第2話「天罰」

 何かに撃ち抜かれて、

 お母さんがベンチの前に倒れた。


「う、うあああぁ!!!」


 アカリが、酷く慟哭した。

 誰だ、アカリを泣かせたごみは。

 絶対に許さない。


 まさか、昨日の虎に関係ある事なのか。

 恨みの相手が本当にお母さんなのか。


 考えても仕方ない。

 発射体の弾道からみて、撃った場所は……


「アカリ、あっちだよ!」


 涙の滲む顔を拭きながら、アカリが走り出した。


 噴水に沿って置かれたベンチで、お母さんは北西を向いて座ってて、

 被弾は左顳顬こめかみから。

 ここから南西に線を伸ばせば、丁度人気のない裏路地に当たる。

 微かに足音も聞こえた。


 あの速度に貫徹力、飛び道具ならそれなりのサイズになるし、

 魔法なら追跡に十分な残滓が残るはず。

 逃さない。


 路地に入り、しばらく進むと、

 ローブを被って逃走してるやつを捉えた。……子供?

 背丈、私と同じくらいじゃん。

 とにかく、捕まえなきゃ。


「止まれ!」


 路地裏から出るところで、向こうから声がした。

 アカリが涙を拭きながら立ちふさがってくれてた。

 とりあえず、これで挟み撃ちになる。

 子供を手に掛けるのは快くないけど、

 アカリの心を害したんだから命で償うべきだよね。


「……」


 何か言ったらどうだ。


「はぁ……

 ……せっかく、神々の慈悲によって見逃してあげたというのに」


 そう言って、そいつはフードを脱いだ。


 黒髪で肩までのツインテール、前髪は切り揃えている。

 黄色いツリ目で、口角は下がり気味。

 アカリの顔つきを更にキツくしたような感じの女の子だった。

 服装は、なんというか、上流の学校の制服みたいな、

 白メインの形式張ったデザイン。


 とにかく、只者ではない。いや、この気配は人間なのか。

 本能が警戒しろと言っている。


「あたしは、ここ、結構好きだったのよ。

 人間も獣人も垣根なく、仲良く暮らしていて、

 フェレスの中だと珍しく調和と知性が保たれていて。

 ただ一つ残念なのは、邪神が治めている国ってこと」

「邪神?」


 また訳分からん概念が出てきた。

 何だろう、他の宗派からの逆恨み?

 でも、シャトレスはどんな信仰も制限してないし、

 それ絡みのトラブルも国内で聞いたことがない。


「神聖なる存在の象徴として、

 純真であるべき魂が復讐に駆られ、同族を殺し、

 地上に堕ちてそこの命と交わるという禁忌を犯し、

 神としての規範を幾度も破った、

 世界を壊しかねない重罪を幾つも孕む存在。

 それがあんた達の母親。

 そしてそれらの罪を自身の魂で償わせたのよ」

「そんなデタラメ信じるとでも」


 そうだよね。

 アカリの言う通り、そんなの信じられない。


 確かに浮世離れしたところはあるけど、

 ちゃんと家族のことも国民のことも想って、

 紛れもなくこの世界で生きてきた一人。

 それが、私達の知るお母さん。


 それに、今のところ私達二人は問題なくここで生きている。

 昔はともかく、アカリが生まれた日から私はずっと幸せだ。

 見知らぬ奴に、私達が忌み子だなどと言われる筋合いはない。


「どうぞご自由に。

 だけど、生まれを選べなかったあんた達に罪は無いわ。

 神々の慈悲に深く感謝しなさい。

 立ちふさがるのをやめて、子孫も作らない。

 以上を守れば、見逃してあげる」

「は?何様のつもり?どんな信仰だか知らんけど、

 アカリを泣かせといて帰れると思ってんの?」


 仄かに浮かんでいた見下すような笑みが急に消えて、

 冷たい目でこちらに視線を突き刺した。


「……ふーん、それが答えって事でいいのね?」


 次の瞬間、徐ろにその口で囁いて――


超極限の塔イプシロン・ノート


 技名のようなものを言い放った瞬間、ここ一帯が重圧に呑まれた。

 攻撃の類は今のところ見えない。

 何かの準備のための技?


 とにかく、聞いたことがない。

 珍しいことに、この時点で私の肌がざわめいている。

 明らかにこの世界の魔法とは毛色が違う。


 アカリが、珍しく目を見開いて驚いている。


「何この密度と形質、ありえない……

 こんな狂った量、一体どこから供給して……」

「あら、この量をも麻痺しないだなんて。

 子供ガキにしては、中々やるじゃないの」


 少し誇らしそうにしてから、改めて姿勢を正し、彼女は宣言した。


「天上の神々の名の下に、この『ウリエル』があんた達に審判を下す」


 ウリエル……天使の名前じゃん!


「今、ウリエルって言った?

 賢い人間いっぱいのシミアスを占領した時、どんな感じだったの?」

「……フェレスの民のくせに、よく知ってるわね。

 あたし達の……えーと、進化……人類を発展させたという恩恵。

 最低限人間たちもそれらを語り継ぐ努めを果たしてるみたいね。

 そうだ、いい機会だからこの調子で他の地方も……」


 アカリが質問で気を逸しながら耳と指でこっそり、今のうちにと伝えてきた。

 狙いを定めた後、殺気を散らして、音を風に溶かしながら踏み込む。

 アカリが注意を逸してくれてる間に、その首を――


自己充填の鎖コンウェイズチェーン


 剣を振り切ろうとした右手首が突如鎖のようなものに縛られた。

 踏み込んだ体が引っ張られて、切り込むための速度が掻き消される。

 次に、目の前のウリエルが握った腕で鎖をほんの少し引っ張ると、

 何故か私は真横に引っ張られて建物の壁に激突した。

 すっごく痛い。


「お姉ちゃん!」


 壁と瓦礫に少し埋まっても、アカリの気遣う声はしっかり聞こえる。


 不可解なのは、ウリエルは目の前から一切動いてないのに、

 どの方向からも引っ張れるような挙動を見せた事。


 何……これ。

 光でできた鎖が、私の手首をがっちり掴んでいる。

 それだけじゃなく、鎖の挙動もおかしい。

 ウリエルの手から伸びた鎖が、

 今埋まった壁の上の空中で折り返されて手首に届いている。

 まるで、空間そのものに固定されているみたい。

 

「こんなベタな不意討ちが通用すると思ったわけ?

 あたしがそんなのに引っかかるような頭悪い奴だと、そう思ったのね?

 馬鹿にしないでっ!」


 何こいつ、急にキレだしたんだけど。

 不意打ちの何がそんなに……


演算弾・超肆式テトレーションバレット!』


 次は人差し指で、目の前に一文字いちもんじを描いた。

 その軌跡が光る線として残り、いくつかに分割後収束して飛んできた。

 単なる魔弾?いや、あんな変な方法で発射されたのがそんな……

 てか、まずい。この鎖と体勢じゃ回避が――


『支援、防壁バリア


 間一髪でアカリが守ってくれて、私に着弾はしなかった。

 だけどバリア越しでもその衝撃が響き、爆発音が耳を劈く。

 とんでもない超威力の爆発弾に見える。

 まともに食らってたら体が残るか分からないレベルかも。

 ……うわ、すぐ下の地面抉れてるじゃん。

 シャトレスの舗装って結構頑丈ないい素材使ってなかったっけ。


 そんな攻撃を簡単に防いじゃうなんて、流石アカリ……♪


「何よその顔、何で嬉しそうなわけ?キモすぎ……

 てか、黒い方のあんた、今見てからバリア出したわよね!?

 なんで詠唱もせずにこの硬さで出せるのよ!」

「詠唱が必要なのは魔導術だけだし……」

「え、じゃ、じゃあ出来合いのパッケージされた術なんかに、

 あたしの魔法が……?」

「魔術でも無いけど……」

「は、はぁっ?じゃあ一体何なのよ!」


 アカリは、少し考え込んでから、

 にたにたした扇情的な笑みを浮かべた。


「さぁ、なんでしょぉ?」


 有象無象一般人から見たら、ウザったいにやけ顔って表現になるかな。

 あぁ、最近あんな感じで見下してもらってないなぁ。


「勿体ぶってないでさっさと教えなさいよ!」

「魔力に精通した天上の民でぇ、知恵を象徴する偉大な天使様ならぁ、

 絶対ぜぇったい分かると思うんですけどぉ……?」


 うわぁ、そんな顔で、甘い声で、

 後ろで手を組みながらかがんで、上目遣い……!

 こんな状況だってのに火照っちゃう。

 あーもうなんで私じゃないの……


「……独占し、格差を生み、傲慢にもそれでを蔑む……

 そんな屑は、消えるべきよ」


 あれ、妙に大人しくなったな。

 もしやアカリの煽りアピールに折れちゃったかな?

 それならチャンス、こんなとこに埋まってないで早く仕留めなきゃ。


「一生埋まってなさい!」


 そう思ったら、視界の端から眼の前にたくさん同じ鎖が出てきて、

 私が脱出できない程度に張り巡らされた。

 ついでに手足もある程度縛られて。


 これ他の場所からも出せるのか。

 にしては、なんか展開の仕方が不自然。


 ……よく見ると、手首を縛ってるところから、

 一回だけ枝分かれしてて、それが壁に刺さってる。

 仮に何本でも好きなとこから生やせるんだったらそんなことする意味ないし。


 多分だけど、ウリエル自身が保持して、全て繋がってないと、

 この鎖は発現も維持も制御もできない?


「結局悪の子は悪なのよ。

 歪みの始まりである神の子も、こんな罪深い存在を増やす邪神共も、

 早く洗い流さなきゃ」


 強迫した暗い声でブツブツ言いながら、

 今度は左腕を突き出して、右手を肩の前に。

 ……弓の、構え?


『クヌースの矢』


 ウリエルの構えぴったりに、矢を番え、引き絞った状態の光の弓矢が現れた。

 最初の魔法発動みたいに、私でも分かるほどの強大なエネルギーが矢じりの部分に集まっている。その矢じりを中心に、景色がレンズを通したように歪む。

 物も、肉体も、精神にさえ踏み込んで、世界そのものを丸ごと飲み込むような力。

 これ、――


「逃げてお姉ちゃん!!!国のみんなにも早く!」


 そうだ、そうしなきゃ。

 でも、この奇妙な鎖の壊し方が分からない。

 剣を触れる範囲で叩き切れば破壊の手応えがあって、破片も飛び散る。

 なのに、刃が通り過ぎた後には壊す前と全く同じ形を保っている。


 埋まっている壁ごと吹き飛ばせるほどの技をやれるほど体も動かせない。

 詰んじゃった。


 ……みんな、か。

 私としてはアカリさえ無事ならいいんだけど。

 国や凡人おとななんて、ありふれたものでしょ。

 私や貴女とは、根本的な価値が比べ物にならないはずだよ。


 それでも、アカリはそこまで広げるんだね。優しいから。

 アカリがそうしたいんだったら、従うまで。

 早く脱出して、国民を避難させないと。


 ……


 今になって気づいたけど、西門から入ってここまで、人を誰一人見ていない。

 お母さんが、女王が殺されたというのに、それを目撃したのは私達だけ。

 普段なら旅商人やらで少しでも人がいるはずなのに、アカリ以外の悲鳴も、動揺の気配も感じなかった。静かすぎた。


 一体、私達とウリエルは、どこにいるの?


「……さようなら」


 間に合わない。

 私達二人が負けるなんて、あるはずがないと思っていた。


 ヒトの知性と猫系の身体能力を両立した前例のない存在に生まれ、

 両立し得ない二大流派を一人で大隊に匹敵する「一級」で修めた剣士、

 世界の魔力に認められた、本来一人で国と渡り合えて、

 神にも届きそうな、少なくとも「準特級」以上の精霊術師。

 そんな、そこらへんの伝説の設定みたいな私達が遅れを取った。


 ただ、アカリと過ごして、アカリとの繋がりを増やし続けれられれば良かった。

 その唯一絶対の幸せが私が初めて抱いた欲望であり、生きがいだった。

 これらの才能ちからは、その欲望を邪魔するものをいくつも取り除いてくれた。

 でも、ついに通用しない存在に遭った。


 お母さんは私達を「神様が恵んでくれた奇跡」と言った。

 このウリエルとかいうの、本当に天使だったりして。

 気が変わって、押収しにきたとか。


「(光の矢……

 どんな大きさや固さの物だろうと塵一つ残さず無に帰したという伝承……

 あの頭おかしい魔力量なら、逆位相はんたいの世界を構築して、

 対消滅させるのを実現できる……?)」


 アカリが、あんなに焦るんだ。


「なら、「創造」で対抗するしか……!」


 アカリが、覚悟を決めた。


 そうして、最愛の妹の奮闘を見届けようとした時。


「――そこまで」


 ウリエルの後ろに、いつの間にか大人が一人立っていた。

 私がその存在に気づいた時には、そいつはウリエルの首を強く掴んでいた。


「ぐっゔぅ……!」


 ウリエルの子供らしい体格は易易と持ち上がり、一気に顔を歪め、

 掴まれている手から逃れようと体をばたつかせている。

 光の弓矢も、鎖も消えて、動けるようになった。

 私達が、助けられた?


 ウリエルの背後に再び注目する。

 それは、私にとってアカリの次に、よく見ていた姿だった。

 揺らめく純白の長髪、凛冽に輝く真紅の瞳。

 顔にへばりついたような、いつも浮かべている穏やかな笑み。

 私やウリエルより二周りほど大きい体格。


 ウリエルを押さえているのは、お母さんだった。


「う、うえっぅ……」

「このような可愛らしい姿でも、やはり天上の民は手強いですね」


 お母さんが力を込めると、ウリエルの顔色が更に悪くなり、

 体も震えて、激しくえずき始めた。


「うげ、ぇ……な、何で、確かに、撃ち抜いた……はず……」

「あれは魔法で作った幻影です」


 アカリが泣き出している。

 とりあえず、お母さんが無事で良かったね。


「お、お母さん……」

「聞きたいことも色々あるでしょうけど、

 最初に、この天使ちゃんの誤解を解く必要があるわ」

「誤解……?」


 ウリエルは誤解という言葉に反発する。


「ぐっぅ、い、今更言い、訳?

 あ、あたしたちを、地上も空も滅茶苦茶にした重罪人のくせにぃっ」

「……滅茶苦茶、というのは言いがかりでしょう。

 私が行ったことは、生きる……

 いえ、生き延びるために必要だった最低限のものです。

 あと私は歴とした人間ですよ。ただちょっと、空に馴染んだだけの」

「げっえぇ、な、何言って……てか、く、ぐるじっ、

 て、手ぇ、放じなざっ……」


 ウリエルは弱々しい泣き顔のまま懇願し始めた。

 私達を追い詰めたときの威厳は欠片も感じられない。

 ここだけを見たら、虐げられてる普通の子供にしか見えない。


 おそらく人間じゃないのだから、首絞めによる酸欠は効かないはず。

 一体、何をしてるんだろう。


「娘達に危害を加えない事を誓うなら、放します」

「ゔ、うるさぃ、咎人、風情がっ……」

「では、このまま壊れてください」


 また掴む力が強まった。

 一層情けない表情をウリエルが晒す。


「うっぶ!ゔあぁ!わ、わかった!なんもしない!

 何もしないからっもうっやめ、へっ!!……」


 お母さんが手から力を抜くと、

 ウリエルの体がドサッと倒れ落ちて、

 ビクビクと痙攣したまま横たわった。


 ゆっくりとお母さんはしゃがみこんで、

 ウリエルの体を撫で回し、至る所を観察している。


魔導具うつわなのに、人肌のように柔らかく、体温があり、

 体臭匂いがあり、表情豊かで、様々な汁を垂れ流す。

 制作者は実に素晴らしい趣味をお持ちのようですね」

「……、ぅぇ……」


 お母さんは、ようやく私達のほうを穏やかに向いて、

 いつものように優しく話しかけてきた。


「おかえりなさい。オンカでの活躍、とても偉かったわね。

 あと、これから重要な話があるから家に戻るように」

「「……うん」」


 私達は何も言わず、従うことにした。

 情報も質問も処理できずに纏まらず、

 死にかけて、疲れ切っていたから。




 広場から持ってきた「ゲーム」は広間に一旦置いて、

 お母さんが作った縄でぐるぐる巻きにされたウリエルと共に、

 私達シャトレス一家は家へと帰ってきた。


 水と風の精霊で簡単に汚れを洗浄した後、ゲームを置いてから

 地下室に行く。尋問する気だ。


 お母さんが慣れた手際で椅子を引っ張り出して、

 それにウリエルを括り付けて、何度か頬をペチペチと叩き放心から覚まさせる。


「うあっ!?」


 目の焦点が戻った。

 周りを一回見渡してから、こちらを睨みつけてくる。


「よ、よくも四大天使であるあたしにこんな辱めを……

 今に見てなさい、あんた達なんか――」


 一歩下がって直立していた態勢から凄まじい速さ、

 私ですらギリギリ残像が見えたかというくらい一瞬で、

 お母さんはウリエルの顔面に肉薄、

 首筋から頬までそっと手を添えて、

 ドスの利いた声を浴びせる。


「おや、先程の苦痛しつけでは足りませんでしたか?」

「ひっ!……」


 圧倒されて、萎縮しちゃった。

 こんなに怖いお母さん、見たこと無いかも。


 ……なんか水音聞こえない?

 あっ、椅子の下に水たまりが広がってく。


「あら、そのような機能まで……

 改めて、私達とウリエルちゃんの間には、著しい齟齬があります。

 結論から言いますが、私は現在あなたが遂行している、 

 邪神討伐の対象ではありません」

「あ、あたしの魂に干渉できる時点で地上の民なわけ……

 嘘も大概にしなさいよ」


 だらしない泣き顔で、盛大に漏らしながらも、

 頑張って口答えは絶やしていない。


「……えぇ、普通ならそうですね。

 ですが、あなたは聞いたことがありますか。

 ある天上の者が拾い、空で育てた人間の子の話を」


 大昔の大陸北方、

 どこにでもいるような夫婦の間に美麗な白髪と紅い目の赤子が生まれた。

 特異な見た目によって、赤子は忌み子として捨てられた。

 捨てられた日は大雨で、赤子は生きるために必要な熱を夥しい雫に奪われ、

 今にも命を失うところだった。


 命が途切れる寸前、空が手を差し伸べて、赤子は空に昇った。

 地上の見回りに来ていた天界の民、天人あまびとが気の毒に思い、

 彼女を拾い上げたのである。


 でも、空にある純粋な魔力は人間にとって毒であり、

 生命が動くために必要な空気もなかったので、

 どのみち、死んでしまうかと思われた。

 

 しかし、赤子は奇跡的に空に適合した。

 空気を吸って動くのではなく、精神を魔力と繋げることを知って、

 生命の働きに頼らずに意識を保つことを見つけ、空で存在を営む事ができた。

 彼女は、世界で唯一肉体を持ったまま天人となったのである。


 加えて、精神の本質を垣間見たおかげで魔法の才能に目覚め、

 空で様々な精神ひとたちと過ごしていく間に、

 天上の高度な魔法の数々を身に着けた。

 彼女は、幸せだった。


 ……その幸せには、終わりがあった。

 本来、空と地上が交わってはいけないらしい。

 物質である生命と概念である精神が混雑し、バランスが崩れて、

 どちらの世界も崩壊の道を歩むから。

 神々の中でも安定を好む個体は、彼女の存在自体が危険と判断し、

 それが段々と支持されることとなる。


 彼女が空に昇ってから数十年後、

 彼女と、彼女を拾った二位ふたりは、

 処刑されることが決まった。


「確かに私は、理から外れた故に、

 どちらにとっても有害となり得るのでしょう。

 だけども、一つの命に変わりありません。

 ましてや生まれたばかりの生命それが、

 どうして自らを諦めることができましょう」


 彼女は処刑を拒み、逃げた。

 熱が消え、意識が霞んでゆく恐怖を思い出した。

 生命だけが出遭う、死を恐れた。

 今まで覚えた魔法で、只管に襲いかかる執行人達を迎撃し、

 必要があれば破壊ころした。

 肉体に収まった、瑕疵から守られた魂が願う力は比べ物にならないほど強大で、

 彼女に魔法で敵う天人はいなかった。

 そうして、雲か何かの端まで来た時、彼女は空から堕ちた。


 彼女が堕ちた場所の情景を聞くと、覚えがある。

 シャトレス周辺の植生にそっくり。

 つまり、この近くに堕ちた。


 やっと危機から逃れられたかと思えば、

 次の瞬間、彼女を酷い苦痛が襲った。

 息苦しさ。

 彼女の体は呼吸を思い出せていなかった。


 足掻いて、足掻き続けて、やっとのことで体を動かすことができた。

 人間として、動きはじめた。

 覚束ない足取りで、近くの池にたどり着き水面を覗くと、

 三歳くらいの女児が、白銀の長髪を靡かせ、輝く紅い瞳を向けていた。

 魔力に適合しても、完全に肉体の時間が止まるわけではなかった。


「彼女はそれから色々あって、一国の主となり、凛々しい伴侶と出逢って、

 可愛い可愛い二人の娘を授かったわ」

「……あんた、なのね」

「えぇ」


 お母さんは、家族との思い出に耽って恍惚としながら、静かに肯定した。


「私達の家族を殺したのも、あんたなのね?」


 お母さんは少し口角を下げ、口に手を当て、独り言のように呟いた。


「不定の意思の衆合が、家族、ですか」

「さっさと答えなさい!」

「ですから、違うと言っているでしょう」

「殺しながら逃げたって言ったじゃない!」

「……時代タイミングが違いすぎるんですよ」

「へ?」


 お母さんによると、空から逃れたのが大体八百年前だと。


「天使大戦より、三百年も前……」


 アカリは、年月にただただ圧倒されている。

 長生きだなぁ。今でも二十代で通用する容姿だし。


「……なんでこっち見るの?」


 ま、アカリの美貌が基準の私にとってはだけど。


「大戦から五年ほど前、地上全体で偶像としての四大天使が普及し始めたんですよ。

 ここは推測ですが、天人の性質というのは、人間の信仰の影響を受ける。

 昔は細かい信仰が生まれては消えたので、一つの天人は長くても二百年程度しか続けて存在できなかったでしょう。

 当然、空にいる間、四大天使の名は一回も聞いたことがありません。

 あなた達の「家族に相当する者」と、私は出会っていたのでしょうか」

「……」

「古今東西の天人はみんな家族とか言うのでしたら、どうしようもありませんが」


 ウリエルは黙り込んで、お母さんの話を聞いていた。


「私が齎した事で罪と言えるものは、

 天人の破壊と、天地の交雑でしょう。

 もう一度、あなた達が問うべき罪状を思い出してもらえませんか」

「復讐。それによる同族殺し。地上との交わり……」

「いくら空に適合したとはいえ、私は肉体を持っているという最も大きな差が

 天人彼らとの間にあります。彼らもきっと人間だと見なすでしょう。

 それらと私の履歴も鑑みれば、同族殺しと復讐は当てはまりませんよね」

「……えぇ」

「ならば、裁くべき対象は別に存在する。

 あなたも長い時を過ごしてきたのだから、知っているでしょう。

 消滅や破壊以外の、天人の果てを。

 無念や憎悪という激しい負の感情に集り、つけ込んでくる世界を」


 ウリエルが、はっとして目を見開いた。

 椅子がガタンと大きな音を立てるほど、その気付きに興奮する。

 足が水たまりを叩いてピチャピチャと彼女のを撒き散らした。

 汚ねぇな。

 あっ、アカリが足元のバリアで防いでくれた。ありがたい。


「ま、まさか、地獄に飲み込まれて、邪神に……?」

「恐らく、そうです。

 地獄……今の大陸では「深界」と呼ぶのですが、未だ謎に包まれた世界で、

 誰も近づけず、ただ漠然と、現界の者わたしたちに恐れられている。

 なれ果てた魂達の溜まり場とするには、絶好の場所でしょう」

「そう……そうね!や、やっと、突き止めた……!」


 嬉しそうにニヤけるウリエルだったが、その反応にお母さんは酷く困惑した。


「やっと?……少々、驚いています。

 そのような幾重にも神業を孕む豪勢な魔導具からだまで用意して、四大天使が直々に降臨したのだから、既に目処はつけていると思ったのですが」

「んぇ?」

「器に入っていようと、天界とは違う魔力、そして生命力に溢れた現界は、

 天人にとって毒となります。私達が天界にいられないのと同じように。

 従って、無駄に長居するのは好ましくありません。

 しかも、甚大なコストの特注魔導具を四つも使って。

 情報の無い状態でこんなリスクの高い降臨調査を、

 ただでさえ保守的な神々が承認するとは到底思えないのですが」

「あっ、いや、それは……」


 ウリエルが急にしおらしくなった。

 二人の会話を眺めてると、アカリがこっそり話してきた。


 アカリの息が耳に沁みる。


「お姉ちゃん、やっぱりあの大天使様、知恵の象徴になるほど頭良くはない」

「あー、そうなんだ?なんか抜けてるとことか、

 妙に繊細センシティブなところあると思ってたけど」

「多分、お母さんに襲いかかったのも、降りる前に情報を聞き漏らしたとか、

 罪状の解釈が大雑把になったとかそういうのだと思う。

 誤認逮捕で私達みんな処刑されかけたのはまだ全然許せないけど、

 あの子なりに頑張ってるようには見えたから、これからの対応次第かな」

「そっか」


 どんな理不尽も冷静に受け止めて、寛大な対応をするアカリ、流石だなぁ。


「とにかく、これで敵対する必要は全く無いと分かりましたね」

「そうね、悪かったわ。だから早く解放して」


 お母さんが、言われるままに縄を解いていく。


 縄の締め付けが無くなり、ウリエルのお腹辺りが解けて、

 服が露出した瞬間、そこから光が溢れ、爆ぜた。

 さっき私に撃ってきた、軌跡を分割する魔弾。

 まずい、どう見ても腹に直撃した。


 範囲はそこまでではないが、着弾点に集中するような確かな重みの爆発。

 それを受けて、お母さんは壁までふっ飛ばされた。


「なんて言うとでも思った!?

 重罪人じゃないのは分かったけど、悪人なのは変わらないわ!

 引き続き鉄槌を下してやる!」


 アカリが、目を見開いて震えている。

 耳は下がって、尻尾は逆立って。

 これは酷いな。アカリを怒らせるとすごい事になるぞ。


「……まだ何かあるのでしたら、

 すみません、本当に身に覚えが無いです」


 お母さんはというと、出血どころかちょっとした怪我も無さそう。

 どうなってるんだこの人。


「……三つ、持ってったわよね」

「というと?」

「途中で立ち寄っただけのくせに、三つも持っていった!

 あたしは、ずっと、ずっと並んで待ってたのにぃ!」




[遡って、昨日の昼過ぎのウリエル、広場近くの店にて]


「はぁ~さっきの料理も美味しかった~!

 ここの人たちって身だしなみも綺麗で、

 いきなり顔をくっつけたりお尻を嗅いでこないし

 噛み付いたり引っ掻いたりもしてこない!

 フェレスにもこんなに発展したいい国があったのね!」


 邪神を倒すためにフェレスに降臨し、東奔西走中のウリエル。

 それまでにいくつかの国を巡ってきたが、ほとんど猫系獣人中心の国であったため野性的な気質が強く、シミアスのような人間らしい文明や礼儀を重視するウリエルにとっては予想以上に野蛮で端ない価値観や常識ばかりだった。

 なら何故フェレスに降り立ったんだと読者諸君は思うだろうが、それにはまた別の理由がある。


 調査が終わり次第すぐ国を発っていた彼女に、

 シャトレス王国は大きな驚きと感動を齎してくれた。


 姿形こそ女の子であるが、あくまで特殊任務用の魔導具からだであり、

 飲食も休憩も必要ないししている暇は無いのだが、

 彼女はすっかり目の前の幸せに呑まれてシャトレスを観光している。


「あっ子供たちが遊んでる!わぁ~耳も尻尾もふわふわできらきら!

 今までのボサボサやガサガサとはまるで違う!

 シャトレスの長は正しい政治と教育を行っているようね!感心だわ!」


 浮かれながら歩いていると、ある一つの商品と長蛇の列に目が止まった。

 大陸の中央にある集合都市国家、リューニアで開発されたという、

 デンキと呼ばれる未知のエネルギーで動く新世代の娯楽品。


「お、嬢ちゃんも興味があるのかい?チケットの番号は?」

「チケット?」

「あー持ってないか……この試作品は予約者に優先して渡すことになってんだ。

 欲しいなら……えっと、あそこが最後尾だから、並んで待っててくれ」


 ウリエルは心配そうな顔をした。見える部分だけで何十人。

 これだけ並んでると、本当に自分の番までそれが残っているのだろうかと、

 不安になった。


 その顔を見て、店主はこっそりウリエルでちょうど配り終える計算になると教えてくれた。それに励まされ、ウリエルは覚悟を決めて最後尾へと向かった。


 品物を載せた馬車がやってくると、ウリエルと客達は静かに歓喜した。

 そのまま流れるように頒布が進んでゆき、終盤に差し掛かった頃。


「おや、もう始まっていましたか」


 そこに通りがかったのはアカネ・シャトレス。この国の女王である。


「おぉ、女王陛下じゃありませんか」

「(女王……えっ、じゃあこの人がシャトレスのっ?)」


 ウリエルは混乱した。

 今までの(ウリエルにとって)文化が遅れていた国々でも、

 王がどこかに出向くときにはいくらかの護衛をつけて、

 また品格や威厳も保ちながら移動していたから。

 今まで見てきたのはそういうタイプばかりだったし、

 実際フェレスや他地方でもそれが大多数である。


 戦闘力主義に偏ったフェレスでは、

 長というものは比較的不安定で変わりやすい席である。

 血統による王政を採用しているところもあるにはあるが、

 隙を見せれば地位が一瞬にして揺らいだり、最悪命を落とすこともあり得る。

 だから、文字通り「無敵」であるかのように

 無防備にふらついているアカネには衝撃を受けていた。


「(女王と呼ばれるまで、ただの散歩してる女にしか見えなかった……

 護衛もつけず、あんなに穏やかで気を緩めている状態を皆に見せるなんて。

 それほどシャトレスの治安がいいってこと?

 あと、分かんないけど、なんかあの女王違和感があるわね)」


「順調みたいで何よりです。

 それで、約束の分についてですが……」

「あぁ、少しお待ちを…………

 ……あれ?」


 店主は荷台を漁った後、酷く焦った。

 一般への頒布とは別に取引を決めていた、

 シャトレス一家に渡すはずだった分が手違いで入っていなかった。


 事情を説明して後日渡すことにしようかとも考えたが、

 国王との取引を反故にされたと取られるのを恐れて、

 店主は一般に配る分から渡すという措置を取った。


 結果、在庫が尽きるのが三つ早まった。

 それはつまり、最後に配られるはずだったウリエルが、

 入手できなくなるということ。

 楽しみに待ち続けていたが、無駄になってしまった。


 そのまま時間は進んでゆき、配り終えた頃。

 店主から事情を聞かされた彼女は、酷く落ち込んだ。


「本当にすまねぇ、こっちのミスで……今から追加で発注すれば明後日には」

「いや、もう、いいです……」


 こうして、通夜のような面持ちでウリエルは夕食と宿屋を探しにいった。

 それから一夜経て、今朝のアカネへの奇襲に繋がる。




[戻って、王宮の地下室]


「あんたのせいよ!あんたさえ来なければ……!」

「……なるほど、それは申し訳ないことをしました」


 話を聞くと、お母さんは優しい声で謝った。


 てか、それが襲った本命の理由?

 別にどっちも悪くないし、悪いのは売ってた奴じゃん。

 誤認処刑はついでの口実だったって事?

 やば、一気にクソしょうもなくなってきた。


 アカリの悲痛と涙が、お前の下らない鬱憤のために流された。


「それほどまでに垂涎していたのであれば、一つ差し上げましょう」

「……えっ?」


 めっちゃ驚くじゃん。

 こっちも簡単に譲らないだろうと考えるくらい、

 お前にとってその玩具は大事なのか。


「よく考えれば、私もミオも、自分でやるよりアカリが遊んでいるところを見たほうが楽しめるかもしれません。なので持て余すかと。

 そうでしょう?ミオ?」

「え、あ、うん。それはそう」


 玩具自体に興味は無いわけでもないけど、

 まぁ、そっちのほうが素晴らしい栄養を取れそう。

 なにかに熱中してるアカリは、とても輝いてて目の保養になる。


「というわけで、怒りを鎮めていただけると助かります」

「……ふん。そういうことならまぁ、許してあげてもいいわ」


 上から目線むかつくな。

 生意気な目つきの子供だから余計に。


 ウリエルは、調子に乗りながらも安堵の含んだ顔をしていた。

 しばらく考え事をしてから、再び口を開いて。


「ねぇ、できればでいいんだけど、もう一つくれないかしら」

「おや、唐突に欲深くなりましたね。

 人類の真似事でしょうか?」

「そ、そうじゃなくて!……

 天使なかまに、こういう人間文化大好きなやつがいてさ。

 渡せば、きっと喜ぶかなって」

「なるほど、そういう事でしたら」


 別にアカリの分は残るからいいけど、

 このタイミングでそんな仲間思いアピールされてもな。


「……ありがとう。

 じゃ、これで全部解決したわね?

 あたしは引き続き仕事を進めるから、

 あんたらもせいぜい気をつけなさいよ」


 地下室を出ようとしたウリエルの肩を、お母さんが掴んだ。


「えっ、何、まだなんかあんの?

 こっちも暇じゃないんだから――」


 ウリエルの言葉を遮って、

 強引になにかを引っ張るような動作をお母さんは行った。

 それが終わった時、いつの間にかウリエルは部屋の壁に磔にされた。


 しかも、固定しているのはさっきウリエルが使っていた、

 光る鎖と非常に似たもの。

 首、両手両足首を石壁に縛り付けているが、壁に固定されている、

 壁を貫いているだろう部分は一切壊れていない。

 つまり、必要な分を遠隔かつ多くの地点に顕現できている。


「えっこの鎖……どうやって!?」

「先程貴女の首を掴み、魔力サージを送ると同時に、

 あなたの中の回路を少々覗かせてもらいました。

 完全に読めたわけでないので一部は想像ですが、

 最低限の機能は再現できてるかと」

「さ、最低限?あんたそれ……持ってないじゃない!

 この鎖は自分で持たないとすぐ壊れるのよ!」


 私の予想、当たってたみたい。


「普通に見ればそうでしょう。

 ですがもう一度、この部屋をよく見てみてください」

「えっ、あ、あれ、結界……!?

 あんたそれもできんの!?」


 ちょっと追いつけなくて困惑してたら、アカリが説明してくれた。


 結界は単純な幽閉や効果付きのエリアだけじゃなく、

 結界内の魔力の支配とか内側を自らの魔力で満たすとかのための枠組みとしても使えるらしい。お母さんは今後者を実行している。

 だから、結界内のものはこう見えて全て魔力的に繋がっていることになる。

 鎖の動作条件の本質が「魔力を直に流し続ける事」だったら、

 こういうやり方でも十分満たせる。


「その通り。

 昨日の昼過ぎも似たような感じです。

 懐かしいもの天界の魔力を感じたため、念のために

 「準特級国家」レベルの兵器に耐えられる防御と

 即時自動蘇生の結界を国全体に貼り、

 結界範囲を元に人間以外を複製した世界を作り、

 一時的に人間含めた現界のシャトレスとその複製を置き換えました」

「あんたさっきから何言ってんの?」「お母さんさっきから何言ってるの?」


 アカリまで被ってしまうほど、

 お母さんの所業は衝撃的らしい。

 私はもっと根本的に理解しきれない。


「おや、一回では咀嚼しきれませんでしたか?

 ではまず結界の二種の効果から解説を……」

「「そうじゃなくて!」」


 また被っちゃった。


「く、国全体って、それ範囲と境界を維持するだけで途方もない魔力量と精度が必要になるでしょ!?その規模だったら効果無しのブランクを張るだけでも入念な準備が必要なのに!」

「そうだそうだ!蘇生だって精霊にお願いして

 専用の超精密な機能持たせた上で「声」を集中させてやっとなのに、

 それを自動かつ遠隔って……」

「(精霊……?)

 あと、結界だけでも大概なのに国全体を、複製ですって!?

 攻撃とかの一瞬のエネルギーならともかく、建物や地面とか、

 種類も量も多すぎる物質達をそっくりそのまま創り出すなんて、

 どれだけの魔力が必要だと思ってるの!

 あたしが権能を使い尽くしても足りるか分からないのに……」


 続けて、思い返したウリエルが口を開く。


「はっ、てことは、あたしが国もろともあんたの娘達を消そうとしても、

 無理だったってこと?」

「正解です、大変良くできました♪」


 お母さんは軽やかな拍手をウリエルに送った。


「あの弓矢を射られても娘達を別次元に避難させればいいですし、

 元の世界もそちらに保管したままなので、後で戻せば全部直ります」


 ウリエルは俯いて、独り言のように後悔の念を垂れ流していく。


「降臨して早々なんて奴と戦っちゃったのよ……

 地上に、こんな、こんな規格外の化け物が居るなんて思わないじゃない……

 い、いやでも、対象じゃなかっただけマシ……なのかしら」


 こんなの倒せって言われたら、確かにやってらんないか。

 神話、伝説、魔法学とかで天使の話が挙がるとき、

 その戦力は大抵の場合「特級」とされる。

 その気になれば一人で大陸、世界を灰燼に帰すことができる強さ。

 国家レベルである「準特級」の上、現存する戦力が絶対に得られない評価。

 まさに特等席。私はアカリもここだと思ってるけど。


 本人ウリエルの感じを加味して準特級だったとしても、

 それらを余裕でねじ伏せ、生け捕りにできたお母さんは、

 間違いなく摂理も何もあったもんじゃない反則級の強さ。


 アカリですらまだ情報を飲み込みきれてないし。

 私達のお母さん、浮世離れどころじゃなかった。


「そろそろ本題に入っても?」

「そうだった、そもそも何でまた縛られてんのよあたし!」

「一つ、お願いがあります」


 体を縛り上げてするお願いとは。


「あなたのその極上の魔導具からだを、

 是非調べさせてもらえませんか」


 お母さんは、徐ろにウリエルのお腹に手を回しつつ、言い放つ。


 ウリエルはどんどん青ざめてきている。

 お願いの内容以上に、お母さんの本気でワクワクしている顔が怖いんだろう。

 これ、多分断っても逃げられない奴。


「やっ、いや、嫌よ!何するつもりなの!」

「乱暴はしません、ただ、麗しいことが容易に想像できる

 その御体を是非拝みたく」


 ウリエルは赤面した。

 私と違ってお母さんにそっちの気は無いだろうし、

 単にその造形美や人体の模倣技術を見たいんだろう。

 あと魔導具にある回路とかいうの。


 お母さんは丁寧に、ウリエルの制服みたいな衣装の

 ボタンやベルトを外していく。


「ひゃ、うぇ……!?そ、それを乱暴って言うのよ!

 あたしは四大天使よ!こんな事していいと思ってるの!

 天上の怒りに触れればいくらあんたでもただじゃ……」

「この体は最近憑依したもので、

 あなたの人格とは全く関わりないはずですよね。

 確か初期は成人の男性として描かれていたはずですし。

 なのにここまで恥じらいを見せるとは。

 この体に性格を寄せる機能でもあるのでしょうか……」

「そんなの知らないわよ!嫌なものは嫌!」

「とはいえ、赤らんだ顔もとても可愛らしいですね。

 造形師の業に甚く感動しています」


 上着ははだけ、スカートはずり落ち、

 恐らく下着と思われるものが顕になった。

 上も下も純白で、なめらか。

 普通に着心地良さそうな奴。

 どこで売ってるんだろう。

 あれ……猫の、刺繍?


「ぷっ、かわいい……」


 アカリも気づいたようで、失笑しちゃった。

 馬鹿みたいに強いのに、妙に可愛らしいところを発見。

 私達を消そうとしたやつなのに、

 一周回って微笑ましく感じてきた。


 猫、好きなんだな。


「やだ、やっ、見るなぁ!……」

「ねぇ、も、もしかして、自分からフェレスに行けるよう頼んだ?」


 アカリが新しい標的おもちゃを見つけた時の顔してる。

 声も笑いを抑えようとして震えてるし。


「うえっ!?!?

 ぬぁ、いきなりぃ、何の話っ!」


 図星か。


「いや~、四大天使様直々にご贔屓にしてくれてるだなんて、喜ばしいじゃん。

 ねぇお母さん?」

「確かに、光栄なことですね。

 しかも知性を追求する私達人間の憧憬である、あの知恵のウリエル様に。

 あなた様のその慧眼は称賛されるべきものであり、

 私達もその期待に応えるべく日々努めております。

 そして、知恵の化身にして技術の結晶であるあなた様の御体を拝見すれば、

 私達……いいえ、人類はさらなる学びを得て、より前進できるでしょう。

 どうか、私達の願いを聞いてはもらえないでしょうか」


 怖いくらい急に改まったけど、不自然すぎでしょ。

 いくらあいつでも、流石にこんなんで靡くほど……


「そ、そうなの?

 あ、あたしが、見せれば、もっと人類が発展するの?」


 嘘だろ、満更でも無さそうなんだけど。

 こいつホントに知恵の象徴か?

 シミアスの賢い人間達が集団で崇めてるやつの実態がこれなん?

 信仰に影響されるんじゃなかったの?


「えぇ、その通りでございます。

 何卒、恵みを」

「しょ、…………しょーが、ないわね……

 人類の、進歩のために、必要なら……」


 お母さんの手に何とか抵抗していた体は必要以上に暴れなくなった。

 ただ、これからくる羞恥に震えているみたい。


「では、失礼いたします」

「っ……」


 脱がそうとする手が静かに然るべき場所に触れると、

 ウリエルは体を一度大きく跳ねさせた。

 私もアカリに見つめられながらこう、じっくりと触れられたら、

 嫌でも神経集中させちゃいそうで、分からなくもない。


 下着の縁に触れた後、どちらも順番に丁寧にずらしていって、

 人間なら大事なところがあるだろう部分が顕になる。


 そして、ウリエルにもそれは存在した。

 調査と戦闘用の体なのに、かなりしっかりと再現されている。

 見た目相応の、慎ましいものと、一筋のもの。


 お母さんは、特にそれらの部分を凝視していた。

 口元に手を当て、泣きそうなくらいに恍惚としながら。


「なんと、玲瓏なのでしょう……」

「ちかいちかい近いって……」


「お姉ちゃんとあんま変わんないね」

「えっ?」


 今のは聞き捨てならない。

 いくら再現度が高かろうとも、所詮は紛い物に過ぎない。

 私は他の誰でもない、アカリの血縁。

 そう、宇宙一綺麗で可愛いアカリの、お姉ちゃん。

 そんな素晴らしいアカリのお姉ちゃんなんだから、

 肉体もアカリに一番近いはず。

 形や色や感触だけの単純な話じゃあない。


 そんな評価は実質自虐に近いものだよ。

 自らを貶めないで。


「そんな事ないよ!

 綺麗なアカリと同じ血が流れてる私はアカリの次に綺麗!

 何なら直接見比べ――」

「んあーはいはいきれいきれいだから脱ぐな」


 とりあえず訂正に成功して、もう一度お母さんの方を向く。

 

 今度はウリエルの頭を撫で回したり、頬を触ったり、

 髪を嗅いだりしていた。


「か、嗅ぐなぁ……」

「(思ったより薄い匂いですね……彼女の素なんでしょうか。

 石鹸を使えば良い具合になりそうですね)」


 次に、脇をくすぐる。


「うひゃ、はぁ、はへっやめなひゃっ!」


 ちょっと楽しそう。

 次、お腹をさする。


「引き締まっていますが、程よい柔らかさもあって

 いつまでも触っていられますね」

「(なんか、こうされると落ち着くような……)」


 次、脚を撫でる。


「おや、やけに濡れて……あぁ、先程の粗相ですか」

「う……」


 ここから踏み込んで、次は上の大事な部分を何回か揉む。

 見た目は私みたいな膨らみかけって感じで、

 間近で見たり、触れば存在が確認できるくらい。


 それはそれで悪くないけど、私はアカリのぺたぺたなのが一番好き。

 小さいほど、ぎゅっとした時により近づけるし、

 てっぺんが映えるんだよね。


「ここも実にそれらしい。

 中身の構造もある程度再現しているのでしょうか」

「んぅ……」


 ウリエルは火照ってるみたい。


「……では最後に、こちら、よろしいでしょうか」

「こ、今度は何?」


 遂に、脚の間にあるそこに指先を這わせて、

 今一度彼女に確認した。


「ここを調べさせてもらえれば、終わりです。

 そして、きっとあなたにも恩恵があるでしょう」

「お、恩恵?」

「そう、いいことがあります」

「よくわかんないけど、いいわ……」


 許可を得て、お母さんは指をゆっくりと滑り込ませていった。

 その感覚に、ウリエルは腰を跳ね、お腹を何度か収縮させる。


「うっ……」

「大丈夫ですか?」

「ちょっと、びっくりしただけ」


 ある程度指をうずめたところで、お母さんは力を入れる方向を変えた。

 その刺激に吊られるように、ウリエルも体を捩らせている。


「え、な、なにこれぇ……」

「まさかこの機能も含むとは……流石に驚きが勝ります。

 感度も低すぎず高すぎずで、絶妙な調整がなされている」

「ね、ねぇ、何なのこれ……」

「これが、先程言った恩恵です。

 とても甘美な感覚でしょう?」

「うん……ふわふわするわ……」


 そうやって、段々と指の速度と力を強めていき、

 ウリエルは最終的にその甘美の極致へと、何度か


 お母さんへの「恵み」が終わる頃には、

 ウリエルの顔が蕩けて、体は力が抜け鎖に吊られて、

 涙も涎も零して、呼吸が荒くなっていた。

 上のほうの先っぽは固く張り詰め、下は水浸しで、

 今も足の間から途切れ途切れ噴き続けている。


「すごい……皮膚、脂肪、筋肉、一部の内蔵や分泌腺に至るまで、

 ここまで緻密にそれぞれの反応を模倣しているとは……

 私は今、多大なる感銘を受けています」


 どこからともなく取り出したハンカチで手についた液を拭きながら、

 お母さんは感動に打ち震えていた。


「心より感謝致します、知恵の天使様」

「(こ、これはあたし達が見守る人類のため……これでもっと進歩するのよ!

 だから正しいの、あたしは今正しい事をやってる!それが賢い者の務め!

 正しいことをするのってこんなに……こんなに、のね……!)」


 落ち着くまで待ったあと、私達はゲームの置き場所を教えつつ、

 アカリが濡れた部分を乾かして、服を着直したウリエルを地下室から送り出した。


 全体的に元通りに片付けて、私達も地下室を後にした。




 地上に出て、いつもの広間に着き、テーブルに座る。

 あの虎とかについて、ようやく聞ける。


「ねぇ、アカリ」

「ん?」


 あれ?なんか返事が柔いな。

 共通の目的が定まっていないような感じ。


「昨日の……」

「あっ、そっか、き、聞かなきゃだった」


 あ~これ玩具のこと考えて、一瞬忘れてたな~?

 なんかいつもより軽やかに階段登ってたし。

 アカリがそっち優先したいなら全然いいよ。


「ねぇ、お母さん」


 お、疑問のほうが上回った。

 ウリエルの尋問とかで私達の知らないお母さんのことが

 大量に出てきたし、気になるよね。


「なぁに?」

「……単刀直入に聞くけど。

 今回の邪神の件、発端はお母さんじゃないの?」


 初っ端からかなり踏み込んでいった。

 やっぱり、そういう事なんだろうか。

 私に関わりがあり、かつ天人を破壊した者。

 あの虎に憑依してた何かと、お母さんには因縁がある。


「っ……どうして、そう思うの?」


 笑みは絶やさないが、所作から滑らかさが減り、

 テーブルに置いてある手には不必要な力が入っている。


「お姉ちゃん、説明お願い」

「!!!」


 よし、任せなさい!


 私は、昨日の特殊な鋼爪虎を仕留める寸前に見聞きした事を話した。

 高度な魔法を使ってきたこと。

 憎んでいるものと私が同じ「臭い」であること。

 空や地獄といった、天人の言葉選びで言語を発したこと。


「心当たり、あるんでしょ?」

「……あぁ……そう、なのね……

 いつか訪れると、覚悟してたつもりだけど……」


 お母さんは、悲痛に塗れた表情になった。

 こんな顔は見たことがない。

 いや、こんな風になるお母さんを想像さえしたことがなかった。


 何に対しても怯まず毅然として、脅威は尽く蹂躙し、

 民には荘厳かつ柔和であり、私達を家族として愛する、

 そんな強者であり母親だとしか見えなかった。


「まずは、謝らないといけないわね。

 この世界に、消しきれない火種を持ち込んでしまった事、

 あなた達を巻き込んでしまった事を」

「で、でも、お母さんだってどうしようも無かったんだよね?」

「そう……そうだけど……」


 頬杖をついたり、頭を掻いたりと、

 普通に思い悩んでいる女みたいな仕草。


「ミオ、アカリ、あなた達だったらどうする?」

「え?」「ん?」

「新しい居場所を見つけて暮らしてたら、

 突然世界のために死ななきゃいけないって言われて、

 それを受け入れられた?」


 はぁ、切実な質問だこと。

 でもそうだなぁ……


「いや、違う、ごめんなさい……聞いてどうするのよ……」

「私一人だったら、受け入れてたかも」「お、お姉ちゃん?」


 だって、その頃は何もかもどうでも良かったし、

 自分も、周りも、個も、世界も、全てに興味が無かった。

 お母さんもよく知ってると思うけど。


「じゃあ、アカリと出逢っていたら?」

「襲ってくる奴らは皆殺しにする。絶対に。

 アカリのいる世界から離れるのも、

 アカリが危険に晒されるのも絶対に嫌」

「……そうよね。それが、普通よね。相変わらず、頼もしいお姉ちゃんね」

「(ド変態シスコンだけどな)」


 良くわからないけど、なんか褒められた。

 お母さんの表情は少し和らいで。

 アカリはお母さんの評価に反駁したそうに、私達を交互に見てくる。


「私としては正当防衛と主張したいけど……

 それでも、天人たちからしたら許せないでしょーね。

 私が壊した奴らにも家族みたいな、

 殉職を悲しむくらいに親しかったものがいた。

 はぁ……認めたくないけど」

「なんでウリエルに隠してたの?」

「邪神討伐そのものと私は関係ない事を伝えるのが最優先だったから、

 そこに都合の悪い情報は乗せられなかったの。

 最悪誤解が解けないまま彼女を壊すことになったかもだし。

 第一印象というのはとても大事、違うかしら?」

「(負けは無いと思ってるんだ)」「(体弄るのは大丈夫なの……?)」


 お母さんは、自分の頬を軽く叩いて、

 気持ちを整理して立て直すように姿勢と椅子を直し、

 また私達の方を向いた。


「というわけで、今後それらの堕ちた天人……もとい邪神が動き始めたから、

 私達、ひいては世界が警戒し、対策を練らなければならない」

「具体的には、どうするの?」

「もっともっと、戦力が必要ね」


 いやいや。

 天使をもてあそべるようなお母さんアカネ・シャトレスが、 

 よりによってそれ言う?


「ご冗談を、とでもいいたそうな顔ね二人共。

 私も地上の魔法師では最強かもと自負してるけど、

 流石に大陸全体はカバーできないわ。

 それに少なくとも何百年と燻ってた奴らだもの、

 四大天使ウリエルちゃんレベルが至る所に出てきてもおかしくない」


 え、それ、本当に?

 あんな強さのが世界に沢山湧いてくるって?


「そうなった場合、せいぜいあなた達とシャトレスを守るのが関の山よ」


 私とアカリ守れるんだ。

 じゃあ、いいじゃんそれで。


「お姉ちゃん明らかにそれで良くねって思ってるでしょ」

「言っておくけど、永久にという意味ではないわ。

 当然シャトレス以外のほとんどは壊滅し、夥しい命が無念と共に散って、

 そして、それらの負の感情は更に邪神に力を与え、

 いずれジリ貧となって私達もやられる」

「じゃあ良くない」「あ、考え直した」


 結局はそうなるんだね。

 まぁ簡単な話だったらすぐにお母さんが解決してるか。

 アカリとついでに両親や国のためなら、頑張ろう。


「それで、戦力ってのはどう増やすの?」


 お母さんは、一拍置いてから話し始める。


「――これから大陸各地を周り、

 特に、純半ネフィリムと上位精霊術師をできるだけ見つけて、

 仲間にしてほしいの」


 今、「純半」っつった?

 それって、私達みたいな半人半獣ハーフだよね?

 今まで他にはいないって言ってたのに。


 ほんと、次々と知らない情報出してくるよね。

 今までのお母さんが信じられなくなりそう。


「ね、純半!?他いないって言ってたじゃん!」

「まぁまぁ落ち着きなさい。

 この際だから教えるけど、あなた達が生まれたのは、

 私がこの世界の理を歪めつつ、人間わたし黒猫ヘイズさんの命を繋ぐ元を競合しないよう組み合わせた結果よ。

 奇跡はやっぱり、自分で起こすに限るわよね。

 ついでに、空の復讐に備えて才能もできるだけ詰め込んでおいたの。

 でき上がった形と合うように、

 一人目ミオは剣術、二人目アカリは魔法って感じに」

「え、えぇ……」「無茶苦茶すぎ……」


 ついででそんな事嬉しそうに暴露しないでよ。

 ほんと怖い人だな。


「空に馴染んだとはいえ、人間でもこういうことができるなら、

 天人にもそういう地上との交わりを実践するやつがいるかもしれない。

 ちょうど、私というきっかけも見たことだし。

 だから……そうね、各地方に少なくとも一人はいるんじゃないかしら。

 けどいなかったらいなかったで問題無――」


 急に、お母さんが途中で視線を流し、話を止めた。


「誰ですかっ!」


 そう叫んで、調理場とか臣下とかの部屋がある方向の廊下から誰かを

 遠隔で引きずり出した。

 隠れてた奴が魔法の鎖で縛られながら、廊下への入り口前に倒れ込む。


 その姿を遠目に恐る恐る見てみると。


 嫌なほどに見覚えのある姿。

 強気な顔付きと、黒のツインテールに、白い綺麗な服。

 私と同じくらいの背丈。


 さっき別れたはずの、ウリエルだった。

 ということは……


「はは、まさか気づくなんてね」

「……聞かれてしまいましたか」


 お母さんが彼女の任務の元凶ということが、バレてしまった。

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