第57話 シェアハウスに夏が来た⑪
今日は再検査がある。一週間がたち、経過を見るというその日がやってきた。胃カメラを飲み込まなければならないのだ。考えただけで気分が悪くなる。
にこやかに光さんが迎えに来た。
「さあ、怖がらないで行きましょう。私が付いているからね」
「お願いですよ。花島先生に痛くしないように、言ってくださいね」
「大丈夫。麻酔するから」
喉だけの局部麻酔だが、しっかり喉の奥を通っている感覚だけはある。これをクリアしなければ退院できないとなると、重大なミッションだ。なんとしてでも耐えなければ。
「さあ、さあ、車いすに乗って出発よ」
病人になった気分だ。おっと、病人だった。
廊下で増山さんと出会った。
「あら、これから検査なのね」
「はい」
「頑張ってくださいね。ファイト!」
車いすの横へ来て、腕をぎゅっと握って腰のあたりまで引く。
「はい、ファイト!」
こちらも同じようなポーズをとる。
辛くなったら、増山さんの声を思い出そう。良いにも香りも癒される。
診察室へ入ったら、前回と同様花島先生に指示されるがまま、口にはマウスピースのようなものをはめられ横になりじっと時間が過ぎていくのを待つ。
目を開けたり閉じたりして、時間の経過を待つ。
「はい、終わりましたよ」
管を抜かれて、そのまま横になった状態で花島先生が説明を始めた。撮影した画像を見ている。
「これが今の胃の状態です。一週間前と比べて、とてもきれいになっています。潰瘍もだいぶ消えていますよ」
「あああ……良かった。よくなって」
「急性の胃潰瘍だったんですね。明日退院でいいでしょう」
「明日ですか……」
「あれ、うれしいんじゃないの?」
「も、もちろんうれしいです。ありがとうございます。先生のおかげです」
明日退院できるという言葉に、やったー!ッと叫びだしたい気持ちを抑える。増山さんと会えなくなるのが少し寂しいけれど。
「よかったわね、夕希君。さあ、部屋へ戻りましょう」
口がまだ痺れているせいか、はっきりと喋れないが、うれしい気持ちを伝えることはできた。
ナースステーションの前を通った時、増山さんに手を挙げて合図した。笑顔を見て結果がわかったらしく、彼女も笑顔で外へ出てきた。
「結果はどうでしたか?」
「もう大丈夫だそうです」
「そのようですね。顔に書いてあります」
淡い思い出だけを残して、去らなければないのかと無性に寂しくなる。
「明日退院です」
「おめでとうございます。食事が普通に摂れるようになったら、しっかり栄養をつけてくださいね。倒れたら困りますから」
「はい、気を付けます」
すると、車いすを押していた光さんがいった。
「そうよ、倒れて看護師にもたれかかるなんて、問題患者じゃない。急に抱き着いたらびっくりするわよ」
「あ、知ってたんですか」
「もうっ、美香さんに聞いたわよ。休憩室で抱き着いてきた人なんて、今までいなかったって大慌てだったのよ、美香さん」
「えへへ、そうでした」
増山さんは照れたように笑っている。
僕は増山さんの横を通り過ぎ、よい香りに包まれながら病室へ戻り一休みした。
スマホを取り出し両親やお見舞いに来てくれた仲間たちにウサギが大喜びで飛び跳ねているイラストを添付して送信した。
口元の痺れが取れた頃、休憩室へ行った。いつもの男性とおしゃべりがしたくなった。
彼は、窓際の席で雑誌を見ている。目の前には紙パック入りのドリンクが置かれている。
「こんにちは」
「やあ、君か……」
いつもなら、彼の方からいろいろな話題を振ってくるのだが、今日は雑誌から目を上げようとしない。
まったく元気がない。
「面白いですか、雑誌?」
「いや、全然……」
これは絶対に何かあったな。
「具合、悪いんですか。あっ、すいませんこんなこと聞いちゃって」
「そうじゃないんだ、あああ~~~、昨日とんでもないものを見ちゃったんだ!」
「とんでもないもの?」
「見たくなかった」
おっ、話が始まった。
「ここで外の駐車場を見たら、光さんがドクターの車に乗って出て行ったんだ。ものすごく仲がよさそうに、乗っていた」
「そんなはずは……」
ない、断じて。
「あああ……もう付き合ってる人がいたなんて! 彼女独身だって言ってたから安心してたのに。彼氏がいたんだ~~~!」
「へええ~~~、彼氏が~~~!」
そんな人いないはずだけど。車の持ち主は花島先生か。やっぱりそういう仲だったのか! 後で追及しなきゃ。
「あああ~~~。君の方はずいぶんうれしそうだね」
「えっと、その、明日退院することになったので……」
「そうか~~、早く退院できていいねえ」
恨みのこもったような言い方だが、気の毒でかける言葉がない。
「告白する前に振られちゃったよ……とほほ」
「まあ、そう決まったわけじゃないし……元気を出してください!」
「そうだよな。俺まだ若いから、このくらいのことじゃ負けないよ」
光さん、僕に隠していることがあったのか。
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