4-4:ニーナの倒した魔猪「ボルフハジール」

「問題ない。君には、今この国がどういう状況なのか、まだ話していなかったね」


 貴族の言葉に、アラドンは警戒を強めた。


「実は、今この国は内乱状態一歩手前でね。先代国王陛下が後継を定めずに崩御した。そのため諸侯は各々の支持者を示した。その際、遠縁の王族を見出す者もいれば、私のように直系を支持する者もいる。私はこれでも公爵でね、一勢力を担っているのさ」


 そう言って、貴族の男は傍らにある調味料のビンを、机の上に並べ始める。


「君がこの赤いビンの方だとして、君とは別に支持されているのが、この白と黒のビンだとする。私はもちろん君を支持するが、他の貴族や、中には教会の司祭たちは、他の王位継承者を支持している」


 机に置かれた花瓶から、数本の花を取ってビンの後ろに並べる。


「今各地の勢力は、誰が誰を応援するかを決めあぐねている。魔物の活発化が激しく、今はそんなことをしている場合じゃないというがね、むしろ私はやるべきだと思う。正しき王が居てこその王国だ。そして、私が率いる勢力の王は、君だ」


 トントン、と赤いビンを指で叩く。


「他社によって選ばれる王の問題は、王自身にはない。それを擁立した選定者なんだ」


 王位継承問題――それはいつだって国の悩みの種だ。

 各継承権持ちの支持者は、この男のような公爵もいれば、この街から離れた場所にある国の首都に務める宮中伯、教会の大司教、将軍なども含めるという。

 場合によっては、大きな武力によって決められることもある。


「だが君は、どの国王候補よりも有利な立場にあるんだ。なぜかわかるかい?」

「……あんたに選ばれたから?」


 アラドンの問いかけに、貴族の男は吹き出した。声を挙げて笑う姿に、アラドンは首を傾げる。


「違うのか?」

「いやぁ~、そういう素直な賞賛と言うのは久しぶりで嬉しくてつい。すまない。いやいや、私の力の問題じゃないのさ。私が君を擁立すれば勝てると確信したのは、あの森で君を見つけた時だよ」

「……まさか、あんたの言う有利な立場って――」


 強く肯く貴族の男は、その細長い指をアラドンへ向けて突き立てる。


「そう。君は竜の庇護を受けた。その庇護は、君だけではなく君を擁立した者、君の治めるもの全体へと波及する。望むと望まざるとに関わらず、あの竜は君を守りたくてしょうがないようだからね」


 男の言葉に、アラドンの中に怒りがふつふつと沸き起こる。

 まるで彼女のことを利用しようとする男の態度が、何よりも気に入らない。


「じゃあ、お前はニーナがオレを守っていると知って、やってきたのか……」

「隣の領地で君の姿を見たと、部下から報告を受けた時は驚いたものさ。古龍の贄に差し出した盗人が逃げ出したのかと思った。……が、違った」


 貴族の男の部下が跡を付けたところ、街の外で突然少女が竜に変わり、それきり姿を見失ったのだという。

 アラドンは、おそらく祭りから帰るときにニーナが竜に変身したところを見られたのだろうと理解する。

 驚くべきは、この男がそんな些細なことからアラドンの状況を看破して見せた洞察力の高さだ。


「君が竜と森に帰ったという信じがたい報告の後、必死になって古い記録を調べたんだ。そして黄金による契約を持ちかけていたとわかってね。一番新しい記録でも、五百年以上前になった。どうもしばらく人と竜の交流は途絶えていて、今の竜にそれが通じるかどうか、半信半疑ではあったよ」


 しかし、その賭けにこの男は勝った。ニーナに契約を取り付け、彼女が守る少年を傀儡の王として貰い受けた。


「最っ高だったね! まさか古龍の感性があんな少女のように繊細とは思っていなかった! おかげでどの領主たちにも勝る絶対の矛と盾を得たのだよ!」


 期間は有限――とはいえ、魔物からも、まして街を襲う存在から守ってもらえる。その契約自体に間違いないはない。


「昨日も、そしておそらく今日も、あの古龍は私の街のために働いてくれるだろう。選王侯の時には領主間での対立が激しくなることが多くてね。魔物の活性化は、どっかのバカが他の領主を攻撃するために仕組んだんじゃないかと疑っているくらいさ」


 地方貴族による王位継承者の擁立――そこにあるメリットは、さほど大きくはない。

 たとえ公爵位だとしても、あくまで国に仕える一領主だ。宗教的指導者でもなければ、軍事的指導者でもない。

 領地の周り全員を敵に回す行為は、あまりにも危険が過ぎる。それこそ国を二分するような大貴族にでもなっていなければ、行動に移すことは難しい。


「けど、あんたには勝算が生まれた。魔物の活性化っていう危険な時期でありながら、領地を守り、傀儡の王を擁立するだけの余裕がある」

「その通り。全ては、君が居てくれたからさ」


 最強の戦力――白銀の古龍アルティニーナという存在。アラドンに付随する彼女がいればこそ、この男は勝負に挑むのだ。


「君が以前住んでいた教会。あれは、竜奉教会の教会だったね」

「竜奉教会……それがどうかしたか」

「君はあの教会のことを、どこまで知っているかな」


 アラドンをはじめとした孤児の何人かは、竜奉教会の修道士に世話になった時期がある。寝床と食料、簡単な仕事を与えられていた。

 しかし、すぐに立ち行かなくなり修道士は街から離れ、残った建物は孤児たちの溜まり場になった。

 考えてみれば、修道士には世話になったが、教義のことなどは全くわからない。


「さぁ、ほとんど知らない」

「竜奉教会は、この大陸では最も信者の多い宗教でね。かく言う私も、竜奉教会信者の一人と言うことになっている」


 その態度から、この男がどれだけ宗教に熱心なのかよくわかる。

 信者に登録されているだけで、実際に信仰しているかどうかは別の話だ。


「竜を神の使いと奉り、日々の生活と発展を竜に感謝する……正直他の宗教も併せてどうでもいいと思っていたのだがね。最近熱心に勉強しているんだよ、私も」

「ニーナが、この街を守るから、か」

「そうだ。竜奉の民を守る白銀の古龍。これこそこの街が、そして君が! 神に選ばれた確たる証拠になるのだよ!」


 男の背後から、何か後光のようなものが差し込む光景を、アラドンは幻視する。絶対的な自身と期待感によって構成されたプライドが、アラドンを一瞬怯ませる。

 そんな彼に対し、男はさらに言葉を続ける。


「私は宗教的指導者でなければ軍事的指導者でもない」


 領主である以上、軍事力も求心力も持ち合わせている。ただそれは領地の、街の内側に留まるものだ。外に影響を与える力ではない。

 しかし、竜の庇護は、明確に外部からの認識さえも変化させる。


「竜に選ばれている――その物証が目の前にある。竜に守られたものを、どうして竜奉の民がないがしろにできるというのだ」


 巨大な戦力、大多数の支持、その二つを得ることができるのだ。この男の勝利への確信は、ゆるぎないものだった。


「いやまったく、君が生きていてくれて本当によかった」


 がらりと、男の雰囲気が変わる。

 緊張感のない声は、純粋な感謝だった。純粋すぎて、一切の裏表も配慮もない。まるで悪魔に感謝されるような気分を、アラドンは味わっていた。

 言いたいことを言い終えて、すっきりしたとでも言いたげな顔で告げる。


「実は、少し前に我々が推していた国王候補が暗殺されてね。次の候補者を探していた時、君が生きていると聞いたんだ。こんな幸運はないと思った」

「候補者が暗殺されているから、オレでいいと思ったんだな」

「血を引いているかどうかは正直関係ない。君が赤い髪を持っていて、竜の庇護を受けている。重要なのはこの二点だけだ」


 最初は妥協くらいの考えだったはずだ。しかし、今では最高の案だったと自負していることだろう。


「黄金集めに時間がかかったから、半年も経って来たのか」

「さすがにあれだけの量を集めるのは骨が折れた。しかし、その価値があったよ。君はとっくの昔に食い殺されているかもと思っていたから、せめて古龍の庇護だけは受けないといけないと思っていたんだ。予想外に、両方とも手に入ったけれど」


 屈託なく笑う顔に、アラドンの中で苛立ちが募る。


「あんなトカゲモドキに、私たちの大切なおもちゃが壊されてなくて、よかった」


 握りしめた指の爪が、掌に突き刺さる。ニーナを――竜を馬鹿にする言動が、たとえ竜奉教会の信徒でなくても許せない。


「だがおかしな話もある。君を古龍のもとから連れ帰り社交界に出した。それだけでこの一か月話のネタに困らない。まったく、みんな竜に幻想を見過ぎだ」


 本当に、おかしな話だった。アラドンも、そのことには同意する。

 道具いらずのアラドンと呼ばれるほど巧みな手際を誇った盗人が、貴族に捕まり古龍との契約の道具にされた。

 そしたら古龍の厚意で解放され、彼女が用意した道具を使って作物を育て、ワインを作り、冬至や新年を祝った。

 さらに今度は貴族の玉座簒奪のための道具になる。

 道具になったり使ったり、忙しい半年だった。


「そうだ。たった半年。それだけで、全部変わったんだ」


 今この状況は、きっと盗人のころに比べれば天と地ほどの差のある生活なのだろう。

 けれど、今は幸福な時間というわけじゃない。

 こうなりたいと思った人生じゃない。

 満たされた日々ではある。

 なのに、温かみはなく、息苦しさだけが喉を締め付ける。

 胸の奥に日に日に溜まっていく感情がある。ひどい空腹に似た、想いが募る。


「あんたの言う通りだ。竜種に誰もが変な想像を重ねて、恐ろしいものだと思わせる」

「実際この二か月、魔物の数が激減しているのは白銀の古龍のおかげだろう? 恐ろしく強いという意味では、事実だよ。この間も、魔猪を討伐してくれた」

「それが以外の事実があるって、なんで誰も気づかない!」


 立ち上がった少年は、肉切り用ナイフを右手に掴み、真っ直ぐに貴族の男を見る。それに気づいた貴族の男は、見下すような視線を彼へと向ける。


「何の真似だい?」

「彼女は、オレに生き方を教えてくれた」


 それは、野菜を育てること。ワインを造ること。一年の終わりと始まりを祝うこと。

 彼女との日々のどれもが、ずっと人間らしい生き方だった。


「オレは、お前のために生きるなんてまっぴらだ」

「人並み、いや、人以上の幸福な暮らしを、君は捨てると?」


 蔑む視線と言葉に、アラドンは叛意を持って言葉を返す。


「人形ごっこがしたけりゃ他でやれ。オレはお前のものじゃない!」


 明確に、アラドンは抵抗の言葉を示したのだった。







※アルティニーナが倒した巨大なイノシシ。肉は美味だが皮が分厚く加工は難しい。街に向けて突撃してきたのは、他の街の人間の工作があったものと思われる。

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