Act.3 春が来て竜を呼ぶ



 新年――新たな季節の巡りを迎える、特別な瞬間。


 冬至祭からさらに寒さが一層厳しくなる中、二人は準備に追われていた。

 森の木々は葉っぱの残るものと散るものに分かれるが、家の周りの木々は大体散ってしまった。

 その光景は、アラドンに妙な寂しさを齎した。


「今まで、雪が降って、木が枯れることなんてただの季節の変化としか思ってなかったんだけど、なんでだろう」

「アラドンくんに、心の余裕が出た証拠ですね。そう言った季節の変化に心を馳せることは、芸術の始まりなんですよ」


 どこか誇らしげに語るニーナに、アラドンは首を傾げる。


「ニーナは、芸術とか得意なのか」

「からっきしだめですね」


 誇らしげに言われると、アラドンも返事のしようがない。不器用と言うわけではないだろう。だが、どうしたって苦手なものはある。


「でも気を付けないといけませんね。木々が枯れるということは、それだけ命の数も減ります。魔物の働きが活発になるのは、やはり冬ですから」


 そのことは、アラドンもいくらか理解していた。


「冬になると、臨時の外壁警備に大人たちが駆り出されることがあったよ。その時は食事も寝床も与えられるからってみんなそっちにいって、盗みは子どもだけでやってた」

「やはり街の方でも同じような状況なんですね。雪が降り積もる前に、柵や魔物除けの準備をしておかないといけませんから、頑張りましょうね」


 毎年やってきたことなのだろう。彼女は力こぶを造って見せると、アラドンは苦笑交じりに肯いた。



 そして、言った通りのことが起きる。

 畑や果樹園を囲むように柵を作り、その周りには魔物除けの香草を焼いた灰を撒いたり、木々に厄除けのシンボルを付けたりして、冬に向けての準備をしてきた。

 だが、それだけでは足りない部分がある。特に年末は、魔物たちも必死だ。


「ニーナ、五時方向から三体、いや、違う……頭が三つあるのかあのライオン!」

「多頭のライオン、ということは、隣にあるのはヤギとワシの頭ですか?」

「そうだ! 頭の複数ある魔物が、こっちに向かって来てる!」


 アラドンが雪の積もった木の上から報告する。森が騒がしいと感知したニーナとともに周囲を警戒していた時、彼の目に木々を薙ぎ倒す巨体が見えたのだ。

 新年早々騒がしいものが来た。


「良いですか、アラドンくんは絶対に近づかないように。あれは、わたしが対処しますので」


 木から降りたアラドンの目には、ふわりと浮き上がったニーナの姿があった。

 体内から光を放出し、銀色の翼を作り出す。

 その背に翼を広げ、尻尾を伸ばし、両手が爪を持つ腕に包まれた。強い羽ばたきでその体が天に舞えば、次の瞬間巨大な白銀の古龍が姿を見せる。


 収穫祭の帰り以来の古龍としての姿だった。ただし今回は、単純な長距離移動のためではなく、森への侵入者を撃退するための姿だ。

 ちらちらと舞う雪の中で、雪とは違う白さと、銀細工に似た輝きを古龍の毛皮は放っている。幻想的な光景に、アラドンは眼を奪われていた。


『それでは、行ってきますね』


 長い体をくねらせながら、森への侵入者――アルカミラと呼ばれる魔物へ向かう。

 アルカミラは巨体だ。

 頭が三つある分、支える体のほうが大きい。加えて翼まで持っていて、足の指は鳥の三本指のようだが、先端部分一つ一つが固く鋭い蹄である。

 奇妙な外見をしているが、危険な魔物であることに変わりはない。


「グォォォォォンッ!」

「メェェェェェェッ!」

「ピキャァァァァッ!」


 三つの動物の鳴き声が同時に聴こえてくる。中央のライオン、向かって右にワシ、左にヤギの頭がある。体に比べて頭一つ一つは小さいが、三つ合わせればちょうどいい。

 地上から天の古龍を威嚇するが、その程度に怯えるニーナではない。

 竜の最大の力をもってすれば一瞬で蹴散らすこともできるだろうが、それをすれば森が吹き飛びかねない。アラドンがいる以上、そんなことはできない。


『三百年くらい前は、力加減を誤って大変なことになりましたしねぇ……』


 もしかして、周囲の町からの信仰が途絶えたのはそのせいではないかと思い返すこともあったが、今の彼女にはどうでもいいことだった。


『接近して仕留めます――ッ!』


 雪の舞う大気を突き抜けていく白銀の古龍。

 アルカミラは負けじと翼を広げて飛び上がった。

 空中で激突する両者。振りかざす蹄をニーナは左右から前足を掴むことで抑え込む。

 ライオンの口が噛み付こうとして、ヤギの頭が角をぶつけようとして、ワシの頭が嘴で突こうとして頭を振るう。首は少し伸びるようで、三つの頭は器用にぶつかることなくニーナを襲う。


『これは、なかなか……ですが』


 ニーナは首を器用に動かして牙も角も嘴も回避すると、掴んだ両手を振り回して地面に叩きつける。加減しなければ発生した衝撃波で森が更地になってしまう。

 激しく起こした衝撃は刃となって森を駆け抜けることを彼女は知っている。


『本で読みましたからね、かまいたちというんでしたか』


 もしそれがアラドンに襲い掛かったらと思うと、むやみに衝撃波を造ることはできない。しょうがなく手加減することになってしまい、アルカミラはあまり痛みを覚えた様子ではない。雪が緩衝材になったのだろう。

 背中から叩きつけられながらもニーナに蹄を突き立て、白銀の羽毛をひっかく。


『その程度の爪で、傷つけられると思わないでください!』


 羽毛を数本掠めとるが、肉を傷つけられるわけではない。羽毛それ自体も鋼以上に強度を持ち、皮膚と筋肉にいたっては同じ竜以外が傷つけることなど不可能に近い。

 首を曲げて翼に噛み付くと、力任せに地面を引き摺り回す。


「グォォォォッ!?」

   「メェェェェッ、メッ!」

       「ピキャオ、ピッ……ピキャ……」


 引き摺り、放り投げ、むき出しの岩場に叩きつける。悶絶するところを踏みつけ、遥か頭上から睨みつける。

 そうなれば、ヘビに睨まれたカエル――否、最強生物に踏みつけられる下級生物だ。


『この森にあなたの血をぶちまけるのは、あまり好みませんし、アラドンくんの前に血まみれで戻りたくはありません。早々に、帰っていただきますか?』


 竜があらゆる生物の頂点に立つというのなら、たとえ魔物と雖も下位の存在だ。

 その言語は理解していようがいまいが、自らの眼前に存在する者に逆らってはいけないと、本能が理解する。

 よろよろと起き上がったアルカミラはフラフラと揺れながら、千切れそうに羽を散らす翼を引き摺ってその場を後にする。

 魔物は生命力が強い。きちんと仕留めなければ、三日後には全快となっているだろう。

 だが、もう二度とこの森に近づくことはあるまい。

 ニーナはそう判断すると、周囲を見渡して肩を落とす。


『もう少し静かに戦うべきでしょうかね』


 薙ぎ倒された木々の様子は、まるでこの場所にだけ強烈な竜巻が存在したかのようだった。本気で噛み付いていないとは言え木に引っ掛かったアルカミラの皮から零れた血は垂れて、千切れた羽根が散乱している。

 雪が抉れて下の土が見えてしまっているのは、なんとも言えない見た目の悪さを覚える。


『ちょっとだけ、ズルしちゃいましょう』


 農作業関連には魔法は使わない。そうアラドンに啖呵を切ったのだが、さすがにこれは面倒だとニーナは決断する。

 魔法の風が折れた木を丸太や建材に、抉れた土は雪を被せて隠し、地面に残っている根も掘り起こす。羽も皮も土が呑み込むと、開けた土地だけが後に残る。

 巻き起こす魔法の風が全てをなかったことにすると、ゆっくりと雪がまた積もり始めていく。


「うわぁ……あの竜巻、ニーナが起こしているのかな。大丈夫かな……」


 そんなこととは露知らず、遠くから眺める少年は呟いた。

 多少不安になりながら待っているアラドンの元に白銀の古龍が舞い戻ったのは、それから間もなくのことだった。



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