4-3:竜奉教会ヘルツォーグ支部
翌朝、厳重なカギと警備の兵士に守られた扉が開かれる。
「朝食のご用意ができました。食堂までお越しください」
アラドンの部屋は、鉄格子に加えて常駐の兵士が立つようになった。
綺麗な絹製の服に身を包んだアラドンは、従者に連れられて巨大な食堂へと辿り着く。
「今日は急にどうしたんだ。いつもなら部屋に朝食が運ばれるのに」
「ご当主から大切なお話があるということですので、朝食のついでにお呼びするように言付かっております。詳しくは、ご当主から直々にご説明があると」
本来なら、アラドンがこの屋敷の食堂を利用することは許されていない。
――というより、あの無断外出以前から、部屋の外に出ることも許可が必要だった。しかし今は、許可を求めたとしても完全に部屋から一歩も出さないような雰囲気だ。
それが翌朝になってみたら一転。いきなり食堂に来いという。
大理石調の机に真っ白なシーツが惹かれ、二十人ほどが囲んで食事を摂れる長机が一つある。その両端に、これまた高級そうな椅子が一つずつだけある。
入ってきた扉に近い方の椅子にアラドンは腰かけた。
ナプキンを用意され、焼き立てのパン、そして新鮮なサラダに腸詰の蒸し肉が並べられる。これが昼になれば量が増え豪勢になる。夜にはより豪勢なものになるか、多くの貴族が集まる宴に出かけ、見たこともない高級料理を出されるだろう。
この屋敷に来て一か月のうちに言語やマナー、食事作法を仕込まれた。
次の一か月は度々馬車に揺られて遠くの街に出かけ、またはこの屋敷で他の貴族の来訪を迎え入れた。むしろ勉強の機会の方が少なくなったくらいだ。
アラドンは当主の隣に立ち、何度定型の挨拶やお世辞を繰り返したか。
孤児だったころの生活に比べれば、何ひとつ不自由ない生活だ。人間らしさを犠牲にした自由が、今日は朝食から始まるのかと思う。
ガチャリと、食堂の扉が開かれる。アラドンは立ち上がり、入ってきた男を迎え入れる。ずいぶんと慣れたものだと、内心自嘲する。
入ってきたのは、金髪の貴族の男――この街の領主だった。
「やあ、アラドン君、おはよう。話はあとだ。まずは朝食をいただこう」
彼が対面の椅子に座ってから、アラドンは椅子に座る。そしてナプキンを首に巻き、最後のスープが出されるのを待ってから、パンに手を伸ばす。
新しい小麦を使った白いパン。街の住民が普段食べるものに比べて、ずいぶん柔らかいものだ。サラダは瑞々しく、スープはしっかり野菜や肉の旨味が溶け込んでいる。
……なんか、味気ない。
数口食べたところで、ふとそんなことを思う。口に運びかけたスプーンを、そっと皿に戻した。傍らにあるパンとサラダも、少し食べた状態で傍らに置く。
それを後方で待機する侍女が目にする。
「アラドン様、お食事が進んでいないようですが、お気に召しませんでしたか?」
「……いや、問題ない。すぐに食べるよ」
何かあったかと思われれば侍女か誰かが声をかける。
道端の空腹で倒れた子どもには視線すら向けないはずの者たちが、何もなくても聞いてくる。そんな彼ら彼女らは、どこか人形のように無表情で、感情なんて欠片も持たない声ばかりが響く。
向けられる視線は無機質で、なのに決してこちらに無関心になろうとはしない。
ここまで自分に執着する理由を――監視する理由をアラドンは大方理解できていた。
食事を多少強引に終える。対面に座る男はゆっくりと、優雅に食事を勧めている。まだ少し時間がかかるだろうが、そんなことはアラドンには関係ない。
「そんなに玉座が欲しいのか、あんたは」
突然の問いかけに、貴族の男は顔を上げる。相手は少し意外そうな顔をしてから、にたりと笑う。そしてナプキンで口元を拭ってから応えた。
「それは正確ではない」
どこか気取った口調で、貴族の男は応える。
「私が欲しいのはその隣だよ。王の代弁者、摂政の地位だ。いろいろ勉強させているから、理解はできるだろう。傀儡の王というものを」
アラドンは小さな舌打ちを混じらせながら、下瞼を押し上げる。噛みしめた歯をむき出しにして、今にも飛び掛かる獣のような顔になる。
「おやおや、そんな怖い顔をしないでくれ。この先きちんと勉強すれば、何不自由ない生活は確定し、食べ物に困ることはない。演劇、拳闘、歌に美女、この世のあらゆる娯楽を楽しむ権利を与えられるんだ。嬉しくないのかい」
「今までの生活と違いすぎて、気持ち悪くなるくらいだ」
字面通りのことを言っているわけでもない。どちらかと言えば、お前を人形として生かしてあげる、そう告げられているのだ。それで苛立つのは当然だ。
「慣れるには時間がかかるからね。もう後半年続けたまえ。以前の暮らしなどゴミほどの価値もなくなる。まして、貧民街での暮らしなどもってのほかだ」
貴族の男はそれを慣れの問題だと判断する。余りも差が開きすぎていて、状況が呑み込めないだけだと諭す。そんな彼の態度に、アラドンは首に巻いたナプキンをぐっと掴むと、勢いよく引き抜いて床に叩きつける。
「孤児院の代わりとなっていた教会が、焼かれていた。昨日、見たんだ」
「兵士から聞いているよ。まさかあの部屋から脱出できるとは思っていなかったよ。道具いらずのアラドンと呼ばれただけのことはある」
肩を竦める貴族の男に、アラドンは語気を強めながら訪ねる。
「なんであの教会を焼いた。半分潰れかけていたとは言え、孤児たちが集まっていた場所だぞ」
「安心したまえよ。子どもたちは全員壁の修繕に駆り出してから焼いたのだ。さすがに私も、子どもを焼くのは気が引けてね。だが貧民街の住民にはいい見せしめになった」
自分の手足が汚れることを嫌がり、避難前に焼かなかっただけだ。決してそこに道徳心や優しさがあったわけではない。
「だがもう君が気にすることじゃないさ。彼らとは生きている世界が違うのだからね」
「元々そんな世界で生きていた奴を、王にしていいのかよ」
「問題ない。君には、今この国がどういう状況なのか、まだ話していなかったね」
物々しい雰囲気に変わった男の様子に、アラドンは眼を細めた。
※ヘルツォーグに設置された竜奉教会の教会。財政難にて閉鎖。跡地は本文の通り孤児たちのたまり場になった後に燃やされた。
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