Act.2 腹が満たされればこそ
ニーナが準備した服はどういうわけか男性用のものだった。
「どうしてあんたがこんな服を持っているんだ。着る訳じゃないだろうに」
アラドンには少々丈や袖が長いが、着られないわけではない。
今までのぼろ衣から一転、綺麗になった体に合わせた綺麗な服が、その身を包み込む。夏場に合わせた短い袖や裾から伸びる手足は細く、どこか不健康な印象を抱かせるが、この先きちんと栄養を取れば、健康の印とみることもできるだろう。
「それ、わたしのじゃなくて、昔ここに住んでいた古龍のものなんです。だから、三百年くらい前の服でしょうか」
唐突に古代の珍品を着ている事実を告げられた。
盗人として物の価値を見極める直感は鍛えられている。
古代の服となれば、様々な珍品・逸品と同じく、王国貴族の所蔵品(コレクション)として人気があり、それなりの額で取引されていることは知っていた。
だが保存や管理が難しく、盗むには適していないため、アラドンも古代の服については取り扱ったことがない。
「そ、そんな珍しい者、こんな簡単に渡していいのかよ……」
着心地はいい。何より彼女の言葉を信じるなら三百年以上前に造られたはずのものなのに、一切糸の解れや傷はなく、つい先日仕立て上げられたと言われても納得してしまうだろう。
「いいんです。なんでも、先代の古龍は海を越えた向こうに花嫁を探しに行くとかでここを離れたんです。あのヒトは人間に変身する術を持っていて、小さな男の子から腰の曲がった老人にまで自由に変身できたんです」
だからアラドンの体躯にあった服があったのだ。
「わたしと一緒にいた時はいつも大人の姿で、よく街に買い物に行っていましたね」
魔法を使えばある程度の服を作り出すことはできるだろうが、それでは味気ないと思ったのかもしれない。
「困っているお姫様を助けて結婚し、一国一城の主になるとかで、この森を離れたんですけど」
「そんな困っているお姫様にホイホイ会えるものなのか……」
「わたしは困っている男の子に合えましたよ」
そう言って微笑まれては、アラドンに否定の言葉は出てこない。
「人は竜を畏れ、竜は人に焦がれるのだ……なんて言ってましたっけ。先代の古龍――お義父さんは」
しかし、古龍が誰かとの出会いを求めて飛び立つのに、この森を留守にするわけにはいかないのだ。そのため、ニーナが新たな古龍として、この地に住まうことになったわけなのだ。
要するに、役目を押し付けられたと言っていい。
「迷惑じゃなかったのか。いきなり古龍になれなんて……」
「そうでもないですよ。自分勝手ではありましただが」
この森で、一人で暮らすことを余儀なくされた。
アラドンにも、その苦労が想像できないわけではない。
三百年も生きられる人間など、存在しない。
人間以外の括りで考えればいないわけではないが、ニーナは元々普通の人間だ。
家族や友人たちは、彼女を置いて老い、死んでいく。
「絶対、その古龍人間側の都合を考えてなかっただろ」
「そうかもしれません。わたしが戦争に巻き込まれて一人になっていたところを拾ってもらって、ちょっと育てたと思ったらいきなり血を与えられ、この領地を任せた、って飛んで行っちゃいましたから」
ふふ、と思い出し笑いをするニーナの言葉に、アラドンは少し目を伏せる。
「悪い、こういうの、軽率っていうんだよな」
少なくとも、先代の古龍とやらば、ニーナにとって恩人なのだ。それを悪く言ってしまったこともそうだが、彼女が辿った過去を知らずに口を出したことを、少年は詫びる。
たとえまともな教育を受けていないのだとしても、相手を慮る心くらいは持っている。目を伏せたアラドンに、ニーナは首を横に振る。
「いいえ、気になさらず。お義父さんも、気紛れだったって言ってましたから」
先代の古龍の思惑がどうであったにしろ、ニーナは知り合いの誰もいないこの森で生きて来た。
十二年――星の巡りが一回りする長さ程度しか生きていないアラドンにとって、三百年と言う途方もない年月は、想像することさえできない。
一体その三百年間で、彼女が関わりを持った人間は、どのくらい居たのだろうか。
「よくはわからないけど、苦労してきたんだな」
「そんなことないですよ。久しぶりのお客様の来訪で、気分は上々ですし」
ニーナは楽しそうに鍋をかき混ぜる。
ハーブ、スパイス、肉、野菜――いくつもの食材の炒まれ煮込まれ、匂いが重なり合い、アラドンの食欲をそそってくる。加えられたワインもいい香りを醸し出す。
同時に、冷静になれと呼びかける声が頭の中に響く。
どうして突然森にやってきた盗賊相手にスープを出すのか。
教会で世話になっている時、そこの修道士から聞いた話があった。
「邪悪な獣は捕まえた獲物を太らせてから食うんだっけ」
今の自分を見てみれば、栄養が足りず痩せこけた姿だ。骨が皮膚に浮き上がり、肌は青白い。腕は小枝のようで、脂肪も肉もなく骨と皮だけ。
「食うにしても、食う場所がないんじゃな……」
「何か言いました?」
「何でもない!」
ついぶっきらぼうに返してしまうが、幸いニーナが怒るようなことはない。そうですかと朗らかに笑うだけだ。
先ほど食べたクッキーだけでは、太るどころか腹を満たすこともできない。
……逃げた方がいいのか?
ニーナを睨みつけるアラドンは、頭の中で自問する。少なくとも、今すぐ食べられることはない。だからと言って、いつまでもここにいるのは危険だ。
「アラドンくん、そっちの棚を開けて、スープ皿を取ってくれますか?」
「あ、わかった……」
少なくとも、今はまだ安全だと判断した。
ニーナの言う通り棚を開けると、そこには彼女一人で住むには多すぎる食器が並んでいる。先代の古龍とやらも一人――基一匹だったはず。ニーナを合わせた二人だとしても、ここには五、六人分ある。
「いっぱいあって困っちゃいますよね。一番上の深めのスープ皿で大丈夫ですよ」
ニーナの言葉に従いスープ皿を持っていくと、鍋から溢れる香りをより感じられる。それだけ腹が鳴り、舌の上に涎が溜まる。
「お義父さんは宝石とか工芸品集めが好きで、ここを離れる時にだいぶ持って行ったんですけど、それでも食器は余っちゃいまして。絵画と花はわたしの趣味ですけどね」
「何て言うか、案外俗っぽいな。竜も」
「わたしが宝石やお宝よりも、工芸品のほうが好きですけどね」
物語に語られる竜というのは、大概が多くの宝物を守っている。教会で聞く話と、盗人たちでする話はだいぶ違うが、やはり竜というのは金持ちなのは変わらない。
「軽く水で洗ったら、布で水分を拭いて、机に並べておいてください」
「……本当に、一緒に暮らすつもりなのか……っ、て!」
水の溜まった桶に皿を入れた時、手首の傷が水で沁みる。先程の川で洗った程度では、傷は塞がらない。血は垂れないが、傷は残っていた。
「あれ、アラドンくんその傷……ごめんなさい、気づけなくて!」
「い、いいよ、放っておけば治るから」
竜と化したニーナからしてみれば、鎖に縛られた程度では傷などつかない。だからアラドンの状態にも気づけずにいた。
竜と化して三百年。いくら人の姿を取っていたとしても、普通の人間との感覚にずれは生じるものだ。
「なんか布でも巻いておけばいいから、気にしないで――」
「いいえ。傷は放っておくといろいろ悪い病気の原因になるんですよ。ちょっと沁みますが、失礼しますね」
そう言って、ニーナはアラドンの左手を掴む。少女とは思えない膂力で腕を引っ張られ、顔に近づけていく。
「ちょ、ニーナ、待っ――」
「あむっ」
瞬間、大きく口を開けたニーナがアラドンの腕に噛み付いた。
「ひぅ――」
アラドンの全身に鳥肌が立つ。背筋を悪寒が走り、つま先から頭のてっぺんに向けて電流が駆け抜けた気がした。
「ちょ、ちょっと、急に……なん!?」
ベロリとニーナの舌が傷をなぞる。ぬめりとした涎が腕を濡らし、傷口に沁み込んで鈍い痛みが走った。甘噛みで歯がわずかに食い込み、軽い圧迫感とくすぐったさが綯い交ぜになって口角が吊り上がる。
初めて感じる刺激は、少年の全身に血を掛け巡らせる。
「あ、やめ……ニーナ、待って!」
「右手も失礼しますね」
気づけば、左手は舐め終わっていた。
有無をいう前に右手が取られ、先ほどと同じように傷口が舐められていく。
絶え間ない刺激に涙目になったアラドンは、腕どころか全身を震わせて調理場にもたれかかる。口に含んだ血を吐き出したニーナは水でアラドンの腕を流すと、柔らかい布でそっと拭う。
「急にごめんなさい。でもこれでもう大丈夫ですよ」
「だ、大丈夫って、何が……」
体を起こそうとしたアラドンの視界に、自分の腕が映る。水気を多少含んだ褐色の肌が、傷一つなくそこにあった。
「へ……?」
「動かして問題なさそうなら、しっかりご飯を食べましょう。傷の治癒をしましたが。きちんと栄養を付けないと、別の部分で問題が起きてしまいますから」
唖然とした状態のアラドンを置いて、ニーナはテキパキとスープを皿に盛っていく。
彼が気を取り直したときすでにスプーンまで運び終えていた。
「さぁ、どうぞ」
警戒する以前に、すでに準備が終わってしまっていた。
「いや、やっぱり、オレはいいよ。もうすぐに出るから――」
思い直したアラドンは数歩後退りし、肩越しに扉の位置と形を確認する。
逃げられる、そう確信して走り出そうとした時、体が浮かび上がる。もふもふとした感触が全身を包み込み、視界が一気に高くなった。
「ゆっくりして行ってくださいって、言いましたよね」
彼女の背後から現れた尻尾が、いつの間にかアラドンの体を捕らえていた。尻尾がぐるぐると巻きつき、軽々と持ち上げている。
「座って、一緒に食べましょう」
にこりと笑った顔に逆らう気は起きず、アラドンは無言で肯く。すとんと椅子に降ろされると、ニーナは胸の前で手を組んだ。見様見真似で、彼も手を組んだ。
拳にした右手を、左手で包み込む。
「では、いただきます」
「い、いただきます」
木彫りのスプーンを手に取って、二人はゆっくりスープを食べ始めた。
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