第39話 希代の魔術師5

 物凄い轟音と共に強い光が目を眩ませた。

 ライアンが放った一振りは沼を割るかと思う程の衝撃で一瞬淀んだ沼底があらわれズルリとうねる鱗が見えた。

 

「いた!」

 

 私はゾワッとする悪寒を感じながら叫んだ。

 

「走れ!」

 

 ライアンの声に弾かれたように大岩に向けて走り出した。

 

「嘘でしょー!私足遅いのに!!」

 

 デコボコとした地面を必死で走りながら後ろを振り返るとヒュドラのおぞましい姿が沼からあらわれた。

 九つの首を揺らせ巨大な蛇が逃げる私を見定める。そして一つ一つ大木の様な太さの首を持ち上げ、じっとり濡れて気味が悪い鱗で覆われた体をうねらせ私を物凄い勢いで追いかけ始めた。

 

「イヤー!さっきのは私がやったんじゃない!こっち来ないでー!」

 

 ギョロリとした爬虫類独特の瞳で私を捉えその口を開くと何かを吐き出した。

 

「気をつけろ!毒だ!」

 

 何をどう気をつければいいのかまで教えてよ!私は走るので精一杯だよ!!

 

 幸いヒュドラからはまだ距離がある。とにかく多少ジグザグに走りながら必死に逃げていると後ろで再び物凄い轟音がした。次の瞬間ドサリと重い物が落ちる音がし振り返るとヒュドラの首が一つ落ちていた。

 

「やった!ライアン凄い!」

 

 彼は少し幅広で長めの剣を両手で持ちヒュドラの首を一振りで切り落すと次を狙っていた。

 

 両手で持つのが本気の時なの?ダンジョンでどれだけ手加減してたんだよ!

 

 私が喜んでいるとどこからともなく大きな火の玉が走ってひと抱えほどもあるヒュドラの首の切り口に当たると燃え上がった。

 

「早く次やりな!」

 

 沼から少し離れた小高い所からカトリーヌが叫んでいる。どうやらそこから火の魔術を飛ばして切り口を焼いているようだ。

 

 ズルい!遠くに立ってるだけじゃない!

 

 息も絶え絶え走りながら自分のスキルを恨む。

 

 私にだって他のスキルがあればこんな怖い目に会わなくて良かったかも知れないのに!

 

 まだ追いかけて来るヒュドラの勢いは止まらない。苦しさも限界かと思われた頃ライアンの呼ぶ声が聞こえた。

 

「戻って来い!尾を持て!」

 

 こんなにクタクタになるまで走らされてその上恐ろしい魔物の尻尾持てとかどこまで鬼なんだよ!

 

 言いたい事は山ほどあるがとにかく今は言われた事をやるしかない。私はライアンがヒュドラの気を引いている間に尻尾に向かった。スッと息を吸い込みスキルが使える事を自覚するとうねるそれが私に近づいてきた所をガッシリ両手で受け止めた。足を踏ん張りヌメって滑りそうな手に何とか力を込め鱗の隙間に入れてその身を掴む。

 

「いいよぉ!」

 

 走り回る事を考えれば持ってるだけの方が楽かも。

 

 多少の動きに耐えながらヒュドラを押える私をカトリーヌが目を見開いて見ていた。

 

「怪力は伊達じゃないね。」

 

 私は必死にヒュドラが沼に逃げ込まない様に押さえている。ライアンは次から次へと首を切り落としているが最大九つあった首はそれぞれが自在に動き攻撃してくる。私に向かってくる首にはカトリーヌの遠距離攻撃によって防がれ多少の火の粉は浴びるものの何とか耐えていた。

ヒュドラは私のせいで沼に逃げ込めないので何度か直接牙を向けて来たがライアンにそれを防がれ、やはり彼を何とかしなくては生き残れないと悟ったのか彼に攻撃が集中し始めた。

 ここにきてハッキリとライアンが剣を振るう姿を見たがそれは信じられないものだった。彼が両手で剣を振ると閃光が走り轟音と共に爆発するかの様な衝撃がヒュドラに向けられ確実に首が落ちていく。

 

 ライアンて何者なの?こんなに強いなんて…

 

 普段のヒゲモジャでソファにダラリと寝転ぶ姿からは想像出来ないその強さに圧倒される。

 三つ四つと首は切られ遂に後二つとなった。流石にライアンも少し息があがってきていて私も疲れ始めていた。持っているだけとはいえ沼に逃げ込もうとするのを引きずり出したり暴れる尻尾を押さえ込んだりと油断が出来ず力を入れっぱなしだ。

 

 ここまでくればライアンとカトリーヌだけでも大丈夫なんじゃないの?

 

「ライアン、もう限界かも…」

 

 両手が塞がれポーションで回復する事も出来なくてそろそろ踏ん張っている足の力が無くなりそうだ。

 

「馬鹿!油断するな!」

 

 そう言われた時、急に残り二つの首の内の一つが私を振り返り毒を吐きかけた。カトリーヌはさっき落とした首を狙って火を放っている最中だ。避ける為には手を離さなければいけない。だがここまで来て沼に逃げ込まれまた最初からやり直しなんて嫌だ。カトリーヌと部下の人の会話ではどうやら解毒剤は用意しているようだし少し位は大丈夫だろう。

 そう油断したのが間違いだった。降りかかる毒を出来るだけ避けたが腕に少しかかった。次の瞬間毒がかかったコートの袖が煙をあげ穴をあけると私の腕を直に焼き始めた。

 

熱いあっつい!!」

 

 火を押し付けられたかの様な痛みでヒュドラの尾を掴んでいた手を片方離してしまう。

 

「逃げろ!手を離せ!」

 

 ライアンの叫びもむなしく私は振り上げられ宙を舞うと尾でなぎ払われ地面に叩きつけられた。うつ伏せに倒れ痛みと衝撃で息ができない。目が眩み何も聞こえず気持ち悪さで嘔吐すると目の前が真っ赤に染まった。

 

 アレ?血だ…私死ぬの?

 

 意識が無くなりそうになった時激しく揺さぶられた気がしてなんとか目を開いた。遠くでライアンが私の名を呼ぶ声が聞こえる。ボヤける目に彼が怒っているのが見える。返事をしなきゃもっと叱られると思って口を開いたが再び吐血し声が出ない。すると急に寒くなり震えが止まらず、あぁ…死ぬんだと思った。映画とかでそんなシーンを見た事がある。

 

 最後に見るのがライアンの顔か、それも悪くないな。

 

 何故かそう思い意識が遠のくままに体の力を抜こうとすると耳元で怒鳴られた。

 

「しっかりしろ馬鹿!ポーションを飲め!」

 

 …死にかけてるのに馬鹿は無いと思う。

 

 ポーションの瓶を口に当てられたが上手く飲めない。無理やり口に注がれたがこぼれ出るばかりだ。すると急にライアンがポーションを口に含み私の鼻を摘むと口移しで押し込んできた。

 

「うぅ…く…」

 

 口の中のポーションを飲み込まなきゃ窒息して死んじゃう。

 

 慌てて必死で飲むとむせて咳き込んだ。

 

「あぁ…酷い。最後のキスがライアンなんて。」

「オレも好きでやってるわけじゃ無い。もっと飲め。」

 

 憎まれ口を叩くと少しホッとした感じのライアンが、抱えていた私を地面に下ろす。

 

「ヒュドラは?」

「今、カトリーヌが焼いてる。」

 

 そう言いながら私のコートを脱がせると着ている服を破いた。

 

「ちょっと、人が動けないのをいい事に何やってんのよ。」

 

 酷い事されているのはわかっているが体はまだ動かない。

 

「あぁ、やっぱりコレ着てたか。命拾いしたな。」

 

 ライアンは自分が勝手に注文していた革製のビスチェを私がちゃんと服の下に着込んでいた事を確認して安堵した。どうやらビスチェのおかげで私は真っ二つにならずに済んだらしい。

 

「ありがとうって言いたいんだけど、なんでまだ脱がそうとしてるの?」

 

 ライアンはそのまま着ているビスチェの紐を解いていく。

 

「中にも直にポーションをかけなきゃ駄目だ。」

「自分でするわよ!やめてよ!」

「恥ずかしがってる場合か!」

「恥ずかしいに決まってるじゃない!ポーション貸して、こっち見ないで…体起こして!」

 

 舌打ちされながらも少し回復してきていた私はライアンに抱え起こされ緩められたビスチェの胸元を何とか開け中にポーションを注いだ。スッと呼吸が楽になったが途端に腕が焼けるように痛んだ。

 

「痛い…何これ…」

 

 そう言ったきり口がきけないくらいの痛みで体を丸めた。

 

「ヒュドラの毒だ。しばらくキツイぞ。」

 

 ライアンは私を彼のコートで包むと横抱きにしカトリーヌの方へ向った。

 

「解毒剤はまだか?」

 

 カトリーヌの部下がどこかでヒュドラの毒から解毒剤を作る作業に取り掛かっているはずだがまだ出来ていないようだ。

 

「数時間はかかるって言ってたからね。」

「ホントに出来るのか?」

 

 ライアンが私を抱きかかえながら歩き始めた。もう一人の部下がヒュドラの最後の頭を引きずりながら封印する場所まで運んでいくようだ。

 

「アイツは優秀だからね。時間はかかっても出来るだろう。間に合うかはわからんがポーションを飲ませ続けるしかないね。ホントに役に立たない娘だね。肝心な時にこんな事になって。」

 

 言葉とは裏腹にカトリーヌは優しく私の頬に触れた。本来ならここから封印する場所まで運ぶのも私の役目だっただろう。ヒュドラの頭の重さに手こずる様子を見かねてライアンは私をカトリーヌの部下に預けた。

 

「落とすなよ。」

 

 彼の低い声に部下の男はゴクリと唾を飲んで頷いた。私は痛みと苦しさで身を固くしたまま震えるばかりだった。毒がかかったのは腕だけだったのにそこから全身を毒が巡ったのか体中が燃えるように痛む。激痛過ぎて声をあげる事も出来ず私は呻くばかりだった。そこから少し早足で封印場所まで向かっていたのか揺れが苦しく涙が止まらない。

 

「うぅ、う、ぐ。」

 

 私の呻く声を聞きライアンが舌打ちしてさらに進むスピードがあがった気がする。私を抱えてくれている男は必死にライアンに付いて行っているようで呼吸が苦しそうだ。

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