半人半猫譚

Lyncis

序章

第1話「家族」

 幸せな朝だ。

 最も希う感触に包まれながら、私は覚醒できた。

 一日の始まりが、こんなにも素晴らしいものになったのは、

 十二年二ヶ月五日前からだ。


 自分の胸に直接伸し掛かる重さと体温。

 柔らかに重なり合う身体同士に、汗が滲む。

 お互いの湿った匂いが混ざり合う。

 ずっとこうしていたいけど、やるべきこと、やりたいことは無数にある。


「んぉ~い、朝だぞ~アカリぃ~」


 頭や肩をポンポン叩きながら起こすと、

 黒い旋毛と猫耳が持ち上がって、寝ぼけて蕩けたご尊顔が姿を現した。

 細まった瞼が開き、紅色クリムゾンの瞳と目が合う。

 本当にかわいい。


「う……んん……」


 アカリの起床が進むと同時に、ほっぺ、首、胸、お腹、股、太ももと、

 私と重なっていた部分が次々と離れてしまう。

 寂しいけど、しょうがない。


「あーもーべたべたで臭いし、寒っ……」


 アカリは私をちょっと睨みながら、毛布に包まり、ベッドに座った。

 私もそこそこ鳥肌が立ちそう。もちろん、湿った私の全身がベッドの上で空気に晒されてるのと、妹が睨んでくれてるのとで。


 ベッドから起きて、ベタつきが酷い部分を拭いたあと、

 私達は寝間着を着直して広間へと進んでいった。




 四獣大陸。主に、人間と獣人が文明を築き、その歴史と共に栄えている大陸。

 私、「ミオ・シャトレス」と妹の「アカリ・シャトレス」が住んでいるのは、

 お母さんである「アカネ・シャトレス」が女王を務めている「シャトレス王国」。

 「フェレス地方」という、大陸の西方を占める猫獣人の多い地域の

 真ん中あたりにある小国。

 つまり、私達は一応王族であり、お姫様。でも今はどうでもいい。


 んで、私とアカリの種族については、少し複雑。

 言うなれば、半人半猫。お父さんが黒猫で、お母さんが人間。

 見た目の近い獣人と区別するために、

 お母さんは「純半ネフィリム」と名付けてる。


 普通、違う種族同士では絶対に子供は生まれない。

 人間の顔や身体に獣耳・翼・尻尾等がついている「獣人」は

 最初からそういう種族なのであり、人間と動物の間にできたわけでも、

 人間や動物と交配できるわけでもない。

 だから、私達が生まれたのは種族を超えた愛と奇跡のお蔭らしい。

 

 十歳辺りから成長していないこの体は、

 まぁ、アカリみたいで可愛いからいいとして。


 私が生まれてからアカリに出会うまでの孤独な十一年間が……

 奇跡、か。


「おはよう。ミオ、アカリ。ご飯できてるわよ」


 もう、広間に着いていた。毎朝目にしている、白と黒基調に七色のアクセントが入っている綺羅びやかな空間。

 テーブル向かいに座っているお母さんが声をかけてきて、私達も椅子に腰掛ける。

 お父さんはもう半分くらい自分の分を食べ進めていた。


 料理がテーブルに所狭しと並んでいるのはいつも通りだけど、その内容には明らかに違和感を覚えた。特に、アカリは動揺と言ってもいいくらいに戸惑っている。

 肉が明らかに少ない。


「ね、ねぇ、これって……」

「ほら、昨日レインボースパイダーの大会があったでしょ?優勝が料理長の息子だったから、彼も張り切ってつい食材を使いすぎてしまったみたいで」


 そういやあったな。一応毎年恒例のやつ。

 「レインボースパイダー」は私達が発見した新種の魔物で、石を食べて頑丈な虹色のガラスっぽい糸を出す。んで、それでガラス細工を作って求愛する。大きくて複雑なのを作れるほどモテる。そういう習性を利用していった結果、シャトレス王国の名物になったり、恒例行事になったりと、それなりに経済効果があった。

 シャトレスのカラーリングは両親や私ら姉妹の白黒なのに、

 何故か他の国や人々との繋がりはやけに鮮やかなものがほとんど。


「そんな……」


 アカリは俯きながらパンを口いっぱいに頬張り始めた。

 可愛い。


「というわけで、これから二人にはオンカにお使いに行ってもらうわ」

「んぇっ!?」


 アカリが目を丸くしてパンを吹き出しそうになってる。

 可愛い。


 オンカ。シャトレスの西にある、肉の取り扱いに特化した国。

 正確には組合や連合みたいな感じで、ハンターや牧場主、商人達が協力して運営している。最近は大陸全土にも知られ始めて、新たな肉を求めて、もしくは逆に珍しい肉を売り込むためにわざわざ訪れる人が増えているらしい。

 品揃えと質共にとてもいいから、シャトレスも国として長い間契約を続けている。


「あれ、契約してるんだから通信魔法の専用回線で連絡すればいいんじゃ……」

「朝食のお詫びとして、食材の仕入れを頼んだら現地で好きなものを買ってきていいわ」

「えっマジで!?」


 アカリの目が輝いている。あと、口が大きく開いたまま。

 可愛い。


 と思ってたら真剣な顔になって向いてきた。


「今の聞いたでしょ!ほら早く出発しよ!」


 結構、こんなに生き生きとしたアカリを見ていない気がする。

 善は急げってことで、速攻で穀物だらけの朝食を腹に収めた。

 私もどんなのがあるか少し気になるし。


 朝食を済ませ、アカリに引っ張られながら自室へ戻った。

 さて、服はどうするか。といっても決まってるけど。

 今回はお母さんからの私達への埋め合わせが主とはいえ、

 一応は国の使いとしてオンカへ赴く。

 だから、私もアカリもいつもの「仕事着」を選んだ。


 実は、私もアカリも戦士としての側面がある。

 私は剣士で、アカリは精霊術師。

 服もそれに合わせ、私は動きやすい感じで、アカリは綺麗な黒のローブとドレス。

 シャトレスの国章とかもついてる。


 詳細は後々にするとして、とりあえず私達は結構強い。

 何ならアカリは最強レベルだし。

 強くて賢いアカリかっこいい。惚れちゃう。


「いってきまーす!!!」


 私達は元気に王宮を飛び出した。


「ねぇねぇアカリ!西門まで行ってどっちがオンカに早く着くか競争しよ!」

「興味ない。それにどうせあたしのほうが早いし。

 ――『風、疾走』」


 かけっこを速攻で断られると同時に、アカリは風を纏いながら空中に座り、とてつもない加速で一気に西門を抜け飛んでいった。

 これが、精霊術。といっても、片鱗中の片鱗に過ぎない。


「あぁもう待ってよぉ!」


 私も負けてられないから、力いっぱい地面を蹴ってアカリに続いた。

 生身では結構速く動ける部類だろうけど、それでもまず勝てない。

 精霊術は、普通の魔法と違って、何でもできる。本当に何でも。

 まるで、神様みたいに。


 何十秒か走り続けていると、アカリの姿が見えた。

 というか、立ち止まっていた。

 だから急ブレーキをかけて私も隣に止まった。


「どしたの?」


 アカリが向いている右側を指差すと、そこには二台の荷車と人がいて……

 二体の鋼爪虎クロウタイガーに荷車が襲われていた。

 彼奴等はもっと人から離れて生きているはずだけど。


「え、こいつらここまで来るような奴らだっけ」

「もしかしたら荷車の中身のせいかも。車輪の跡見るとオンカ方向に進んでるみたいだし」


 鋼爪虎は、全長五メートルと荷車すら軽々超える体躯と名前の通りとても硬く鋭い爪で相手を蹂躙するシンプルなスペック故に厄介な奴。

 何人に斬りかかられようとも、その爪で容易く凌ぐ接近戦のセンスもある。

 だから、フェレスでの脅威等級は「二級」に分類されている。最低限プロとして認められる四級戦士で組まれた二十人程度の小隊がしっかり連携して、やっと討伐できるくらいの強さ。それが二体いる。


「んじゃ、私が陽動するね!」

「うん」


 アカリの返事を合図に、私は標的に向かって飛ぶように踏み込んだ。

 風を切りながら五十メートル程の距離を一気に詰めて、頭を荷車の後ろに突っ込んでる虎達を目の前にする。

 彼奴等にとっては荷車も窮屈そうで、首ははっきりと見える。

 このまま落とせるかな。


 差している剣に右手を構えて、すぐ側まで踏み込んで。


『――白猫しろねこ流・聳爪しょうそう


 ……首を狙った渾身の切り上げが、甲高い金属音、大量の火花と共に爪でうまく逸らされた。

 まさか、見もせずに防ぐなんて。うん、思ったよりは強い。

 殺気でも感じ取ってるのかな。でも、これでどっちも荷車から顔を出して私の方に注意を向けた。

 あとは射線が通る程度まで荷車から離せば……


『水、針弾しんだん


 棒立ちのアカリの前から、細い水の塊が高速に射出された。

 その弾丸は最小限の瑞々しい貫徹音と共に容易く一体の頭を貫く。

 命中した方は血を流しながらその場に倒れたが、もう片方には防がれた。


 残りの虎は私じゃなくてアカリに注意を向け、そっちに走り出そうとしていた。

 厄介な後衛を潰すのは賢い判断と言えるけど、

 私みたいな剣士からちょっとでも目を離すのがいけなかった。


 隙を逃さず、一歩目を踏み出した後ろ足から前足へと斬り進む。

 そして地面に倒れ込んだ頭に乗っかって、その脳天に剣を深々と突き刺した。

 荷車の持ち主が腰の抜けたままこちらを見ている。


 しばらく動かないのを確認したあと、

 剣を抜いて血を払い、アカリに洗浄してもらってから収めた。

 段々と落ち着きを取り戻した持ち主が立ち上がり、こちらへ深々と礼をしてきた。


「あ、ありがとう、ございます……

 フェレスの人達は子供でも戦いに長けているというのは本当なんですね」

「……まぁ、そうだね。でもこいつは並の戦士だと普通に死ぬよ。

 だからおっさんはラッキーだったね」


 まぁ、普段ならこの街道は安全だし、こいつらと出会った時点でアンラッキーだとも言えるけど。

 荷物については、数十箱のうちのいくつかが壊れた程度の被害で済んだ。

 それと、確かめながら嗅いだ匂いで確信した。運んでいるのは肉。

 オンカでの取引に通用するのだとしたら、中身も気になるよね。


「ついでに教えて欲しいんだけど、どんな肉なの?」

「アヴェスで採れた巨鶉ジャイアントクエイルの肉です。

 結構脂が多めでどの部位も柔らかく、高級な獣肉に近い肉質を気軽に楽しめます。

 リューニアやシミアスにも運んだことがあるのですが、そちらではかなり喜ばれました。フェレスで肉を扱うコミュニティがあるという話を聞いたので、次はそこに売り込んでみようという感じです」


 大陸で一番発達している中央のリューニア共和国に、人間だらけの北方シミアス……そこで好評ってことは間違いない、私達の舌にも合うはず。


 アカリって癖がなくて脂っこいの好きだからなぁ。


「んじゃ、うちに全部頂戴。払うもんは払うから」


 と思ってたらアカリが買い占めようとしてる。

 まぁ、お使いの最中に手に入れたんだからこれも埋め合わせってことで。


「そ、それは……普通だったらありがたいのですが、今回はオンカでの売り込みによって依頼主の宣伝も兼ねているので……」


 ここはお姉ちゃんとして華麗なフォローをしないとな。


「実はね、オンカの肉ってほとんど赤身ばっかで、そういうのはあんまり好かれてないの。取引してる奴らもなんというか、野蛮なのが多いし。

 あいつら「赤くないと肉食った気がしない」のだの何だのいって、脂が多いと捨てられるか焚き火の燃料にされるかしかないよ」


 そして本来捨てられるはずのそれらは、シャトレスウチらが全部買い取ることによって、いくらか真っ当な最期を迎えるだろう。

 主にアカリという極太な消費者がいるから。

 あっ極太ってそういう意味じゃないからね。

 いつでも抱きしめたくなるくらい、いい感じにお肉はついてるけど。


「そう、なんですか……それでも、一回だけ試してみたいので、それで駄目だったらお嬢さん達に売るということでいいですかね」

「ん、分かった」「おっけー!」


 そうしてほぼ購入を確定させた私達は、シャトレス王国の場所を伝えてから再びオンカへ走り出した。




 また数十秒ほどで柵とその向こうに露店らしきものが見えた。

 オンカに到着した。


 不必要に目立たないように、少し前で風魔法と疾走を解いてから歩いて進み、

 私達は入り口に足を踏み入れた。


「おい、待て」


 ちょうど両側の柵を結ぶオンカと外の境目を踏み越えた瞬間、私達は誰かに止められた。

 止めたのは、入り口に立っている人間の大人だった。


「何か?」

「通行証は?」


 通行証?今までそんなの無かったじゃん。

 というか、オンカの人だったらシャトレスのことも知ってるはずだし、

 何かあったんだとしても顔パスでいけるんじゃないの。


 うん、ちゃんと国章はつけ忘れてない。


「あたし達、オンカこことは長い付き合いのはずですけど」

「んーっと……リストの中にはあんたらみたいな子供は見当たらないな」


 子供。

 こいつマジで知らない奴だな。


「はい、国名義での契約なので。「シャトレス王国」という名前があるはずです」

「……無い。無いな。何度見返しても見当たらない」

「はぁ?」


 欠陥じゃんそれ。

 てか、急にこんな見張り置く上に、

 重要な顧客の事も知らない奴にやらせるってどういう事?

 本当に何かあったの?


「あー、身分を確認できない以上は通せない。

 とりあえず、こっちに来い」

「や、あの、ちょっと待って、話をっ」


 そう言って、見張りがアカリの腕に手を伸ばそうとした。


 ――気づけば、私はそいつの前腕を右腕で握り折っていた。


「ぐぅっああぁっあぁっ!!!」


 その重苦しい悶絶の声は妙に遅れて聞こえてくる。

 あぁ。私、やったのか。

 大丈夫、何も問題はない。

 こいつが悪い。アカリに手を出そうとしたから。

 私は、アカリを守っただけ。

 なんか、騒がしい。


「ど、どうか放して貰えないか!」


 そう言ってきたのは、見張りじゃなくて、いつの間にか側に立っていたオンカの本部長だった。確か、ロトルとかいうジャガー系獣人のおっさん。

 騒ぎを聞きつけてやってきたのか。


「誠に申し訳ない!彼はシミアス出身の臨時で雇った番人だ。

 多忙で、国や団体のリストは作っていなかった……

 まさかシャトレスの御息女方が直々にいらっしゃるとは」

「だとしても、簡単に説明しておくくらいできたでしょ?」

「あ、あぁ、我々の情報共有の至らなさが招いたことだ、だからどうか……」


 手を放すと、私が握ったとこから先がぐらついて、

 腕を動かすたびに見張りが呻いていた。


「お姉ちゃん、やりすぎ」

「う、うん……ごめん」


 アカリが前に出てきた。

 同時に下がっててと言われたので従った。


「おじさん、腕下げたままじっとして」

「う、……っ?」

「いいから言う通りにして」


 痛みに耐えながらも、見張りはアカリの言葉に従った。

 アカリが折れた部分の周りに手をかざす。


精霊定義ディファイン、機械、治癒』


 アカリがつぶやくと、すぐに腕のがたつきが無くなり、

 見張りの歪んでいた表情も元に戻った。

 今回はアカリがのね。


「こ、これは……治癒魔法なのか?獣人が魔法を使えるだなんて珍しい……

 でも、本も杖も無しに、どうやって?」

「……」


 アカリの顔がちょっと曇った。うん、私達は猫獣人ではないからね。


「まさか、魔導師なのか?石も見えないが、どこかに隠してるんだろう?」

「……まぁ」

「そうか……すごいな。

 魔導師だというのなら、国の名を出す……王族なのも本当なのか。

 その、先程までの非礼を謝罪させてほしい」

「こちらこそ、手折っちゃってごめんなさい」


 あー、アカリが出会ったばっかの知らない大人おっさんに頭を下げてる。

 腑に落ちない。私がもっと良い形でそのお辞儀を受け取りたかった。

 私は、アカリを想ってこうした。正しいはず。

 愛する人を想うのは、大切なはず。


「ほら、早くおつかい終わらせるよお姉ちゃん」


 俯いてたら、いつの間にか目の前にアカリの顔があった。

 頭一つ分の身長差で、自然と上目遣いで見上げられるのが堪らない。

 でも、ちょっと睨まれてる気がする。


 丁度責任者も居ることだし、用事を済ませよう。


「ねぇねぇ本部長さん、発注なんだけど、

 うちが定期で頼んでるセットを至急追加で送ってくんない?」


 何故か、ロトルから返事が返されるのに何秒もかかった。


「……それだけなのか?」

「うん。なんか問題でも?」

「てっきり何か重要な要件でもあるのかと……」

「あぁ、それね。発注のついでに、たまには現地で買い物してみようかなと」

「なるほど。了解した、すぐに手配しておく。

 数時間後には届いているはずだ」


 というわけで、やることやったし後は好きなだけアカリにここを冒険させよう。

 買い物してる時のアカリは目が輝いてて可愛いから。


「……一つ、お話ししたいことが」


 えっなに、まだ何かあんの。


「我が組合が人手不足になり、御二方に先程のような無礼を働いてしまった原因とも言える事だ」

「ほぉ?」

「最近、本部の倉庫から不自然に肉が消えるんだ。恐らく盗まれている。

 全体の貯蓄はまだあるから直ちに影響はないが、このまま続けば私達の経営はもちろん、オンカ周辺への供給も滞ってしまう」


 へーそうなんだ。

 んなもんお宅の狩人ハンター達でサクッと解決できるっしょ。


「そんな盗人なんて、幾千もの魔物を捌いてきたオンカご自慢の狩人でどうにかなるんじゃ」

「……対処に向かわせた狩人奴らは、消息を絶った。そして、主に倉庫を警備させた見張りも何人か消えた」

「えっ」

 

 ちょっと驚いてるアカリも可愛い。


 それはそうと、狩人がやられたってなると簡単な話じゃなさそうだね。

 私には及ばないけど、彼奴等も組めば鋼爪虎を安定して倒せるくらいには精鋭揃いだ。

 同時に精肉、販売、物流も担うプロフェッショナル達。

 それらが一気に減っちゃったら、深刻な人材不足になるよね。


「つまり、オンカの狩人達に勝てるくらいの強さはあると。

 じゃあ、なんで他人の肉を盗むんだろう」


 フェレスでの窃盗、特に「食料品の窃盗」というのは、

 悪行である以上に、「弱者であること」の象徴になる。

 自分で獲物を狩れないから、自分で食べ物を手に入れる手段が無いから、盗みに頼るしかない。そういう哀れな奴だと周りに強く示すことになる。

 弱肉強食を地で行くフェレスだと、「か弱い悪人」は一番見下される。

 でもアカリの言う通り、どんな手段だろうと狩人達に勝てるなら動物や魔物を襲ったほうがずっと手っ取り早いだろうに。


「我々も調査しているが、犯人の素性も含め未だに分かっていない。

 少なくとも碌な理由では無いだろうが。

 それでなんだが、もし可能なら御二方にも協力をお願いしたい。

 我流一級剣士のミオ様と、上位……あぁ、一級魔導師のアカリ様が加われば

 大きく進展、いや、瞬く間に解決するはず」


 私達の強さが信頼されてるのは悪くないけど、私は興味無い。

 協力するかはアカリに任せよう。


「も、勿論、報酬は約束する!

 定期の食材セットを一ヶ月分……

 いや、一年分無償かつ同額の資金を贈与するという内容でどうだろうか。

 そうだ、今回の買い物の代金もオンカで全額受け持つ。

 好きなだけ持っていってもいい」

「……乗った」


 というわけで、今回の買い物と今後しばらくの肉代が浮いた。

 シャトレスの財力は特別貧乏でもないけど、裕福でもないから、浮いた分を他に回せるのはそれなりに助かる。お母さんも喜ぶかな。

 アカリはきっとそう考えてるから承諾したんだろう。

 まぁ、どんな理由でもアカリがいいなら私はそれに従うけど。


 とりあえず、私達はオンカの手助けをすることとなった。

 窃盗及び監視や狩人の被害は夜に集中しているとのことなので、

 私達は早速買い物を始める。

 いや、特に何かできることもないし。

 ロトルも、「日が出ているうちは全く動きがないから調べようも無い」って。


 だから、待ち時間をとても有意義なものにするために、アカリと一緒に店を回る。

 恋愛系の書物に書かれてた、ショッピングデートだね。

 実に楽しみだ。




 と、思ってたんだけど。


「……赤い。すんごく赤い。本当に、これ系のしかないの?」

「そ、そうみたいだね」


 どんどん残念そうな表情になっていくアカリ。

 私は、苦笑くらいしか返せない。


 さっき補足しといてだけど、

 まさかここまで徹底的に脂身が切り落とされてるとは。

 前に来た時はもうちょっと白めのものも売られてた気がする。

 なに、オンカじゃダイエットでも流行ってんの?

 脂も肉の旨味を決める立派な部位でしょうが。

 あと、高い。


 上質なのは変わらないからこいつらも旨いのは確か。

 でも、品揃えに関してはシャトレスウチらが特殊な客ってだけなんだろうな。

 不要部位の処理が浮く分も合わせて、全体だとある程度安く大量に提供してくれる。お陰で国民にも肉が行き渡る。


「どれにするか決めた?」

「……いい。何も買わない。帰ってからいつもの食べる」


 そっかぁ。

 自分の好みに妥協をしないアカリ、好き。


 やることがなくなったので、オンカの組合本部にて夜まで待つことにした。

 今日家に帰らないことについては本部の役員に通信魔法で連絡してもらった。


 本部の外見は豪邸に軍事基地と物流拠点がくっついたような感じで、

 まさに文明とネコ科の生活が混じり合ってるような雰囲気。

 門を入って入り口に入るまでに見渡せば、

 荷車とそれを引く動物、訓練・運動・遊びのための広場、

 観賞植物による装飾が連なる。


 入り口を通って受付に入ると、

 内装は至って普通の宿のようで、親しみやすさや温かみすらある。

 木のいい匂いがするし、受付は丁寧だし、木漏れ日のような丁度いい照明。


 ロトルに促されて、応接間のソファで腰掛けた。

 深く座ってないのに足がプラプラ浮いてるアカリ可愛い。


 間もなく、トレイを持った役員が入ってきた。

 その上にはカップ三つとティーポット。

 猫としてはとても食欲を唆る匂いがするんだけど、何だろうこれ。


「獲物を捌いたあと余った骨と、

 野菜等から煮出した出汁を調味したスープです」


 こういうのって普通コーヒーとか紅茶じゃないの?

 てかシャトレスはそうだったよね。

 まぁ、美味そうだし、アカリが好きそうだからいいけど。


「あぁ、前までは紅茶で客人達をもてなしていたんだが、

 不手際で切らしてしまった時の代用として出したら意外に好評でな。

 変えてくれと言われない限りはこちらをお出ししている」

「へー」


 飲んでみると、少しとろみがあって、旨味が舌に染みる。

 悪くない。

 アカリは解けた顔をして、その味わいに浸ってるようだった。

 可愛い。


「早速本題なのだが、個室を用意したので御二方にはそちらで休んでほしい」

「「え?」」


 事件の続きでも話すのかと思ったのに。


「ここに座っていただいだのも、スープも、

 客人の歓迎という形式的な意味だけだ。

 そもそも、私達は犯人の情報を一切掴めていないのだから、

 作戦会議をしても仕方ないだろう?

 今私達にできることは、最重要戦力である御二方の状態を万全に保つことであり、それが現状最大の対策と言える。違うだろうか?」


 そういうことなら、まぁ。

 そろそろ私もアカリとイチャつきたいし。


「こちらにどうぞ」


 役員の案内に従って、廊下を進んでいった先。


 ある扉を開いた瞬間、私達は目を見開いた。


 大きくて丸いソファ、たくさんの人間用&猫用おもちゃ、

 五メートルの天井まで届く人間の子供サイズの遊具タワー


 なにこれ、天国?


「おい何やってる、そこはうちの娘のだ!」

「も、申し訳ありません!」


 ロトルが今日一番かってくらい大声を出した。

 えっここじゃないの?

 こ、こんなん見せられた後で普通の部屋行かせるとか拷問では?

 てか、妻子いるんだ。


「うちの者が申し訳ない。

 用意した部屋は向かいの――」

「あの、ここじゃダメ?」


 私もアカリも、気づけば目で訴えている。

 あんなの全フェレスの猫獣人、

 もとい半人半猫にとって垂涎ものだもの。


「それは……その、知らぬ間に他人の匂いがついていたら、娘がどう思うか……」

「なに、あたしらが臭いって言いたいの?」


 あら、娘さんはそういうの気にするタイプか。

 でも本宅の自室じゃないんだし、一回お邪魔するくらい良くない?


「い、いや、決してそういう訳ではっ」

「だよね?アカリのいい匂いが部屋につくんだよ??拒む理由あんの???」

「お姉ちゃん少し黙って。

 じゃあ匂いを残さなければいいんだよね?それならあたしの魔法でどうにかするから、それでもダメ?」


 二人でキラキラした眼差しを送り続けて十数秒、

 ようやくロトルが口を開く。


「…………わ、分かった。

 オンカのために強敵と相対していただくのだから、

 よりよい環境でしっかり休息したほうがいいだろう。

 存分にくつろいでもらって構わない……」

「やったー!」「んしっ」


 私達は、大はしゃぎでその部屋へと駆け込んだ。

 とりあえずまずは……


「んぐっ」


 あぁ、なんてことだ。

 アカリも考えてることは同じだった。

 いや、正確には私の読み通りと言うべきか。


「……お姉ちゃん、どいて」


 いち早くソファーに寝っ転がりたかったアカリ。

 そして、大の字になった身体の重みを感じるためその間に滑り込んだ私。


「ソファーのマットは任せて!」

「それがやだからどいてって言ってんの!

 制服当たって痛いし!」

「じゃあ全部脱げば上に乗ってくれる?」

「関係ない!いいからどいて!」


 それから、ソファーの上で戦いを繰り広げ、

 おもちゃを片っ端から漁り、遊具で追いかけっこしたりした。

 最終的に、私達はソファーで少し眠った。


 目が醒めると、調理された肉のいい匂いが入り込んできた。

 その匂いを辿って入口近くのテーブルを見ると、皿が二つ、

 片方には分厚いステーキが乗っかっている。


 寝ぼけながら外を見ると、影の付き方からして太陽は真上。

 もう昼かぁ。


「起きたか」

「お姉ちゃんの分まで食べようかと思ったのに」


 アカリは、すでに自分の分を食べ終わっていた。

 あと、付け合せガルニチュールの野菜は手つかずの私の皿と寸分違わず同じ状態だった。まるでそこに摂食できる物など無いかのようにナイフフォークによる干渉の痕跡が見られなかった。


 あと、ロトルが隅の椅子に座ってティーカップと共に本を読んでる。

 二メートル近い筋骨隆々の身体と厳つい見た目の割に、随分と洒落てること。


「少し前に商人が一人来て、品物に加えて二人の猫獣人に紹介されたと話してきた」

「あぁ、来たんだあいつ」

「それで、試食の分だけ売ってもらった肉で作ったのがこのステーキだ」


 なにこれ思った以上に美味しい。

 三センチくらい厚みあるのに口で溶けるし、

 脂に負けず肉の旨味も十分感じられる。

 どうやったら鳥肉でこんなものが作れるんだろうか。


「御二方も分かってると思うが、オンカ周辺の好みとは対極にある肉だ。

 風味は勿論、きめ細かく脂が入って口溶けがよく、

 その上で普通の肉と大差ない価格……

 個人的にはとても画期的な代物だと思うが、

 需要を考えると主な取り扱いの選択肢には入れられない」


 まぁ、でしょうね。

 結果ロトルもシャトレスに向かうよう勧めたから、これで私達はフェレスにおいてはこの肉をほぼ独占できることが決まった。

 アカリも美味しい肉が増えて喜ぶだろう。


 私もステーキを食べ終わった。

 一枚じゃ足りなかったのか、終始アカリから物欲しそうな視線があった。

 もちろんできることならあげたかったんだけど、後で好きなだけ食べられるし、

 私も窃盗犯討伐に備えなきゃいけないから、

 その視線を受け止め続けるだけで留めさせてもらった。


「じゃあまた追いかけっこしよ!」

「嫌」


 アカリが遊んでくれなきゃ夜までものすごい退屈になっちゃう。

 アカリと以外の時間の過ごし方なんて私は知らない。


「可能なら、うちの役員に剣術と魔法を指南していただけないだろうか」


 え、やだ。めんどくさ。

 それに私教えるの苦手だし。

 知りもしないむさ苦しい戦士共と過ごすのも嫌だし。

 アカリとも離れなきゃいけなくなるし。うん、嫌だ。


「潰してしまった狩人の戦力を少しでも補うために人員を鍛えておきたい」

「自分でやりゃいいじゃん。ほら、一級持ってるでしょ?」

「確かに赤爪流せきそうりゅうなら指導できるが、スタッフには人間も大勢いる。基礎訓練で身体は鍛えられているが、人間の域は出ない」

「でもさー」

「彼らに赤爪流を教えるのは効率が悪いし、最悪身体を壊してしまうだろう。だからちゃんとした白剣流びゃくけんりゅうの師が必要だ」


 めんどい。むり。やりたくない。

 ならここで夜までアカリと寝ていたい。


「お姉ちゃん……」


 んーどうしたのぉアカリ。耳打ちなんかしてきて。

 くすぐったくて気持ちぃ。あ、アカリの息が耳に……

 じゃなくて、もしかしてアカリも私にやれって言うの?

 ま、まぁアカリがどうしてもっていうなら――


「あたしもやりたくない」


 さすが私の運命のひと。こういう時も心は繋がってるんだね。


「お姉ちゃんはただ面倒いだけだろうけど、あたしは違う。できない理由がある。

 魔術や魔導術はずっと前に五~四級程度の基礎的なものを学校で習っただけで、実戦の魔法士の水準じゃないから教えられる事はない。

 下手な教導で魔導師の身分が怪しまれるのも危険。精霊術師ってのは良くも悪くも特別すぎる魔法師だから、存在の認知の有無すら周辺のパワーバランスに大きな影響があるの。

 それに狩人がやられたってことは、二級か一級の魔法士が敵にいる可能性も出てくる。仮に教えられたとしても……」


 うわぁ、すごい流れ込んできた。

 そうだった。そもそもアカリが精霊術師なのは私とお母さん、ロトルとかの信頼できる周辺の統治者くらいしか知らないんだ。

 精霊術の適正があると分かった途端、学校の教員から堅く口外するなと言われ、表向きは転校となった。それから、人里離れた山奥で修行したとか言うのをアカリから聞いた。

 精霊を通して、一番世界や魔力と繋がりが強い魔法士だから、認識されるだけでも周囲の環境に変化が起きるんだとか。


「別にお姉ちゃんはサボるなって言いたいわけじゃない。

 あたしらみたいな例外が戦闘面で下手に一般人と関わるのはリスクがあるから、

 緊急性やそれらも吟味した上で、あたしも断ったほうがいいと思う」


 さ、サボってもいいんだ。

 アカリ、優しいなぁ。


「えっとぉ、悪いけどやっぱ無理。

 なんていうかぁ、私天才型っていうか、

 あんまり教えられなくても一級取れちゃって、

 誰かに教えるの多分できないと思うからぁ……」

「貴女ほどの方なら手合わせするだけでも良い刺激になると思うのだが」

「ほ、ほら、うっかり切り刻んじゃったら更に戦力減っちゃうし……」


 焦りながらできない旨を伝えてると、

 ロトルがしばらく考えだした。

 束の間の沈黙のあと、再び口を開いて。


「何か事情があるのだな。

 少々慎ましさに欠けてしまった、申し訳ない。

 急な依頼に協力していただける時点でとても有り難い。

 貴女方によって盗人は早急に成敗されるだろうから、

 そのあとから堅実に人員を回復するとしよう」

「う、うん、それがいいと思うなぁ」


 それから、食器を片付けたロトルは雑務のため本部を離れていった。

 残った私たちは、日が沈むまでまた一通り遊んだり、眠ったりした。




 外が暗くなって、ロトルからも呼び出された。

 本部を出て、オンカ全体から見て本部の裏側にある倉庫へと向かう。


 オンカの門から倉庫の出入り口までを全体的に捉えられるポジション。

 目立たないように灯りの類は持たないようにして、フェレスの民自慢の暗視能力で見張りを続ける。

 案内や緊急時の伝令として幾人か人間も同伴しているが、そいつらは結構躓いたり茂みにぶつかったりしてて、実に滑稽。


「ねぇ、もっと倉庫周りに固まったほうがいいんじゃないの」

「それをやった結果が狩人数人の喪失となった」

「そんな……」

「盗人は思った以上に警戒範囲が広い。

 だから、一先ずはこのあたりから様子を見るべきだ」


 と、アカリとロトルのやり取りを聞いてると、早速倉庫のあたりに気配を感じた。


「……いる」

「なんだと?私は何も感じないのだが……どういうことだ?」


 ロトルの言う通り、気配にしても何か妙な感じがする。

 なんというか、普通の人や魔物とも違う、とても表現に困るもの。

 感じたことのない種類だ。


「うん。主精霊ロードも倉庫に何かが現れたって言ってる」


 主精霊ってのは、精霊術師の付添となる一定の権威を持つ精霊で、

 術師の声を周りの精霊に届けて指示をする大事な相棒。

 そうアカリは言ってた。


 精霊の住む精霊界からは現界……私達の世界が丸見えらしいから、

 まず間違いない。何者かが倉庫に居る。


 私達の合図で、一同は倉庫へと進んでいった。


 倉庫に入り、冷凍術式が組み込まれた金属扉の貯蔵庫が並ぶ通路を進んでいく。

 この中に、色んな肉があると思うと、ちょっとお腹が減る。


「んー何々、火岩水牛イグニアスバッファローのヒレ肉……」

「お姉ちゃん真面目にやって」

「アカリだって前通る度に扉の向こう凝視してるじゃん」

「そ、それは……」


 猫である以上どうしても気になってしまう。

 一応夕食をそれなりに詰め込んできたはずなんだけど。


「あっアカリ見て、あれ」


 歩いていると、床に散らかっている肉の破片を見つけた。

 その破片は先へと続いていて、奥に行くほど大きく、増えている。


「……」

「どうしたのアカリ?」

「おかしい……さっきまで前方百メートル弱って言ってたのに、

 今は数メートルって」


 それなら、目の前にいるはずじゃないの。

 気配だって……あれ、分からない。

 何故か方向と距離が酷く散漫になった。

 まるでこの辺りを薄く覆っているような。


 考えながら周りを見渡してると、手がかりを見つけたことにより浮かれ始めてる人間達が映った。

 そいつらは次に、一歩踏み出して……


「だめっ!戻って!!!」


 横から急に大きな声が。

 アカリが、珍しく叫んだ。


 その叫びとほぼ同時に、天井に真っ黒な裂け目が生まれて、

 中から何かが勢いよく振り下ろされた。


 とても見覚えがある爪……前足だった。

 あぁ、あの二人終わったな。


「っ!」


 咄嗟にロトルが駆け出して、

 残像と共に二人の背後に迫る。

 その優れた瞬発力によって、あの爪が頭を砕くスレスレで、

 二人の服をつかんで後ろへ投げ飛ばした。

 やるなぁ。


 掠めた爪が振り下ろされ、それが空振り切ったあと、

 全身が重い音を立てて床へと着地した。


 姿は、どう見ても今朝対峙したのと同種である鋼爪虎クロウタイガーだった。

 あれよりは一回り小さいが、くすんだ毛色で、青黒い炎を発している。

 あと、今までの奇妙な気配を一番強く、確実に感じる。

 こいつが犯人ってことで間違いないな。


「私が引き付ける!

 御二方は攻撃に集中を!」


 人間を投げた動きからそのまま短剣を抜いて、虎の前へと走り出していった。

 じゃあ、さっさと殺っちゃおう。


 ロトルはわざと目立つように正面から間合いに入り、

 逆手で持った短剣を構えながら虎の横に滑り込んだ。

 頬から体の側面まで突き立てて掻っ捌くことになる。


「えっ?」


 普通ならそんな、無視できない傷になるはずだった。

 だけど、虎の肌に突き刺さるはずの短剣は、

 火花と金属音を出しながら毛皮を滑り抜けた。

 毛でよく見えなかったが、音や金属の匂いから刃こぼれもしている。


「どういうことだ!?」


 どう考えても毛皮に刃を立てた際の結果としては不自然。

 魔法でバリアを作ってる?

 いや、鋼爪虎は魔法を使うタイプじゃないし、

 他に仲間が居るわけでもないから考えづらい。


 とにかく、近接に強いんなら私も囮になろうか。

 一級剣士とは言え、一人で任せて事故りでもしたら色々とめんどいし、

 時間さえ取れればアカリが消し飛ばしてくれる。


「私もおっさんに加勢する!

 アカリがあいつの息の根止めて!」

「う、うん」


 私も虎の真正面に迫り、剣を向けた。

 白剣流を純半の膂力と精度で使えば、

 今にも噛みつかれそうな至近距離でも爪と牙を完璧に凌げる。


 眼の前で見ると、結構威圧がすごい。

 やけに睨まれている気がする。


 まぁいいや、皮膚が駄目ならその口内を刻んでやる。


『……術、バー…………ノン』

「えっ今の、術式――」


 後ろから驚いたアカリの声が微かに聞こえた。

 同時に、強烈な熱と光に私の感覚と視野が支配された。


「うぐっ!?」


 こいつ、口から火炎を吐きやがった。

 炎攻撃ができる魔物はある程度いるけど、

 このレベルは体内器官の範疇を超えてる。魔法じゃないと無理だ。

 少し服が焦げて火傷もしたけど、アカリがバリア張ってくれなかったらこれじゃすまなかった。


「お姉ちゃん、今のはどう見ても魔力由来の炎だった」

「やっぱり魔法なんだ、一体何が起こってんの?」

「まだ分からない。

 でも魔物の単純な精神だとこんなのを使えるほど魔力を保持できない。

 魔導術みたいに大気中からも集めてリソースにしてるのかな。

 精霊にここらへんの魔力を全部掌握させれば止められるかも」

「わかった!」


 アカリに注意を向けないように、またあいつの陽動を続けた。

 とりあえず口の正面に行かなければ燃やされることはない。


全精霊オムニス支配ドミネイト


 アカリの「声」が精霊に届いた瞬間、私ですら空気が変わったのを感じた。

 ただ存在していただけのエネルギーの全てが、

 アカリを中心に整列して、従属した。


「な、何だ!?ここらの魔力の基底が一瞬で上書きされたぞ」

「多分あのシャトレスの魔導師だと思うが……」

「魔導石にこんな大規模な空間従属の機能あったか……?

 それとも、NBの石ならできるのか」

「きっとそうだ。下位の石でも上位の魔術師に匹敵するのだから、

 上位の石ならあっても不思議じゃあない」

 

 今になって魔杖を構えた案内役共はかなり驚いてる。

 自分の魔力が潤沢な魔術師には関係ないんだから

 さっさと援護始めればいいのに。


 とりあえず、これで心置きなくこいつの口をずたずたにできる。

 このまま、深く斬りつければ――


爆炎砲バーニングキャノン


 炎は、さっきと同じように、いやもっと強く私に襲いかかった。

 さっき微かに聞こえたような気がした声も、今度ははっきりと聞こえた。


 いや、それどころじゃない。

 熱い。身体の焼ける匂い。

 視界半分が赤く、真っ暗になって、

 激痛がして、それすら消えていって。


 ……


「お、お姉ちゃん!」


 瞼を開けると、天井と俯いてくるアカリが見える。

 結構後ろにいたはずなのに。

 炎を食らってかなり飛ばされたのか。


 痛みで、よく覚えてないな。


「どうしたのそんな顔して」

「いや、だって、あたし、間違えて……

 か、顔が焼けて、腕も溶けて千切れそうになって゛ぇ……」

「でも、ちゃんと治してくれたじゃん」


 頭も鮮明になってきたから、元気に起きながら武器を確認して、

 アカリを抱きしめた。


「あ、あたしのせいで――」

「アカリの選択はいつも正しいよ。絶対に。

 やりたいようにやって。必ずうまくいく。

 今までも全部そうだった」

「う、みゃぅ……」


 アカリのためになるなら、私がいくら綻ぼうとも安すぎる。

 それに、貴女ならどんな間違いも後悔も打ち消せる。

 世界に認められ、世界を操る資格を貴女は持っているんだから。

 だから、貴女の間違いは間違いにならない。

 私を幸福に導いてくれる、永久に不滅で、絶対なる不可侵の正義。


 幸いにもアカリとロトル達が牽制しててくれたから、

 私が気絶している間に戦況はほぼ変わっていなかった。

 アカリの魔力掌握を見てあいつが警戒してたのもあるかも。


 変わったことといえば、アカリの意識かな。

 表情がもう一回り冷たくなって、虎の方を睨むようになった。


 私のために、怒ってくれてる。

 本当に嬉しい。


「それで、あの魔法のことなんだけど」

「私が溶かされたってことは、あいつ完全に自前の魔力で

 あの炎を使ってるんだよね」

「う、うん……」

「十分な収穫だね!

 少なくとも、無駄じゃなかった!」

「……」


 早速加勢し直そうとしたら、アカリに止められた。


「待ってよ」

「どうしたの?」

「あの火力と耐久性だと、普通に削ろうとしたらまた事故が起きる。

 ここらの精霊にそこそこ消耗してがんばってもらって、

 あたしが直接あのクソ虎の粉々にする」

「うん」

「それで、その、やってる間無防備になるから……

 だから、お姉ちゃんはここにいてあたしの防御を補って」


 そ、それは願っても無い話だよ!

 実質「あたしのこと守って」ってお願いだよね!

 まぁ今までの陽動も間接的にはそうなんだど、

 今度は直接お願いされちゃった!

 あたしを守って……んぁ~アカリは可愛いなぁ!


「わかった!!!」

「(うるさっ)」


 というわけで、アカリの目の前で構えることにした。


『支援、照準アンカー精神障壁バリケード破壊クラック


 アカリの指示からすぐに、エネルギーが虎に集まっていく。

 ロトル達とやりあっていた虎が苦しみだして、動きもかなり遅くなった。

 よし、このまま……


クライオキャノン……』


 横たわりかけている虎の口が何度か光ったと思えば、

 氷の弾丸が何発もロトル達の間を縫って飛んできた。

 他の属性もいけるのか。

 魔物にしては何とも器用なことで。


 とりあえず、これなら普通に弾けばいいかな。


「ふんっ!」


 絶対アカリに当たらないように、

 勢いをなるべく横に逸らすように、

 大きく振って弾を防いだ。


 我ながらいい捌き方。

 今度こそちゃんとお姉ちゃんできたかな。

 アカリも見たでしょ?


「(うざ、これくらいでこっち見んな)」


 あっ睨まれちゃった……♪

 んま、引き続き攻撃を警戒しましょ。


「障壁破損確認。攻撃、爆裂デトネイト


 アカリが、一回り大きな声で叫んだ。


「全員目と耳閉じてすぐに下がって!」


 前線の三人が言われたとおりに下がったと同時に、

 虎の横っ腹から盛大に爆発が起きた。


 閉じた瞼や顔に当てた腕も少し貫いてきた閃光。

 それと共に爆風と爆音が体中に響いた。

 ほんのり耳鳴りするけど、すぐに収まって、

 薄れていく煙硝と粉塵を凝視していく。


 これだけの爆発なら、虎は通路の右側の壁に強く叩きつけられたはず。

 どれだけ魔法で刃を防いでも、精神と内蔵への衝撃からは逃れられない。


「……」


 見つけた。

 まだ、生きてる。

 早く止めを刺さなきゃ。


「ぐ……グぅ……」


 何だ、その目は。

 もしかして、怒ってるのかな。

 今回だと、オンカのほうが怒りたいだろうけど。


「ぐ……ぅ、ぁ……

 お、おっ、おまえ……」

「……え?」


 あれ、今こいつ「お前」って言った?


「お前、あ、あいつの、家族だな……!

 同じ……同じ、臭い、だ!」


 は?い、いきなり何言ってんのこいつ。

 てか、喋るってどいうこと。

 こいつにそんな知能無いはずだろ。


「よくも、よ、よくも、僕の家族を!

 皆を、殺したな!殺したな!!!」


 何の話?確かに同種は今日殺したけど。

 でも違うでしょ。臭いでわかる。

 こいつと今朝の二体は血縁じゃない。


「ぜ、絶対に、絶対に、ゆ、許さない!

 「空」だろうと、「地獄」だろうと、

 どこまでも、どこまでも追いかけて――」


 うるさい。なぜ謂れのない憎悪を浴びせられなきゃならないの。

 私はオンカを助ける途中だ。肉を盗む害獣を駆除するんだ。


 不可解で、不気味で、今すぐにでも黙らせたかった。

 気づけば、剣を横たわった虎に深く突き刺していた。


「はぁ……はぁ、一体何なの」

「お姉ちゃん!」

「あ、アカリ……」


 アカリと三人がいつの間にか後ろにいた。


「……どうやら、止めを刺していただけたようだ。

 オンカ一同を代表して、心より感謝する」


 そう。そうだ。もう事は済んだんだから、一旦休もう。

 なんでこんなに疲れてるのか分からないけど、いいや。


死体こいつは、そうだな……法務と魔法部門に回して解析させろ。

 それと、御二方のための寝室を」

「「わ、分かりました!」」


 それから、私たちは本部に戻った。

 なんか色々喋ってた気がするけど、

 アカリにずっと支えられてた事しか覚えてない。


 ロトルが用意してくれたらしい、最上級のベッドルーム。

 気づけば、ふかふかのベッドに私は寝そべっていた。

 隣の方には、アカリが座っていた。


「お姉ちゃん、大丈夫?」

「うん」

「……随分まともなテンションでの返事。

 あのクソ虎殺る前になんかあったでしょ?」


 あ、しまった。ついアカリにそっけない返事をしてしまった。

 お姉ちゃんとしてちゃんとしないと。


「うん!あったよ!」

「鬱陶しいからそのままでいい。

 あたし以外にはとことん雑なお姉ちゃんが珍しく思考を割かれてたあたり、

 あたし……いや、家族シャトレスに関係あるんでしょ」


 流石アカリ、察しがいいね。


 そういうわけで、あの時の一部始終をアカリに話した。


「シャトレスへの因縁はあたしも覚えがないから置いといて、

 空、地獄……まるで天人あまびとみたい」

「天人?宗教とか伝説に出てくる神とか天使のこと?」

「うん。あと空は「天界てんかい」、地獄は「深界しんかい」を指してると思う。

 天界は天人が住む遥か上空の世界。

 天人が何らかの理由で堕ちたり成れ果てた末に沈むのが、遥か地下にある深界」

「それが何だって言うの?所詮そういう信仰せっていなんでしょ」

「いや、少なくとも天界は在るよ」


 えっ、ちょっと、アカリ?

 貴女、いつの間にそんな信心深く……?


 もしかして私の愛が足りないから、

 そんなものに頼らなきゃいけなくなったの?


「何その顔。別に入信はしてない。

 闘神教……天使ガブリエルとかの信者として存在を「信じてる」訳でも、

 魔法学者として存在を「推測してる」訳でも無い。

 存在するという事を、情報として「知ってる」の」

「どっからその情報を……?」

「主精霊や色んなところの精霊達がみんな、在るって言ってる。

 見ることも行くこともできないけど、確かに感じるって。

 精霊達の情報伝達というのは信頼性が限りなく百パーに近いの。 

 主精霊を除いて、あの子達の意思というのは反射の粋を出ない単純なものだし、

 精霊界の土台である現界を乱すような嘘や間違いというのはまずありえない。

 今のところ、存在すると断言して問題ないと思ってる」


 なんだ、そういう感じか。

 貴女の心の拠り所という、大事な繋がりが持ってかれてるかと思ったけど、

 それなら良かった。


「それよりも、重要なのはこっち。

 剣術を発達させ、人類の魔法への適応を大幅に早め、

 四地方ができるきっかけとなった五百年前の「天使大戦」。

 これは、いくつもの視点や調査によって史実だと評価されてる。

 その上で、北方シミアスの人たちが天使制圧後に行った調査の記録には、

 「天使の体は造られた入れ物に過ぎず、本質は宿っている魂である」とあった」

「天人の身体は個に結びついてない……

 じゃあ、魂を他の存在に移して、操れたり?」

「そう。天人は存在自体が魔力と強く繋がっていて、

 生まれつき魔法が得意だと推測されるから、

 それが憑いていたならあんな火力で魔法を使ってきたのも説明できる」


 なるほどなぁ。

 天使とか神とか、天国とか地獄とか、

 あくまで伝説と思ってたけど、そうじゃないかもしれないと。

 私はそういうの信仰しないし。

 もし崇めるとしたらアカリしかあり得ないよね。


「んし、考えるだけ考えたし眠いからもう寝よ。

 恨みについては明日帰ってからお母さんに聞くってことで」

「ね、ねぇアカリ」

「なに」

「い、一緒に――」

「嫌」


 いつもみたいに同衾は阻まれて、装備を外して肌着だけになって、

 私達はそれぞれのベッドで眠った。




 次の朝。

 仕事着を着直して、オンカの人達に挨拶をしてからすぐに発った。


 最初はゆったりと進んでいたけど、

 私からアカリにまた競走を言い出して、

 結局来た時みたいに疾走と風魔法ですぐに西門まで着いた。

 競走は負けた。


「あれ、お母さん広場にいない?」


 シャトレスの中央には名所にもなっている大きな広場と噴水がある。

 主要な通路として北以外の門から道が繋がってるから、様子が見える。

 アカリが先に広場に座ってるお母さんに気づいたみたい。

 よく見ると、ベンチの隣に何かある。


「あら、おかえりなさい」


 近づいて見ると、箱が三つ積まれていた。

 なんだろうこれ。見たこと無い。

 アカリは私以上に興味津々だった。


「お母さんこれ何?」

「リューニアから来た業者が売ってた、あちらでできたばかりの試作品らしいの。

 確か、「ゲーム」という玩具の一種で、デンキという魔力とは違うエネルギーで動くんだって。面白そうだったからあなた達の分も買っておいたわ」

「おお……」


 アカリの顔が静かに輝いてる。

 すごいやりたいって身体全部が訴えてる。

 尻尾回りすぎ。

 可愛すぎ。


「ねぇ、聞かないのアカリ?」

「あ、後でもいいでしょ!」


 あー欲望丸出しな感じが可愛すぎる。

 普段がクールな論理タイプだから尚更このギャップが映える。


「そんなに興味を持ってくれただけでも買った甲斐があるわね。

 ここだと人目につくから、王宮に帰ってから好きなだけやりましょう」

「う、うん!」


 そう言って、アカリの熱意に引っ張られるようにお母さんが立ち上がる。


 その瞬間。


「――えっ?」


 何かが風を切る音と共に、

 お母さんのこめかみが撃ち抜かれ、

 その場に重い音を立てて倒れた。

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