Act.4 古龍少年を欠く
ニーナがアラドンを人の元に返してから、すでに二か月。
空へと舞い上がったニーナは、白銀の翼を広げて浮遊する。
眼下には防壁に囲まれた街が存在し、普段過ごしている森も遠くにある。
『ここが、アラドンくんの住んでいた街……』
さほど高くない山のふもとに存在し、山からの水源や動物資源に恵まれた街だ。
森を迂回する必要はあるが周辺にある大きな街までもさほど遠くはなく、平原も多く農業も盛んに見える。
『人口の増加が、魔物の増加の遠縁というけど、どうかしら』
山を削り、森を開き、川を曲げ、人々は生きるために土地を変える。
先代古龍から任された森と、その周辺地域の守護こそが、現代古龍の役目だ。それぞれの生きる範囲を守り、お互いを潰し合わないように調整する役目が、この領域の管理者にはあるのだ。
たとえ人間がその存在を忘れようとも、竜は自らの使命を忘れない。
『あなたたちは、少々増えすぎのかもしれませんね』
人間の街へ迫る巨体が、土煙を上げて疾走する。巨大な牙と、人の家なら一飲みに出来そうなほど巨大な口を持つ体もまた巨大。魔猪と呼ばれる災害の化身だ。
漆黒の鉄のように固い体毛に、城壁を突き崩す牙。この百年、人の目に触れたこともないほどに希少で危険な魔物だ。
お伽噺に語られるような存在が、街へ目掛けて一直線に進んでいた。
大きく成長したオオムギに惹かれて来たのか、それとも誰かが命知らずに手を出して招き入れたか、ニーナにはわからない。
ただ、契約がある以上、彼女は戦う。
はるか上空で旋回し、翼と手足を折りたたみながら降下態勢に入る。
『……少し、八つ当たりさせてもらいます』
大気の壁を突き破り、白銀の古龍が魔猪との交錯点へ向けて一気に突き進む。
「ブゥォォォォォオオオオオッ!! ――――ォッ?」
気分よく、少なくとも障害など一切ないはずの農耕地帯を我が物顔で進んでいた魔猪にとって、それは青天の霹靂に似たようなものだった。
振ってきたのは、雷ではなく白銀の古龍であるが。
『〝沈みなさい〟』
古龍の放つ言葉、世界の法則を変える命令に等しい。叩きつけられた尻尾が魔猪の頭を地面にめり込ませた。それでも魔猪の勢いは止まらず、高いところから手放した果実のように、黒い毛皮に包まれたその体を地面に数度跳ねさせる。
竜の急降下から繰り出される尾の一撃を食らえば、大概の生物は絶命する。
しかし、魔猪は魔物の中でも上位に存在する危険な存在だ。尾の一撃程度では転びはしても絶命することはない。
「ブゥゥウウ……ボォォッ!」
怒りに咆哮を打ち上げ、豚の原種とは思えないほど鋭く並んだ牙を見せる。肉食のトラやオオカミの牙が可愛く見えることだろう。
古龍にとって見れば、その程度の牙はなど木々のささくれ程度。
「ブボォォォォッ!!」
魔猪は後ろ足で地面を削り、踏み込みのための穴を掘る。
しっかり足を固定し、体に勢いを乗せて突進する。
それは破城鎚の何十、何百倍もの威力を持つ攻撃だ。
人間たちならば気まぐれで止まるか脇をすり抜けることを祈るしかない災害のような突進を、白銀の古龍――ニーナは振り下ろした前足で叩き潰す。
『ガァッ!!』
人間の姿を取った彼女と同じ存在だとは思えないような恐ろしげな咆哮を放ち、魔猪の心臓を踏み砕く。
大きさはさほど変わらないと言っていい古龍と魔猪だが、その力には圧倒的な差があった。百年に一度の災害を、古龍は力尽くで鎮めてみせた。
「ふふふ、素晴らしいじゃないか。我らの守護竜は」
その様子を城壁の上から眺めるのは、ニーナが守った街の領主である貴族――ニーナのもとにアラドンを送り、そしてまた連れ去った男だった。
傍らに控える部下へ望遠鏡を渡すと、気分よく城壁の上を歩く。
彼の眼には、度重なる襲撃で崩れた壁の一角が見える。
古龍との再契約が、実に二か月。契約前に比べて順調な毎日だった。
「今年は様々な収入が減少するかと懸念されたが、あの竜のおかげで上方修正できそうだ。まったく、いい出会いだったよ」
視界の隅で、巨大な炎が膨れ上がったのが見える。
魔猪へのとどめが完了したらしいと理解すると、もう一度望遠鏡で竜の姿を見る。
白銀の羽毛が太陽光に照らされて美しく輝き、一切の傷を負うこともなく魔猪を撃退した。その姿の、なんと美しいことかと、彼は賞賛の拍手を鳴らした。
「順調順調。魔猪の遺骸を回収に向かわせろ。城門に飾り我が街の意向を示すのだ。他の都市の奴らも、これも見れば力の差を理解するだろう」
彼の言葉に部下は御意と返すと、城門が開いて馬が走り出す。
ニーナの倒した魔猪は、様々な活用法がある。折れた牙や骨は様々な素材になり、引き裂かれた革は鉄より頑丈な布となる。
しかし、その最たるは周辺に対する威嚇の象徴であろう。魔物も人間も、巨大な存在には恐れる。首を防壁の門に掲げるだけでも、魔物への対抗策となるだろう。
いつか契約が切れる古龍のことも考えて、貴族の男はできることを進めていく。
「さて、殿下の教育具合はどうだ?」
自身の仕事部屋に戻る道すがら、部下へと尋ねる。
「アラドン様は本日も良く勉学に励んでおり、教師からの覚えはよろしいようです。ただやはり育ちゆえ、粗暴でマナーに無頓着な点は、未だ改善の余地が見えず……」
「なに、多少粗暴なくらいが可愛いじゃないか。部屋に引きこもられるよりいいさ。外に行くときも客を迎える時も、黙って挨拶だけはできるようになったんだから」
嗜虐的な笑みを浮かべる男は、腰に巻いた鋭く長い鞭に手を添える。
「初めて会った時と同じように反抗的だったらどうしようかと思ったが、従順なのだから、困るわけではないよ」
そういうが、彼の顔には隠しきれない退屈さが現れている。
「まぁ、わたしとしては少しくらい反抗的なのが、好みなのだけどねぇ」
クックックッ、と喉を鳴らす主に、部下は何も言わない。ただ無感情に、アラドンのこれからの予定を伝えていく。
「何か、不満を漏らしたりはしていないかい?」
「おおむね従順です。古龍が空を飛んでいるとそちらに意識が向いているようですが、会いたいなどと言うこともありません」
「そろそろ自分がどういう立場なのかはっきりと伝えてみるのも、いいかもしれない。少しは揺らぐかもしれない」
主の発言に、部下は首を傾げる。
「よろしいのですか? 余計な情報は反発を招くだけですよ」
アラドンのことを心配しているわけではない。この主が、アラドンを壊してしまわないかと言うことを、心配しているのだ。
「私だってそのくらいはわきまえている。心配しないでくれたまえよ」
はははっ、と笑いを零す主に、承知しましたと部下は答える。
本当に大丈夫だろうかと、内心思いながら反論はしない。この主の性格は、部下一同よくわかっていた。
「明日の朝食には、彼も呼んでくれ。久しぶりにきちんと顔を会わせて話し合おうじゃないか。なんせ私は――彼の後見人なんだから」
部下への通達を済ませた男は、自らの仕事へと戻っていく。
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