第9話 毎日が発見②

「それじゃ、行ってきます」

「行ってらっしゃい。わからないことがあったら、訊いてくださいね。私も結構この辺詳しいの」


 亜里沙さんはぺこりとこちらを向きお辞儀した。すっきりした目元もおばあさん似だ。


 駅までの道を歩くこと二十分。昨夜は暗かったので気が付かなかったが、家々の間に畑や樹木が見え隠れしていてのどかなところだ。


 駅に近づくと商店街が見えた。店の数はあまり多くはないが、生活に必要なものはこの辺で大体そろうと聞いてきた。食堂も数軒あるので、何もない時はここへ来れば食事ができる。


 日南ちゃんが食パンを買ったという店を探していると、『ベーカリーバンビ』と書かれたかわいらしい看板が目を引いた。ショーウィンドーから中を覗くと様々な種類のパンが並んでいる。


 ガラス戸を押して店内に入ると、焼き立てのパンの香りが漂っていた。どれもおいしそうだなあ……。朝食用には食パンもいいが、硬いフランスパンもいける。バターをつけて食べると美味しいんだ。地元では焼いて売っているパン屋がなかったから、この店の存在は朝食時間を豊かにしてくれるだろう。


 トレイとトングを取り、中くらいの大きさのフランスパンとクルミやクリームの入った小さめのパンをいくつか乗せた。これで数日は朝食用に間に合うかな。


 スーパーで牛乳やポットボトル入りの飲料や数種類の総菜を買い、手提げ袋に入れた。帰り道も二十分かかるとすると、自転車があると便利だな。追々揃えることにしよう。

 

 さあ、これで日南ちゃんと二人で楽しい朝食時間がもてる、と心の中でニンマリする。決して彼女の事を意識しているわけでもなく、ましてや好きというわけでもないが、一人きりでぼそぼそと朝食を食べるよりずっと刺激があるだろう。



 そんなことを考えながら買い物袋を持ち、シェアハウスへ引き返した。


 真砂さんと亜里沙ちゃんは先ほど畑へ行くような支度をしていたようなので、ぐるりと家の反対側へ回った。真砂さんは畑仕事をしている。地面を耕し畝を作り、苗を植え付けているところだった。畑といっても家庭菜園のようで、少しずつ数種類の野菜を植えている。幾種類もの若木が茶色い地面から顔を出していてかわいい。そのうち美味しい野菜がなるだろうな。


「あ、吉田さん、商店街へ行って買い物をしてきました」

「そう、いいものがあった?」

「はい、朝食用のパンを買ってきました」

「あら、電気釜もあるから、ご飯を炊いて食べてもいいのよ」

「そうか、ご飯を炊いてもいいですね」

「たくさん炊いて、冷凍庫に保存している人もいるみたいよ」

「そうかあ、僕もやってみようかな」

「ぜひやってみてね」


 そういえば電気釜もあったな。毎日朝炊くのは大変だから、まとめて炊いておいてもいいんだ。


「亜里沙ちゃんは……」


 畑の隅の方にいる。見学してるのかな。


「私は見てるだけ。雑草が生えてきたら、草取りする」

「そう、よろしくね。植え付けは私がやるの。これは要領がいるから」

「いろんな種類があるんですね」

「家庭菜園みたいなもんだから、売り物にはならないのよ。形もいいものは作るのが難しくて」

「美味しい野菜ができるといいですね」

「出来たら食べてね!」

「わあ、育つのが楽しみだな!」


 亜里沙ちゃんがこちらへ歩いてきた。


「たくさん買ってきたんですね」

「食料を仕入れてきた」

「料理得意ですか?」

「あんまり……」

「私、結構得意なんですよ。今度たくさん作ったらおすそ分けします」

「へえ、うれしいな。そのときは、よろしく」


 彼女の申し入れに思わずほころんだ。 


「それじゃ、お邪魔しました」

「は~~い」

「じゃあ~~」


 

 食料品を冷蔵庫に保管し、部屋へ向かった。廊下を歩いて206号室の前まで行くと、前の部屋から奇妙な声が聞こえてくる。


 僕の部屋のすぐ前の203号室は昨夜仕事に出かけた冬馬楓さんの部屋だ。

 

(なんだ、誰かいるのか。男女の声がする。楓さん、帰りがけに男性と一緒にここへ来たのかな)


 その声は次第に大きくなり、激しさを増してくる。


 えええ~~~っ、男の人がいるんだ!


 誰を連れてこようと本人の自由ではあるが……。


 僕はついドアにぴったり張り付いて聞き耳を立ててしまった。すごい状況だということは僕にもわかる。


―――これはまさしく男女の、喘ぎ声。


「はああ~~~ん」

「……」

「あっ、あっ、あっ、あっ、あああ~~~っ」

「ここか~~~」

「う~~ん、そう、そ・こ、よ~~~~っ」

「どうだ~~~っ! これはあ~~~」

「わあ、わあ、ああああ~~~っ、はっ、はっ」

「……」

「もう、ダメええ~~~」

「ダメじゃないでしょ」

「ひいい~~~~、ああん、許して!」

「許さないぞ~~~!」

「もう~~~~、いや~~~ん」


 ドアに耳をくっつけた僕のこの態勢、人に見られたらおかしいよなあ。あああ、向かいの部屋でこんなことが行われているなんて、しかも昼間から! 


 男っぽい容貌の楓さんとはまるで結び付かない。


 なんて家に入居したんだ!


 僕は慌てて自分の部屋のドアのカギ穴にキーを差し込み、震える手でドアを開けた。そのままじ~~っとベッドに座り込み体を丸めた。

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