4-5:竜奉国「アルシャーク」


「人形ごっこがしたけりゃ他でやれ。オレはお前のものじゃない!」



 貴族の男に向けて、アラドンは強く言い放つ。

 そんな彼に、嘲笑とともに言葉が返される。


「ではあの古龍の下に行くのかい? 彼女はもう、自分より先に死ぬものを見送りたくないと思って、君をこちらに寄越したのだろうに」


 彼の尊大な口調に対し、アラドンは額に青筋を走らせるが言い返せない。

 貴族の男の言葉は、おそらくは間違っていない。少なくともそれは、アラドンだって気づいていたことだ。


「ニーナはもう、三百年生きている。それに比べてオレは、たった十と二、三年……」


 長い寿命は、彼女にいつか自分の最後を看取らせることになるだろう。それは、あまり本意ではない。

 たとえ今、ニーナのもとに向かったとして、彼女の気持ちはどうなる。

 人の中にあるべきだと語った彼女の気持ちは。

 自分を突き放したその想いは。



〝座って、一緒に食べましょう〟


〝これならいいワインが作れそうです。だから、手伝ってくださいね〟


〝思い出の味は、いつだって作ってあげますよ〟



「ああ、そっか。だからここのスープはまずいんだ」


 アラドンは、初めて理解した。

 どうしてニーナのような古龍が、小汚い盗人を歓待したのか。

 秋も冬も越えて、春も共に過ごそうとしたのは、なぜか。

 三百年前に龍の力を手に入れた彼女は、きっかけからしても両親や親しかった友人と離れて、義父の先代古龍が居なくなってから、何百年と一人生きてきた。


 時折人に変身して街に赴くことはあっても、深い交流などなかっただろう。誰も、彼女のことを覚えていてくれるわけではないのだろう。

 誰も来ない森に綺麗な調度品が並び、カップを用意し、ワインを造り続ける。それは、小銭を稼ぐためでもなければ、誰がいつ来てもいいようにという配慮だけではない。

 答えは、単純だ。



 ――誰かに来てほしい。



 そんな、彼女の願いの現われだったのではないか。


「寂しかったんだ」

「何?」


 貴族の男は、急に変わったアラドンの雰囲気に、思わず声を上げた。


「アルティニーナが――あの古龍と呼ばれた女の子は、ずっと……寂しかったんだ」


 古龍の少女と引き離されて、小汚い盗人は綺麗な衣服に身を包んだ時、それを実感したのだ。

 最強の生物と呼ばれる竜は、誰とも関われない寂しさを埋めるために、黄金や宝石を求めるのではないか。

 だけど、作り立てのスープを二人で食べることに比べれば、黄金はなんてちっぽけなものなのか。

 あの温かみは、誰かといることでしか生まれないのだ。


「オレは彼女に会いに行く。あのスープを、彼女と一緒に食べるために」

「……聞き分けのいい子だと、思ったのだがね」


 貴族の男が立ち上がると同時に、アラドンは机を蹴って飛び上がる。ナイフを突き立てようと接近した時、相手の右腕がわずかに動く。

 空気を切り裂いた鞭の先端が、少年の頬を打ち、地面へ巻き戻す。


「――ッ、グ……!」


 カラカラカラ、と音を立ててナイフが床を転がる。焼けるような痛みを放つ頬を抑え、貴族の男を睨みつける。


「戦う術を持たない馬鹿どもと一緒にするな。私はいずれ王さえ従わせる男だ。君のようなガキ一人、しつけるのに秒とかからん」


 ピシャッ! と床を鞭が打つ。

 見下す貴族の男。地に叩きつけられた少年は、痛みに震えながらも立ち上がる。


「お前なんかに、オレは……屈しない……!」


 まともな武器がなくても何とかなった時だってある。盗人だったころは命懸けで、ようやく生きることができる。

 ならその時代と同じことをするだけだ。

 怒りの形相の貴族の男に対し、アラドンは真っ直ぐに相対する。少しだけ震える足を強く叩き、全身に気合を入れ直す。


「大丈夫、少なくとも古龍より弱いんだ……」


 もう一度彼女に会いに行くと決意し、飛び出す。


「この、ゴミくず程度の存在が、私に逆らうな!!」


 鞭の先端が、アラドンの腹を打つ。本来なら肉が骨からこそげ落ちてもおかしくはない威力だ。慎重に手加減された一撃は、アラドンの体を突き飛ばしても血は流さない。

 起き上がろうとしたところで、首に鞭が巻き付いた。


「ぐぅ……息、がっ……!」

「つけあがるなよ。言っただろう、君が王家の血を引いているかなんてどうでもいい。ただシンボルとして椅子に座っていればいいんだ。余計な思考は、いらないんだ」


 鞭が引き戻され、アラドンの体は床面をずりずりと引き摺られていく。そして男のサンダルが胸を踏みつけ、鞭が一層首を絞めていく。


「いいか、よく聞くがいい。

 現在、この国は公爵家が三つ、侯爵家が五つ存在し、現在新国王の支持派閥は五つに分裂している! 一つは我が家、二つはそれぞれの公爵家。一つは侯爵家三家が連合で支持し、あと一つは竜奉教会より候補として支持されている。お前の存在は、その内竜奉教会と、中立を表明した侯爵家を取り込む重要なシンボルなんだ。お前がいるだけで、我々はこの国の勢力の半分をえることができるのだ」


 舌鋒鋭く捲し立てるのだが、首を絞められているアラドンには半分以上聴き取れない。

 ただこの男の存在が、ニーナにとって良いものではないということだけはわかった。


「お前に……ニーナは、操れない……」

「操る? 違うな。勝手に君を守って戦ってくれるのだよ。君が私の手元にある限り、あの竜は私の要請に従わざるを得ないのだよ!」


 鞭を解き、アラドンを掴み上げる。背の低い彼では、長身痩躯の男にも悠々と引っ張り上げられ、足は空中をかく。


「この街をよく見ろ。私に与えられた領土だ。この防壁の外にも広がっている。あの森を境界線として、他の貴族寮と接触している。

 君の愛しの古龍の力さえあれば、領土はさらに拡張され、いずれこの国――」


 未だに高説を垂れる貴族の声は、すでにアラドンの耳には届いていない。

 久しぶりに見た森側の街並みに、彼の視線は奪われていた。

 窓ガラス、その向こうの城壁のまた向こう。そこに、彼女がいる。

 そう思った時、視界のずっと先に、小さな点が見える。次第に大きくなるそれは翼を広げ、白銀の羽毛を身に纏っている。



 まるで弩から離れた矢のように、真っ直ぐにアラドンの元へと飛んできた。











※アルティニーナの故郷やアラドンの故郷を含めた、大陸にある国の名前。大陸東端に位置する。貴族の男の言う通り、複数の貴族や教会と王家によって運営される。

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