第56話 シェアハウスに夏が来た⑩
休憩室にはテーブルやいすが置かれ、飲み物の自販機が壁際に置かれている。雑誌や小説、絵本なども立てかけられていて、外科系で入院している人などが良く暇つぶしをしている。病室でずっと過ごすことに飽きてしまった人や、面会の人とおしゃべりをしたい人もここにきている。
三階のこの窓からは、高層ビルがほとんどないこの町の景色もよく見える。廊下側は、ガラスがはめられていて、中の様子が廊下からでもよくわかる。
「のどかだなあ。な~んにもやることがないって、こういうことなんだ」
「君、最近入院したの?」
あれ、話しかけられた。
誰かな?
隣のテーブルで雑誌を読んでいた若い男性だった。片方の足首から下が固定されて、車椅子に乗っている。
「あ、独り言を言ってました」
「喋りたくもなるよ。退屈だと」
「足、痛そうですね」
「まあ、骨折しちゃって、全治二か月かな」
「わああ~~、大変ですね」
「治るまで、仕事も休み。まっ、しょうがないよな」
「僕は、お腹の方が悪くなって、でもそんなに悪くなかったからよかった」
「そっか、よかったねえ」
「よくここへ来るんですか」
「まあね、毎日来てる。部屋にいても、自分のスペースだけじゃ窮屈だからな」
「長いんですか?」
「もう一か月入院している」
「一か月は長いですね」
「そろそろ家へ帰りたいけど、帰ってもこれじゃ動けないや」
「そうですね。大変そう」
この人は二十代後半ぐらいかな。仕事で怪我をしたんだろうか。大変そうだ。
廊下を見て男性が言った。
「ね、あの女性」
「は、はあ」
光さんだ。
まっすぐ前を向いて歩いているので、こちらには気が付かない。
「俺あの看護師さん……気になるんだ」
「あ、ああ。秋沢さん」
「そう。思ったことをピシッと言ってくれて、しょっちゅう叱られてるけど、それでいて後味が爽快だ。あの人が来てくれると、部屋の中が明るくなる」
「確かにそうです。思ったことははっきり言うタイプです。よくわかってますね」
「俺がしょげてると、肩に手を置いて慰めてくれる」
「そりゃ看護師ですから、励ますのが仕事です」
「仕事かもしれないけど、それ以上の好意を感じる」
「そうかなあ……」
「うん、インスピレーションというのか」
「あの人は、ああいう人だと思いますが」
「君、つれないなあ」
「いえいえ、僕が勝手に思っただけなので、気にしないでください」
「で、交際を申し込んだりしたんですか?」
「そんなことはできないよ。でも……」
「でも?」
「退院するときに申し込んでみようかな……」
「考え中ってことですか」
「まあ……」
ああ~~~、入院していると優しさを好意と勘違いするんだよ。
すると、今度は別の看護師が通りがかった。
光りさん同様、夜勤をしたり夜勤明けに体温測定をする看護師さんだ。こちらを向いたので、軽く手を挙げた。
すると、部屋へ入ってきてこちらへ近づいてきた。
「あら、お二人でミーティングやってらっしゃるの?」
「そんなところです、入院生活について語り合ってました」
「詳しいわよね、病院内のことは」
「長くお世話になってますから」
「ここ、街の景色がよく見えるから、早く帰りたくなるでしょう」
「はい、家は見えませんが」
看護師さんの名札には増山と書かれている。増山美香さん……。
すらりとした体に、ショートボブで小さな丸顔がちょこんと乗っている。光さんと同年代のようにも見えるが、彼女とは印象はかなり違う。
折角こちらへ来てくれたんだ、病室ではできない話をしてみよう。
「増山さんも夜勤とかされてるんですね」
「そうですよ。輪番制だからみんな回ってくるんです」
「秋沢さんとは、勤務時間がずれてるんですね」
「そうですね。だから、夜は彼女がいたり、私がいたりどちらかかしら」
「でも、話しをすることはあるんでしょう?」
「するなんてもんじゃないわね。とっても仲はいいですよ。なんせ同期ですから」
「あっ、そうなんですか」
同い年か。本当に全然違うなあ。光りさんはがっしりしている。
増山さんはというと、半袖の白衣から覗く腕はほっそりしていて、首筋から胸元へかけてのラインが滑らかなカーブを描いて美しい。病院の制服というのは露出度が高い。医師の着ているブルーのユニフォームも首元がヴイネックで風通しがよさそうだし、看護師の服装も似たようなものだ。
今日は彼女が夜勤か。
その時彼女のポケベルが鳴り、ポケットから取り出した。
「あら、そろそろ行きますね。二人ともごゆっくり」
「あ、僕もそろそろ戻ります」
椅子を動かし立ち上がろうとしたその時、めまいがして体がぐらりと揺れた。
「あっ、危ないわ!」
「う~ん」
急に立ち上がったものだから、頭の中が真っ白になった。体が揺れてしまいバランスが崩れる。
咄嗟に彼女の体が近づきガシッと体で受け止めた。ほっそりしたその体に倒れ掛かる形になり、彼女はつっかえ棒のように踏ん張り支える。一瞬の出来事に自分でもどうなったのかわからない。
僕の顔は彼女の胸元にぶち当たり、体は彼女にもたれかかっている!
彼女の素早い行動に僕は倒れずに済んだ。閉じられた瞼の向こうには柔らかい胸があり、顔もぴったり胸にくっついた状態。
力の抜けてよれよれになった体は彼女の両腕で支えられている。抱きしめられてぶら下がった状態。
何とかしようと足を踏ん張ってみるが力が入らない。自分の体なのにいうことを聞いてくれないなんて。
両腕に全部の力を注ぎこみ、必死でウエストにしがみつく!
彼女は両足を踏ん張って体を引き上げるようにして、僕を椅子に座らせた。
「大丈夫ですか? 医師を呼びましょうか? 担当は、花島先生でしたね」
「ああ、その必要はありません。ただの立ち眩みです。最近あまり食べてないから。体重が二キロも落ちたんです」
「それならいいんですけど」
「もう少し休んでからゆっくり戻ります」
「はい、気をつけてくださいね」
増山さんは、廊下に出てからもこちらを心配そうに見ながら、戻っていった。
しばらく休み、ゆっくりと両腕に力を入れ立ち上がり、部屋へ戻った。
彼女の胸元はいい香りがした。
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