第38話  お互いの呼び方

 クリスマスが過ぎた日の翌日の日曜日。

 朝から外は10メートル先が見えないくらいに深い霧が辺りを隅々まで覆っていた。


 そして俺はいつもより暗い廊下を、身体に毛布をくるんで歩く。

 一階まで下りリビングのドアを開けると、温まった空気が外へと逃げていく。


 ソファーでは綾間あやまさんが、温かそうな抹茶ラテを飲みながら暖房を付けてアニメを鑑賞していた。


「おはよう、綾間さん」

「おはよ」


 綾間さんはテレビに夢中なのか、いつもより返しが少ない気がする。

 まぁ、妹の千花だったらおはようでさえ返してこないので気にはしないけど。


 ソファーに座って俺も一緒にアニメを観る。

 当然ラブコメなので俺はしっかり観たことがある作品だ。


『葵君はなんで私のこと名前で呼んでくれないの?』

『ごめん……。でも木村さんは俺の義妹ってだけで、今まであんまり話したこともないし』

『いいよ、愛華って呼んで……」


 ・・・・なんだろう、視線を感じる。


 今のシーンが終わった後ぐらいから、綾間さんの視線がテレビではなく俺の方に向いている。


「幸太くんも私のこと名前で『優香』って呼んでくれないよね」

「え? そう。まぁ、綾間さんの方がしっくりくるっていうかぁ〜」

「ダメですっー!今日からはちゃんと優香って呼ぶこと!私だって幸太くんと結婚したら真島になるんだよ?」


 優香かぁ……。一気にハードルが上がったような気がする。


「わかった。じゃあ、今日から優香さんって呼ぶよ」

「だ、だめ! それじゃ私が、さん付けさせてるみたいじゃんよぉー。ちゃんと呼び捨て!それが嫌ならあだ名」

「まじかぁー」


 今まで生きてきて女の子を呼び捨てで呼んだことなんて一度もない。

 アニメのキャラクターの名前なら皆、呼び捨てなのだけど、それとこれとでは全く話が違う。


「じゃあ、言ってみてよ」

「えっ?」


 言ってみるって、優香ゆうかって呼ぶってこと!? 本人が意識して聞いてる前で?!


「練習は必要でしょ?」

「う、うん。それじゃあなんて言えばいいかな」

「え? あぁ、そうだねぇー。むふ、むふふふっ」


 あっ、絶対、何か企んでるわ。

 俺に恥ずかしいセリフでも言わせようとしてるのだろうか……。


 綾間さんはニヤニヤ笑いながら、抹茶ラテを飲み干してから言った。


「優香、好きだよ。って言って」

「えぇ!? 無理無理!」

「無理じゃありませんー! これくらいじゃないと練習にならないでしょ」


 綾間さんめ。俺に好きだよって言わせたいだけのくせに……。


「はぁ、一回だけだからね」

「うんっ!!」


 嬉しそうに答えると綾間さんは俺を期待の眼差しで見てくる。

 ここまでくれば、もう後戻りはできない。


「――優香、好き……なんだって。陽太が」


 やっぱり無理だわ!!


「それはズルいよ! 幸太くんの気持ちじゃないじゃん!」

「優香って呼ぶ練習でしょ?」

「そうだけど……。もぉー」


 やっぱり呼び方は変えられても、好きだって伝えることは簡単じゃないということを改めて理解した。






           ◆






「ご飯美味しい?」

「うん!美味しいよ」


 今日の晩御飯は優香(綾間さん)が作ってくれたワカメスープと餃子とサラダ。


 彼女が作ってくれる料理はいつも美味しくて失敗がない。


「幸太くんー」

「どうしたの」

「いや、呼んでみただけ」


 さっきから机に肘をつき、両頬に手を添えながら俺が料理を食べるのを笑顔で見てくる優香。


 とても食べずらいし恥ずかしい。


「綾間さんは食べないの?」

「綾間さんじゃなくて優香って呼ばないと」

「あ、そうだね」


 上手く話を変えられてしまった……。


「そーいえば、幸太くんって彼女いたことあるの?」

「ブヘェッ!!!」


 予知せぬ質問に驚いて噎せる。

 さっきから優香のペースに引っ張られている気がする。


「え……。いるわけないでしょ」

「こんなにカッコイイのに世の女子たちは勿体ないなぁー」

「そんなこと言ってくれるのは優香だけだよ」


 優香と出会う前は、今よりも陰キャで二次元にしか興味のない何処にでもいるパッとしない男子高校生。


 頭もずば抜けて良くはないし、運動神経も悪いし、顔も普通。昔から全く変わっていない。


 だから生きて俺を好きと言ってくれたのは優香だけだし、モテるはずもない。


「はぁはぁーん。私が最初なんだぁー」


 優香は少しニヤつきながら体をクネクネさせた後、箸を持ってご飯を食べ始めた。


「昨日のクリスマスも楽しかったけど。私は今日の方が嬉しいこと、沢山あったなぁー」

「例えば?」


 俺がそう言うと彼女は少し黙って二回瞬きをし、微笑んだ。


「教えないー」

「えぇー!」


 教えてはもらえなかったけど、俺もあとから何となくわかったような気がした。




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