第二話:少女の意味
#1:はじまりの港町レムナス
「うわあああぁ………………はっ!」
自分の叫び声で、俺は目を覚ました。
「夢………………夢、だよな……?」
飛び起きる。だが、現実はあくまでも無情だった。
俺が起きたのは自分の部屋でもなく、自宅の玄関を出てすぐのところでもない。
真っ青な空が広がる、どこかの場所だった。
「ここは?」
ファーストの言った通り、ここがドラゴヘイム、なのか?
起き上がる。どうやら俺の倒れていた場所は小高い丘になっているところらしく、そこから辺り一面を見渡すことができた。
「………………おお」
丘からの一望は、絶景と言って差し支えなかった。
高い位置から、海を見下ろす構図。昇る朝日が海をキラキラと輝かせて、ウミネコがのどかに鳴いている。そして海のすぐ側が、港町になっていた。
港町の建物は石と煉瓦で作られている。港に停泊している船は大きいが、どれも木造の帆船だ。町の道を行くのは馬が引く荷車だ。
ドラゴヘイムがどういう文明圏の世界なのかは知らなかったが、どうやら異世界転生ものにありがちな中世っぽい世界観だと思って、ひとまず問題はなさそうだ。
「しかし…………」
両手を見やり、にぎにぎと動かしてみる。腕を見て、脚を見て、髪を撫で、ついでばさばさと着ている服をはたいてみた。
「マジでこの姿のまま転生させられたのか……」
俺があの白い空間で見た、黒い少女の姿。本当に、あの姿で俺はドラゴヘイムへ飛ばされたらしい。
ぴょんぴょんと跳ねてみる。…………うん。
「ポジティブに考えるか」
よく思い返せば、仮に俺の本来の姿である三十路の中年男性の姿で送られても、それで得することは特にないのだ。なにせ鬱病を患った身体だ。精神疾患は精神の問題だけではなく、精神面から端を発する肉体のホルモンバランスの崩壊という健康被害も伴っている。男の体を捨てたことで、今の俺は少なくともホルモンバランス的には正常値に戻っている。まあ、それだって精神面が改善しなければ元の木阿弥だが、少なくとも今は、肉体的には元の体以上に健康体なのだ。ドラゴヘイムを渡り歩くにあたって、不安面がこれでひとつ消える。
それに軽く体を動かしてみた感じ、この肉体の身体能力はかなり高い。元の体は運動音痴もこれ極れりで、同年代の女性にはるか劣るくらいだったからな。
そう考えれば、少女の肉体に魂を入れられたことも悪いことばかりではない。どうもあの首を切られた感じだと俺は二度と元の肉体に戻れない気もするが……。
だが、と考える。
俺の目的は元の世界に戻ることだ。そして元の世界に戻り、小説家を目指すあの人生の続きをすることだ。小説家に肉体はあまり関係ない。頭が無事ならそれでいい。
そう、目的だ。
俺はこのドラゴヘイムから、地球に戻らないといけない。
「どうするかな……」
考える。そういえばあいつら、継次郎が元の世界に戻るだの戻らないだの言っていたな。あれはつまり、裏返せばドラゴヘイムから地球に戻すこと自体は可能ということだ。ならばまだ希望がある。
まさか魂の管理者があのクソみたいなファーストだけではない、と思いたい。俺の目的はとにもかくにも、ファースト以外の魂の管理者と出会い、その人に頼んで元の世界に戻してもらう、というところに落ち着くだろう。
では、どうやったら魂の管理者に出会えるのだろうか。そこが分からない。……だが、端緒はある。
それもファーストが言っていたことだ。エナスとアイナー、あの二人を継次郎に派遣すると言っていた。つまり継次郎の所に行けば二人に会える。あの二人はファーストの部下だが、ファースト以外の管理者を知っている可能性がある。
方針が固まったな。
そうと決まれば、さっそく情報収集を始めよう。三年間も転生した人間がドラゴヘイムにいるのだ。継次郎は何かしらの痕跡を世界に残しているはずだ。それを辿れば、見つけることはできるだろう。
「…………うん?」
そう思って心を新たに出発しようとしたところで、ふと、視界の端に何かが映っているのに気づく。
それは小さな石碑のようなものだ。
「墓、か……?」
まあ、見晴らしのいいここは墓にぴったりかもしれないな。そう思って近づく。石碑には花が供えられており、なるほどこれは墓だろうなという印象を強くした。
墓には文字が刻まれている。多少は風雨にさらされているが、まだ比較的新しいものだと分かる。
「うわ…………」
ところが、ここで嫌な事態に遭遇する。
文字が、俺の知っているものではないのだ。
なんだこのミミズののたくったような文字は。日本語ではもちろんないし、英語でもない。まったく未知の言語だった。
文字が分からないとなると、情報収集は困難になる。それどころか、まともにこの世界で生きていけないぞ。
まずいな……。
だが、そこで不思議なことが起こった。
「…………ん?」
文字の意味が、頭の中にふっと湧き上がってくるのだ。
「『幼き龍人フレア、ここに眠る』……か?」
答え合わせはできない。だが、そう書いてあるように読めるのだ。そしてそれは、なぜか当たり前で間違いないことのように、俺の心は確信していた。
………………確かファーストは、ドラゴヘイムの人間を模してこの体を作ったと言っていたな。だから、基本的な言語的知識は備えているのか?
どうやら種々のチート能力はもらえなかったが、言語を理解する能力は与えられたらしい。これもこの肉体の恩恵か?
ともかく、これで憂いはなくなった。
俺は港町を目指して、先を進むことにした。
港町の名前はレムナスというようだ。町は石壁に覆われていて、入口らしいところは俺が歩いてすぐ辿りつけるところにはひとつしか見当たらなかった。入口に看板が掲げられており、相変わらずミミズののたくったようなよく分からない文字なのだが、やはり読むことはできた。
ドラゴヘイムに着いて最初の町ということもあって、この世界においてレムナスの規模がどの程度なのかは分からない。ただ素朴な実感を言えば、かなり大きな町のように見えた。やはり港町だけあって、貿易で栄えているのだろうか。
しかし、ともかくも…………疲れた。
「はあ…………」
よく考えれば、今の俺の格好はあまりにも軽装だ。ノースリーブのワンピース一枚だけ。靴も履いていない。裸足で歩くと大した距離でもないのに酷く疲れた。靴という発明品の偉大さをこんなところで思い知るとは。
そしてものすごくお腹が空いて、喉が渇いた。あのクソ女のことだから、あらかじめ飢えと渇きを満たしておくという発想はなかったんだろう。そもそも俺の魂が入る前はただの死骸だったわけで、死骸が飯を食うというのは無理な話か。
情報収集より、装備を整えて飯を食べるのが先かも知れない。だが、それはそれでひとつの大きな問題に直面する。
金が…………。
「金がない」
着の身着のままで放り出されたに等しいのだ。まさかドラゴヘイムの通貨なんて持っているはずもない。
というかこれ、まじでどうするんだ…………。
「らっしゃいらっしゃい!」
とぼとぼと歩いていると、市場らしい区画に到達する。そこではいろいろな店が軒を連ねていた。野菜や果物といった青物を売る店、漁で獲れたばかりだろう新鮮そうな魚介類を売る店、そして調理された軽食を売る店。特に料理を売る店が放つ美味そうな臭いが鼻孔をくすぐると、腹の虫が大暴れした。
「……くそ」
市場は活気にあふれて、人がたくさんいる。店の前も人だかりになっていて大繁盛だ。これだけ人がいれば、ひょいと盗んでもバレないんじゃないかと思った。
「駄目か」
だが、ドラゴヘイムに来て早々お縄というわけにもいかない。まだ窃盗に手を染めるのは早すぎる。何か策はあるはずだ。
考える。ふむ、最近の異世界転生ものの場合、どうしていただろうか。思い返すと、俺の知っているこの手の物語は、そもそも王様や王宮お抱えの魔術師たちが主人公を召喚するのが常で、そもそもスタート地点が違う。王様が勇者を招いて、魔王討伐を依頼するわけだから、その点から言って金銭の心配はないのだ。勇者になけなしとはいえ冒険の資金を与えるのはゲームでも小説でも基本だからな。
だが俺をこんな目に遭わせたのはあのクソで、あのクソは俺に最低限の資金を与える脳みそもなかったと。
これじゃあ駄目だ。別の手を考えろ。
そういえば、異世界に転生して冒険するこの手の話では、まず冒険者ギルドというところに行くのが鉄板だな。そこで冒険者登録をして、仕事を受けて金を稼ぐ。そうすればその日暮らしの目途くらいは立つ。
ならばこの町のギルドを探すのが先決か。
そうと決まれば、話は早い。
「すみません」
市場をうろつく客の一人を捕まえて、話しかける。人当たりのよさそうなおばさんだ。
「なんだい、嬢ちゃん」
「えーっと」
話しかけた後で、ふと気づく。そういえば、文字は読めたけど話し言葉はどうなっているんだろう。俺は今、思いっきり日本語で喋っているし、相手の言葉も日本語で聞こえているが……これで意思疎通はできているのか。
ええい、ままよ!
「この町の冒険者ギルドってどこですか?」
「…………ボーゲンジャギルドゥってなんさね?」
「え?」
「え?」
俺とおばさんは顔を見合わせる。
「あの、だから、冒険者ギルドです。ぼうけんしゃ、ぎるど」
「ボーゲンジャギルドゥ? 聞いたことない言葉だねえ」
言葉が通じていない? やっぱり俺の言語能力に問題が? 文字は読めてもこの世界の言葉をきちんと発音できていないのか?
「えっと、その、俺、言葉、ちゃんと話せてますか?」
「……ええ。よく聞こえてるよ。でもボーゲンジャギルドゥは知らないねえ。お嬢ちゃん、海向こうの子かな?」
「………………」
海向こう、というのは要するに外国のことだろう。俺の言葉のうち、『冒険者ギルド』だけがどうも通じず、外国の言葉だと思われているわけだ。
言い換えれば、言葉自体は通じているとみてよさそうだ。ただ『冒険者ギルド』が伝わらないと。するとこの世界にギルドはないのか?
聞き方を変えよう。
「この町に、仕事を斡旋してくれるところはありませんか?」
「そうさねえ」
おばさんは少し考えこむ。
「港はいつも人不足だから船乗りを探しているよ。でもお嬢ちゃんの年齢で船乗りは無理だねえ。酒場ならいろんな仕事を紹介してくれているよ」
「その酒場は……」
「市場を抜けた先に大きな建物があるだろう? 酒樽が表に飾りとして置いてあるからすぐ分かるよ」
「ありがとうございます」
さて、行先は分かった。酒場か港だな。だが、港で仕事を得られる可能性は低いと。
俺が情報を集めなければならないのはあくまでドラゴヘイムの中だ。船に乗ってしまえばいかにも中世っぽい世界観のこと。数か月は陸に戻れないかもしれない。そもそも遭難して海の藻屑ルートが安定の時代だろうし、そんなリスクは負えない。ここは酒場一択だな。
とはいえ、酒場へ向かう道すがら、港は通りかかることになった。今は船が停泊しているだけで、人はあまりいない。時間帯的に、人がいないのだろうか。どのみち今は港にいても意味がなさそうだ。
酒場はなるほど、確かに分かりやすかった。俺には酒樽というものがいまいち判然としないのだが、港を抜けた先にひときわ大きな建物があって、その表に俺の背丈よりも高くて大きい樽がいくつも並んでいる。まあ俺の背丈って明らかに少女の体になって縮んではいるんだけど……。三十路の中年男性だった俺の背丈よりも樽は大きい様に思われた。そういえば外国のワイン造りの現場を映像で見たとき、これくらい大きな樽を使っていたような。
窓からちらりと覗き込む。中はまだ昼間だというのに活気にあふれていて、いろいろな人たちが席に着いて酒や料理を楽しんでいた。
「あれは…………」
その人たちを見て気づいたのだが、客の中には少し、普通の人間と違う特徴を持った人たちが混じっていた。耳が尖っているのだ。それだけだが、それだけの僅かな特徴の違いが、なぜか俺にはひときわ際立って見えた。
「ひょっとして、エルフでもいるのか?」
ファンタジーではおなじみの種族だが、この世界にもエルフは実在するのだろうか。しかし森に住んでいそうなエルフが屈強な船乗りらしい男たちと混じって酒をかっくらっている姿はどうにもシュールだ。よく町に馴染んでいる、とも言えるが。
エルフと言えば森の外では迫害されているケースもあるあるだが、この様子だとドラゴヘイムではそういうこともないのか? あるいはレムナスだけの特色なのか……。
ともかく、窓から覗いてばかりだと話が進まない。意を決して、扉から入った。
「らっしゃい! …………ううん?」
カウンターで酒の給仕をしている、マスターらしい男が俺に気づいて声をかけてきた。
「なんだ嬢ちゃん? ここは
牛乳屋なんて店もあるのかこの世界は……じゃなくて。
「子どもは帰ってママのミルクでも飲んでな」
「いえ、仕事の斡旋をしてほしくて……」
「仕事だあ?」
怪訝そうな顔でマスターはこっちを見た。俺とマスターの話が届いたのか、客たちも雑談を止めてこちらに注意を向けてきた。
「じゃあ嬢ちゃん、許可証出しな」
「……許可証?」
そんなもの持っていないぞ?
「こーいうもんだぜ、おチビちゃん」
カウンターに座っていた酔っぱらいのハゲ男が俺に絡んでくる。その男が見せたのは、金属製の小さなプレートだ。ちょうど俺のいた世界で兵士が持つドックタグのような感じのもので、青銅色。何か刻まれているようだが、小さくて見えない。
「……持っていないんですが、それがないと仕事ができないんですか?」
「なんだ嬢ちゃん、そんなことも知らねえのか」
マスターは溜息をつく。
「ひょっとしてあんた、海向こうから来たんじゃねえだろうな。
「まあ、そんなところで」
伐龍国というのはよく分からないが、
「ふうん。じゃあ教えてやるがよ、この国じゃいろんな仕事が酒場を経由して依頼されるんだ。だが、その仕事を請け負うには仕事人の許可証がいるんだよ」
仕事人……。それがこの世界でいうところの冒険者のような存在なのか。
「許可がいるのは……あれだ。身許がはっきりしないやつに仕事を任せると、途中でバックレられたりするからな。だから許可証がいるんだよ」
「その許可証は、ここでは発行してくれないんですか?」
「ここじゃ無理だ。各領地の領主様にお伺いを立てないといけねえ。ここはリバブバルの領地だから、そこの領主様に許可証を頂かないといけねえな」
リバブバル……また分からん土地の名前が出てきたな。
「じゃあそのリバブバルに行くにはどうしたらいいんですか?」
「こっから北に馬車で一週間だな」
「いっ…………!」
一週間!!
「船ならもっと早いんだが……」
「あの、歩きだと……」
「嬢ちゃんの足なら辿り着く前に野垂れ死ぬだろうな」
ですよね。
「もっと近いところはないんですか?」
「そうだな……」
マスターはジョッキを磨きながら答える。
「他にはここから西のグランエルがあるが、距離自体は変わらないな。まあ、リバブバルと違って間にいくつも村があるから、歩きでもなんとか辿りつけるかもしれねえけど」
「そうですか……」
「だがグランエルは領地が違う。レムナスで仕事をするならリバブバルの許可証がいるぜ」
なるほど、仕事人の許可証は領地ごとに異なっているのか。仮にグランエルで許可を得ても、レムナスでは仕事ができないと。
まあ、この町に固執する理由もないからグランエルに移動してしまうというのも手だが……。
「だがどうするにしても、その格好は何とかしろよ。そんな軽装で旅なんてできないだろ」
「う…………」
それはそうなんだが……。
装備を整えるための金がないんだよ!
金を稼ぐためにはグランエルに向かうのが最善だが、グランエルに向かうには金を得て装備を整える必要がある。金を得るためにはグランエルに……という最悪の循環構造が出来上がっている。
グランエルに行けるだけの金銭を僅かにでも稼ぐ手段をレムナスで見つけるか、この軽装でも無理矢理グランエルへ旅立てる方法を考えるしかない。
「あの、馬車でグランエルに行くにはどうしたら……」
「グランエルまでなら荷馬車が出てるからな、乗っけてもらうってのが一番だな。金は取られるが」
だろうな。要するに俺という荷物が増えるわけだから。
「いくらくらいで」
「馬車による。だがグランエルまでなら最低千ゴールドはいるな」
ゲームみたいな通貨出てきた! もうわけが分からん!
「他にも仕事人や商人が十数人で馬車を借りて金を出し合うってこともあるな。それなら乗る人数が増えるほど安くなるぞ」
「そうですか……」
どのみち金が一定額いるわけだ。
結局詰んでる…………。
「どうしてもお金を稼がないと今日の食事にも困る有様で、どうにかなりませんか?」
「どうにかっつってもなあ……」
そう言いながら、じろりとマスターは俺の体を見た。
「ふうむ」
「………………っ!」
なんだ?
今、マスターの視線にうすら寒いものを感じた。
言葉で説明できるなにか、じゃない。
俺が三十年で生きてきた人生の中で、一度も感じたことのない視線だった。
心の底が冷えて、嫌悪感が体中を包み込むような、ねばつく視線だ。
「お前……」
「…………はい」
「娼婦、やってみないか?」
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