3-3:春植えジャガイモ「シェメッシュ」



「そういえば、アラドンくんって、少し背が伸びました?」


 本人はそんなアラドンの心情を知ってか知らずしてか、ずいぶんのんきなものだった。

 ポスン、と彼女の手がアラドンの頭に乗る。

 拳三個分ほどの距離があったアラドンとニーナの背丈が、ほんの少し縮んでいた。


「あ、本当だ。全然気が付かなかった」


 いつの間にか、視線の位置が高くなっている。あまり自分の視点が変わったことには実感を抱きにくい。この半年間という短い期間での変化でも、本人にはわからなかった。

 しかし、側にいたニーナには気づけた。

 たった半年、一緒にいた少年は成長している。

 三百年間すがたの変わらない、自分ニーナとは違って。


「本当なら、秋の時点でこの森を離れる予定だったんだよな」


 当初の予定状に長い期間、ニーナの森に世話になっていた。そのおかげで栄養たっぷりな食事を毎日摂取し、まだまだ成長期の少年の背丈はすくすく伸びていた。


「この調子だったら来年の今頃はわたしの背丈を追い抜いているかもしれませんね。さすがは男の子、成長が早いです」

「そっか、一年後……ニーナの……」


 戸惑ったように目を伏せるアラドンに、ニーナは首を傾げる。


「どうしました。何か、気になることでも?」

「いや、想像ができなくて。今まで生きてきて、一年後とか、半年後とか、明日どうなっているのかを、考えてこなかったから」


 改めて、これからどうするのかと、自分が自分に問いかける。

 ここを離れた後、どうなるのか、そんなものを考えるまでもない。

 今までと同じ盗人に戻るしかない。家もなく、信じられる者もなく、ただ孤独と暗黒な未来が横たわるだけの生活になる。


「オレは、これから何をして生きていくんだろう、って……」


 目の前を覆う枝葉をどけると、遠くに街の防壁が見える。壁の内側にいたころとは、何もかもが違う。


「そうだ! アラドンくん、家に帰ったら、柱のそばに立ってください」


 突然の注文に、少年は首を傾げる。


「なんで? 何がしたいんだ?」

「ふっふん。世の中にはですね、子どもの背丈が大きくなるとその度に柱に印を刻んでいくっていう習慣があるんですよ」


 子どもの成長の記念、という形で背の高さに合わせて柱に傷と日付を刻む。それは子どもの成長を見守る親が、いつか小さかったころ思い出を語り合うときの標になる。

 本人も、幼少のころを振り返るとき、どれだけ自分が大きくなったかを知るきっかけになる。


「……急にどうしてそんなことを」

「なんとなくです。だって、アラドンくんは今まで背の高さを測ってもらったことなんてないですよね」

「それは、もちろん」


 アラドンからの即答に、ニーナは気をよくしたのか捲し立てるように続ける。


「人は、生きていくうえで、何かを残すものです。成長の証も、生みだしたものでも、誰かがその人を覚えておいてくれるから、生きている」


 三百年、その間にニーナという少女のことは、誰も知らなくなった。彼女の親類は炎の中に消え、彼女を育てた古龍もどこかへ飛んで行った。

 今彼女を覚えているのは、不確かな伝承と、森の生き物たちだけだ。


「たとえこれから先、どんなことがあろうとも、わたしはアラドンくんを忘れません。その証を、刻んでおきたいと思ったんです」


 控えめなお願い――本来ならこの世全てを支配してもおかしくはない竜という中でも、特に巨大な力を持つ古龍が、何も持たないはずの少年に問いかける。


「いいな、それ」


 何も持たない少年が生きた証、それがもしもこの少女の元に残るのなら。

 そう思ったアラドンは、小さな笑みを浮かべながら答えた。気恥ずかしさでニーナのことを正面から見ることはできなかったが、快く了承する。

 すると、二人の間をふわりとした暖かい風が抜ける。冬の寒さを置いてきた、春の風だ。


「そう言えば、秋の間っていう話は、だいぶ過ぎちまったな」


 彼は、ワイン樽運びや畑を耕すために振るったクワのせいでできた肉刺まめを弄りながら言う。綺麗な白っぽい麻服に包まれた体には、もう擦り傷の跡など一か所もない。

 けれど、固くなった掌には今までなかったものがある。

 夏に出会い、二つの季節を経て春になった今、固くなった掌と合わせて、時間が経つのを実感した。ニーナは春風に靡く髪を抑えながら、彼に問いかけた。


「……春植えのジャガイモがあるんです。それもやっていきませんか?」

「そうだな……」


 道具いらずと言われた盗人の手は、いつの間にか農具を扱う手に変わっていた。

 だからすでに、彼の中にある想いが芽生えていた。

 素直な言葉にできないのは相変わらずだけれど、言うべきことがあることは、アラドンもわかっている。


「しょうがねーな。古龍様の頼みとなら、断れねぇし」

「そういう呼び方は禁止って、最初のほうに言いましたよね!」


 アラドンの素直ではない返事に、ニーナは怒ったふりをして抗議する。

 すでに半年以上ニーナと共に暮らしたアラドンの外見で、変わったのは背丈だけではない。肌は張りを取り戻し、痩せていた手足に十分な筋肉と必要な脂肪がついている。

 初めて会った時とは見違えるほどに、彼は多くが変わっていたのだ。

 唇を尖らせるニーナの方に視線を向ける。

 一度目を閉じてから、静かに開く。ゆっくりと顔もニーナのほうへ向けていく。

 その表情に、最初に出会ったころにあった警戒心や恐怖は欠片もない。


「街にいたころに比べれば、断然いい暮らしだった」


 この半年間を噛みしめるように、一語一語を言葉にする。そうすると、ニーナの尖っていた唇は引っ込んで、少しずつ口角が上がっていく。


「父も母もわからない。街のゴミ溜めで育ったオレにとって食えないのは当然で、食うには盗むしかなかった。それが今、こうして自分で作って自分で食べられる。全部――君が教えてくれたんだ」


 そう言うと、ニーナは照れくさそうにはにかんだ。人間など石ころの存在でしかないはずの竜なのに、こうしたアラドンの言葉の一つで表情を変える。彼女と一緒にいると、彼は思うのだ。

 胸の中で沸き起こる感情に、嘘は付けない。


「やっぱりオレは、ここで――」


 ささやかな望み、平穏な日常。

 もしかしたらそれは、誰かに踏み荒らされるために存在しているのかもしれない。





※春植えのジャガイモの品種。冬至祭の太陽を意味する古代語と同じ言葉から名付けられており、春の太陽を浴びて育つという意味から名付けられたと言われる。

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