第45話 平行線の対角線

 しばらく揺られながら一度横浜で乗り換えをして目的地の大磯駅まで約三十分。

 さすがに夏休みのはじめということで電車内の人は少なく、俺以外は座ることができた。別にいじめじゃないよ。紳士だよ。なんてことはどうでもよくて、それよりも乗り換えやその場にいる限り、不躾な視線を何度も背中に浴びたことで背中が痛い。いや、背中を通り超して胸が痛い。そのたびに俺は可憐な花々に咲く雑草だと常に意識を潜めていた。そのことをわかりきっていながら玲は何度も弄ってきたので、許せない。

 大磯駅にやっとの思いで到着してからすぐに目的地へとバスに乗り換える。


「すご~い!海だよ!海!」

「ちょっとは落ち着きなさいよ」

「七歌ちゃんは楽しそうですね」

「まーね。わたし海って初めてなんだ。画像とかで見たことはあったけど……実物ってあんなに青くて怖いんだね」

「間地かで見たらもっとすごいわよ


 常に一喜一憂する七歌にレイナは相貌は崩して慈愛に満ちた瞳を向けていた。二人して海のあれやこれやを話しているのを他所に、俺ははーと、息を吐く。


「夜乃君?どうしたの?」

「あ、いえ。周りの視線に疲れただけです」

「あなたは気にしすぎなのよ。他人の目線なんてどうでもいいでしょ?」

「それとこれとは違うんだよ。男の憎悪って男にとっては怖いんだよ」

「女の嫉妬のほうが恐怖よ。中学の時は下駄箱の中に画鋲蒔かれてたわ。机の上も他愛無い愚鈍な悪口でアートになってたくらいよ」

「聞きたくない話だ。で?」

「犯行現場を動画で隠し撮りして脅したわ。これ以上私に構うなら警察に突き出すってね」

「その時に浮かべてるニヒルな笑みとか似合いそうだな」

「やってあげるわよ?」

「遠慮しときます」


 そんな壮大とでも言えよう過去の話をされて、俺も紫雨野さんも唖然としてしまうばかり。俺の近くには虐めといった事件が一つもなかったので、虐めの存在にひどく打ちのめされえる。いや、ひどく奇怪の脳に焼いて唖然と関心した。

 漫画や小説の中でしか虐めという本性を知らない俺には、玲が語った現実に得心する。だから、虐めで自殺する人がいるのだと。


「玲……大丈夫なんだよね?」


 と、おっかなびっくり、それでも彼女の現実に寄り添うとする紫雨野さんに玲はいつも通り笑みを浮かべて見せる。


「ええ、それ以降何もされなかったわ。私もそれ以上何かする気もなかったし、そのまま卒業してお別れね」

「因みに……」

「原因は学校に人気のあった男が私に告白したことよ。まー私はバッサリ断ったんだけれど、それがいけなかったみたいね。よくある話でしょ?」

「ないですよ!女の子ってそんなに怖いの⁉少女漫画の中だけだと思ってた……」


 衝撃に事実に打ち震える紫雨野さんに呆れたように玲は息を吐く。その態度も話す表情も何でもないように語っているので、本当のところどう思っていたのかわからない。

 やっぱり苦しかったのだろうか?怒りが込み上げてヒステリックになりそうだったのか?それとも虐められた事実に悲嘆して悲観したのだろうか?きっとどれも違うくて、どれも欲しかった感情なんだと思う。彼女がもしも、本当に俺と一緒だと言うのであるなら、事実を知った玲の胸の中はきっと…………

 だから、俺がするべきことは気の利いた言葉を言うや、慰めるなんかじゃない。ましてや好奇心でもなければ疎外とも違う。同情は求めていない。慰めは貶めで、伸ばす手は張りぼて。

 共鳴も要らない。必要なのは理解のみ。


「…………まー結局は他人だし、虐める奴らの気が知れないな」

「…………驚いたわ。あなたにそんな察する能力があるなんて」

「……〝他人の視線なんてどうでもいいでしょ〟」

「あっ」

「お前は俺と似てるって言った。そうだよ。似てるんだよ。でも、決定的に違うところがある」


 窓枠に肘を載せて手の甲に顔の載せる。流れていく街中を過去に、特別興味も湧かない看板を目に映してから、玲の瞳と重ねた。切り長の怜悧な黒い瞳は俺よりもずっと己に澄んでいた。


「自分に自信があるかどうかだ」


 結局はそれでしかない。自分に何一つ自信がない夜乃綴琉と、自分に自信を持ちながら目指す誰かに打倒された星永玲。

 二人は才能がないという点、認められないという点、認められたいという点。……死のうとして紫雨野花に助けれら運命。

 俺と玲はどこまでも平行線なほどに似ている。環境が違うだけで、きっとどこまでも酷似している。酷いくらいに。

 だから比較するとするなら、その一点でしかない。最も違う在り方のみ。


 瞠目した玲はすぐに得心が言ったとばかりに、目を細めた。


「確かに私は普通のことならそこら辺の人には負けない自負があるわ」

「俺にはない。生きていくことにさえ自信がないんだよ」


 その自嘲になぜか玲はキリッと睨みつけた。俺を咎めるように。彼女が何か言い放とうとした時、目的地到着のアナウンスが響き、玲は開きかけた口を閉ざした。俺もこれ以上何も言う気がないので、すぐに降車する準備をする。

 そんな二人をずっと見ていた紫雨野さんは苦いため息を吐き出した。


「何かあった?」


 斜め向かいに七歌と二人で座っていたレイナの質問に、紫雨野さんは首を振った。


「何でもないですよ」

「そう?」


 そんな空気感でバスを降りては目の前に大きなホテルが鎮座しており、真向いには海をそのまま体現した本物の海がさざ波を立てて、楽しそうな声を弾けさせた。

 まるで別世界の空間に、俺は声も出せなかった。

 多分、今年一番場違い感を感じた観光地だったのではないだろうか。

 俺は次々に声を上げる四人を前に、トボトボと後を追った。

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