#2:不逞の勇者
「聖女さまー!」
教会を出ると、子どもたちが数人、駆け寄ってくる。
「どうしましたか?」
「本読んでー! 絵本!」
子どもたちの中のひとり、エルフの男の子がひょいっと掲げたのは、黒い装丁の絵本だ。これは…………。
「ああ、『三人の転生勇者』のお話ですね」
「すみません」
後ろから、保護者らしい女性が近づいてくる。
「こんなに朝早くから押しかけて」
「いえ、構いませんよ」
まあドグは待たせるんだが。あいつはミルクホールに突っ込んでおけばいい。
「さあ、こっちに来て」
「わーい」
教会の広場に植えられた木の根元に子どもたちを集める。彼らを座らせて、絵本を受け取る。
まったく、大学時代に図書館司書の資格を得る過程で学んだ読み聞かせの技術がこんなところで役立つとはな。
本を掲げ、子どもたちに絵を見せる。そこには三人の男が描かれている。なぜか、ひとりだけ真っ黒に塗りつぶされているが。
「これはみんなの好きな転生勇者のお話です。ドラゴヘイムから遠い異国の地に、三人の兄弟が暮らしていました――――」
三人の転生勇者。
元はエルフに伝わる異世界流離譚のひとつ。エルフェルト自治区という場所がエルフの伝承を採集し、それを絵本にしたものだ。いくつかあるうちで、どういうわけかこの物語だけが子どもたちに大うけし、人気に火が点いた。教会でも子どもたちに物語と文字を教えるための教材として使っているから、あちこちの村にも絵本は置かれている。
物語の概要はこうだ。
ドラゴヘイムから遠い異国の地、いや、単に遠いという以上に空間的な隔たりのある異世界に、三人の兄弟が暮らしていた。兄弟は我々と同じように、畑を耕し、牛を育て、のどかに暮らしていた。
一番上の兄はいつもぐうたら。野良仕事を手伝わない。それでも長男。家を継ぐことが決まっているので、誰も何も言わなかった。
二番目の兄は真面目で勤勉。仕事に励みぐうたらな兄の代わりに家を支えていた。それだけでなく、村の子どもたちに読み書きを教えていた。
一番下の弟は、何をしているか分からない。野良仕事をしている日もあれば、部屋に籠って物語を読んでいることもある。村人の記憶に残らない男だった。
絵本に描かれた三人の男のうち、黒塗りにされているのはその弟だ。
「いつも通りの日常を過ごす三人の兄弟のもとに、ある日、女神様が二人の天使を遣わせました」
次のページを開き、絵を見せる。黄色い髪の少女が二人、三人の男の前に現れている。
「いわく、あなたがたは勇者に選ばれました。どうか、その力をふるいドラゴヘイムに平和をもたらせてください」
そして、二人の天使は三人の兄弟に、力を与える。
「一番上の兄に、ひとりの天使は言いました。あなたにはあらゆる力を与えましょう。老いない体、すべてを斬る剣術、青く燃える炎、世界を渡る足、そう思いつく限りのすべてを」
ページをめくる。男は天使から、あらゆるものを受け取っている。それは剣の形、炎の形、翼の形、盾の形、鎧の形とさまざまな絵で表されている。
「二番目の兄に、ひとりの天使は言いました。あなたには死なない体を与えましょう。傷を負い、病にかかり、年をとっても死なない力を」
ページをめくる。男は天使から、光る玉のようなものを受け取っている。それが、肉体を不死に変えるというのだろうか。傷を受け、病に侵されても立ち上がる男の姿が描かれている。
「一番下の弟に、ふたりの天使は言いました。あなたには何も与えられないと」
ページをめくる。そこには、倒れ伏す黒い人影が描かれている。
「あなたには何も与えられない。そう言った二人の天使は、弟からすべてを奪いました。そして、彼ら三人はドラゴヘイムへ降り立ったのです」
一番上の兄は勇猛果敢な戦士として。悪魔の首を斬り落とし、魔物の巣を焼き払い、その名をドラゴヘイムに轟かせる。
二番目の兄は深謀遠慮な賢者として。苦しむ人々を救い、困りごとを解決して、その知恵をドラゴヘイムに広める。
「そして一番下の弟は、今でもどこで何をしているのか、杳としてしれませんでしたとさ」
これで、このお話はおしまい。
…………………………なんだこれ。
なんだこれ!?
このふざけた話が子どもたちに大うけなのか? なぜ? 子どもの感性は分からん。
まあ、この話はあくまで物語のはじまり。このあと、一番上の兄と二番目の兄がドラゴヘイムで冒険を繰り広げるのが本題で、そっちが基本的には読まれているのだ。特に人気なのは、一番上の兄が翼ある虎を打ち倒ししもべにする話と、二番目の兄が王様との知恵比べに勝ち領地を授かる話だ。
一番下の弟の冒険譚はない。まじで何をしているかまったく分からないのだ。
この、いかにもわたしたちの現状を表しているかの如き物語は、いったいなんだ? 細部こそ違いはあるものの、あらゆるチート能力を得て増長する初太郎と、不死のチート能力を得て賢者と呼ばれる継次郎。そして肉体すら奪われたわたしと、大筋は合っている。
どうにも気味が悪い。この、二人の天使というのもエナスとアイナーそっくりだし。
じゃあ女神様はファーストか。あいつが女神? 笑わせる。
しかし……三人の転生勇者ね。いつか奴隷商のマヌアが言っていたことは、これだったのだ。この物語が念頭にあったから、三人目の転生勇者が現われるかもしれないと思っていたわけだ。
「……………………ん?」
子どもたちの様子を見ていると、ひとり、ぽつんと少し離れたところにいる子どもを見つけた。リザードヘッドの、赤い鱗が特徴的な男の子だ。
「どうしましたか? このお話は嫌いでしたか?」
「……………………うん」
男の子は首を縦に振る。
「だって、僕、一番下なんだもん。ねえ、聖女さま、僕もこのお話みたいになっちゃうのかな?」
「……………………」
「お母さんはいつも言うんだ。いい子にしてないと、このお話みたいに天使がやってきて全部奪っちゃうって」
「大丈夫ですよ」
まったく、この物語は教育効果が悪すぎるな。なんで怠け者の兄が全部を手に入れて、一応ちゃんと働いていた弟が全部を奪われるんだ。
その子の傍に寄って、頭を撫でてやる。
「このお話は、異界の神様がいかに不公平なのかを教えているのです。ですが、我々を見守る根源の龍は違います。彼の者の前にすべての人は平等。いい子にしてれば、きっと龍はすべてを見通し、あなたに救いの手を差し伸べるでしょう」
落としどころは、そんなところだろうな。そう言っておくしかないというのもある。
「本当?」
「ええ」
それは本当だ。彼女から力を得て、今この場に立っているわたしが保証する。
「ねえ聖女さま」
隣にいた女の子が声をかけてくる。
「勇者ハッタローさまと賢者ツグィロウさまが、転生勇者だって本当?」
「うーん…………。そう言われていますが、定かではありませんね」
たぶんそれも、本当なんだろうなあ。伝説があまりにわたしたちをなぞり過ぎている。気持ち悪いくらいに。
「じゃあさじゃあさ」
エルフの男の子が言う。
「三人目の勇者さまは今どうしてるの?」
「それは、分かりませんね。お話の通り、誰も知らないのです」
まさか目の前にその三人目がいるとは思うまい。物語の中じゃ勇者は男だしな。わたしも元は男だったんだけどなあ。
「さあ、これで物語はおしまい」
絵本を返す。
「わたしはこれから用事がありますから、みなさんはいい子にしていてくださいね」
「はーい。いってらっしゃい、聖女さま!」
子どもたちに送られて、わたしは教会を後にした。
「はあ…………」
子どもの扱いは苦手だな。三年経って、少し慣れたけど。
それにしても、聖女様か……。
不浄の聖女。
三年間、このグランエルで過ごすうちに、いつの間にやらそんな呼び方をされるようになってしまった。
半分はこっちが狙ったことでもある。神官としての評判を高めれば、グランエルにいながら様々な情報を集めることができる。ちょっと困ったことがあるから神官様に聞いてもらおう、みたいな流れで入ってくる情報の中には、初太郎や継次郎に関するものも含まれていて、それは確かに有用だった。
そのために、呪いを自分の体に引き受けて解呪したり、黒い神官服を着て剣を帯びてみたり、ツヴァイを人前で操ってみせたりと印象操作を行ってきた。そしてそれは成功したが……。
成功し過ぎた。
この世界の人間たちの、宗教と神官に対する信仰心を甘く見ていた。
まさか聖女様とはな。あのアデルさんと同じ呼び方をされるのは、ちょっと荷が重い。
あの人と違って分かりやすいことはしていないはずなんだけどな。黒雷だって、人前では使っていないのに。やはり解呪という現世利益を与え過ぎたのはまずかったか。
いまさらだが。
ドグの待つミルクホールを目指してグランエルの町を歩く。途中、噴水のある大広場を通り抜けようとしたときだった。
「世界は終末に向かっている!」
唐突に、そんな大声が聞こえた。
「…………なんだ?」
見ると、噴水の前でひとりの男が大声で何かを叫んでいる。その周りを人々がやや不安そうに囲んでいる。
「ドラゴンはいままで以上に跳梁跋扈を繰り返している! このまま、我々はドラゴンを信奉していていいのでしょうか!?」
声を大にして叫んでいるのは、年のころ三十代くらいの男性だ。かつてのわたしと同じくらいか……。短い髪はさっぱりとしていて清潔感があり、見た目だけなら好印象だ。まあ、あの手の清潔感って、人から信頼されるために整えてるところがあるからな。裏返せばいかにも詐欺師っぽいとも言える。
「否。断じて否ですぞ! 我々はドラゴンと決別しなければなりません! そのためにも、我らが勇者ハッタロー様を信じるのです!」
「………………ああ?」
初太郎だと?
よく見るとその男の背後には、青い旗がある。クタ村を襲った連中が持っていたのと同じ、あの旗だ。龍の翼を剣が貫き、その周りを炎が焼いている図柄。
じゃあなんだ。あれはハッタロー一派の伝道師だとでも?
「ハッタローを信奉しましょう。そのために、さあ、旗を買うのです。今なら三本で千五百ゴールド!」
伝道師じゃなくて詐欺師か。しかもずいぶん古典的な。
ドラゴヘイムにも幸運の壺とか売っちゃうような連中っているんだな。古今東西、人を騙す手段は変わらないのか。
「よう聖女様。こんなところで何してるんだ?」
後ろから声をかけられる。振り返ると、武器屋の店主がいた。
「親父さん、その聖女っていうのはやめてください」
「ははっ。悪いな嬢ちゃん。……で、ありゃなんだ?」
「さあ、初太郎の手の者のようですが」
「ハッタロー一派か。最近、ここじゃ見なかったんだがな」
わたしもだ。三年前、ニルス村近郊やクタ村で暴れ回ったあと、この辺りでは姿を見ていない。
……………………いや。
一年前に一度、そういえば初太郎ともどもこの近くに現れたことがあったな。
あのときは大変だった。ドグを含め、見習い神官が危うく一派の連中に襲われるところだった。
「我々は果たして、根源教をそのままにしておいていいのでしょうか!」
男が叫ぶ!
「連中は暴れ回る龍をあがめ、お布施と称し大金を巻き上げる守銭奴です! 彼らをのさばらせれば、我々は遠からず破滅するでしょう!」
む。
それは。
「少し、聞き捨てならないですね」
一歩、前に出る。
「いつ、我ら根源教の神官が大金を巻き上げたというのですか?」
周囲の観客がざわつく。
「聖女様だ」
「聖女様…………!」
男はわたしがそう呼ばれているのを聞いて、怪訝そうな顔をする。
「…………聖女?」
「我々は人々からお布施をいただきます。それはこの世界が金で回り、生活を金で支えなければならない以上避けられないこと。しかし我々神官が必要以上の金を巻き上げ、私腹を肥やしたことなどありません」
「う、嘘をつけ! 話は聞いているぞ。グランエルの神官は他の町の神官より薬の知識があって、それで大儲けしているって。薬は高く売れるからな!」
「ああ、そのことですか」
さらに一歩、踏み出す。
「確かに、薬の代価としていくらかのお布施をいただいております。しかし必要以上に儲けたりはしません」
そもそも薬が高すぎるんだよこの世界。まあ、医学薬学が貴重なのは仕方ないと思うが……。思い返すにつれ腹が立つのはレムナスの医者だ。あいつが塗っていた緑の薬、その辺の草を何種類か合わせてすりつぶしただけじゃないか。痛みが治まったのも、すりつぶした草のひとつにたまたま感覚を鈍らせる効果の草があったからだ。そういう、当たるも八卦当たらぬも八卦みたいなエセ医学で儲ける医者がこの世界には多い。
わたしの体の傷、もっとちゃんとした治療を受けていれば跡ももう少し残らなかったんだろうな……。
「そうだそうだ!」
観客の一人が声を上げる。
「聖女様はいつも、その辺の医者がくれるよりいい薬を安く渡してくれるんだ!」
「余所者が適当言うんじゃねえ!」
「この町じゃ薬売りが一番儲からないって言われてるんだぞ!」
人々が口々に叫ぶ。こうなるのは分かっていた。
もともと、グランエルは教会の信頼厚い土地だ。そこにわたしの聖女としての名声が加わればもうすごいことになる。
「く、くそ……」
形勢不利を悟った男は、旗を回収して逃げ出す。一本落としていったが、そんなのは知らん顔だ。
「まったく…………」
…………ハッタロー一派。
あの初太郎がまさか自分を信奉する存在を組織できるとは思えない。かといって自然発生するには、あまりにもいびつな存在だ。ドラゴヘイムにおいて、その世界の存亡にすら関わる龍を殺すという行為を感覚的に受け入れられる人が多いはずもない。
あの馬鹿の後ろに、誰かしらブレインがいるような気がする。そりゃ、六年もドラゴヘイムにいれば、あの単細胞で御しやすい勇者を利用しようというやつの一人くらい現れるか。
不逞の勇者ハッタローは、それ単体がドラゴンを屠る災厄として存在するだけでなく、信奉者が形成する野盗同然の兵団という脅威も内包していた。
それが、やつの六年間の成果。
「……くだらん」
取り残された旗をわざと踏みつけるようにして、わたしは目的地へ向かった。
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