第三話:奴隷的であり、奴隷でもある

#1:レムナスでの日々

 レムナスでの日々は、単調で苦痛だった。

「いらっしゃいませ」

 俺の一日は、日が沈み酒場が本格的に繁盛してくるころに始まる。

「ご注文は」

麦酒ビール。あと魚の丸焼き」

 客を迎え入れ、注文を聞き、マスターにオーダーを出す。この店は先払いでも後払いでもなく、商品を客のテーブルに置いたときに金を貰う。それがドラゴヘイムで一般的な形態なのかは、知らない。

「二百ゴールドです」

「はいよ」

 男が金を出す。それを受け取って数える。

「足りませんが」

「ああ?」

 客が睨みつけてくる。

「小娘、あんたは計算できないから分からねえんだろ。ちゃんとそれで足りてんだよ」

「おい、おめえ!」

 カウンターからマスターの怒声が響く。

「そこの嬢ちゃんは計算できるんだよ。誤魔化そうったってそうはいかねえぞ!」

「……ちっ」

 舌打ちをして、客は足りない分を払った。

 少し働いて分かったが、この世界ではろくに計算もできない人間がいる。特に女性は、計算ができないと思われているし、事実できない場合も多い。この酒場では俺の他にも娼婦が何人かいるはずだが、客と金銭のやり取りをするのはマスターを除けば俺だけだった。

 貰った金をマスターに渡す。

「ご苦労さん。しかしお前が計算できるのはちょっと予想外だったよな」

「……そうですか」

 計算だけでなく、読み書きもできる。これもここで働いていて気づいたことだ。文字を読めるのは知っていたが、まさかドラゴヘイムの文字を書くこともできるとは思わなかった。

 なにぶん中世みたいな場所だ。文字の読み書きができて、計算もできるとなると相当の人材なのだろう。しきりにマスターは「いい拾い物をした」と言っていた。

「おいおチビ!」

 お呼びがかかった。

「はい」

 席に向かう。そこでは既に一人の娼婦が二人の男の相手をしていた。とはいえ、二人に一人だと、片方が手持無沙汰になるらしい。俺を呼んだのはそんな手持無沙汰の一人だった。

 歴戦のキャバ嬢なら二人くらい軽く捌けるんだろうけどな……。体を売る以外に生きる術も知識もない俺たちには、そういうのは荷が重いか。

「ご注文は?」

「いいから、ちょっとこっち座れよ」

 ぐいっと、客は俺の腕を引っ張る。座れよと言っても空いている椅子はない。客は俺を自分の膝の上に載せた。

「お前軽いなあ。肉あんのか?」

 酒臭い息をまきちらしながら、男は俺の体を触った。ぐっと、肉のない乳房を揉みしだかれる。

「……っ」

「おチビはいくらかな?」

「……………………五百」

「五百? 高いな。処女はもう取られちまったんだろ?」

「五百です。値切れないとマスターに言われてます」

「なんだよ、つまんねえの」

 男は俺を離した。と、同時に、店の扉が開かれる。そちらの方を見た。

「いらっしゃい、ま、せ………………」

 声がかすれた。

 入ってきたのは。

 エルフの若い男だった。

「よう、リザグオー」

「……………………」

 俺を、初めて犯した男だ。

「どうした? 挨拶は?」

「………………こんばんは」

「よくできました」

 男は俺の頭を撫でた。

「……ご注文は?」

「いや、飯は食ったし、酒って気分でもねえな」

 ぐいっと、男は俺の背を押す。

「今日は臨時収入があったんだ。だから来た。そら、早く行こうぜ」

「……………………………………」

 こうやって。

 客に要求されると。

 俺たち娼婦は二階に上がり、客の相手をする。

 どういうプラン設定になっているのか知らないが、一晩中相手をすることもあれば、一時間くらいで終わって酒場に降りるときもある。だから、日によっては二人か三人を相手取ることもあった。

 正直、一晩中一人を相手取るのと、複数人を一時間ずつ相手取るのはどちらが楽なのかと言われると、比較できない。そもそも、どっちも嫌なのだから。

 ただ、あのエルフの男はいつも俺を一晩買っていく。だからあいつが来ると、俺の酒場での仕事はそこで終わる。

 そして一晩中、男の相手をして。終わると男は帰っていく。

 終わると、ヤリ部屋兼自室になっているその部屋で俺は少しの間眠り。

 夜も更け、酒場の客があらかた帰る時分にまた起きて下に降りる。

 客のいなくなった酒場では、夜の相手がいなかった娼婦とマスターが片づけをしているので、それに加わる。

 客の食べ残しはもったいないので捨てずに、そのまま俺たちの胃の中に入る。まかないは出ているが、一日一食、しかもあの薄くて不味いスープとカビの生えたパンだ。後はたまに魚や野菜、肉が出ることもあるが、腐りかけの廃棄食材を押し付けられているだけなのであまり嬉しくない。こうなると客の残飯が一番のごちそうになってしまう。

 テーブルとイスを拭き、床にモップをかけ、洗い物を片づける。この辺りは、元いた世界の飲食店とそう違いはないのだろう。まあ、俺は飲食店でのバイトの経験はないんだが。たぶん変わらない。

 そうして片づけがあらかた終わると、今日の売り上げの勘定をしているマスターを尻目に俺たちは再び部屋に戻り、眠りにつく。

 雨と風をしのげる部屋に、暖かい寝床。それだけがあれば、幸福…………。

 本当に?

 そんなわけがあるか。そんな些細なことが、俺の幸福のすべてであってたまるか。

 だが、今はそれだけを幸せの頼み綱にして生きていくしかない。

 太陽が天高く昇る昼頃になって、俺たちは目を覚ましぱらぱらと起き出す。

 部屋の前に置かれている食事を中に運んで、眠い目をこすりながら不味いスープを飲む。

 人によってはその後でもうひと眠りするが、俺は諸々の事情があって、そのまま身づくろいをして部屋を出る。

 他の娼婦たちが食べ終わった食器を部屋の外に出しているので、それを回収しながら下に降りる。そして洗い物をしていると、マスターが酒場に降りてくる。

「早いな」

「そうですか?」

「そうでもないか」

 早い、と言えばこのマスターの方だろう。いつも店じまいの片づけは日の出間近まで続くというのに、その後で睡眠を取って、昼前に起きてまかないを俺たちの部屋の前に置く。睡眠時間は五時間くらい、下手すると三時間くらいじゃないか? この世界の人間はこれくらい睡眠時間が短いのだろうか。

 ともかく、マスターが下りてくると酒場の開店だ。

 俺がドラゴヘイムの初日で酒場に向かった用件がそうであるように、この店は酒場であると同時に仕事人に依頼を斡旋する事務局でもある。だから昼頃から店を開ける必要があるのだ。普通の酒場なら日没に開店して夜更けに閉店すればいいのだから、そっちの方が楽だろうに。

「依頼を斡旋すると仲介料マージンが出るんだよ。酒場の売り上げよりそっちの方が儲かるくらいだ」

 とのことなので、多少無理を押しても店を開くメリットはあるのだろう。

 俺は昼頃は店にいないことも多いし、いる必要もない。ただ、雑用には賃金が発生するということなので、売春以外の収入として大事にしている。

 これは他の娼婦にはできない。読み書きと計算のできる俺だから請け負える仕事だ。特に、昼になると。

「おい、嬢ちゃん。依頼書の代筆してくれ」

「はい」

 仕事人に仕事を依頼するための書類は、酒場の壁に貼り出される。仕事人は許可制だし、依頼の仕組み上文字を読めなければ話にならないからたぶん読めないやつはいないだろう。だが依頼を出す人間はそうとも限らない。依頼をしたいが文字の書けない人間はそれなりにいる。そういうときは、俺かマスターが代筆をする。

「頼んどいてなんだが、字、汚くないか? これ本当に読めるのか?」

「多分大丈夫です」

「まあいいか……」

 しかし……俺の悪筆は転生しても変わらないらしい。左利きも珍しく思われることが多い。今のところ文字が汚くて読めないと苦情が来たことはないから大丈夫だろう。

「………………ん?」

 酒場の壁には、依頼書の他にも地図のようなものが貼ってあった。その地図が少し剥がれかかっていたので、貼り直す。

「……………………」

「なんだ、お嬢ちゃん、その地図が気になるか?」

 マスターが話しかけてくる。

「まあ…………」

 地図は、一応この世界にもあるらしいが、どうにもお粗末だという印象を受ける。

「よし、説明してやろう。まずここが俺たちのいるレムナスの港町だ」

 地図の右端を指さしながら、マスターが説明を加える。

「で、この上、つまり北に海浜都市リバブバルがある」

 レムナスのすぐ上に、なるほど大きそうな町が書いてある。

「それで、レムナスから西がお前の行こうとしてた自由都市グランエルだ」

 マスターは地図の左端を示す。

「………………はあ」

 いや。

 縮尺適当すぎじゃないか!?

 確か、リバブバルもグランエルも同じく馬車で一週間の距離じゃなかったか? この地図だと、リバブバルはレムナスの目と鼻の先のように見え、逆にグランエルははるかかなたのように見える。

 まあ、リバブバルの道が険しくて距離の割に時間がかかるという可能性もあるが……。しかし、それよりは本当にただ縮尺が適当だという線の方が強そうだ。

 レムナスとグランエルの間には、いくつもの村名や地名が書かれている。カルラ、アルエルナ、クタ、ニルス、緑銀の森……などなど。これらの地名を書き込むために、レムナスとグランエルの間が開いているのだろう。

「グランエルはどういう町なんですか?」

「都市って言うくらいだから大きいぞ? まあ王都から見れば辺境だろうがな」

「王都?」

 じゃあドラゴヘイムは王国なのか。実はいまいち、ドラゴヘイムの立ち位置が分からなかったんだよな。ドラゴヘイムが元いた世界で言うところの、地球のように世界そのものを指す名前なのか、ユーラシアのように大陸を指す名前なのか、はたまた日本のように国を指すのか。

 ドラゴヘイムは王国、か。まあ、考えてみれば海向こうに伐龍国があるとか、そういう位置関係だったからな。王国と考えるのが自然だったか。

「俺も何度か行ったことがあるが、あそこはやたらにのどかな都市だな。政治争いも内紛も全然起きねえし、都市の周囲は魔物が出ねえし」

 裏返せば、魔物が出るのか、この世界。

 急にファンタジー味を出しやがって。

 ともかく、そんな話を挟みながら。

 夕方、一度部屋に引き上げて休息を取り。

 日が沈むころ、酒場はにわかに活気づき。

 そうしたら酒場に降りて、俺の一日がまた始まる。



 そんな生活を一か月繰り返したある日。

 我慢は、限界をむかえ。

 俺は、レムナスを出る決意をした。

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