第1話
緑いっぱいの畑の中で、せっせと老人が作業をしていた。
茎に実った豆を、ひとつずつ取り出し、カゴに詰める。たったそれだけの動作のはずなのに、腰を痛めた老人にとっては重労働だった。
「おーい、エマ。こっちを手伝ってくれ」
「はーい」
老人が呼びかけると、少女が走りよってきた。
「まったく。おじいちゃん、仕事は私がやるって言ってるのに」
そう言って、少女は老人からカゴを受け取る。
中を覗くと、そこには収穫した豆がいっぱいにつまっていた。
「ふっふっふ。エマよ、じいさんを舐めるなよ?これでもな、ワシは若い頃凄腕の冒険者として王国全土を震え上がらせて…」
老人が意気揚々と話し出すのを、少女は右から左へ受け流す。
「はいはい。おじいちゃんのなんちゃって武勇伝はもう聞き飽きました。さあ、後は私がやっておくから、おじいちゃんは家に入って」
「まったく、冷たい孫じゃ。これからが良いところなのに」
子供のように口を尖らす老人を、少女は諌めて一緒に家に入っていく。
「おや、仕事はいいのか?」
「何言っているの、おじいちゃんが取ってきた分で十分だよ。今夜はマメパーティーだね」
「そうかそうか、それはよかった」
エマと老人の住む家は、一人暮らしには大きいが、二人が住むには少し窮屈そうな木造の小屋だ。
年季は入っているが造りはそれなりにしっかりしており、手入れも行き届いている。エマが欠かさず掃除や修繕を行っている証だろう。
エマは家に入ると、老人を椅子に座らせ、自分は夕食の支度を始める。
まず金属製の鍋をコンロのような台の上に乗せ、その中に食材を入れる。
畑で取れた豆、真っ赤なにんじんのような野菜、そして薄く切ってある肉、それと塩。幼い少女と老人が、最低限生きていける量だ。
次に、エマは鍋を前に目を閉じ、両手を静かに合わせながら…
祈る。
やがて周囲に異変が起こり始める。エマを中心に静かに冷気が立ち上り、エマは大粒の汗をかき始める。
明らかな異常事態にもかかわらず、老人は眉をひそめ、不安げな視線を注ぐのみ。
やがてその異常は、鍋の中にも現れ始める。
最初は粒のように小さい球体が。次はそれを大きくしたような水泡が、どこからともなく沸いていく。
やがてそれらは一つに集まり大きく湯気を立ち上らせていく。それは、エマが生み出した水が、ただの水ではなく、“お湯”だということを示している。
お湯が鍋いっぱいまでたまるのと同時に、少女は祈りを終え、それと同時に周囲に満ちていた神聖な雰囲気もおさまる。
何度か鍋をかき混ぜると、エマはスープを二人分のさらに盛り付け、老人と二人で手を合わせ食事を始める。
これが彼女たちのいつもの食事風景だった。
「なあ、エマよ」
食事を終えた老人が切り出す。
「別に無理をせんでもいいぞ?毎日ああして水を生み出さんでも、水なら川から汲んでくればいい。火なら薪を燃やせばいい」
「その話は何度もしたでしょ。別に疲れなんて一日寝ればとれるよ。それに、もうすぐ冬だよ、薪は節約しなくちゃ」
「それはそうだが…」
「はいはい、この話は終わり。ご馳走様でした!」
そう言って、エマは勢いよく立ち上がると、食器を片付け始めた。
その様子を、老人は呆れ顔で見つめる。
「やれやれまったく。…そうか、もう冬か」
ふと、老人が何かを思い出したかのように目を細める。
「なあエマ、お前、今年でいくつになる?」
「え?えっとね…」
エマは少し考えこんでから、指で年齢を示した。
「…もうそんなにか。そうか、ということは…約束の日は今年ということになるな、しかしあやつがそれを覚えているかどうか…」
「なにぶつぶついってるの?どうしたの?」
「いや、なんでもない。…エマよ、お前、そろそろ独り立ちする気はないか?」
老人の言葉に、エマの表情が曇る。
それに気づきながらも、老人は話し続ける。
「儂は、お前をいつまでもこの寂れた土地に縛り付けたくはない。お前には才能がある。田舎でこの老いぼれと時間を無駄にするより、都会にでてその力を役立てるのが、お前のためにもなるはずだ。それに儂はもう長く…」
「…やめて、おじいちゃん」
老人の言葉を黙って聞いていたエマが、鋭い言葉で老人を遮った。
振り返った彼女の瞳はいつのまにか涙で濡れている。絞り出すようにエマは言った。
「私は、この場所が好きだよ。この生活も、おじいちゃんと一緒に暮らすのも。だから、そんなこといわないで」
「…すまんな」
老人がうなだれたのを見てから、エマは片付けに戻っていった。
「…だが、いつまでもそうする訳にはいかないのだ」
老人の呟きは、誰の耳にも届くことなく、夜と共にやってくる闇に飲み込まれ、消えていった。
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