第68話 光さんのデートを目撃③
二人はキスをしていたのかっ!
ぴったりとくっついた影は離れようとしない。ガシッと抱き合っているようで、一つの塊が闇の中で動いている。いくら星が瞬いているとはいえ、この辺りは暗くはっきりとその実態はつかめないのだ。
「さあ、行きましょうか」
「そうだね、もう遅くなる。送っていくね」
「どうも」
ようやく二人は車に乗り込み、闇の向こうへエンジン音を響かせて消えていった。
ほ~~っ、やっと帰れる……。
竹藪のわきに止めておいた自転車に乗り、闇の中へ漕ぎ出す。竹藪のわきの畑を抜けてさらにこぐ。車で帰った光さんは家についているだろう。
自転車を家のわきに止めて中へ入る。
「ただいま」
キッチンには誰かいるだろうか。そろりとドアを開ける。
「あら、お帰り~~。夕希君」
男は僕一人だから、声ですぐわかるのだ。そして返事をしたのは、光さんだ。
部屋へ入ってみると、何食わぬ顔の僕に、何食わぬ顔で答える。
「わあ、光さんじゃないですかっ!」
「あら、どうして驚いてるの。私の顔に何かついてるかしら」
「いいえ、いつもと同じですよ」
「今日は、どこかへ出かけたのね」
「はい、大学へ行ってきました。調べ物があって」
「そう、頑張って!」
「光さん、と~~っても楽しそうですね。いいことがあったんでしょう?」
彼女はこちらの顔をじろりと見る。
「あれ、今帰って来たんだよねえ、夕希君?」
「そうですよ。図書館が閉まったので……」
「ふうん、こんなに遅くまで図書館ってやってるの。それとも、帰りにどこかへ寄ってきたのかしら?」
いけない、これでは時間が合わなかった。
「はい、ちょっと駅の本屋へ行ったり、寄り道してたんですよ」
「そうなの……」
「今日はビールはまだ飲んでないんですね」
しまった、テーブルの上には何も出ていなかった。上機嫌で満面の笑顔だ。
「そんなあ、いつもビールを飲んでるわけじゃないのよ」
光さんは立ち上がり僕のそばへ来た。
髪の毛にそっと触れて撫でる。こんな形で触られたことは初めてだ。体温を測ったり頭に手を触れたり、患者として体を拭いてもらったことはあったが。
「ハグしてあげるね」
「えっ」
僕の体をくいっと引き寄せ、ぎゅうっと後ろから抱きしめた。機嫌がいいので、これは友情のハグかな。それとも弟への愛。幸せを分けてくれてるのか?
「ほらほら、可愛いわね」
「僕って弟みたいなもんですよね」
「まあ、そんなところね」
やっぱりな。花島先生は、彼氏だけど。だけど、弟だと聞き、抱きしめられても安心した。
「夕希君、体力を使う仕事をして、少し逞しくなったね」
「それは、もう、重いものを運びまくってますから。品出しって大変なんですよ。しょっちゅう荷物を運んで。書類をチェックしたりする仕事もあります」
「バイトが板についてきたのね」
それにしても、まだ後ろから抱き着いたままだ。
光さんの腕は結構たくましく、ぎゅ~っと抱きしめられると、胸が圧迫される。その腕が胸の前で組まれて、固定されている。当然のことながら、彼女の体はこちらの背中に押し付けられ、胸の部分が背中に当たっている。ふっくらした胸には重量感がある。体全体がたくましいので、そんな気がするのかもしれないが……。
前から抱きしめるのは彼氏だけど、後ろから抱きしめるのは弟、ということなのか。全然遠慮がない!
これだけ潔く抱きしめられていると、気持ちがいい。
「体力がついてきて、よかったです」
「そうよね。だいぶ、たくましくなった。嬉しいなあ。ハグしてると、こっちも幸せな気持ちになってくるわ」
「光さん、今すごく充実してますね」
「まあ、結構ね。忙しいけど、毎日張り合いわあるわね。だけど、時々疲れてて毎日こんな生活してていいのかな、って思うこともあるのよ」
「そりゃそうですね。時間に追われていると、そうなりますよ」
「まあ、優しいこと言ってくれるねっ!」
今度は、ぎゅっと結んでいた両手をほどき、顔に持って行った。両手で僕の頬を包み込む。声を出すたびに、かすかな振動が体に伝わる。
光さんが息を吐くと、すっと風が首筋に吹いてくる。包み込まれた頬が彼女の手の平の体温を感じる。
肌のぬくもりがこんなにも心地いい。子供に帰ったような気分だ。
「こんな弟がいたらいいな……」
体を抱きしめたまま、彼女が言う。
「いつでもなります。僕の事、弟だと思ってください」
「うん。そうするわ!」
ようやく彼女は僕の体を離した。自分の体に、彼女の熱が移ったようだ。
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