2-4:竜奉の隣町「ベヨット」
アラドンとニーナは、竜奉の収穫祭『ドラクリアフェスト』へと出かけた。
初めての屋台、初めてのサーカス、初めての――お出掛け。
アラドンにとって食べること見ること経験することほとんどが初めてのことだった。
お祭りの中心となる大聖堂。その屋上に二人の姿はあった。
本来なら街の人間でも近づけないような場所だが、ニーナの魔法を使えば誰にも気づかれることなく、大聖堂の尖頭にまで辿り着いた。
翼を閉じた竜を模しているという大聖堂。その中で最も高い建物は、つまり竜が地に手足をついて首を空に伸ばしたときの頂点でもある。
アラドンは何となく居心地の悪さを感じるが、それはかつて教会に世話になった人間だからか。それとも普段絶対に近づかない場所に堂々といるせいか。
街の様子を見下ろせる場所に腰を下ろすと、二人は買っていた食べ物と飲み物を広げながら、話しを始めた。
「だいぶ、日も暮れてきましたね。どうします? 今日はこの街に泊まりますか?」
「泊まるって、今から宿なんかとれないだろ」
持ってきた商品は全て売れ、それなりの額は儲かった。だがその分のお金も、今日一日で大半使ってしまって、わずかな額しか残っていない。
まして街を挙げてのお祭りとなれば街の外からやってきた観光客や商人も多い。すでに日が暮れており、とっくに宿はどこも満員だろう。
「確かに、少し厳しいですね。懐も」
「うーん……あんなにまとまったお金を手に入れることなんてなかったから、お金の使い方に計画性がないんだな、オレ……」
「ふふ、何事も経験ですからね。東の方では、宵越しの金を持たない主義、なんていう人たちもいるそうですよ」
「即物過ぎじゃないのか、それ」
今までの生き方からすると、アラドンは確かに翌日に持ち越せる貯蓄などなかった。
だがそれは貯蓄できる余裕がないだけで、しないという主義ではなかった。
収入が少なく、溜め込むものを守る拠点もない生活だった。だが、今はその両方がある。これ以上無計画な生き方をしていくわけにはいかないと、彼はわかっている。
「これからは、きちんと溜めさせてもらうさ。せっかくの高収入だ。あの森をいつか離れるのだとしても、どこかの街でやっていくのにそれなりの元手が必要だからな」
「そう、ですね。森を離れたあとを、考えないといけませんからね……」
口に出したあと、アラドンは気づいた。
いくら収入があろうと、森を離れることを許されない者がいる。ニーナの方を見れば、少し肩が下がり、視線も斜め下を向く。
「ニーナはさ……今、こうして森の外にいるけど、あの場所に留まってなくていいのか」
「わたしがあの森に留まっているのは、半分はお義父さんへの義理みたいな部分があるんです。あの
竜が土地を決めて定住するのは、存在するだけで地域の生態系や土地そのものに影響を与えかねないからだ。
ニーナが住んでいる森には、竜以外にも多数の生物が存在する。
中には人間に害をなす怪物だっている。竜の庇護を求めて来た動物や、人間には馴染みない精霊と呼ばれるものも、あの森にはいるのだとアラドンは初めて聞いた。
「普段暮らしてる中で、全然見たことないんだけど」
「アラドンくんはわたしの匂いを纏っていますから、誰もちょっとかけないように遠慮しているんです」
全く知らないところで、彼女に助けられ続けていたらしい。
「さ、さすが竜種……。信仰されるだけはあるな」
竜奉教会は基本的に竜以外を信仰対象にしていない。
だが、竜には竜の事情がある。ニーナが人間のころの習慣に従って精霊に捧げものをするように、元人間ではない竜種の中にも精霊と親交を持つ者がいる。
竜が常に人間の味方であるわけではない。
必要によっては助けるが、どちらかといえば、竜も怪物や魔物、精霊側の存在なのだ。
「だから竜はあまり生まれた土地を離れません。良くも悪くも影響が大きいですから」
それこそ、食事一つをとっても問題だ。
「ニーナは、あまりオレと食事の量は変わらないよな。味覚だって人間と同じだし」
「わたしはドラゴンメイドですから、人間基準で体はできているんです。でも普通の竜は、竜側の基準で体ができていますから、条件が悪いと毎日凄い量食べるんですよ」
彼女の言葉にピンと思いついたものがある。
「サーカスで見たあのゾウっていうでっかい動物。飼育員の話だと、大人三、四人分の体重と同じだけの餌が毎日必要なんだって」
「はい。竜はあのゾウの三倍はあるので、普通に生きていると一日にウシ一頭を食べ切っちゃうくらいには、大喰らいですね」
ニーナの言葉にアラドンはウシの姿を思い浮かべる。
大人十数人分の巨体と、鋭利なツノに強靭な蹄。人間が束になっても引きずられるような巨体を、竜は首一本で持ち上げ、丸々食べてしまう。
ニーナの本来の姿を思い出せば、確かにウシの一頭くらい丸呑みできそうだとわかる。
「あれ、でもそんな大食いだったら、地上の生物食べ尽くしても不思議じゃないぞ?」
ほんの数十頭いるだけで、被害は大陸だけでは済まない。海の中、海を越えた向こう側、全ての生命が竜の腹に収まってもおかしくはない。
「大丈夫ですよ。そこに、竜が普段土地を動かない秘密があるんです」
ニーナの得意げな顔に、アラドンは自分の予想を答える。
「住んでいる土地から受ける恩恵があるってことなのか」
「その通りです。竜が住む土地は、何も食べなくても彼らに生命力を供給してくれる特別な土地なんですよ」
「じゃあ、ニーナは土地から離れても、問題ないってことなのか」
真剣な眼差しのアラドンに、ニーナは一瞬気圧された。
自分より少しだけ背の低い少年が、顔を赤くしながら問いかけてくる。
体の横に置いていた手に、少年の手が重なった。
突然のことに少々困惑するが、ニーナは諭すような声でアラドンに告げる。
「たとえその通りだとしても、あの森にはわたしを必要とする子たちがいますから、離れるわけにはいきませんよ。こうしてちょっとだけ離れて、またすぐに帰ります」
重ねられていた手を包むように、手首を回して握り返す。
「アラドンくんが来てくれて、今はとても充実しています。寂しいことなんか、何一つありませんから、心配はいりませんよ」
「ち、ちが……オレは、別に心配なんて……そんな……」
さらに顔を赤くするアラドンに、ニーナは悪戯な笑みを浮かべた。
「嬉しいですねぇ。アラドンくんがわたしのことをそんな風に思ってくれていたなんて。お姉さんとしては少年の成長がものすごく喜ばしいですよぉ」
「いつからお姉さんになったんだよ!」
ぐいっと彼の体を引っ張り、その赤髪をわしゃわしゃとかき撫でる。
初めて会った日もそうだったように、人間の姿でも彼女の膂力はアラドンの何倍もある。逃げることもできず、少年はされるがままに撫でられる。
「や、やめ、くすぐったい……」
彼女に傷口を舐められたときもそうだったが、アラドンは少々肌が敏感らしい。頬を先ほどとは違う理由で赤く染め、どうしたって零れてしまう笑いを堪えられずにいた。
その時、全身に感じる衝撃が、両者の動きを停めた。
ドォ――――ン!
空に、大輪の花が咲く。
色とりどりの炎が、美しい紋様を描いていた。
「花火……」
「あ、ようやく上がりましたね」
アラドンから手を離したニーナは、彼を側に抱き寄せて空を見上げる。アラドンも彼女の視線を辿り、空に視線を移す。
「この街のお祭りは、最後に花火を上げるんです。春も、夏も、冬のお祭りもそうなんです。その季節ごとの節目として、感謝として、空に花を投げるという風習だそうです」
激しく大きな輪っかを作り出すものもあれば、細かい粒を放つもの、少し歪曲した形を作るもの、様々な花火が、真っ暗な夜空へと溶け消えていく。
「これが終われば、あとはランプの灯を家にしまって、お祭りは終わりです」
「そっか、終わるんだ。この収穫祭は」
そうしたら、次に来るのは冬の感謝祭。終わりゆく年と、来たる年を祝う祭り。
全身に響く大音声を聞きながら、過行く季節にアラドンは思いをはせる。
こんなにも穏やかで、豊かに冬を迎えることは、彼は初めてだったのだから。
その翌日、街はある噂で持ち切りになった。
曰く、白銀に輝く竜が街の上空を飛んで、森の中に消えていった。
秋の夜長が見せた幻影か、それは誰にもわからなかった。
※アラドンのいた街とはアルティニーナの森を挟んだ隣町。今回のドラクリアフェストの開催地。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます