第20話 言葉にしてよ
彼が帰った夜、わたしは一人でストリートへと向かう。
感傷的になってしまう過去を、支え求め描いた音楽に満たすために。それかそれ以上のものを思い出さないために。
音の大海原に身を沈める。歌うことでスッキリすることもあれば、音の海に沈むことでリセットさせる感慨はある。それも音色によるというものだが、この芸術の街と評しても何ら不満ない演奏家や画家、作家に大道芸家。みながみな、今宵一番のパフォーマンスを花火のように打ち上げている。だから不快な音は滅多になく、今日も今日としてわたしは沈んでいきたい衝動のまま、ライブハウスへと脚を運んだ。
ごった返すような人だかりではないが、それも会場が人一倍大きいからだろう。もう一個小さな中型の会場なら溢れかえっている。それ程までに賑わう理由。そんなものは決まっている。
数多の人を魅了する素晴らしいパフォーマがいるからだ。
歌声であれメロディーであれ歌詞であれ。誰かを惹きつける、惹きつけて魅了するアーティストは一流。惹きつける、魅了する、とは即ちその人の輝きだ。可能性とも言えるし、宝石に勝る雀の涙のようなもの。何万の欠片の中に小さな光を放ち誰かに見つけてもらう。そしてそれは次へ次へと伝染していき、本物であるならば願いが叶うような代物。
歌は人を魅了する。
音は誰かを満たしていく。
歌詞はその人の胸に突き刺さり、温め、包んで震えさせる。
音楽は人々を豊に、もしくは大好きな何かにきっとなってくれる。
わたしの持論であれ、それを音楽の誇りだと疑わない。
だからきっと、今日この大きな会場のステージで演奏するアーティストは人々を楽しませてくれることだろう。
一番後ろに立って始まりを待った。そして一際大きな歓声に会場が湧く。ステージ袖から歩いてきた四人組は慣れたように観客に手を振って応えている。そのアーティストたちに瞠目しながらも、定位置について始まる一曲目が驚愕を塗り替えわたしを音の世界に落とした。
沈んで漂って泳いで流れて突き刺す月光を眺める。揺蕩う水面は不思議な硝子のようで、月光を不安定にしてしまう。まるで次元を隔離されているよう。それでも確かに届くその光は、幼きわたしが望んでも決して手に入らなかった夢の夢だ。
——それは月光なんかじゃなかった。
それは陽光——青空に煌めく大きな黄金の太陽の光だ。
わたしとは、わたしたちとは違う。夜明け前じゃなく、朝焼けの彼方だ。
彼女たちのそれは『希望』だった。明日を生きる為の輝かしくも愚かで、だけれど願わずにはいられない美しい純白の意志。
——明日はきっと良い日である……と。
——光の雨は雨上がりに降って来る……と。
——夜に朝が昇り、世界は希望に満ちる。どこまでも信じて楽しく生きれば……と。
「うそばっかり……」
そんなどうしようもないわたしの悪態は、わたしだけが乗る事のできない波に呑み込まれた。
この場にてわたしのどんな言葉も意味を持たない。わたしのどんな音楽も証明にならない。
証明するために抗う夜明け前と、希望を信じる朝焼けでは、きっと誰もが希望を信じる。
抗うのは辛い。希望は好き。暗い世界より明るい世界の方が綺麗に満ちている。
「ここにいる人たちは……みんな希望を求めているんだ……」
まるで対照的。まるで二律背反な関係性。やっぱり、わたしが彼女たちと一緒に音楽をするのは違うかった。わたしはこんなにキラキラと輝けない。藻掻いて足掻いて抗って泥臭く滑稽に醜く、それでも生きるためにこの叫びを伝え示す他、わたしは知らない。……わたしにはできない。
(みんな、輝いている。楽しそうで、気持ち良さそうで、一生懸命で音も歌詞も全部大切にしてる。……本気で希望を届けようとしてる)
今までと全く違う演奏は、吹っ切れたように新しい世界に飛び出した白鳥のよう。誤魔化すことなく自由に大空を羽ばたいている。
本当に……眩しい。
三十分間の演奏を最後まで聴き終えた観客に、外国人の血が混じった金髪と碧眼の瞳を宿した、澄んだ声音を持ち合わせた少女は手を大きく振った。
「ありがとうございましたっ‼」
昨日まで仲間で友だった彼女たちを傍目に、わたしは会場から立ち去った。
これできっと思うことは何もない。彼女たちが羽ばたいたのなら、わたしも走らないと。翼のもたぬこの身は泥臭く滑稽に醜く無様に走るしかないんだから。
けれど、そんなわたしの脚を止める声が背後から耳朶を撃つ。
「ルナっ!」
どうしてか懐かしい声。振り返るとやっぱり強烈美人で圧倒的な歌唱力を備えた彼女がいる。今は会いたくなかった眩しい太陽のような少女がそこにいる。
わたしは彼女の名前を味わうように憂いだらけの口から白息のように吐きだした。
「……レイナ」
「ええ。四日ぶりね」
レイナは儚げに微笑んだ。どこか悔やんでいるように。
レイナは先ほどまでライブがあったので、喋りかけられないように早くに会場を出たはずが、まさか追いつかれるなんて……。
何を話していいのかわからないわたしはとにかく彼女の言葉を待った。案の定、レイナは嬉しそうにわたしに話かける。
「ライブ、みてくれたのね」
「うん。……あれが、レイナの音楽なんだね」
レイナは真剣な眼差しで、先ほどの儚さなど微塵もない表情に面を喰らう。驚くわたしにレイナは宣言する。それはレイナの中での覚悟と決意だった。
「あれが私の音楽。貴女とも……綴琉とも違う、希望を届ける音楽。私はルナたちとは違う音楽を奏でるわ!」
きっと何度も考え悩んだことだろう。何がそこまでレイナを強くさせたのかは知らないけど、その一部始終がわたしに比が在れ、レイナは純粋無垢な可憐な女の子だ。だからこうして大っ嫌いになったはずのわたしに話かけてくれているのだ。情けか温情か、どちらでも構わない。ただのおしとよしなのかも知れないが、レイナと演奏したのはまだ二ヶ月ほど。彼女のことをまだ何も知らない。きっとわたしのことも。
だから、強く見えた、いや強くなったレイナは別人のように輝いてわたしには遠い存在に思えた。舞台でも今でも。
「これだけは言っておくわ。私は、ルナの心情も綴琉のことも……私は理解できない」
はっきりと淀みなくレイナは伝える。
「あの歌に込められた意味も、私は否定する。ううん。私はそんな人たちにも希望があるんだって、手を伸ばして足掻けば希望は手に入れられるんだって思わせる!希望を届けて見せるっ‼」
わたしと綴琉の全ての否定して、更にそれすらも乗っ取って宣うのだ。
「私はみんなに希望を届けられる歌を歌う‼だから、絶対にルナには負けないわ!」
そう、わたしをライバルと指を刺して宣言した。ライバルとして関わり続けると宣った。
風の流離いは視界以外を揺らし、けれどレイナが作り上げた空気だけはわたしを茨で包んだ。
彼女はこう言っているのだ。目的は違えども、歌に乗せる思いは違えども、心情や生き方が違えども、それでも私たちに関わり続けると。レイナは吠えたのだ。わたしたちのように、それでも光を輝きを放って。
「ぜっっっっーーたいに‼後悔させてあげるわっ‼」
私と一緒に音楽をしなかったことを……と。
傲慢だ。強欲だ。豪快だ。馬鹿だ。
それこそわたしには理解できない。わたしを理解できない人は、みんなわたしから離れていった。わたしを異物として扱ってきた。そこらの害虫と同じ、差別しないといけない者として。
だから、レイナの言葉にわたしは戸惑う。混乱を極め、大きく開けた驚きの眼で何度も瞬きレイナを見つめた。穴が開くほどに彼女を凝視した。大空に巨大な穴が開いた感覚。海から天へ光が昇り柱を創造した感覚。大地の底から大樹の蔦や根が侵食してきた感覚。それらすべてをまじかで見ている感覚だ。
「あの……そんなに見つめられると……」
照れるレイナに気づかう余裕はない。
そんなことがあるはずがない。わたしの人生で、彼女のように理解できないのに魔女裁判をしない、怒らない、見捨てない、さらにはこれからも関わり続けるなど、有り得ないよ。あるわけがないっ……有り得ないはずなのに……。どうしてそんなに自信満々なの?
ひしひしとどこか怒りが湧いてくる。嬉しさや不可思議ではなく、疑心暗鬼と楽天家な物言いに怒りが増してくる。マグマのように沸々と歯を鳴らした。
「——綺麗ごとだよ、そんなの」
「え?」
わたしの声音がどす黒かった。
「レイナのそれは綺麗ごとだよ!……そうじゃなくても、楽天の度が過ぎた狂言だよ。理解できないなのに、それでも後悔させる?ふざけないで!」
ああ、もう止まらない。この行き場のない意味のない滑稽で醜悪で愚かな人間のエゴなんて、どうしようもなく嫌で、なのに吐き出してしまう。ああ、もう止まらない。止まらないっ‼
「わたしは後悔なんてするはずがないっ!わたしの歌はわたしの生き方を証明するために歌う歌なの!わたしと同じような人たちに向けて伝えるの!レイナみたいな楽天家のお嬢様には分かるはずがない……!
——希望なんてわたしは信じない。奇跡も信頼も優しさも信じない!わたしが手を伸ばすのは、同じ志をもった、省かれ者だけだよ!だから、そんな見え透いた同情も関係性の押し付けもやめてっ!希望なんてどこにもない……。人間なんて醜悪で愚かで自分勝手な生き物なんだから——ッ!」
希望があったならきっとこんな人生を歩んでいない。身体を痛みつけるようなこともしていない。独りだったこともない。父親に殺されかけることも、母と妹と永遠の別れをすることも、差別や疎外や嫌がらせをされることもなかったはずだ。
希望なんて存在するはずがないんだ。それは全部まやかしで、努力や運によって得られる報いだ。希望のない世界で生きるためには、抗って足掻くしかないんだ。
「だから、そんなバカバカしい狂言に、わたしを関わらせないで!」
息を荒くするわたしは背を向ける。今度こそ最低なエゴで友人を消し去る。わたしはわたしが求めるもののために、生きていく。
「レイナの音楽は否定しないよ。だからと言って、わたしの音楽に関わらないで。わたしたちは生きるために抗い続けるの。歌を歌って伝えるの。『生きる』を。『自分』を証明するの」
心苦しさや胸のつっかえはある。でも……後悔なんかしない。
これがわたしの生きる道なんだ。この気持ちを揺らがせない。この気持ちを踏み込ませない。この気持ちに同情などさせない。
わたしがわたしであるために歌を歌い続ける。同じ感情を抱く人たちに、少しだけでも何かとなるように音楽を届ける。わたしの抗いを世界に示して見せる。
だから、もう二度と会うことはないだろうと、脚を進め…………けれど、裾をぎゅっと引っ張られる感触が脚を止めさせた。その感触は嫌に脊髄を血で濡らす。それでも、決して振り返らないわたしに彼女は……子供っぽくわたしの背中に叫んだ。聞いたことのない、激しい激情が血だらけにする。
「そんなの知らないわよっ!何も話してくれないくせに、自分勝手なことを言ってるのはルナたちじゃない‼……みんなみんなっ、私を馬鹿にして……他の人の苦しみなんて知らないわよ!あなたの想いなんてさっき初めて聞いたのよ……知るわけないでしょッ!
綴琉もルナも私を見縊らないで!同情?楽天家?押し付け?笑わせないで——っ!私が、理解できない貴女たちに同情するわけないでしょ!私だって考えてるの。苦しんでるのっ。それでも前を見て歩きたいから笑ってるの!歌ってるの!叫んでるのっ!押し付けてるんじゃない。……私がルナも綴琉も心の底から変えてやるって言ってるのよ。貴女と同じ、私も私のエゴで巻き込んでるだけ‼何も話してくれない……。何も訊いてくれない……。——嘘ばっかり。……綴琉だって、結局は誤魔化していたもの。みんなみんな…………」
言葉に詰まり激情に叫び鼻をか細く鳴らすレイナの表情はわからない。
けれど……けれど、伝わってくる。激情だ。誰よりの激情だ。私と同じで違う矛盾に並ぶ太陽と月のような激情たる丈だ。
——ああ、叫ぶのだ。
私も貴女たちと同じで苦しんで藻掻いて生きているんだと……だから笑って希望を届ける歌を歌っているんだと。
——ああ、叫ぶのだ。
私の勝手なエゴであんたたちを変えてやると……だから関わり続けるんだと。
——ああ、叫んいる。
どうして話してくれない、嘘ばかりつく、私を馬鹿にするなと……だから——
「——私はっ!……っルナとも綴琉とも、本当の関係性でいただけなの——っ!……ルナと、友達でいたかっただけじゃダメなのっ⁉」
「………………っ⁉」
「……私は私の勝手で、ルナも綴琉も……絶対に後悔させる!私の気持ちを見縊らないで」
「……れいな」
「私は諦めないっ‼」
そう言い放って、レイナは走っていく。まるでラブコメに出てくるヒロインさながらに、涙が流れる痕を知りながらわたしはその背中を見つめた。無意識に伸ばしかけた手はふと頭を振って下げていく。レイナの自分勝手な欲望は、やっぱり浅ましく烏滸がましいのに、どこまでも美しい。
わたしにはない心の傷を彼女は持っている。わたしと違う笑顔の意味を宿している。わたしと違う生き方で歌っている。それでも……わたしと本当の関係になりたいと、友達でいたいんだと望んでくれた。馬鹿にするなと本気でわたしに怒った。
あんなレイナは初めてで、戸惑う心は自己嫌悪に苛まれる。
「……わたしの方が、レイナを馬鹿にしてたなんだね。……レイナのことを知ろうとしてなかった。……あは、ははは……。ほんと嫌になるよ。どうしてこんなに自分勝手なんだろ……。どうして、わたしは生きてるんだろ?————こんなのっ——」
見上げた夜空に星はない。明るすぎる街からじゃ星は存在を示せない。それはまるで自分のようで、輝くくせに一方的に押し付けるだけで何もしてないのに。
馬鹿なのはわたしのほう。押し付けてるのもわたしのほう。本気で寄り添わなかったのもわたし。綴琉にだって、一緒に音楽をしてくれるとなったから、本当の名前も過去も家も教えた。やっぱり、わたしは誰も信じてない。わたしは自分勝手で醜い欲望者。レイナのほうがずっと大人で賢くて現実以上のものを見ている。たとえわたしみたいな生い立ちでなくても、世界の凶悪や偽りも犠牲も知っている人はいる。わたしはきっと甘えていた。過去と音楽と父の恐怖に。
「死ねばいいのに。あーあ……わたしに音楽をやる資格はないや……」
月のない夜空に蒼はきっとやってこない。星空は遮られ、人工と灰色の雲に染まっていく。やがて降り出す雨の中、わたしは動くことが出来なかった。この雨粒はきっとわたしの代弁をして泣いてくれているようで、だから泣くことの出来ない瞳を濡らした。そして、きっとレイナの涙の実体のようで、わたしは浴び続けた。何にもならない贖罪として、意味のないわたしという存在を断殺するために。なのに、濡らす雨が収まった。俯いていた視線を上げると誰かの傘が目に映る。真っ青な綺麗な青い傘。
「お前、何やってんだ?馬鹿なのか?」
そんな男勝りでぶっきらぼうな声音と言い方はわたしを酷く落ち着かせる。
銀色に染めた無雑作に伸ばした髪に鋭利でつり上がった瞳。背丈はわたしよりも十センチ以上は高く、一七三はあるらしい。
そんな女性を見上げるわたしの顔は、彼女の瞳に映るその表情は、酷く荒んで歪で泣いているようで死人のようだった。それすらも他人事に感じてしまうのだから、腐っている。
そんなわたしを見て女性はどう思ったのか、ため息を吐いてわたしの腕を強引に掴んで引っ張る。解かれることを知らない握力が有無を言わせない。
「ほら帰るぞ」
「……」
「たく……久しぶり帰ってきたら……何があったのか知らねーけど、飯食って風呂入ってとっとと寝ろ。そしたら話くらいは聞いてやるよ」
女性のその気遣いにはっと顔を上げれば、ニヤリにした顔がわたしを見下ろしていた。しまったと顔を背けるよりも速く、傘を持たない方の手でわたしの顔を捕まえてくる。顎下から頬にかけて捕まり、顔を背けないように固定された。抗うも反抗できず、せめてもの視線を逸らす。
「私を見ろ」
その威圧に抗えない。わたしの瞳が女性の瞳に捕まる。綺麗な鋭いオオカミのような瞳。わたしを捉えて離さない。ずっとずっと奥底を心情を果ての怒りさえも見透かされているようで、けれど女性は嗤う。淡くバカバカしい青春群像に。
「やっぱりいいね七歌。どう?今日は私が優しく抱いてやろうか?」
「——っ⁉絶対に嫌。そうやって茶化すの嫌い……」
「あはははははは!それでこそ私の娘だ!まー茶化してはないんだけど……」
「そっちの方が立ち悪いからっ⁉」
顔から手を離した女性はくつくつと笑う。
七年前、わたしを施設から連れ出した第二の親——
「ほら家に帰ろ。私はお前の飯が食いたい」
そうニヤリーに笑うのは愉しみな証拠だ。だから、偽りの親の前でわたしの心は溶かされていく。感じた自己嫌悪の数々を胸の中に、大きな傘一つ沙百合に少し身体を寄せて仕方ないとばかりに歩いた。
路上を歩くのはわたしたちだけ。
誰もいない寂しげなストリートは廃墟かわたしの心のようだった。
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