第44話 逃がさない、逃げれない
「白い雲。青い海、いい匂いの海の家!やってきたね!海だね!」
「そうね。ふふふ」
高テンションで爆上げの七歌が両手を大きく広げて、海を指さした。その笑顔は海に反射する陽光のようにキラキラと輝いている。そんな今まで見た事のないようなキラキラした笑顔にレイナはつい嬉しくて頬が緩んでしまった。
「よくこんな熱いのにあんなに元気でいられるわね……」
「玲はもうちょっと日に当たるべきですよ」
「別にいいわよ。私は別に泳ぎたくてきたわけじゃないし」
「あれ?そんなこと言って、水着選びは真剣だったでしょ」
「あ、あれは……他人に変と思われないためだから……」
少し顔を赤らめる
「なんで俺らだけが準備するんだよ……」
「綴琉君諦めるんだ。男性は女性に言葉でも力でも勝てないよ」
「力はさすがに勝てるでしょ」
「クレナを見て、本当にそう思う?」
「…………勝てないかもしれませんね」
「ちょっと、あんたたち全部きこえてるわよ」
ガンを飛ばしてきたクレナに俺とヒロさんは肩身を狭くして黙々と作業に戻る。もう一人男性の剛輝さんという人がいるんだけど、疲れたからと言って先にホテルへ行ってしまった。彼はレイナたちのグループの助っ人で、ベース担当だ。
作業を終えて改めて見渡してみると、眩し過ぎて目が眩むような人たちがそこにいた。
俺が傷つけた被害者のレイナ。今だ答えを出せないでいる俺を必要としてくれる七歌。そして、先日俺を助けてくれた名前の知らなかった女性————紫雨野花さん。その友達の星永玲。この二人は新しい
とても、俺一人だけが場違いな環境で、みすぼらしいほどに晴れ渡った青空に、美貌やスタイルを引き出す男性の興味の的を身に纏った淑女たち。
俺は大きなため息を吐いた。
「なんで、来たんだよ……俺のバカ」
事は数時間前に遡る。
今日の朝、渋谷の駅内で待ち合わせとなっており、クレナとヒロと剛輝が一足先に会場へと向かったホームの隅、俺は以外な人物に出逢った。
「わぁー!びっくり!」
「…………もしかして」
集合時間十五分前とかなり早く付いていた俺と視線を合わせたのは、きっと運命と呼ぶにも相応しい恩人だった。
甘栗色のセミロングに大きな瞳、フレアスカートに無地のTシャツを無難に着こなした女性は驚きにお上品に口元を抑える。
俺も弄っていた携帯を落としてしまう所だった。
「こんなところで会えるなんて運命みたいだですね」
「…………ほんと、ですね」
そう返すので精一杯だ。目の前にいる彼女はあの雨の日、俺を助けてくれたその人だった。
これは運命か、神の思し召しか。たぶん巡り合わせなのだろう。たった一度っきりのチャンスで、ただ一つだけの感謝。
俺は直ぐに先日の感謝に土下座をしようとして、ふと彼女の背後から覗く黒髪の少女と目が合った。孤蝶を彷彿させる、終わりの世界で優美に絶世に咲き誇る一凛の花のよう。けれど、香り立つその匂いは、知っている気がした。
「えっと、彼女はあたしの後輩のー」
「ねえあなた」
甘栗色の彼女から言葉を奪った黒髪の少女は一歩、俺の前に出てその透明な怜悧な眼を細めた。
「死にたいの?」
「……」
「聞いたわよ。あなたも私と同じで死のうしたのよね」
「それは……」
俺は言葉に詰まる。他人に死にたいなど公に吐露することなど普通にない。体制を気にして回りに過敏になって、気持ち悪いくらいに自分を俯瞰して。そうやって生きてきた。
誰とも知らない彼女に自分のことを話すなど、戸惑うに決まっている。けれど、彼女の黒曜石の瞳が訴えかけてくるのだ。
「どうして死にたいの?」
「……それは」
喉が痛い眼が侵略され心臓は裂帛する。
なぜ死にたい?ああ、理由なんて情けないくらいに簡単だ。無様なほどにどうしようもない言い分だ。身勝手なしがらみだ。
だから、見知らぬ誰かに求めるのは傲慢というものなのだろう。
けれど、彼女は違った。彼女は俺の考えの上で問うていたのだ。
「私は認められない。誰にも認められないわ。何をしてもどれだけ頑張っても、才能に勝てない。……それがたまらなく大っ嫌い。だから死にたい。こんな馬鹿みたいな世界なんて消えればいいわ」
彼女はのたまうのだ。ただ、才能に勝てないから死んでしまいたいと。誰も私を認めてくれないから死んでしまいたいと。こんな世界など消えてしまえばいいと。
ああ、酷く同感だ。ああ、虚しく共感する。
きっと、俺よりも酷く愛情に飢えた哀願者。俺よりも他人に殺された被害者。
伝えられて、伝えないわけにはいかない。
「俺もそう。俺には何もない。誰かに勝る何かがないんだ。努力なんて実らないし、すぐに誰かに追い抜かれる。本当に嫌だ。価値がなくて意義とか意味もなくて、生きてたくない。偽ってまで欺瞞に生きたくない」
「……」
「生きてるだけで価値のない人間だって定義される。もう苦しいんだ」
「一緒なのね」
「違うだろ。君のほうがずっと苦しいだろ」
「苦しみもつらさも人それぞれよ。私の苦しみは貴方に理解できない」
「俺の苦しみも君には理解できない」
「でも、共感はできる」
「親近感が湧く」
「それでいいのよ。死にたい人間なんてみんな同じよ。みんな自己中心的に現実に疲れて嫌になって死を望んでるだけの愚かな人でしょ」
「……そうだな。そうだよ、な」
ああ、きっと彼女の言う通りなのだろう。
死にたい理由なんて人それぞれで、そこに関する苦しみの強弱なんてその人の心でしか測れない。
誰にもわからないわかられたくもない、自分だけの偽りのない確かで正しい選択の思想。
なら、きっと俺は彼女といい関係になれる気がした。ただ、七歌よりも共感できる彼女に特別が魅入る。
「私は星永玲。高校一年生よ」
「俺は夜乃。夜乃綴琉。君と同じ学年」
「でしょうね。まったく逞しそうじゃないものね」
「うるさい」
そんな挨拶に内心にほっと息をする。すると、隣でにこやかに聞いていた紫雨野さんが玲に抱き着いた。
「よかったわね。友達ができて」
「ちょっと!別に友達じゃないわよ」
「そうだな。俺と星永は紫雨野さんに命を救われた者同士ってところだと思う」
「えー!なにそれ~。あ、そんなに畏まらなくていいですよ」
「無理です。紫雨野さんのお陰で少しだけでも、歩けたんですから」
その事実は、あの雨の日に彼女へ吐露したすべてを物語り、今なお生きらえている感謝ゆえの畏敬。俺の中で紫雨野花とは神にも等しい尊敬の象徴。
頑なとして譲らない俺にお姉さん気質の紫雨野は腰に腕を置いてため息を吐いた。
「玲ちゃんのほうが気が強いですね」
「喧嘩売ってる?」
星永が紫雨野さんに詰め寄ろうとした時、背後から二人の声が聞こえてきた。
「ごめ~ん!遅れちゃった」
「はー七歌が忘れものするからよ」
桃色に染めた髪をポニーテールに一纏めにした七歌と、外国人の祖母譲りの金髪を揺らしたレイナは大きなリュックを背負って小走りに俺たちの前に到着する。
「大丈夫ですよ。あたしたちも自己紹介してたんで」
「そう……久しぶりね、綴琉」
「……あ、ああ。うん……久しぶり」
なるべく視線を合わせないようにしていたのだが、レイナから話しかけられては返さないわけにもいかない。
レイナと会話をしたのは彼女が二回目の告白をした日以来。それ以降はずっと避けていた。どんな顔で会えばいいのかわからなかった。
だって、俺はレイナを醜いほどに傷つけた罪人。レイナの心を踏みにじり尊厳すら穢した大罪人。
同じように話せるものか。
レイナはほんのりと顔を曇らせて、そっと玲と紫雨野さんに手を振った。
「二人ともちゃんと水着は持ってきた?」
「はい。ちゃんと玲にも持たせましたよ」
「私は別にいいのに……」
「海なら水着は必須だよ!玲は美人なんだからきっとナンパも多そうだね」
「そんなことないわよ。きっとあなたたちの方が人気あるわよ」
「えへへ~そうかな?」
「それよりも早く電車に乗りましょう」
「そうですね」
うん。ここに俺は要らないね。
まるで女性だけの女性のための女性による女性の旅行に、俺みたいな知れ者などいてはならぬというもの。
てか、逃げたい。嫌だこんな女性だけの中、男子一人なんて⁉それに全員美人すぎるし、なんなの女神の同窓会なの?なんで女神の中に人間以下が紛れてんだよ。はぁ?なんで俺いんだよ?
マジのマジの本気のマジで帰りたい衝動に気配を殺して一歩後退った。周りの目線も怖いし、後ろから刺されかねないし、ということで俺は脱兎の如く逃げようと脚力を高め……しかし、振り返った七歌が俺を見て満面の笑みを浮かべた。
「楽しみだね!」
「…………そうですね」
あははは……そんな顔をされては逃げ出すなど無理じゃねーかよ。
「逃げないわよねあなた」
「星永……⁉」
「私これでも勘は鋭い方なのよ。そしてよく当たるわ。言ってもいい?」
「見たまんまだし、当たるとか怖すぎるし、言わなくていいから!」
「あら残念。私が行くのだからあなたも当然行くわよね」
「その根拠と理屈はなんなんだよ……」
「まさか、私を裏切る気?」
「言い方に悪意があるんだよ。……」
「夜乃君、残念だけど玲には従っといたほうがいいですよ。夜乃君は特に……」
「なんだかよくわからないけど、綴琉も来るんだよね。だって……」
「別に、逃げようなんて思ってないから!……ほらさっさと行く」
そう言って先陣を切る俺に背後から二人のため息に似た笑い声と、嬉しそうな弾む声が聞こえたけれど無視する。まるで今まで詰まっていたあれやこれやを粒ざれた気分だ。非常に胸苦しく朗らかだ。こんな気持ちすら感じる資格などないくせに、また甘えようとしている。それに気づいたのは俺の隣にレイナが並んだからだった。
「…………」
「…………」
「来てくれたのね」
「…………来るしか、なかった」
「それはどうして?」
「……七歌に、聴いてほしいって言われた」
「それだけ?」
「わかってる。わかってるんだ。……だから、時間を少しほしい」
「……私とのって意味合いでいいのよね?」
「ああ。ちゃんと、今度こそはちゃんとするから。……だから、逃がさないでくれ」
「…………逃がさないわよ。逃がさないから」
決してレイナの顔を見ることはなかった。彼女も俺に振り向くことはなかった。
俺とレイナは決して、視線を合わせなかった。だけど、言葉だけでも言葉だからこそ、はっきりとから回らないように伝わるように。言葉だけを残した。それでいい。それでよかった。だって、言葉だけが真実になるから。
神奈川行きの急行に乗り、休日だから人が多く座る席などなく、端のほうに固まって鎮座する。
電車内の空気はいつでもお前はしゃべるな動くな息をするなと言われている脅迫感に圧迫される俺だが、今日はなんと美少女四人に一味である。四人が電車内に入った瞬間、何人の男性が唾を吞んだことだろうか。もちろん女性たちもチラチラとこちらを見ている。その妙な視線の中、玲の怜悧な眼光によって一同は瞬時に視線を逸らして息を止める勢い。俺は常々電車では息を数時間を最小限にしているので、細胞呼吸に入れ替わる時が来たのかもしれない。
そんなこんなは置いておいて、扉が閉まり出発する。
苦行の旅は引き返せなくなった。
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