2021 萌音
実践女子大学現代文学研究部
藤崎白楡 『色を忘れる』
手紙が届いた。差出人の名前はないが、この筆跡には随分と見覚えがある。メールなり電話なりでも良いのに、あえて形に残るモノを使おうという魂胆があの子らしいな、とほんの少し笑った。
『拝啓 初夏の爽やかな空気が心地良く、過ごしやすい季節となりました』
ふと見遣る。窓の外は霧雨。
*
制服に身を包んだあの子の姿は、何故だかいつだって簡単に見付けられた。長い髪を下で結んで、白いリボンが揺れて。顔貌には無頓着な自信があるけれど、あの子は見ていて飽きなかった……ような、気がする。わからない。とにかく、高校生活の三年間は確かにあの子がいつも隣にいたから。それが当たり前になっていて、友達が左程いない私はその有難さに埋もれてしまいながら過ごしていたのだ。
『さて、こうして貴女に手紙を送るのは最初で最後だと思います。あの時の返事にすらならないかもしれませんが、貴女ならきっと許してくれるでしょう?』
あの時? ……ああ、たった一言をプレゼントに添えたあの日。文房具とクッキーだけじゃ味気なくて、簡素なメッセージカードに文字を残したんだった。誰よりも大切な友達への、思い上がったプレゼント。覚えていない訳じゃないけれど、埃を被って随分長い間埋まっていたみたいだ。
『誕生日おめでとう。今は幸せに過ごしているでしょうか。大切な人と、一緒に居るのでしょうか。ほんの少し羨ましいけれど、貴女が穏やかな時を過ごしている事を願います』
心からの讃辞。なのだろう。あの子は嘘をつかないから、私もそれを知っているから。あの子の言うとおり、これから付き合って数年が経つ恋人が家にやってくる。ほんの少し豪華な夕食になる予定だ。本当に贅沢な誕生日だ。あの子の言う通り、きっととても幸せな時間になるのだろう。
『私は案外忙しいから、そういう事はきっともっと先になると思うけれど。早く、追いつかなくてはなりませんね』
へえ。あの子、まだ相手いないのか。――そんな考えが頭を過ぎって、慌てて首を横に振った。ずきりと痛む原因は、偏頭痛の類だろう。
『まあ。きっとこの先も貴女は貴女の世界を生きて行くのでしょうし、私もそのつもりですから。ずっと応援しています』
余りにも大袈裟だな、と笑う。別の大学に行って、疎遠になっていただけなのに。会おうと思えば、声を聞こうと思えば、難しい事なんて何もないのに。震えかけた喉の奥を堰き止めて、何事もない顔をする。この部屋には誰もいないのに。そういえば、あの日も同じだった。あの日も雨で、私の誕生日で。あの子が私に、讃辞の言葉をくれた。
『誰よりも信頼を置けて、何でも言い合えて。辛い時に一番に頼れる存在は、大切な人であるべきだから』
そうだよな。その通りなんだよな。その事実は永遠に変わらない。あの子もそれに乗っ取って、生き辛い私が縋る日々を受け止めてくれていたのだから。隠すつもりなんて何もなかったし、確かに誠実でいるつもりだった。そうでなければいけないから。だから、私は。私は、あの子は。
『では、また。機会があれば』
機会だなんて、まあ。未だに既読の付かないメッセージも、お掛けになった電話番号はと無機質に流れるアナウンスも、結末なんてこんな物だと嗤っているじゃないか。それでも突き放してくれない所は、あの子なりの優しさなのか。折り目の通りに紙をたたむ。そのままそっと封筒に戻して、机の引き出しにしまった。あの子と過ごした時間が、思い出になるように。こんなに回りくどい宣告を突きつけて未来を見据えるあの子を、遙か彼方に放ってしまえるように。
私が何を思って日々を過ごしていたのか。何を言えて何を言う事が出来なかったのか。あの時の私は、誰に何を思っていたのだろうか。私が幸せである条件がどうしたって噛み合わないというのなら。生き辛い私は、果たして存在して良いモノなのだろうか。水底に沈む感情を拾い上げようとして、余りの重さに諦めて。重たい頭を振りながら扉に向かい、パチリと部屋の電気を消した。最後の最後に目に留まった、丁寧な文字列を思い返しながら。
『追伸。貴女はあの時、本当に幸せだったのですか?』
――さあ、どうだったかな。
終
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