3-4:竜式魔法「ザラッハルーアッハ」

「――君と……」


 アラドンの言葉を遮るように、ニーナの手が彼の口元に伸びる。

 突然のことに驚愕しながらも、竜の膂力で押さえられた口からは声が出ない。そして彼女の体が巨大化したかと思うと、覆いかぶさるように白銀の毛が出現する。


「ニーッ……ナ!?」

『静かに』


 彼女はその姿を白銀の古龍へと変化させていた。

 ズンッ――と大地に激震が走る。同時にそれをかき消さんばかりの行軍の足音が、地面を伝ってアラドンの耳に届く。

 何かが近づいている。それを知ったから、彼女は竜の――古龍の姿を取ったのだ。

 声は止められたが拘束されているわけではない。彼女の腕からするりと抜けたアラドンは、その巨体の陰に隠れながら、周囲を警戒する。

 そして、足音の位置は次第にはっきりとわかってきた。


『我が領土に、何故踏み込んだのですか』


 彼女の視線は、街の方角へと向けられていた。

 彼女の腕の影からそちらを見たアラドンには、見覚えのある人物が映る。アラドンに生贄になるよう告げた人物。

 彼がいた街を領地に持つ、貴族の男だった。


「……ッ!」


 出しそうになった声を自分の腕を使って抑え込むと、ひっそりとその様子を観察する。


「突然の訪問、どうかご容赦いただきたい」


 よく手入れされた金髪を靡かせる長身の貴族は、優雅な足取りでニーナの前に膝を付く。彼女の牙からわずかに噴き出る炎を恐れもせずその少し高い声で告げる。


「ご機嫌麗しゅう白銀の古龍よ。先年は我らの無知により不要なる贄を出したことを、まずはお詫びさせていただきます」


 どうやら、彼らもニーナの求めるものが肉ではなく黄金だと知ったらしい。彼の後ろからは荷台に乗せられた黄金や宝石が見える。

 ガラガラと荷車が彼の隣に付くと、陽光を反射する財宝がいっぱいに詰まっていた。


「どうか、この黄金を持って我が街の守護契約をお願いいたしたく思います」

『期間は有限となりますが、それでも?』


 今まで聞いた事のないような、威圧感の籠った様子だった。頭の中に響く声に、兵士たちの顔は青ざめ体は震えている。


「問題ございません。我らとて、偉大なる竜を飼いならそうなどと言う不埒な考えは持ち合わせておりませぬ故」


 だが、貴族の男は一切ぶれることなく言葉を続ける。

 正統なる対価、それを差し出すことができれば、竜はそれに応える。そこにあるのは感情ではなく義務、この男はそのことを理解していた。


「そして願わくば、以前差し出した贄の少年をお返しいただきたく思います」

『……なぜ?』


 突然の注文に、ニーナの語調が少しだけ崩れる。古龍の見せた動揺の兆しを、貴族の男は逃さない。


「我らが無知蒙昧であったが故に、いらぬ贄を差し出す愚を犯しました。そして同時にまた一つ、哀れなる振る舞いを我々は犯してしまっていたのです!」


 芝居がかった物言いと、崩れ落ちるような仕草は、ここが劇場であれば客の笑いや同情を誘ったかもしれない。だが、今必要なのはそんなものではない。


「彼の少年はやんごとなきお方のご落胤。どうか、彼の少年をあるべき場所へとお返し下さいますよう、お願いいたします」


 礼儀正しい、けどどこか人形めいた動きで、貴族は金髪の頭を深く下げる。

 彼の発した言葉に、アラドンは沈黙に耐えられなかった。


「ちょ、ちょっと待てよ!」


 ニーナの身体から離れたアラドンは、彼女が止めようとするのも聞かず、貴族の前に立つ。その赤い髪を見た貴族の口元が、大きく三日月のように吊り上がった。

 背筋にゾッと怖気を感じながらアラドンは問い質す。


「ご落胤って、どういう意味だ……」


 むろん、言葉の意味を聞いているのではない。


「おお殿下。その赫々とした髪は、間違いなくやんごとなき血筋の証!」


 芝居がかった物言いだが、彼は間違いなく言った。

 やんごとなき血筋――アラドンは何かしら、貴族や王族といった存在の血を引いている者だという。


「殿下……? 王家の、血だっていうのか」

「その通り。さすがは高貴なる血。たとえ孤児として育とうとも、聡明でよき理解力をお持ちでいらっしゃる」


 どうやら、こちらをおだてたくて仕方ないらしい。アラドンは混乱する頭の片隅で、場違いなことを考えていた。そうでもしなければ、突然の言葉に頭が破裂しそうだった。


「さぁ、わたくしめとともにまいりましょう!」


 爪が磨かれて綺麗に整えられた、薄い白い手が差し出される。

 貴族の言い放った言葉を理解するのに時間がかかり、アラドンは動けずにいた。

 何かに支えられなければ、思考が停止してしまう。言い放たれた言葉が頭の中でぐるぐる周る。理解しても納得することができない。


『アラドンは、あなたたちの国の王の子だったということですか?』


 代わりに問いかけたニーナの声で、ようやく気を取り直す。さすがに当人よりかは冷静だった。

 質問に対し、貴族は無駄に大きな動きで肯く。


「母は王族の者ではないですが、その通りにございます。我が王は、心苦しいながら自制が足らなかった時期がございまして。しかし、今はそれに感謝するところ!」


 権力者が側室を持つことはよくあることだ。相手が同じく権力を持つ者であれば問題ないが、そうでないときは――。


「我々が調べたところでは、市井の者であったようで。王の子を身罷ったとは本人も自覚がなかったらしく、まさか生まれた子が孤児になろうとは、誰も思いもしなかった」

『その孤児を、なぜ今さらになって探すのです』

「血は血。たとえ誰との間であろうと、陛下の血を引くことに変わりはないのです」


 何かしらの理由で、アラドンと言う王の血筋を引く者が必要になったのか。この貴族はそれを探し求め、彼に行き着いたのだ。


「古龍殿、殿下をお守りくださったお礼に、我らは契約の黄金のみならず、宝石も献上いたします。ですので、どうか」


 つまり、これでアラドンを自分たちに寄越せ、ということだろう。


『わたしに一度は差し出した贄を、あなたは返せと言うのですか?』

「心苦しいながら! 殿下のことをお守りくださったことは心より感謝いたしております。古龍殿も殿下のことをお気に入りになられたご様子。なればこそ、彼は人間、そのことをどうかお考え下さい」


 ニカリと笑った顔を、ニーナの翡翠色の瞳が睨みつける。


『そういうことですか。……そう言いたいんですね』


 白銀の尾が振るわれ、近くの木が薙ぎ倒される。貴族の護衛についてきた騎士たちが、一斉に武器を構えて警戒する。切っ先が震えているため半ば自棄になっただけかもしれない。竜の膂力に人間が正面から対抗できるわけがない。


「竜の中でも上位種である古龍は、明確な寿命が存在しないと聞きます。だが我ら人間は百にも満たない年月しか生きられない。ならばどうかそのわずかな時を、人間は人間のために、使い切らせていただきたく」


 貴族の男は、そんな状況でも決して怯えも震えもしない。自信ありげに口を開き続けていた。

 ニーナの地面を掴む前足に力がこもり、その牙を剥き出しにする。

 だが、人間一人に怒りのまま力を振るうなど、古龍と言う存在の誇りが許さない。

 それをわかっていて、この男は余裕な表情を崩さない。


「王? ……オレの、血が、王家の?」


 一方、ようやく話の内容を呑み込んだアラドンは、自分の手を見る。

 赤い肉刺のできた手だ。クワやスキを振るい、ワイン樽を運んでできたものだ。王侯貴族のように剣を振るってできたものではない。

 きっと、やんごとなき、などと言われる者たちが付けるものではない。

 つい数か月前までは栄養が足りず、筋肉が足りず、脂肪も足りず、寒さにガタガタ震えていたこの手が、王に類する者の手だというのか。

 道具いらずと言われ、いかなる場所でも素手で盗みを払いて来た者の手だ。

 いつの間にか盗むことを忘れ、働くことを覚えた手だ。


「改めまして。供に参りましょう、殿下」


 少年の自答は、それに否と答えを出す。


「オレは、そんな――!」

『構いません。わたしはアラドンの主ではありませんし、彼は春にはここを出る予定でしたから』


 隣から冷静に告げられた言葉に、彼は出かけた声を失った。

 振り向き、白銀の古龍の姿を見上げる。その顔は、人間のころと比べて表情を読み取ることができない。

 若干細められた眼が、俯いているかのようにも見える。


『アラドン、あなたは、人です。人は、人の中で生きるべきです』

「だけどオレは、今までずっと……」


 ニーナが何を言っているのかわかりたくないと、アラドンは首を横に振る。


『ずっと苦しい思いをしてきたから、あなたが幸福になる番が来たんです。王の一族とわかれば、きっと幸せな暮らしが待っています』


 ニーナの視線は、困惑するアラドンから貴族の方へと向ける。


『あなたからも、価値あるものをいただきました。もう、ここにいる必要はありません。迎えも来ました。ここを去る時が来たのです』


 ひどく、冷静な語調が頭の中に響く。表情のほとんど動かない古龍の姿に対し、少年の顔はだんだんと歪んでいく。


「待ってくれ。人のことなんてどうでもいい。まだ春植えのジャガイモがあるんだろう!? イチゴのジャムを作るって言ってじゃないか! 夏になればトウモロコシを収穫するし、また秋にはブドウだって……」

『いいえ。わたしの手元に黄金があります。ならば、もう畑など不要でしょう』


 捲し立てるアラドンの言葉を、ピシャリと遮る。

 黄金――それ以外に古龍の求めるものなどない。


「だけど! 伸びた背を測るって……オレのことを、ずっと覚えていてくれるって!」

『いいえ。もうあなたのことは、人間たちが覚えておいてくれる。国の王となれば、あなたはきっと、誰にも忘れられない。わたしが居なくても、大丈夫なんです』


 突き付けられた言葉に、アラドンは押し黙るしかなかった。

 見上げていた古龍の頭は、ゆっくりと彼から貴族の男の方へと向けられる。


『森の出口まで送ります。努々、二度と我が森へ軽率に足を踏み入れぬように』

「心得ております」


 慇懃な貴族の礼に、ニーナは目を閉じる。


「待て、待ってくれ、ニーナ!」


 涙を零しながら自身の白銀の体毛にしがみつく少年を古龍は――三百年生き続ける少女は、最後まで見ることがなかった。


「嫌だ。オレはニーナ――アルティニーナ! オレの幸福は、君と――」


 白銀の古龍は両翼を大きく広げ、風を生み出す。

 魔法の風が吹いた時、アラドンは後ろから引っ張られたような感覚を覚える。


 ……引きはがされる!?


 そう思って必死にしがみつくも、風は容赦なく彼を空に舞い上げる。

 同時に貴族たち含めて、アラドンの姿は森の中から消えていく。

 ただ一体残った白銀の古龍は、空を見上げる。


『さようなら、わたしの最後の……』


 街へと転移する少年の頭に、少女の泣きそうな声がわずかに響いていた。








※竜のみが扱える人知を超えた力の総称。輝く風を意味する古代の言葉とされる。

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