優夢 『見えてくれよと星は笑う』

 凛とした声がステージ上に響き渡る。客席が一斉にそちらを向いた、それが絶好のタイミングだ。

 神様の様に舞台を見下ろせる場所で、俺は地上の彼に光を与えると、小さな体が大きく光った。その姿はあまりにも眩しい。

スポットライトを当てた瞬間、彼は瞬く星になる。

 その輝きは永遠にあるのだと、錯覚してしまうほどである。

 キィィ、バタン。防音性を重視した熱く重い扉が閉まる。お疲れ様でした、と中身のない声の反響が終わると、ホール内に残るのは俺と舞台上に残る一人だけとなった。

 大学に併設されたホールは、閉まるのも大学と同じ午後八時半。スマートフォンを取り出して時刻を見ると、午後八時を過ぎたあたり。俺たちも早く出ないと、と思いながら、俺は舞台の上の零を見た。大道具に囲まれた小さな姿は、どこか滑稽で面白かった。

「零、終わりそう?」

「うん、大丈夫!」

 舞台の上の待ち人は、小さい体を大きく動かし丸を俺に送る。今回は演者ではなく大道具組として動いているからか、舞台上に陳列された大道具を念入りに調整しているようだ。毎回照明として舞台を構成する俺にとって、大道具のあれこれなんて知ったことではない。自分の役割を果たすだけで手いっぱいなのだから、そこまで目が届かない。

 けれども、零にとっては拘りたい部分がある。零は演者が中心であったはずなのに、大道具や照明、脚本にも口を出すことがある。曰く、よりよいものにするための助言、なんだそうだ。今回彼は舞台には立たないが、同じ理由でこの時間まで居残っているのだろう。そんな大それた理由で動く零を、俺には見守ることしかできない。

「のんちゃんは先帰っていてもよかったのに」

「んゃ、俺お前以外に帰る相手いないし」

「何? 僕がいないと生きていけないってか?」

「そんなきめーこと誰が言うか」

「それはそうだし、僕もきめえって思うから同感」

 けらけらと笑いながら、大道具を片付けくるりとターン。舞台の淵まで優雅に歩くその様子は、さながら舞台上に凛と立つ主役である。

 そう。天(あま)照(てる)零(れい)は信念も技術もあるスター、役者なのだ。俺、明夜奏音(みょうやかのん)は舞台の上の彼を静かに見つめる。

 天照零は演技が上手い。素人目である俺の評価ではあるが、他の目線からみてもそうなのだろうと思う。限りのある手足を広げ、表情を豊かに変え、声色に感情を乗せる。どの役柄でもそれをこなしているのだから、器用だと言っても過言ではない。舞台上で繰り広げられる光に、俺は天で光を操るはずなのに見惚れてしまっているのだ。

 

 気が付くと、零は立ち止まっていた。先ほどまで響いた足音も聞こえず包まれたのは、静寂。

「奏音」

 舞台上の彼が、俺へと振り返る。人は少ないとはいえ、いまだ光スポットライトはキラキラと彼を照らしており、彼は俺しかいない舞台のスターとなった。

「何」

「話したいことあるんだけどさ」

「どんな話」

 舞台の上の彼を見上げて、その質問を後悔した。表情だけで察しがついた。いつもの軽快で爛漫な彼はおらず、ただただ神妙な面持ちで、本日の主演である彼——天照零は立っている。

「少なくとも、いい話じゃないよ」

 ヘラ、とも笑わず、一トーン落とした口調は重い。その中でいつもの軽口が叩けるわけもなく、だからと言ってそれに合わせた言葉も出ないから、そう、と呟くだけで終わる。

 彼は舞台の端に座ると、ステージライトの後光を受けて一舞台の終焉を告げる。

「僕、文化祭終わったら辞めるんだ」

 その言葉は高らかで、名残惜しさが残っていた。


  一瞬静寂。その言葉の後に俺は何を紡げばいいのか、考える。考えるに考えた上で、俺が選んだのはそうなんだ、という当たり障りのない言葉であった。

 その言葉を聞いて、彼は目を見開き舞台の上の為に取り繕った表情が崩れる。そのままケラケラと笑いだして、零は一人の人間であり、俺の友人に戻る。

「もうちょいなんかなかった? せっかくの同期なんだし」

「俺は来るもの去るもの拒まない主義だから」

「初対面の時に死ぬほどキョドって、逃げてったのはどこの誰だっけなあ。それともそれも忘れたんだ、のんちゃんは」

 ウ、と小さく言葉が詰まる。その先の言葉は全く出ずに、ただその時の記憶を反芻してしゃがみこんだ。

 時は一年と半分前。新入生歓迎会の際に初めて先輩方の演劇を見たホールで、俺と零は初邂逅を果たす。十年前から親友です、といった口ぶりで唐突に話しかけられた俺は、その返事の言葉も出ず逃げるようにホールを後にした。入部を決めた後の顔合わせの際、同じ顔が見えた時には血の気が引いた。そこからここまで仲良くなったのだから、時間というものは偉大である。

 しゃがみこんだ俺をみて、零はまたケタケタと笑う。その笑い声が鬱陶しくイラついてきたので、大きく深呼吸をして立ち上がった。先ほどまでの失態など無かったかのように、俺はシナリオへ戻すのだ。

「……で、これは色々深堀して言いわけ?」

「そうされるのコミコミで今言ったんだけど」

 零は静かに笑うと、そのまま舞台役者のそれに戻る。その様子が俺には眩しくて、胸が締め付けられた。そんなことしないでもいいのにと、零の友人である俺が叫ぶ。けれどもその声は音にはならない。煌めきに惚れ込んだ俺も、それを許してはくれない。次の台詞を告げろとはやし立てる。観客のいない二人だけの舞台で、彼はそれを望んでいる。手に力を入れて、覚悟を決めた。

「じゃあ言うけどさ」

 きり、と零に目線を向ける。どれだけ俺が覚悟を決めて力強く目線を向けたところで、零は一歩も身じろぎをしない。流石だ、と思い、この言葉を吐く。

「なんでお前が辞めんの?」

 目を細め、やはりそれが来たかと言ったような面持ちを見せる。一度縁に座った舞台を立って、よくぞ言ってくれました! と言わんばかりの声音で歌う。くるりと一回転をしたあと、零はこちらを見つめる。

「それはね、奏音。僕には何も見えなくなっちゃったんだ」

「どういうこと」

「言葉通りのことだよ」

 そのまま舞台の中央へと、カツカツ音を立てて進む。ここでスポットライトを動かすことが出来たらどれだけよかっただろうか? 今の俺にはそれが出来ないし、舞台役者に相応しい動きですら成しえていない。

けれども、向けられるべき光が当たらなくても、舞台上の彼は、何より輝かしかった。

「かのサン・テグジュペリはいちばん大切なものは目に見えない、と物語の中で問いかけました。物事の結果ではなくて、その過程にある時間が大切だと」

 俺が確かに、と相槌を打つ間もなく。彼は次の台詞を貫く。

「けれども僕はその考えに賛同できませんでした」

 そこでくるりと背を向けると、彼はステージライトに向けて手を伸ばす。ロングコートやら揺れ物があったら、そのターンはさらに映えたのだろうか。特等席でありもしない情景を思う。その特等席をもってしても、彼の表情は俺には読み取ることが出来なかった。

「努力が糧になるとはいえども、賞を取ることは何より輝かしい栄光です。最上の賛歌です。しかしどうでしょう、この有様!」

 その声はホールに響き渡る。悲痛な嘆きは俺にも心当たりがあった。


 俺たちの所属している演劇同好会は、数年前までしっかりとした部であり大学公認サークルだったと聞いている。演劇部は県どころか地方有数の実力校であり、多くの賞も受賞していたのだ。中にはそこから舞台俳優の道へ進んだり、夢を追いはじめたりする人々もいたと聞いている。

聞いている、というのは俺たちが所属する頃には演劇同好会であり、演劇の大会なり大きな公演なりを行うことが少なくなっていたからである。

 昨年度までは同好会が部であった時代を知っている先輩方が同好会を引っ張っていたが、その先輩方が引退すると同好会は一転。ガチでやるのはつまらない、といった先輩方の主導のもと同好会は悪い方向へと改悪されていく。

最初はコンクール出場の取りやめ、次は地域からの出演依頼を断り始め、最終的には新入生歓迎会と文化祭で行われる定期公演以外は公演を行わなくなってしまったのだ。


 舞台上の彼はアハハ、と高笑い、そのまま嘆き、叫ぶ。

「けれども今の有様は⁉ どうしろって言うんだ! 僕があの時見たものは何⁉ 僕の理想は全て幻想だったとでもいうの⁉」

感情をぶつけるかのような叫びなのに、彼の表情は一向に読めないから俺の胸を締め付けた。幻想なんかじゃない、そう叫びたかったけれども、喉から台詞を紡ぎだすことはできない。俺は舞台に上がることができないのだ、変われていないのだ、と改めて実感して嫌になる。

 結局俺は彼の一人芝居を、傍観することしかできない。


 同好会の改悪が行われた結果、生じたのは軋轢と破滅であった。

 かつては栄光のある部であったのだから、その名に釣られて同好会の門を叩いた人も多い。零もその一人であった、と仲良くなってから話を聞いた。憧れている舞台俳優の出身校である、と高揚しながら話を聞いたのはいつぞやの同好会の後。ハンバーガーチェーン店でポテトをむさぼりながら、家から近いという理由で決めた己が恥ずかしくなった思い出がある。

「僕、その人の隣に立ちたいんだよね」

 その夢のある言葉は、今もなお鮮明に覚えている。シェイクを片手に、真剣に夢を語る零はハンバーガーチェーンの店内でも美しく輝いていた。

 けれどもその煌めきは、他人のエゴによって壊されるのだから救えない。

 次年度三役を決める時、それ以前から同好会内は冷戦のような状況になっていたらしい。同好会になったのだから力を抜いて活動したい、同好会だからこそ精力的に活動して部に再昇格したい。双方が静かに戦った結果、最終的には前者が勝った。

 それに異論を唱えたのは、零を初めとした一年であった。渦の中心は零を始めとする数人であったが、そちら側に付いた上級生も少なくはない。しかし同好会の方向性を決める三役は、遊びとして演劇を行う人々に成り代わりを済ませていた。

その結果は、今の惨状でわかるだろう。三役の鶴の一声(俺は悪魔の一声だと思っている)である「辞めろ」が、多くの人々にクリーンヒット。退部届は後を絶たず、それでも残って異論を唱えた人々は徐々に脇役へ、裏方へと飛ばされていったのだ。それでも演劇同好会は成り立つ人数で構成されているし、その緩い噂を聞いて新しい人も入部しているのだから一長一短。多分来年も再来年も、この同好会は続くのだろう。ただしこの同好会は部に昇格することは無く、今後コンクールに出場することも夢の架け橋にする人間もいない。

 その一部始終を俺は中立的な立場で静観していた。口出しもほぼせずに、その小さな戦争を傍から見守っていた。昔からそういう人間だったのだ。面倒くさいことには口を突っ込みたくないし、関わりたくもなかった。関わったら面倒なことになるのは二十年の人生経験でよく知っていた。

 本当は天照零の夢を後押ししたかった。あの日のハンバーガーチェーンで見た輝きを、無為に消したくなかった。そのために行動するべきだった。けれどもその声がのどに詰まって、結局いつも沈黙に陥ってしまう。人生経験という名の足枷だ。重く、苦しい。

 俺ができたことは、サークルの後は零と共に帰ることくらいだろう。零の愚痴を永遠と聞くのは別に苦痛ではなかったし、同調することはいくらでもできた。けれどもそこで、もっと台詞を紡げばさらにいい方向になったのではないか、と嘆く。

変わろう、と思って気まぐれに入った演劇同好会でも、それは成しえなかった。俺も救えない人間であると、つくづく思う。


 こちら側へと向かう足音が鳴る。台詞を叫び終えた彼はいつの間にか俺のほうを向いていた。カツ、と足を止めると、彼は台詞を紡ぐのだ。

「そういうことなんだよ。結局目に見えないものを追うのには限界がある。周りが持っているものなら尚更ね」

 作られた笑顔が染みて、目線がガラスのように痛かった。責め立てているようにしか感じられず、その目から逃げたいのに、彼からは逃げるなと圧を見せつけているようにも感じられる。

 俺はどうすればいいのだろうか? 台詞を紡げばいいのだろうか? 彼に向けてライトを照らせばいいのだろうか? そんな思考を巡らせても、体はうんともすんとも動かないのだから意味がない。

 そんな彼が目線を伏せた後、よっ、と舞台から飛び降りると、そこには切り替えたように零がいた。

「だからやめんのよ。僕はもうやりたいことできないし、縋っててもどうにもならないからね」

 だからおしまい。投げ捨てるように言葉を吐くと、零は俺の横を抜けて自分の荷物の元へ向かう。この話はここでおしまい、と言わんばかりに零はいつも通りに戻っている。この舞台は閉幕したのだ。

 違う。まだ終わってはいない。この舞台は俺と彼——天照零の舞台だ。俺が舞台に上がれば、その閉幕に異を唱えることができる。

 すぅ、と息を吐く。いつの間にか言葉を紡ぐことが苦手になって、台詞を吐くことだって覚悟を決めないと口から出ないのだ。


「零」

 手を握りしめ、キリと零を見つめる。その声に反応して、んー? と間延びした返事が返ってきた。それを合図に、俺は前に歩を進める。

 舞台がこれで終わった、だなんて言わせない。天照零は最高の役者であり、大学でできたただ一人と言っても過言ではない大切な友人だ。今俺が紡げる台詞はありきたりなものしか出ないけれど、それしか俺の台本にはない。

「俺は、お前のこと最高の役者だって思ってる」

「……なにそれ、お世辞?」

 零は苦笑いを零す。それはそうだ、今までこんなこと言ったことがない! これは俺の覚悟だ、とより距離を詰めてセリフを放つ。

「お世辞なんかじゃない。少なくとも最初の、俺たちが初めて舞台に上がったあの日から、俺はお前の演技が、信念を、尊敬してる」

「そういうこというの——」

 ここで零の台詞が止まる。台詞の間には間が必要だ、とはよく言われる話だが、照明だけしかしてこなかった俺にはその間が掴めない。掴めないけど、そのあとの台詞が彼から出てこないことを感じ、本音を零す。

「俺さ、人前で話すこと苦手だし、人とコミュニケーションとるのも苦手だからさ、エチュードだって台詞出てこなくてどもっちゃうし」

 チラりと彼を見る。こくり、と小さくうなずいて俺を見据える。続けろ、ということだろうか? 稚拙な知識で演劇同好会に属しているのを申し訳なく思う。けれどもここなら、と思った。彼の前なら俺は変われる、直感がそう言っていたのだ。

「俺は変わりたかった。けれども変われなかった。手を伸ばすことができればよかった。けれども伸ばせなかった」

 ここまでくると、これは台詞でもなんでもない。俺の懺悔だ。もっとこうすればよかった、もっとこうしていればよかった、その後悔が募りに募った言葉だ。この言葉は何も救われないし、何も美しくないのは自分が一番知っている。

 そしてこれが、一番悪いことだと知りながら、音に出して伝えるのだ。

「俺はどうすればよかった?」

 この言葉は救いを求めた言葉だ。この状況を脱することも、この舞台を終わらせることも、俺だけではできない。けれども今の俺の精一杯は、この言葉以外に他ならなかった。

 彼はこくり、と頷くと、近づいてポン、と手を置く。そして優しく、台詞を紡ぐのだ。

「奏音は悪くないよ」

 まさしく救いの台詞である。下手な誘導尋問に乗っかっているようで申し訳なくなりながらも、心の奥底が救われたと叫んでいる。彼はそのまま、台詞を続けた。

「そんな台詞をいって欲しかったんじゃない。憐れんでほしくもないし、奏音の自己否定を聞きたいわけでもなかった。こんな形で舞台に誘ってごめんね」

 ニコり、と小さく笑む。その笑みですら、彼の演技の賜物か本心かすらわからない。俺はトリガーを引いてしまったのだ、と後悔しても遅い。そのあと彼は目を伏せた。

「——でも、そういう風に見てもらってたのはめっちゃうれしかったよ。ありがと」

 小さく呟かれた言葉を最後に、彼は肩の手を突き放し俺は後ろにたじろぐ。彼はすぐに後ろを向いてしまったので、表情は読み取れなかった。笑ってくれていればいいなと願うが、それですら祈りでありエゴである。

「最終的には僕の非と、運だなって思っているから。星になっても、それで輝いても、その輝きが地球に届くには数百年届くのと同じ」

「っ、そんなことないだろ。どうなるかなんて何もわかんないじゃんか⁉」

 自分でも驚くほどの声が出て、ビクリと俺は肩を震わせた。その叫びでさえも、彼には届かないのだろうか。身じろぎ一つせず予定調和だと言わんばかりに、言葉が続いていく。

「死後有名になった作家とか芸術家は万といるし、演者だってそれに類すると僕は思っているんだ。現在は映像媒体も配信もできるから、発掘は安易になった。もしかしたら僕は演劇界のシューベルトであり、ゴッホになっているのかもしれない」

 その言葉にグ、と詰まる。これ以上の反論は稚拙な頭では出てこない。どれだけ励ましたところで、それが揺るぐことはない。芯の固い人間であることは理解していた。

「まあ、諦めないけどね。まだまだ道はあると思ってるよ。地方劇団とか、上京とか。最近はネット上でもいろいろできちゃうし」

 零はニ、と笑った顔を俺に見せる。零自身から出た言葉に少しだけ安堵をした。零の演技への傾倒が終わるわけではない。ただ、この舞台の上では二度と見ることがないだけだ。

「奏音はどうするの? 僕いなくなってもここにいるの?」

 小首をかしげて俺を見やる。小さいからだで顔も整っているから、そういうことをする図は成人していても成り立っているのだ、と常日頃思うが、今はそういうことに茶々を入れる場面ではない。

 いま問われるのは、俺の未来の話だ。

 正直なところ一緒に帰ったり休日に遊びに行ったりといった友人は、同好会の中には零だけである。業務連絡とか話し合いは別であるが、一般教養科目で席を共にしたり、昼食を一緒に食べたりするような人間は零以外にいない。逆に零とここまで仲良くなったのが不思議であるが、気が付いたら一緒にいることが増えていた。この同好会で波長が合ったのが俺たちなのだろう。零は芯があるからこそ、厄介な部分がある。その部分が俺にうまく調和したのだ。

 この講演以降、この同好会に零はいない。続くのは定期的なお遊びの講演のみ。それでも俺は、

「……いるよ」

 答えを告げる。今までは何も変われなかったけど、今からでも変わっていいだろうか? 今から変われたら彼の、天照零の隣に立てるだろうか? そんな世迷言を思いながら、俺は覚悟を彼に告げた。

 その言葉に、零はそっか、と呟く。寂しそうな顔をどう読み取ればいいのかわからないまま、彼はまたしても表情を変えた。

「大丈夫、のんちゃんは強いよ。これからもやってける」

 ウインクまでして、右手の親指を立てる。グッドラック、と激励の言葉は無駄に発音がよくて。笑いそうになりながらも、小さくお礼を言う。

「ありがと」

 これで俺の舞台は終わりだ。祈りとエゴしかない舞台だなんて、素人目に見ても醜い極まりない。ここからは舞台裏だ、と言わんばかりにいつも通りの小言に入る。

 

「前々から言ってるけど、のんちゃんって女っぽいから辞めろって何回言えば治んの?」

「先輩には言われても何も言わないくせに」

「上下関係ってもんがあんだろうが」

 なんだか耐えきれなくなって、どちらかがプ、と吹き出したのを皮切りにケタケタと俺も零も笑う。

 笑い涙を拭ったあたりで零はあーあ、と声を張り上げた。

「こういうのやる回数、今までよりぐっと減るんだろうなあ」

「まあ、俺ら学部違うしね」

「ねぇ」

 今までこの同好会で頻繁に会っていたものの、俺は工学部で零は文学部。文系と理系すら違うし、その結果一般教養以外はすれ違うことも珍しい。学年が上がれば一般教養など受けなくても卒業できてしまうから、最終的には本当に学内で会わなくなってしまうだろう。同大学の他学部なんてそんなものだ。

「でも普通に遊び行ったり飯とか行くでしょ」

「いきそ、普通に電話して呼び出すわ」

「せめて俺の授業終わってからにして。前講義中に携帯鳴り響いてやばかった話したじゃん」

「それはマナーモードにしないのんちゃんが悪い」

 そう携帯を取り出すと、時刻は午後八時二十五分。下校時間まであと五分である。下校時間を過ぎると同好会には軽いペナルティが起こるので、俺は青ざめた。その顔で零に向きやると彼も察したらしく、焦って出口に向かおうとする。あと数週間もすれば辞める身である彼であっても、それまではこの同好会の一員だ。守るものは守らないとバツが悪いのだろうか?

 その時にあ、と俺は声を上げた。

「忘れもんしたから先門出といて」

「あーい」

 そのまま俺の脇を駆けて、重たいドアを開ける。彼の体は小さいから、ドアに引っ張られそうだなと毎度の如く思う。けれども今は、そんなことを考えている場合ではない。

 くるりと振り向き、零はこちらへ手を振る。

「先行ってんね、奏音」

 その顔は笑っていた。

自然なように見える笑顔だった。けれどもそれが張り付けた笑顔だとわかってしまった。今まで全てが舞台だ、と感づいてしまった俺は何もすることができない。

 彼は本当に演技が上手い、と見ほれた俺は称賛する。本当と嘘の塩梅を図るため、彼は今日も演じるのだろうか。もしくは、演じているように見えているものが本当なのだろうか。辛いことを隠すように笑顔が張り付いているのをみて、その光をこんなところで使うなと友人の俺が嘆く。やるせない。この気持ちも、既にドアの先に行ってしまった彼には伝わらない。


 キィィ、バタン。防音性を重視した厚く重い扉が閉じる。しんと静まった空間で電気を消すことも忘れ、ただただ立ち尽くすことしかできないし、俺に気づかず警備員のおっさんが電気を消してしまったのだから、俺は救われない。

 暗闇の中で小さく笑いを零す。星は数百年前の光を俺たちに届ける。あんなに美しい星になれるとしても、俺たちは今の光が見えてくれないと救われないのだ。死後語り継がれる星になっても、今輝かなければ俺も彼も報われない。

だからと言ってそれを拾い上げるような人はいないし、輝きの届かない星を見る人もいない。俺は見えてくれよ、と小さく願う。自身の救いを求めた祈りであっても、それ以外にできることは何もない。

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