第58話 シェアハウスに夏が来た⑫

 退院の日が来た。最後に花島先生の診察を受ける。


「今日で退院ですね。回復が早くてよかった」

「はい、ほっとしています」

「ただし……」


 コホンと咳払いをする。


「これから家に帰っても食事には十分気を配ってください。胃の消化機能が弱っていますので、無茶をしないように」

「……はあ」


 無茶をしているという自覚はなかった。


「ストレスをためないように、規則正しい生活を心掛けること。いいですか?」

「……はい」


 何がストレスになったのかもわからない。食事や生活はかなりいい加減だった。戻ってこないように気を引き締めなきゃ。


「ありがとうございました」

「夕希君、よかったわね。これからは気をつけようね!」

「そうだな、光さん、時々監督してくれるよな」

「はい! 任せといてください、花島先生!」


 光さんの笑顔も屈託がない。


 あっ、光さんに訊かなければならないことがあった。重要事項!


 

 病室へ戻りながら、あたりに人影が見えなくなった時に訊いた。


「あのう……光さん」

「何かしら?」

「花島先生と付き合ってますよね。このことは誰にも言いませんから……」

「あら、何を言い出すのかと思ったら!」

「あわててるところがますます怪しい」

「付き合ってないわよ!」

「じゃあ、一緒に帰ったりはしませんか?」

「えっ、何のこと!」

「二日前の夕方、先生と光さんが車で帰るところを見たんですよ。で、やっぱり付き合ってるんですよね」

「まあ、あれはね……」


 口ごもるところがますます怪しい。


「あれは仕事なのよ、仕事!」

「仕事で、車に乗ることがあるんですか?」

「そうよ、そうなの。二人で往診に行ったのよ!」

「へえ、それにしては楽しそうだったじゃないですか。てっきり仕事終わりにデートかと思いましたよ」

「仕事だったのっ! もう、これ以上詮索すると、退院できなくなるわよっ!」

「脅かさないでださい。もう花島先生のお墨付きをもらってますからね」

「余計なことを言わないのっ!」

「いいじゃないですか、お似合いだから」

「さあ、さあ、退院の手続きをしてきて」

「あれ、今度はやってくれないんですか」

「元気になったから、自分でできるでしょう」


 退院が決まったとたん、元の光さんに戻った。



 退院する前に、話し相手になってくれた休憩室の男性に会いに行った。案の定、雑誌をテーブルの上に置き座っていた。だが、雑誌を読まずに外をぼんやりと眺めている。


「あ……あの……」

「ああ、こんにちは」


 退院するって言いにくい。でも挨拶はしなきゃ……。


「今日、退院することになりました」

「そっか、やっぱり早いね」

「いろいろありがとうございました。お話できて……よかった」

「おめでとう」

「あ……それから」


 言いかけて口ごもった。


「な~に?」

「この病院は、往診もしてくれるんですか?」

「総合病院だから入院患者と外来患者の世話だけで手いっぱいだよ。やってないと思うよ」

「そうなんですね……」

「今度は、往診してもらうつもりだったのかい?」

「なんとなく気になっただけです」

「往診してもらいたいなら、街のクリニックに頼んだ方がいいよ」

「そうします」


 往診に行ったのなら、二人はデートしたわけじゃないと教えてあげるつもりだったが、光さんはとっさに嘘をついた。ほかに訳があったのだから、そっとしておこう。



 いつもの日常に向けて歩き出した。


 振り返ってみると、病院の白い建物が来た時以上に大きく見えた。


 


 一週間ぶりにシェアハウスに帰ると、懐かしい気持ちで涙が出そうになった。キッチンでは楓さんが大声で迎えてくれた。


「オ~~~~~ッス! もう元気そうだね、夕希君!」

「ようやく帰れました」

「一週間なんてあっという間だよ!」

「自分には長く感じられました」

「病院はどうだった?」

「どうだったなんてもんじゃありませんでした」

「大変だったね。胃カメラ二回もやったんだってね、光さんから聞いたよ」

「辛かった……」

「でも、よくなったからいいじゃない」

「まあ」


 ああ、この威勢のいい声を聴き戻ってきた実感がわいた。


「光りさんはまだ病院から戻ってないんですよね」

「そうね、今日は当直みたいだから」

「大変ですよね、当直は」

「あたしだってやってるのよ、時々は」

「楓さんも、ほんと偉いです」

「おおお~~~、そういってくれると、入院した甲斐があったよ~~~!」


 肩をガシッと組まれた。まるでスクラムを組んでいるみたいだ。僕も腕を肩に回し、強くスクラムを組む。髪の毛をくしゃくしゃにされるほど頭をなでられ、ようやく解放してくれた。


 そんなにガシガシ触ったり抱きしめたりして、一歳違いなんですけど……。

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