#3:無理矢理の異世界転生
気が付くと、白くて明るい天井が見えた。
意識がぼんやりとして、視界がまだはっきりしない。
「まったくお前たちはいつもこうだ」
次に気づいたのは、なにやらくどくど説教をするような女性の声が聞こえることだった。
「最初に言ったはずだ。リサブローをドラゴヘイムに派遣するのは決定事項だと! 当人の意志を聞くのは、やつが自分の意志で向かうなら話がスムーズになるから聞くというだけのことであって、話を聞く気がないなら強硬手段に出ろと!」
「でも……」
「でももヘチマもあるか! アイナー、すべての元凶はお前なんだぞ! お前がまず毅然とした態度でリサブローに臨まないからこうなるんだ!」
「しかし……」
「しかしじゃない! エナス! お前は妹を監督し仕事を遂行させる責任があるんだ! それを放棄してどうする!」
なんか、無茶苦茶を言っている気がするなあ。なんて、そんなことを思っていると、体に力が入るようになっていた。
体を起こす。何が……何が起きたのだったけ。そういえばさっき、俺は首を切り落とされたような気がして、そこで気を失ったけれど……。しかし今こうして生きている。
じゃあさっきのは夢か。いや、それこそ家の外から、この変な空間に引きずり込まれたところまで、全部夢だと思うのが一番簡単なんだけど。
しかし、目が覚めた先はさっきと同じ真っ白な空間だった。これは、じゃあ、現実なのか。
俺が寝ていたのは、棺の中だった。あの、黒髪の少女の亡骸が横たえられていた、黒バラに飾られた棺の中。そこへご丁寧に寝かせられていた。何の悪戯だ。
どうにも、体から妙な感じがする。全身がむずむずする。そしてなぜか、体が軽い。
試しにひょいっと棺から外に出る。体は俺の言うことを素直に聞いて、棺に座った体勢からひらりと床に降り立った。こんな軽やかな動き、前はできなかったのにどういう理屈だ?
「おお、起きたか」
声がした方へ振り向く。すると、そこには奇妙な光景が広がっていた。
エナスとアイナーの姉妹は、床に正座した格好で明らかに反省を強いられていた。二人ともうなだれて、少しげっそりしている。そしてその二人の正面で、さっきまで説教をしていたと思われるのは、長い金髪の女性だった。
その女性は、二十代前半から半ばくらいに思われた。エナスとアイナーの姉らしく見え、二人にそっくりだ。エナスたちを成長させるとちょうど、あんなふうになりそうだ。
ただ、目つきがとにかくきつい。エナスのような優しさや、アイナーのような快活さはその目になく、ただとにかく人当たりが厳しそうな印象を受ける。
「気分はどうだ?」
「気分?」
最悪だよ。なにせ死んだ夢を見たんだから。
そう言おうとして、はっと口をつぐんだ。
なぜ?
俺から発せられた声が、俺のものではなかったからだ。俺の、成人男性らしい野太い声ではなく、それこそエナスやアイナーのような清らかで高い声色が自分の喉から出た。
なんだこれ? さっき首を切られたのは夢でも何でもなく、そのせいで喉の調子がおかしいのか?
「大丈夫、だと思う」
いや、全然大丈夫じゃない。
確かに体は軽い。意識がはっきりしてくると、体中に活力がみなぎってくるのが分かる。だが、それは大丈夫だということを意味しない。
なんか、妙だ。
俺の体が、俺のものじゃないみたいだ。
腕を伸ばす。俺の両腕は細く、生白い。歩くと床をぺたぺたと、裸足が踏んだ。サンダルはどこいった?
というか、着ているものが違う気がする。歩くたび、ばさばさと裾が揺れるのが気になって下を見ると、履いているのはスカートらしい何かだ。色は黒。腕がむき出しになって外気に晒されている感覚からして、ノースリーブの。
いや、ん?
ちょっと、待てよ。
それって。
慌てて、俺は壁を見た。真っ白でぴかぴかに磨き上げられて、鏡のように俺の姿を反射するその壁を……。
壁には、俺は映っていなかった。
映っているのは、一人の幼い少女。
長い黒髪が腰まで届き、赤い瞳を爛々と輝かせる、可憐な少女の姿。
俺がこの白い空間に来たとき最初に見た、少女の亡骸の姿だった。
「な、…………へ?」
驚きのあまり、口の端がゆがむ。すると、壁に映った少女の口も歪む。試みに右手を挙げると、少女も右手を挙げた。
「な、なななっ…………!」
これは俺だ!
鏡に映る彼女は俺なんだ!
そのことが分かり始めると、ぞくぞくと足元から寒気が押し寄せてくる。思わず後ずさりすると、何かを踏んづけてしまい、それに引っかかって転んでしまう。
「うわっ、とと……」
何に躓いたんだ? 体を起こしてよく見ると、それは……。
首を切られた、よく見知った俺の体だった。
「うわああああっ!」
「うるさいぞ」
俺の叫びを煙たがるように、女性が声を上げた。だが俺はそんなことを気にしている余裕などなかった。
俺の体はご丁寧に、切り離された胴体と首が並べて置かれていた。どういう処理をしたのか分からないが、傷口から血は一滴も垂れていない。しかし血が完全に胴体から失われたというわけでもないらしく、生々しい断面は血に濡れて今にも溢れ出しそうになっている。
「これ、お、俺の体、なんで…………」
「なんでもなにも、そりゃあ」
女性が答える。
「お前を殺して、魂をその体に移し替えたからだ」
「………………はあ?」
つまり。
俺、羽柴理三郎が三十年間を過ごした肉体はやはり首と胴体が泣き別れして殺されており。
俺の魂だけが、あの少女の亡骸に入り込んでいるということか?
目の前の女性を見る。エナスとアイナーを成長させたような姿のこの女は、口ぶりからして二人の上司のような立場なのだろう。魂を管理しているという二人より上の存在。それなら、こんな無茶苦茶も可能、なのか?
「なんで、そんなこと…………」
「決まっている。お前をドラゴヘイムに送り込むための下準備だ」
「ちょ、ちょっと待て、お前」
「お前ではない。私はファースト。エナスとアイナーの上司だ」
「……ファースト、俺は」
「ドラゴヘイムに行く気はない、か。お前は兄たちのことなど知らんと言ったな。だが、私の方からその言葉をそのまま返すぞ、お前の都合など、私は知らん」
「な…………」
こいつ、言っていることが支離滅裂だ!
「お前にはドラゴヘイムに赴き、暴走するハツタローを殺してもらう。お前の二番目の兄、ツグジローがやり残した仕事を片付けてもらうぞ」
「な、何で俺がそんなことを」
「決まっているだろう。お前の兄であるハツタローがドラゴヘイムで適当をしている。それを放置すれば最悪世界が滅ぶ。それを防ぐためにはハツタローを殺すしかないが、ツグジローはろくに仕事をせん」
「いや、初太郎を殺すか否かという点はどうでもよくて、俺がどうしてそれをしなければならないかってことを聞いているんだ!」
「当たり前だろう!」
ファーストの一喝が飛ぶ。
「問題を起こしているのはお前の兄で、それを始末する仕事をしくじったのもお前の兄だ! 兄の不始末は弟が取るべきなのだ!」
「無茶を言うな!」
何を馬鹿なことを! なんで俺が兄の尻拭いなんてしなければならないんだ。
「待ってください」
ファーストの後ろから、エナスが立ち上がって声を掛ける。
「やはりリサブローさんは無関係です。ことの原因は私とアイナーにあります。わたしたちが行きますから……」
「それも当たり前だ!」
またしてもファーストの絶叫が響く。
「お前たちはツグジローの所へ送る。ツグジローをたきつけ、仕事を完遂するよう導くのがお前たちの仕事だ!」
「そ、それは分かったけど……」
アイナーも声を上げる。
「リサブローを元の姿のまま送っちゃ駄目だったの? というか、リサブローに何か能力はあげないの? ツグジローには不死の能力をあげたんだしさ」
そういえばそうだ。なんか、俺はこのままの状態で送られることが決定事項になっているが、どうにもそれは妙なことだ。そもそも何でこんな少女の姿にさせられたのかも分からないし、まさか徒手空拳で種々のチートを身に着けた初太郎を殺せるはずもない。
だが、ファーストはあくまでも無情だった。
「考えてみろ。リサブローをドラゴヘイムに送るのさえリスクを伴うのだ。そこで私は一計を案じ、ドラゴヘイムの住人を模した肉体をこうした事態のために用意していたのだ。それが今、リサブローの肉体となっているというわけだ」
要するに、地球の人間である俺を送り込むとどんなところからドラゴヘイムの秩序を崩すか分からない。だから肉体すら、できるだけドラゴヘイムのものを使おうというわけだ。
「本来なら記憶と知識も消去し、使命だけを植え付けた状態で送り出すのが理想なのだがな。それではさすがに任務に支障をきたすだろうから勘弁してやろう。ありがたく思え」
「押しつけがましい!」
異世界に旅立つのに馴染んだ肉体を捨てさせられた。それで感謝しろとはどういう了見だ!
「それで、この言い分だとチート能力もくれないって様子だな」
「当然だ。そんなものを与えて送り出してはドラゴヘイムの均衡を崩壊させかねない。事実、不死能力だけを与えたツグジローでさえ大きく世界の均衡を崩し始めている」
うん? それはどういう…………。
「ともかく、分かったらさっさと行け! リサブロー、ドラゴヘイムで兄ハツタローを調伏しろ!」
「……ふざけるな!」
怒りが、頂点に達した。
兄の尻拭いをしろ? 初太郎を殺せ?
それだけでも俺には何の関係もない話だ。俺はこんな仕事受ける気はない。受ける義理も責務も、一切俺にはない。
それなのにこいつは俺の魂をこんなか弱い少女のものに入れ替えて。
あげく何の力も渡さず異世界に放り出すという。
そんな蛮行が許されるか。
許されていいはずがない。
「俺は、元の世界に戻る!」
「それは許さんと言ったはずだ!」
足元が砕ける。あのときと同じだ。空間が砕けて、ワープホールが生まれようとしている。俺を穴に落として、さっさとドラゴヘイム送りにするつもりだ。
「う、おおおっ!」
地面を思いっきり蹴る。前に飛び出す。一発、ファーストをぶん殴ってやるつもりで。
だが、すかっと、空振りするような感覚があった。
足元が、崩れてなくなっていく。
「く、そ……」
思いっきり左手を伸ばす。なんとか、ギリギリのところで穴の淵に手を掛けて、落ちずに済んだ。
「ファースト、お前……」
「さっさと行け」
「ふざけるな……ふざけるな! 俺の人生はようやく動き出したんだ。少しずつ、ようやく前にだ! こんなところで兄二人の無能に付き合ってる暇はないんだよ!」
「言いたいことはそれだけか?」
ぐっと。
ファーストはその裸足で俺の左手を踏みつける。
「つっ…………あ」
ぼろり、と。
手を掛けていた淵が崩れる。
ふわりと体が浮いて。
穴の中へ。
落ちる。
「くそ…………くそがっ!」
悪態を、つくことしかできない。
そして俺は。
異世界、ドラゴヘイムへ転生することになった。
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