第55話 シェアハウスに夏が来た⑨
数日間が過ぎ、病院での生活のリズムがつかめてきた。初めは言われるがまま、されるがままに横にさせられたり、手を上げて体温計を挟んだり、お腹を触られたりするばかりだった。だが、病院でのルーティーンが理解できると、次の行動に予測が付き怖さがなくなってきて、院内の人々の行動を観察をする余裕が出てきた。
朝は七時半には起き、八時半の朝食に備える。規則正しい生活が戻ってきた。食事はまだおかゆのままだったが、おかずが少しずつ増え食事時間が楽しみだ。食事が終わると、光さんが来て体温測定をする。スケジュールがわかるので、自分のフリータイムが何時から何時までなのかわかり、休憩室をうろついたり、夜のドラマを楽しむまでになってきた。
朝になると、当直明けだと光さんがやってくる。日勤だと、当直明けの看護師さんだ。
「だいぶ元気になってきたわね。顔色もよくなった」
「初めはふらふらでベッドにはりつけにされてる状態だったけど、院内を歩き回れるようになりました」
「あら、歩き回って何か変わったことでも見つかった?」
「はい、いろいろ。よく休憩室にいるのは誰かとか、花島先生が食堂で誰と何を食べているかとか。光さんに目をつけている入院患者は誰かとか」
「……ったく、何を見つけて歩いてるんだか。暇でしょうがないのね。そういう患者さんよくいるわよ。私たちの様子を観察してる患者さん」
「……だって、時間はあまりすぎるほどあるから、ついつい気になるんですよ。花島先生、独身でいま彼女はいないようですね。後ろでホットケーキを食べながら聞いてたんですけど」
「ええ~~っ、もうホットケーキを食べてるの! 若いから回復が早いというかなんというか」
「まっ、まあ。大目に見てください。おかゆしか食べられないんだから」
しまった、まずいことを言ってしまった。ちゃんとカロリー管理された食事だけでも十分だったのに。顔をしかめてちょろっと舌を出した。それを見て光さんがいう。
「ここで暴飲暴食しないでよ! もうっ、食いしん坊はあいかわらずね!」
「すいません、だけど、いいこと聞いちゃったんです」
「で、花島先生たちの会話を盗み聞きして、何がわかったの?」
「ほら、光さんだって興味あるでしょう」
「まあ、一緒に働く同僚としては」
「聞きたいでしょ」
「ん、まあ。せっかくだから、何でも聞いてあげる。何がわかったの?」
ちょっと勿体をつけて、片手をあごの下へ持っていく。
「花島先生独身なんですね」
「あら、知ってるわよ。それなら、みんな」
「で、いま彼女募集中なんですよ。休みの日には一人でハイキングをしたり、ドライブをしたり、映画を見に行ったり、とにかく一人でいろんな事しているらしいです。そんな時、彼女と一緒だったら楽しいだろうなあ、って遠い目をしていました」
「後ろから聞いてて、どんな目をしてるか分るわけないじゃない」
「それがわかるんです」
「へえ、後ろに目が付いてるのかな?」
「そうなんです。いえ、冗談です。でもきっとそのはずです。極めつけが、仲間の先生が光さんの名前を出したんですよ。いつもじゃれ合ってて、彼女と仲がいいのって。そしたら、急に焦りだしたんです」
「ふうん、焦ったってのは、困ったんじゃないの?」
「さんざん冷やかされてましたが、必要以上に否定していました。その否定ぶりがあまりにも不自然だったんで、かなり光さんのことを意識してるんだと思いました」
「なんだ、それだけじゃわからないじゃない。私に気があるかどうかは」
「僕の長年の感では、絶対に気があります」
「まったく、病院生活があんまり暇なもんだから、妄想してるのね。そういう患者さん本当によくいるのよ」
「本当だってば! 信じてください!」
「わかった、わかった……」
光さんは、くっ、くっとお腹を抱えて笑いをかみ殺している。そのうち抑えきれなくんあり、声を出して笑いだしてしまい、止まらなくなった。
午後になり花島先生と光さんが部屋へ来た。回診の時間だ。
大人しくお腹を出したり胸を出したり、指示されるがままに体のいろいろなパーツを出す。そのたびに指で押されたり、聴診器を当てられたりする。光さんもその光景を見ているが、知り合いに見られるのは何とも言えない気持ちだ。
「どうですか?」
「うん、異常ありませんよ」
「よかった。早く治して、今まで通りの生活がしたいな。女の子を誘ってハイキングに行ったり、映画に行ったり」
「君もハイキングや映画が好きなんだ。ハイキングは楽しいよね、映画も」
「あっ、先生もお好きなんですね、うれしいな先生と趣味が似てて。そういえば、光さんも好きでしたよね?」
急に話を振られてっきょとんとしているが、先ほどの話を思い出し、あっという表情に変わった。
こっちを向いて睨んでいる。
「まあ、嫌いではないけど、そんなに頻繁には行きません」
「ああ、そうなの、君も好きだったの」
好きとは言ってないが。
「どうせだから、一緒に行くと楽しいですよ。光さんこう見えても、とっても優しくて、いろんなことに気が付くんですから」
「こう見えてって、余計よ!」
「そうだな、よく髪の毛がぼさぼさだと注意される。確かによく見ている」
「そういうこと。気が付くって!」
あっ、しまった。せっかくいい雰囲気になると思ったら、またしても。
「もう、余計なことばっかり言ってないで、先生次の回診へ行きましょう。それじゃ夕希君、お大事にね!」
「あれ、あれ、まだ診察は終わってない。体温は?」
「36.4です」
「熱はないな。じゃ行こうか」
あと少しだ、入院生活は。少し休んだら、休憩室へ行ってみよう。
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