2-2:限定ブドウ「ドラゴニックニーナ」
アラドンがニーナの家に居候してから、数か月。
夏から秋へ。
――山々の木々が紅葉へ向かっていこうとする時期、ニーナの家の側にあるブドウ畑は収穫期を迎えていた。
「このブドウ畑、あんた一人で造ったのか?」
「ええ。最初は春くらいに造り始めて、結局完成したのは冬の一歩手前でした。次の年は雪で壊れてしまったのを直してたらまた秋が過ぎちゃって、建てるだけで三年くらいかかりましたよ。そのあとブドウの実がなるのには、五年くらいかかったかな」
今では取り外し可能な雪除けの屋根があり、何百と言う数のブドウが生い茂る立派な果樹園となっていた。
アラドンがニーナの家で過ごすようになってから、すでに二か月。
彼は今までは庭の草むしりやキノコ集め、水汲み、家具の修理などを手伝ってきたが、ニーナの畑に足を踏み入れたのは、この日が初めてだった。
最初に任されたのは、ブドウの摘み取りであった。
「これとか、もう食べごろかな」
「あ、そんなに力づくでやっちゃだめです。ちゃんとナイフを使って、一つずつ丁寧に採ってくださいね」
「えぇ……どうせ食うんだからいいじゃないか」
「ダメです。一部は街で売って、お金に変えるんですから」
ニーナに指導されながら、アラドンはカゴにブドウを詰めていく。
ぞんざいに投げ入れると籠の間から果汁が漏れる。ニーナがため息をつくたびに、アラドンは喉を締められるような圧迫感を覚えていた。竜を怒らせてはならない。それはこの大地で生きる以上の大前提だ。
目の前にいる相手が少女だとしても、恐怖を感じないわけではない。
何より、ここに置いてもらっているというのに、迷惑をかけた気分になって苦しくなった。今まで他人に迷惑をかけることで生きて来たアラドンには、奇妙で可笑しな気分だったのだ。
むろんニーナも怒っているわけではない。
ただアラドンがあまりにも、こういった盗み以外の作業に慣れていないのだと、気づいていなかった自分に呆れているのだ。
そのことは、この二か月の作業のうちで大体身に沁みていたはず、と思い直す。だからこそ諦めることなく、よしと勢いづく。
「本当に道具を使うことに慣れてないんですね。まさか釘を打とうというときに石を使おうとするとは思いませんでした」
「道具をそろえるような金はなかったから。鍵だってその場にあるものとか、最悪爪で何とかしたから。このナイフだって、正しい持ち方は知らないんだ」
肩を竦めるアラドンに、ニーナも苦笑を返すしかない。ならば、根気強く教えていく。それが彼女の選んだ道だった。
「けど、こんな作業、わざわざ手でやる必要なんてあるのか? あんたの魔法を使えばすぐに済むんじゃないのか?」
作業を進める中で、アラドンの質問がふいに飛んでくる。
彼の体を縛っていた鎖をニーナは手も触れずバラバラにしたように、古龍とは魔法を扱うことも可能な、高等な種族だ。
だから魔法でやれば一瞬なんじゃないかとただの人間として思ったのだが、ニーナは首を横に振る。
「それじゃあダメなんです。わたしたち古龍が魔法を使えることと、それを理由に怠惰であることは、結びつきません」
答えながら、彼女は慣れた手つきでさらにブドウを収穫していく。魔法に頼っている様子はない。少女の体だけで、農作業を進めていく。
「一つずつ丁寧に。家を建てるのも、ブドウを収穫するのも、あちらの畑でニンジンを取り、こちらの川で魚を取り、あちらの山でキノコを探す。それは全て、ヒトが生きる上で当然の、するべきことなんです」
竜になったから、何でも魔法でしていいわけじゃない。
ヒトであった身だからこそ、ヒトであることを忘れないのだ。
「変な理屈だな」
「わたしも少しそう思います」
ふふっ、と笑った彼女から、アラドンは眼を反らした。
長い年月を過ごしてきた彼女は、こうした一つ一つのことを、自らの手と足で行っていた。ある意味、盗みで生きてきた自分より、真っ当な人間らしいとさえ彼には思えた。
そんな彼女が、眩しく見えた。
「このブドウも、普通のブドウじゃないんです。この三百年間で、わたしが独自に交配させて、新しく作った種なんです。わたしだけの、特別品なんですよ」
話を聞けば聞くほど、働く姿を見れば見るほど、盗みでしか生きて来られなかった自分が、惨めに思えたのだ。
慣れないナイフを使って作業を勧めながら、アラドンはさらに尋ねる。
「あんた、ずっとこんなことやってきたのか」
「はい。アラドンくんは、農作業初めてですよね、ワイン造りも初めてですか?」
「盗んだことならある。オレに造り出せるもんなんて、何にもないからな」
飲んだことはない。盗んだワインの封を開けては交換するときの価値が落ちる。他の品物と違って売ろうとしても盗品だとばれる。加えて物々交換では、大概足元を見られるのであまり狙って盗んだことはなかった。
「なら、このワインが、初めてになりますね!」
嬉しそうに、彼女はそう語る。
道具も使わず盗む、それがアラドンの信条――と言うより習慣だ。けれど古龍の少女は、そんな彼に道具を使い、新たなものを造り出す機会を与えた。
二人は収穫したブドウの入った籠を並べ、額に浮かんだ汗を拭う。
「ふぅ……ところで、赤いのと黒いのと白いのとあるけれど、何か違うのか?」
「話すといろいろ長くなりますけど、いいですか?」
「い、いや、やめとくよ。また今度……」
楽しそうに目を輝かせるニーナの態度にアラドンは苦笑いを浮かべて断った。ただ街の果物商も様々な色のブドウを取り扱っていたことを思い出す。
「確かワインにも、赤とか白とかあるけど、この色の違いなのか?」
「大方そうですよ。中にはこの赤と黒の品種のブドウを、一粒一粒丁寧に皮を剥くことで、白いワインを作る方々もいるそうですが。さすがに一人じゃ無理ですね」
籠からニつブドウの房を拾ったニーナは、近くの井戸から汲み上げた水で洗う。綺麗になったそれを、アラドンに向けて差し出す。
「さてまずは、味見をしましょう」
誰か知らない人の農園ではなく、許可など得ているはずもない漁場でもなく、初めて誰にも遠慮することのない収穫物を、アラドンは口に入れた。
黒ブドウの、渋みのある皮ごと果肉に噛み付く。口の中に甘みと酸味が広がり、発汗とともに失われていた水分が補充されていく。
そしてどういうわけか。瞼の下側に痛みを覚える。喉が震え、目から涙が零れる。
「美味しいですか、採れたてのブドウは」
「ああ。すごく、美味しい……」
これは間違いなく、アラドンにとって生まれて初めての快挙だったのだ。
だから皮肉もごまかしもなく、ニーナにはっきりと答えた。
傍らでは自分も白ブドウを齧る。黒ブドウよりも渋みは少なく、甘みも強い。
「これならいいワインが作れそうです。だから、手伝ってくださいね」
「わかった。……すごいんだな、あんたって」
言葉の後半は、竜の乙女には聞こえなかった。
※アルティニーナお手製ブドウの品種名。ニーナ以外に育てることができない特別な品種のため、一年に一度に少量しか市場に出ず、増産できない希少種として扱われる。(現実の品種クインニーナがモデル)
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