たいっ」
しりもちをついている。薄明りの中で完全に動きを止めうずくまる。
「そこって……」
「やだあああ~~~~ん、冷た~~~~い~~~~」
用水路に足を取られたかっ。畑のわきを通る道を走っていたが、そのすぐわきに用水路が通っていた。それほど深くはなかったが、足がはまってしまうとひざから下はすっぽり埋まってしまうくらいの深さはある。
「手につかまってっ!」
「う~~~ん」
今にもわっと泣き出しそうな顔をしている。
「大丈夫っ?」
「痛い~~~」
あまり痛がっているので、伸ばした手を体に回し引き上げるようにする。体に力が入らないようで、両腕で支えながら体を上に移動させる。まるで、抱き上げるような格好だ。日南ちゃんは痛がりながらも恥ずかしそうに視線をそらせる。もぞもぞと体を固くされ、引き上げることができない。
「気にしないで、両腕に力を入れて、しっかりつかまってっ!」
「うっ……恥ずかしいよお……どうしよう」
って、どうしようもないだろうがあ!
両手を離して、じ~~っと彼女の様子をうかがう。
「つかまらないで、自分で出られるの?」
「あああ~~~~っ、それは無理~~~」
「それ。じゃ、つかまる?」
「うわああ~~~~ん、恥ずかしいよお」
また日南ちゃんのもじもじが始まった。どうしよう、とか、やっぱり駄目だとか、はっきりしない。
じたばたしてると足が冷えてしまうだろう。
「もうっ! 早くしろよっ! まずは、そこから脱出した方がいいぞ。けがをしていたら、傷口からどんどんばい菌が入って、足が化膿して走れなくなるかもしれないっ!」
「えええ~~~~っ、そんなあ、脅かさないでよ~~~! そんなのやだ、やだっ、やだ~~~っ!」
「じゃあ、つかまれ!」
走るには、暗くなりすぎていたのだ。と今更後悔しても仕方がない。僕がついていながら……責任も感じる。
「うっ……」
体を抱きかかえるようにして足に力を籠めぎゅっと持ち上げる。その体勢で抱えると、小柄な日南ちゃんもかなり重く感じられる。
「あ……ああ~~~ん」
そんな声を出すなあ!
「う、う、う、う、うう~~~~ん」
だから、やめろおお!
「ハア,ハア」
「もう大丈夫だ」
眼に大粒の涙をたたえて、無事を喜んでいる。やっぱり彼女かなりオーバーだ。水路の深さは……一メートルもなさそうだし。道端に座り涙を流している。
「助かったな!」
「無事に這い上がれてよかった……命の恩人……」
「さあ、足を見せて」
舗装されていない水路なので、足は泥だらけだ。昼間じゅなくてよかった。昆虫などがうようよいそうだ。それを見ても、大騒ぎになるだろう。泥を払ってから、首に巻いていたタオルで足を拭く。靴の中までは分からない。
されるがままに、じっとこちらの動作を見ている日南ちゃん。女の子の足を拭くなんて、こっちが照れるよ。
「足首は動く?」
「なんとか……」
「怪我はしていないようだ。よかったな。さあ立てるかな?」
「わからない……」
またしても両手を伸ばし、手首をつかみ引き上げる。
「立てた!」
「足を上げてみて」
「痛いっ!」
本当かな。
「走れる?」
「わからない……」
そんなことで、大丈夫なのか? こっちが不安になる。
「肩を貸すからいったん家に帰ろう!」
「えっ、肩を貸すって」
「つかまるってこと」
「あああ~~~っ、そんなあ」
恥ずかしがるところじゃないだろう!
「よいしょっ、と」
「そう、そう、それでいいの」
そんな恰好で、とぼとぼ歩いてようやく家までたどり着いた。時々手が震えたり、ハア,ハア,肩で息をしたりする。靴を脱ぎ風呂場に駆け込んだ時には、日南ちゃんの顔は真っ赤になっていた。
「明日から朝練にしようか?」
「う……ん。そうする」
少しだけ笑顔に戻った。
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