2-5:冬至祭「ハグ・シェメッシュ」

 寒さが厳しくなってきたころ。


 秋が過ぎ、雪舞い降りる冬の日に、焜炉の前にニーナが立つ。


「~~♪、~~~~♪」


 鼻歌交じりで鍋をかき回す彼女は、時折傍らの食材を中に放っていく。

 鍋の中では山羊肉の腸詰め、香辛料、様々な野菜が炒められた。加えてアラドンが作ったワインが注がれ、ゆっくりじっくり煮込まれていく。

 シュルリと伸びた尻尾の先端にある爪が食器棚を開くと、中から二人分のスープ皿を取り出した。

 ニーナは普段の生活に魔法は使わない。しかし尻尾は器用に使っていた。


「このスープ、初めて出してくれた奴と同じか」


 それを、雪を頭に乗せたアラドンが後ろから覗き込む。


「おかえりなさい、アラドンくん。あ、雪が積もっちゃってますよ」


 帽子を被った彼の頭にニーナは手を伸ばすと、ぱさぱさと撫でるように雪を払う。

 気恥ずかしそうに彼女の手から離れたアラドンは、代わりに持っているものを差し出した。それは棘のついた白い花と葉っぱ、さらに一本の枝だった。


「言われた通り、ヒイラギとハリエニシダの花を葉っぱごと一房ずつ、手ごろな長さの乾いた枝を見つけて来たぞ」


 白い花はヒイラギ、葉っぱだけのものはハリエニシダだ。どちらも棘を持った植物で、アラドンは刺さらないように厚手の手袋をつけていた。


「わっ、ありがとうございます! わたしこれにいつも時間がかかっちゃって、他の準備ができなくて困っていたんです」


 料理を作るニーナに代わり、雪の中アラドンはこの木々を探しに出かけた。

 その身は夏場に着ていた服とは打って変わり、羊毛の使われた暖かいもこもことした恰好になっている。

 こちらも先代古龍の残して言ったものらしく、虫に食われたりカビが生えたりすることなく、三百年前から残っていたものだ。


 コートと帽子を壁に掛けると、ついている雪を軽く払う。

 こんな暖かな恰好を冬場にしていることに、彼は奇妙な感覚を覚えた。


「街にいたころは、冬はずっと地下の下水で震えていたのにな」


 寒さを遮る場所を求めて、アラドンと同じような孤児たちは、寄り集まって生きていた。朝起きたら凍っている者もいたり、どこから盗んできたのか布に包まって震えたりする者もいた。

 教会にいたころなら薄い布団と風だけは防げる壁に囲まれていた。

 だが、そこを離れたら残る安全地帯は下水くらいしかなかったのだ。


「腐ったものが発する熱があったおかげで、ずいぶん助けられたな」


 今では暖炉に灯った炎が部屋全体に熱を送り、快適な毎日を過ごせている。この生活を見たら、過去の自分はなんて思うだろうか。ふいにアラドンはそんなことを考えた。


「これで、グリアナンの娘たちを迎える準備ができますね」


 調理を終えたニーナの言葉で、意識がこの場に戻ってくる。


「そうだ。何のためにそれを取りに行かせたんだ?」


 理由を詳しく聞く前に探しに出かけたから、アラドンは自分が持ってきたものの意味がわからなかった。今日は冬至、神々やそれに近い者たちが活発な日だ。

 ニーナは竜だが、何か行事あるのだろうかと聞いてみる。

 こうして質問されると、ニーナは決まって嬉しそうに答えるのだ。


「グリアナンの娘といって、冬を司る精霊たちがいるんです。彼女らにヒイラギとハリエニシダで飾った杖を送ることで、この冬を無事に超せるように祈るんですよ」

「そう言えばニーナは竜なのに、精霊に祈るのか」


 竜と精霊――どちらも神秘的な存在であり、世界の上位存在である。

 どちらが上という優劣は宗教家でもなければ人間の価値観では付けづらい。特に無神論者であり無宗教家ともいえるアラドンにはわかりづらく、首を傾げる。


「わたしは元々ヒトですし、街でこういうの見たことないですか?」


 ニーナの言い方からして、決して珍しい風習ではなく、よく知られたものなのだろう。しかし――。


「冬はそんな余裕なくて。覚えてないな」

「じゃあ、これでまた一つ覚えられますね!」


 過去の生活が悲惨だったなどと、誰かに憐れんで欲しいわけではない。これからはもっと良くなると、適当な希望を言って欲しいわけでもない。


「昔から、この地域では竜を信仰する人もいれば、精霊を信仰する人、他の存在を信仰する人がいました。グリアナンの娘を迎えるのは、精霊道ルアッハの名残だそうですよ」

「ルアッハねぇ……そっか。人の中でも、いろいろあるんだ」


 ニーナが様々なことを教えてくれる毎日が、こうして日々の節目に行事を当然のこととして行うその姿が、アラドンには誰よりも〝人間らしく〟思えた。

 人間らしい暮らしをしてこなかったアラドンが、人間らしい暮らしをできる。


 見えない希望をちらつかされるわけじゃない。

 ただ哀れみで住まわされ、施しを受けているわけじゃない。

 仕事を作り、食べ物を作り、生きる道筋を創り上げる。

 夢物語ではない。明確な明日の話を、ニーナはずっとしてくれていた。


「冬至が終わったら、もうすぐに年末の準備ですね。街で行われる年替わりの祭りに、二人で出かけてみます?」

「盗人のころだったら、良いかき入れ時だったよ」

「アラドンくんはもう、盗人ではないんですからそんなこと考えちゃだめですよ」


 たしなめるようなニーナの言葉が、アラドンにはむしろ心地いい。

 あの街にいたころは、誰も盗みをやめろなどと言わなかった。そうしなければ生きられない、だめだと言われていることをやらなければ生きていけない、そんな生活だったから、正しいことに意味なんかなかった。

 けれど、ニーナと暮らすようになったら、アラドンは人間らしい〝正しいこと〟で生きていられるようになった。


「わかってる。冗談だ」


 だから、あの頃とは違う会話ができることも、次の予定を考えて準備ができることも、楽しくてしょうがなかった。

 むろん、それが嬉しいなどと素直に言えはしなかったけれど。

 アラドンにとっては、季節や月の節目がこれほど楽しみであったことはない。


「そう言えば、冬至なのにこのスープでいいのか? オレが初めて食べた奴と同じだろう? 特別な料理とか、準備しなくていいのか」

「私もよく覚えています。あの時は、なかなかテーブルに付こうとしないアラドンくんに苦戦させられましたが」

「は、初めて他人と食卓を囲んだんだ。今はもう、あんたを警戒なんてしてないだろ」


 気恥ずかしそうに、初めて出会った時のことを思い返す。

 警戒心と猜疑心の塊で、何とか彼女から逃げようとした。そんな考えは竜の力にあっさり敗北したのだが、今はそれでよかったと思える。


「――で、さっきの話だけど」


 顔が赤くなるのを誤魔化すように、話を無理やり引き戻す。


「その通りです。冬至はこの一年間を締めくくる大切なお祭り。本当は伝統とか、縁起とかを考えて特別な料理を作ります」


 手先のように器用に動く尻尾が、棚にある本を一つアラドンに見せる。

 そこには大きな豚の丸焼きや、様々な食材を使った粥、お菓子、さらに薪を重ねて作った井桁に火を灯すなど、様々な習慣があることが書かれている。

 旅人の日記を本にまとめたものらしく、アラドンがかつていた街にも、訪れたことがあるようだ。


「十年くらい、あの街で暮らした記憶はあるけれど……オレ、あの街の習慣とか、祭りとか、全然知らなかったんだな」

「しょうがないことですよ。お腹が満たされていればこそ、誰だって楽しいことや嬉しいことを知ることができるんですから」


 二人で囲む食卓に、スープが鍋ごとおかれ、周りには丸焼きの鳥、色とりどりのサラダ、ブドウを絞ったジュースが並べられる。


「地下倉庫にあるワインじゃないのか。これブドウを絞っただけだろう?」

「まだアラドンくんは子どもですので、ワインはだめですよ。お料理に使っている分で満足してください」

「はーい」


 ニーナの言葉に気の抜けた返事を返すアラドンは椅子に座り、対面の椅子にはニーナがいつも通り座る。

 アラドンの来訪から、すでに半年近く。すでにこの光景は、〝いつも通り〟になっていたのだ。


「冬至の根本は、長くなる夜を恐れ、太陽の復活を祈る祭り。そして新たな年を迎えるための準備です」


 二人は右手を拳に、左手でそれを包み、胸の前に構える。

 初めて一緒に食事を摂ったときも、ニーナはその仕草をしていた。与えられる命、食べる命への感謝を示す、古い習わしだと、後々アラドンは知ったのだ。

 今ではもう、誰に言われるでもなく、その仕草を取る。


「いつまでも大切な人たちと食卓を囲み、おいしい料理を食べられるようにと願う。なら、このスープは適切だとわたしは思いますよ」


 屈託のない笑顔で答えるニーナは、さらに続ける。


「思い出の味は、いつだって作ってあげますから」


 冬の寒さすら気にならないほどに体を熱くした少年に、古龍の少女ははにかんだ。






※冬至の祭。起源はルアッハに存在する。太陽の祝祭の意味する古代の言葉をされる。

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