第10話 その世界があったのなら
夏訪れの暑さに打ちひしがれてながら遅刻して辿り着いた俺は、窓の少ないほとんど密閉に思える体育館でバレーボールをしている授業をだるそうに覗いた。体育館を反面に分けて男女別々に分けた2クラス合同のバレーは冬斗のスパイクで逆転をしたところだった。
「よっしゃー!ナイス冬斗!」
「ありがと」
冬斗と和希のハイタッチがよく響く。
「さすがだな朝倉」
「やっぱりイケメンはちげーぜ」
「きゃあぁっ‼冬斗君ーーっ‼」
「かっこいい‼」
「他の男子とは比べ者にならないわね」
他のメンバーとも気軽に喜び合う冬斗を隣のコートから女子の声援が半端じゃない。手を挙げて軽く応えて見せる冬斗にまた一層黄色い声が上がった。そんな女子群の中、体育館の壁に凭れて休憩中の夏奈は零れるようなキラキラした瞳で冬斗に凝視していた。他の女子とは一線を画して違う愛の純情さに、胃もたれしそうで、死線を冬斗に戻す。
そしていつもと相も変らぬ我が友を見ながら、ふと疑問に思えた。
(どうして、冬斗はいつもクールなんだ?)
クールビューティーが売りな冬斗だが、それは俺や和希といるときも同じ。寧ろ、絶対に崩さないその姿勢に今更ながら疑問を抱く。
確かに俺たちといるといつもよりは姿勢を崩したりするが、それでも根本的な所は変わりない気がした。彼もまた何かを抱えて偽っているのだろうか。
ルナとの約束から己と向き合うことを始めた。あの日から土日を挟んだ月末の月曜日。
もう時期七月が来る。そして、直ぐに夏休みが始まる。猶予は二週間弱。省かれ者で在りながら抗うことを知る俺が考えないといけないこと。
ルナの邪魔の有無よりも先に本当に歌詞を書いていいのか。いや、創ることを後悔しないか。
逆もまた然り。俺は俺自身に向き合わなければいけないらしい。だから、近しき誰かの行動原理などが目についた。
俺が嫌った偽りを社会性として受け入れる彼らを見て、本心があるとするならどのような心音を秘めているのか、例として冬斗に着目すれども心理学者でないのでわからない。
(こんな時、姉さんなら掴めるんだろな)
そう思うと、彼女の進路選択は俺たちのような立場であるからなのだろうか。……なんて考えてもわからないし、あの楓だ。死にたいと思っているとは考えられない。けれど、それを決めつけるのは浅はかで烏滸がましい押し付けだ。ルナに対する似合う似合わないがどうやら俺の中で引きずっているよう。いやになって息を吐けば、体育教師と眼があった。
「あ……」
「夜乃⁉着替えもせずよく堂々と体育館に来れたな!」
如何にも体育教師な筋肉ゴリラたる松本は胸筋を膨らませて、腕筋ががっつり見えるタンクトップで腰に手を置いた。一々反応も態度もでかいのであまり好きではない。偏見であれ、こういった人は人生だとか社会だとか勉強がだとかを語り出すと相場が決まっている。
「体操服忘れました」
「なに⁉夜乃、今からそんなことじゃ社会で役に立てんぞ!お前の人生にとやかくは言わんが、勉学を怠らないためにもまず遅刻は許されん。社会人になれば遅刻なんて学校のように許されたり、注意で済むことなんて滅多にない!それに、忘れ物の多さ!もう今月で何回休んだと思っている?六回だ!半分は見学になっているんだぞ。訊けば勉強のほうも全くだというし、先生としてお前が社会で生きていけるか心配だ。世の中は甘くない!勉強は意味がわからなくてもきっと将来役にたつ。運動もそうだ!まず社会性を手に入れるために——」
永遠の説教が始まってうんざりする。ささくれた高校生にはくだらないバカ話しにしか聞こえない。寧ろ、そう言ったものを嫌っている俺からすれば、松本のそれも仮面と同じだ。
どれだけ純情無垢であれ、生徒想いであれ、一概に誰かのためになるとは百パーセントとは言えない。綻びも虚しさも躍起もある。言葉だけじゃ無責任だ。そこに音や色や物語や感情があるから、誰かに伝わる。学校に所属するほとんどの先生からそれらは全く感じられない。やはり、無機質。
永遠説教を端目にコートを見れば、冬斗と和希と眼が会い、苦笑いをして手を振った。冬斗は呆れたように和希は面白そうに。二人の相変わらずの反応の違いは面白い。
例えば、昼飯を忘れたとなれば二人とも分けてくれたり、購買で買う金がなければ貸してくれる。しかし、その過程として和希は弄るように俺をおちょくり、冬斗はお兄さんのように呆れてから微笑んでくれる。街で遊びに行けば、和希は次から次へと行きたい所を並べるが、冬斗は時間や位置などを細かに確認して計画する。
極端に違う。
根本の優しさは似ているとしても、過程は月と太陽なのだ。それなのに、中学ではサッカー部の中で一番連携が出来ていた。
誰もいない所に冬斗がボールを蹴ったと思えば、ダッシュしてくる和希がいるのだ。そして和希のプレーの先に必ず冬斗がいる。対曲線だからこその通じ合いなのか、興味がそそられる。
その興味と共に甦る彼らの栄光に、黒に鎖が心臓を圧迫して喉元に死の鎌をあてがわれる。けれど、二人の心音の何かに意識が傾き続けた。ずっと、説教は彼方に、圧迫は息を詰まらせ、それでも二人のプレーをずっと見ていた。
*
思考の限りは六時間目まで続き、数学の問題にうねり声を上げた。
「めんどくさい」
「どうしたんだ?」
前の席の冬斗が振り返って、俺の手元に視線を落とした。今解いている問題集の一番難しい問題に苦戦している俺をみて「あー」と納得される。
「冬斗はもう終わったのか?」
「まーね。俺は予習してるから問題ないさ」
「部活もして勉強まで……異次元だな」
「この程度で異次元って言ってると、本物を見た時はどうなるんだろうね?それにその感想は中学の頃と何にも変わってないよ」
普通にディスられたが、冬斗の解説に耳を傾けた。そして実感して音を冷やす。確かに努力の本物はいる。つい人間目線で見る事を忘れてしまうが、楓がその最もたる譬えだろう。完全無欠たる空前絶後はひたすらな努力をしてきた努力家だ。元々の地頭の良さやスペックの高さはあれども、常に学年一位にして生徒会会長を座を頂き、体育祭では一躍のヒーロー。文化祭では一生に一度の盛り上げへの準備や予算管理等を一人で把握して行い、ライブで大熱唱したりする。その全てが影での努力の成果だ。
他人がみれば圧倒的で自分の存在がちっぽけに見えるだろう。俺も身内でなければどうなっていたことやら。いや、もう手遅れだろうけど。
楓は特別を持っていて、それは限らず目の前の少年もだ。俺がほしいものを全て持っている。勝つことなんてできない。
「綴琉……一つ訊いてもいいかい?」
どこか深刻な声音にきょとんとしてしまった。だけど、真剣な瞳にシャーペンを手離してコトンと音が鳴る。
それが合図。冬斗の声音は暖炉の冬を想起させる。
「どうして、サッカーを辞めたんだ?……なんで変わったんだ?」
どうして…………決まっている。存在価値を失ったから。自分には何もないと実感したから。サッカーを続ける意義すら失ったから。そして、世界がどうしうようもなく虚無の灰色へと移り変わり、モノクロはエピローグもプロローグも語らなく嫌いになったからだ。
忖度や上辺だけの関係性。社会性を求めた欺瞞的協調性。反吐がでる。やってられない。バカバカしい。それだけならよかった。
だけど、そんな中にも本気で努力して才能を開花させる人間がいた。
俺から見ればほとんどの人間に才能があった。俺以外の存在に光があった。みんな特別に見えた。
だから、終わりにした。頑張ることも諦めない事も、誰かと居続けることも。
この気持ちを冬斗に伝えるわけにはいかない。だって、俺は彼の本心を知らないから。そして、俺は彼らにもその卑屈な想いを抱いてしまったから。困った顔をすると冬斗は悲しそうに歪めた。そして、諦めるように息を吐いた。
それは省かれ者の終わりに酷似していて、何故か無性に腹が立つ。同時に自分の未来に繋がる気がした。
これはただの情。気まぐれな、そう、ただの面白話。
「……なら」
「え?」
「……冬斗が教えてくれたら話してやるよ」
「……何を訓えるんだ?」
困惑か混乱か、あるいは……誤魔化しか。俺はシャーペンを持ち直しノートを叩いた。
「さあ、なんだろうな」
意味深な発言を最後に意識をノートへ誘う。もうこれ以上は話せないとばかりの態度に冬斗は諦めて身体の位置を戻した。
その背中は悩みなんて一切ないような大きな魂で、紛い物のブリキのようにも見えた。冬斗の考えなどわかるわけがない。
だから、想像した感覚を歌詞にしたらどうなるんだろう。そう思い立っては試しにペンを走らせる。これもただの好奇心。
季節が巡る変化と普遍のメージを常に、夏のような印象が在りながら冬のような心を持つ少女と、冬の印象を保ちながら夏に憧れる暗い少年。
正反対の二人が夏から冬に走り、春に辿り着く物語を歌詞にしていく。
いつかルナにデモとして貰った未完成の音楽に沿って綴っていく。今の情けなく虚しい俺にどんな世界が彩れるだろうか。この特別のない、無力にして無知にして逃げてばかりの俺に、どんな物語が綴れるだろうか。
夏の日差し、雪の寂しさ、声のトーン、彩の選択、言葉の繋ぎ、二律背反、春の訪れ、出会って別れて迎える始まり。
テンポよく、流れる高音に捕まえる語尾。ストレートに複雑に比喩を重ねて、サビの一音に来る大切な言葉を煌めかせて。
脳内を駆けるルナの歌。音色しか存在しない空欄に言葉を散りばめて嵌め込んで結晶にする。
想像した一種のストーリーから造形された踊り子たちの完成は、六時間目の終わりと共に着席した。
久々に感じた高揚感と達成感。この瞬間だけ自分に意義を与えることができる。哀れな愚者の意義であっても。
数学のノートにびっしりと書かれたフレーズから鮮麗された踊り子は、誕生した感謝に舞いを披露する。深い眠りから目覚めた音色に沿って弾け、踊って、光る。
「できた……」
呟き声は騒がしくなった教室で、俺には響いて聴こえた。
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