第11話 思いの違いに、微かな熱に、儚い願いに。

 一応、ルナに写真を撮って送ってから帰る準備を始める。妙な昂揚が抜けきれず授業終了からもう十五分は経っている。冬斗も和希も生返事な俺に手を振って部活に向かったし、教室を見渡せども数人しか残っていない。

 みな思い思いにお喋りに興じながら一日の達成感に満足しているよう。どこか遊びに行こうやテレビのドラマやワイドショーでの談笑、本の発売日の話や宿題や先生の愚痴。入り乱れる廊下と混ざってまだまだ騒がしい。ルナからの返事も来ないし、さっさと帰ろうと思って立ち上がると、丁度こちらに向かってきていたレイナと視線があった。


「おはようレイナ」

「おはようって……もう昼よ。てか、学校終わりよ」


 律義にツッコミを入れてくれるレイナは相も変わらず美少女。遠目からチラチラと目の保養にしている男子が数人窺える。そして、その視線を俺を突きため息を製造させる。


「レイナは元気だね」

「?貴方が元気無さすぎなだけじゃないかしら」

「……俺にも色々あるんだよ」


 含む色々が何であるのかわからないレイナは、首を傾げてから無関心に携帯を触り始める。

 相手の言いたくないことには詰め寄らない。秘密を重んじるのも同盟の条約だ。他人じゃない他人。時々浮かぶレイナとの関係性に首を振るばかり。また、変な思考に入り立っていた俺は話題を変えるようにレイナに尋ねた。


「誰かと連絡?」

「まーね。クレナと次はいつにするかの連絡よ」

「……もう考えてるのか」

「そうね。夏休み前に一回だけしたいらしくてね、ルナは来てくれるかわからないけど……私は演奏したからね」


 レイナのバンドはそれぞれやっていることが違う。レイナは普通に学生だし、クレナとヒロは音楽学校に通いながらバイト三味だ。演奏の助っ人だったり、ステージの設備スタッフだったり、ナレーターであったり、彼らの日常は全て音楽に繋がっている。

 しかし、ルナの日常を知る人は少ない。一人で路上ライブをしていることもあれば、クレナたちみたいに助っ人でベースやギターをすることもある。時々ピアノを鳴らしたり、フラッといなくなったり。まさに神出鬼没のアーティスト。

 年齢、本名、住所、友達、家族構成、他。誰も何も知らない。俺もほとんどのことは知らないし、訊ねても誤魔化されるだけだ。

 そんな変わり種の集まるバンドが活動できるのは限られた日にしかない。ステージ費や楽器の運搬や貸し出しにもお金はかかる。現実的な問題から活動は一ヶ月に二三回ほど、練習は毎週水金土の三日間。みんなが揃う日が少ないとレイナが前にぼやいていたのを思い出した。

 レイナも平日の放課後はセンター街の喫茶店でバイトをしている。だから、甦る金曜日のやり取りが原因か、俺は何かを感じられなかった。


「演奏頑張って」


 歩き出す俺の横に並んでレイナも教室から退出する。


「あれ?次は見に来ないの?」

「うーん。暇だったら行くかも」

「どうせ暇でしょ。バイトもしてなくて勉強も部活もしてないんだから」

「それだけ聞くと、無職と同じに思えるから不思議」

「無職じゃないの?」


 何故かキョトンとしたレイナに頬が引き攣るのがわかる。お互いに嘘をつかない状態であるので、レイナの思っていることは即ち真実。俺はレイナから見れば無職扱いらしい……。

 やはり現実なんて腐っている。いや、俺が腐っているだけで、でもそんな俺に居場所を与えないこの世界もまた腐っているに同義で、やっぱりままならい。

 一気にアイデンティティを奪われた感傷に金曜日の演奏が脳内を流れて。


「はぁー……ルナの歌が聴きたい」


 雨粒なんかよりも小さく波紋も三重にしか広がらない弱々しい呟き。しかし、この物語、いや現実に相場は決まっていないらしい。


「あー『夜明けより蒼』ね」


 俺の頭の中を読み解かれたのか一瞬勘違いして警戒したが、驚く俺に「今聴きたいっていたじゃない?」と首を傾げられた。相場であれば「え?なに?」と訊き返す場面であり、拾ったうえに当たり前だと首を傾げないで欲しい。

 どっと疲れが押し寄せる疲労感を丁寧に感じていると、レイナは靴を履き替えて外に出る。

 まだ日差しの強い昼下がりは蝉の雑音がうるさく、ゆらめくような熱が体温を刺激する。


「暑いわね」

「……死ぬ」

「蝉でも一週間は生きるんだから、頑張りなさいよ……」

「太陽あるなら気温とか要らないだろ」

「意味不明なこと言ってないで帰るわよ!」


 中々校舎から出ずに粘っている俺の手を引っ張て全身を太陽の下に曝け出される。熱射攻撃と放射線攻撃の複数が、俺の生命を殺しに来た。浮かび上がる汗水を気にしながら、速足で学校を後にして影に隠れて歩く。


「本当に暑さに弱いわね。……慣れる気がしないわ」

「俺も慣れない。一年中春か秋ならいいのに」

「私が慣れないっていうのは、その日向を避ける行動のことよ」


 呆れられているが、俺も堂々と道路の真ん中でも歩いてやりたい。けれど、ただでさえ気温で太陽の攻撃力が倍増しているのに、効果抜群の日差しを喰らうなどHPが足りない。

 だから、道端で倒れるよりは仕方ないのだ。俺の奇行よりの行動を手で太陽から視界を守るレイナは思い出したように話をする。


「あの曲ってホントにルナが創ったのよね ?」

「……」

「だって、こうイメージが違うっていうか……。確かにいい歌だしみんなに響いてると思うわ。でも、なんだかこう……ルナがルナじゃないみたい」


 これはきっとファミレスでの続きにして、誰もが感じる総合評価だ。ルナを知る人物がみれば明るく活発でボーイッシュ。

 けれど、『ルナ』を知る俺から見れば、あれこそが胸の内だ。金曜日の夜にみた桜の綻びのような彼女もまた、ルナなんだ。

 社会的な『ルナ』と己的な『ルナ』。

 それがレイナたちに違和感を与えている。


「レイナはさ、あの歌をどう思ってる?」


 昨日よりも本当の感想が聞きたくて訊ねた。希望ある人間にはどう聞こえるのだろうか。希望を信じる人には何を示せているのだろうか。

 レイナは暫く思考して、夏がやって来る大きな雲が浮かぶ空を仰いだ。


「寂しい」


 一音の声音は透明。


「ピアノの入りもサビの流れもギターの盛り上がりも、とってもいいと思う。昨日も言ったけど、私はメロディーとしてはすごく好き」


 歌でも曲でもなく、メロディーとして好きだとレイナは言うのだ。音色の奏でだけが響いている。つまり……。


「でも、歌詞が合わさった時、物凄く辛く悲しい演奏になる。歌詞にもあるように死にたくて消えたい。でも、出来ないから足掻くしかない。生きるために抗っている。この世界に向かって泣き叫んでるみたいで、誰かに訴えているみたいで……私にはよくわからない」

「……」

「今の私には……悲しとしか思えない。私は、なんで希望を求めないのだろうって、そう思ったわ」


 真実だ。偽りのない感想だ。紛いない純情だ。歌詞にあるように、死にたくて消えたくて、でも足掻くしかない。泣き叫んでるのではなく、死に足掻き吠えかかっているのだ。存在意義が存在しない己の意を認められて生きていくために。せめて死なないために。

 けれど、レイナには伝わらない。哀しいや苦しい、辛いや寂しいといった普遍的なせせらぎでしかない。激情で激流で激昂ではない。


 この世界で騙し騙しの忖度なんかを許容している人間には理解されない。

 虚像の協力を重んじる社会性で生きる人工人間には届かない。

 そして、侮辱も軽蔑も畏怖も忌憚も呆れも情けなさも不甲斐なさもバカバカしさも押し付けて穿いて殺しに来る。


 俺たちみたいな異端者を。


 あの歌をルナが単独で歌った時、罵倒などの嵐で殺された。

 魔女裁判だ。列記とした差別意識だ。

 共感してくれる人もいる。涙を流してくれる人もいる。メッセージをくれる人もいる。

 けれど、それは限りなく微弱。絶滅危惧種にして増え続けるはずなのに、育てられた動物やハンターに殺され続け、表に出てくる者は今じゃ誰もいない。



 人の心なんてわかるはずがないのに。


 ああ、嘆かわしい、うざったい、ふざけている。

 ああ、そうだ。俺は抗う歌を、そして同じ境遇の者たちに届ける歌を作らないとダメなんだ。レイナのような純粋無垢であろうと、人工的な人間であっても、社会性に溺れた猿であろうと関係ない。

 否定されても潰されても殺されても、何度でも足掻くしかない。抗って生きる術を掴み取るしかないんだ。

 それが俺たち異端者だ。省かれ者の生き方だ。

 伝わらないなら轟かせてやる。理解されないなら脳髄に埋め込んでやる。批判されるなら反論してやる。

 ルナはずっと一人で歌ってきた。誰にも負けずに時にはチームに所属して、最終パートへのデッドヒートに繋げるだけでもいい。

 それでも、あの歌を歌ってきた。俺がくすんで落ちこぼれて見ないふりをしているうちに、ルナは一生懸命足掻いていたんだ。



 もう感じたのは動悸だけ。激しい灼熱の鼓動だけ。気温も日差しもにおいも風も音も俺を縛るものはいない。

 そして、鳴り響いた携帯の着信音に立ち止まって、届いた彼女からの内容に——俺は走り出した。迷いなどすべてが消え去った。


「ちょっと⁉綴琉っ⁉」


 レイナの声は届かない。風斬り音も術はない。走った。駆けた。疾走した。疾く疾く疾しる。

 点滅する横断歩道を駆け向け、人の行きかう街路を突き抜け、隘路から裏手に廻り駅のホームからストリート街へと大量の汗を散りばめて、粗々しい息をそのままに誰かの目線やバカにする笑い声など過去に、俺は彼女のいるで在ろう、そこへただ走り続けた。


 そうだ。俺は逃げていた。抗うことにも誰かと手をとることにも——独りじゃ生きていけないのに。

 怖がっていた。誰かが俺の奥深くの大事なものを殺しにくるかもしれないから。


 孤独は死連想だ。いや、死にたくなって消えたくなる、虚無に陥るから孤独になる。


 そんな俺を救ってくれたのは誰だ?ルナだ。


 ルナだけが俺の光だ。俺に意味を与えてくれた共鳴者だ。

 だから、逃げるなど許されない。創らないと、俺みたいな誰かを救うために。俺たちが求めるものを手に入れるために。生きるために。

 希望じゃない。

 願じゃない。

 奇跡でもない。

 激情だ。叫喚だ。抗いだ。咆哮の狼煙だ。

 夜明けより蒼の世界で生きる俺たちの要だ。


 だから————見えた君は桜のような音楽家だった。

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