第3話 青天の新劇

 青空が無天に広がる海の下、陽光によって隔てられた此岸と彼岸のような日だまりと影の境界。影に身を委ね、風の靡きが花々を揺らす。


 赤に黄色に緑、青に紫に白。

 在るべき存在はその色の意義として輝かせ誇っていた。


 そんな花々に包まれ蒼天を仰ぐ可憐な少女。

 天柱のような見る人の視線を奪う黄昏のような長い髪が、川のせせらぎのように流れる。体操服から覗く白雪のような透明な柔肌に、無駄な肉が華奢であり女性らしい張りのある揉み足。スラっと長い綺麗な指で髪を抑えて耳に駆ける仕草は一種の聖画。そして前髪から覗いた碧眼は海を連想させるブルーサファイアか、日差しに包まれれば陽光に輝く水面のアクアマリンのよう。


 幻想的でどこか浮世離れな少女は、風の収まりと同時に細めていた瞼を開けて、そして俺の足音か、はたまた息使いか、それとも存在感か。彼女の瞳が俺の瞳を捉えた。真っ直ぐに綺麗に清らかに、彼女の瞳の碧に俺の姿が映っている。


 沈黙が世界の時間を止めて、この中庭だけをパラレルワールドのような二人だけの空間にしているよう。

 音は自然のみ。鼓動は聞こえない。熱すらも手に持っているペットボトルの感触もわからない。

 そして、二人して見つめ合った。見つめて見つめて、見つめた。

沈黙が静寂を呼んで世界を隔離する。小さな雲の流れが何故か目に映ったのを覚えている。そして、彼女の哀しそうで虚しそうな顔も覚えているのはどうして……。

 けれど、体感時間は永遠に感じても、意識は沈むことを夢として許さない。目の前の彼女は直ぐに笑顔を作って俺に話かけた。

 その笑顔が歪で、それが俺の嫌っている疑似笑顔だと理解して、だから不思議だった。不思議だと思い込んだ。


「何か用、夜乃君?」


 まるであらかじめ用意されていた文章の朗読。模範解答。


「……違う。休憩しに来ただけだ」

「そう……暑いものね」

「……」


 沈黙が訪れる。返事を返さない俺とのキャッチボールの失敗のペナルティーは場の空気を悪くした。

 会話のキャッチボールはコミュニケーション能力の第一歩にして重大な繋ぎだ。それが成されない今、二人の間で気まずさに近い潤うことのない空気が張りつめる。


 けれど、一つだけ疑問が過ぎる。いや、疑問が過ぎったから返事を返せなかった。

 だって、以前から彼女は俺に少しばかり似ているんじゃないかと、思慮していた。それは歪んでいるとか廃れているとか壊れているとか、そういったものではない。


 一言で言うならば、諦めているが近い。


 その諦めは会話の終了で吐いたため息そのもの。彼女の生き方は知らない。自分の生き方でさえ、ずっと苦しみ叫んで逃げ出しているのだから、他人に気を遣うななんて出来ない。でも、何かが、骨が喉に刺さったような違和感と痛みが思考を止めさせない。不思議だと思い込ませ、嫌悪を排除する。その行いが自分を棚に上げた傲慢だとしても、彼女の諦観感が俺に躍起を蜂起させる。

 ……ただ、その瞳の彩がいつかどこかで見た誰かの彩に似ていたからだろう。


「じゃあ、私は行くわ。また教室で」


 居心地が悪くなったからか。それとも誰かといるのがしんどいからか。去って行こうとする彼女に、どこか燻る感情が巡り、咄嗟に彼女の名前を呼んでしまった。


日向ひなたレイナ」


 碧眼が驚愕に俺を視る。虚をつかれたカラスのように、いやイルカのように瞬きをした。

 今日初めて話したクラスメイト。お互いに名前を知っているだけの存在。人柄も詳しい交友関係も好きな食べ物も音楽も教科も何も知らない。そんな女の子との会話を無視して呼び捨てるクラスメイトの俺。

 やがて訝しむような視線に変わったレイナに委縮はしなかった。

 俺の心に残ったのはある問いと、あの日出会った誰かの感情だけ。——酷似しただけ、似ていただけ、重なっただけ。これは酷く傲慢で怠惰で荒唐無稽な馬鹿な気持ち。

 ただ、レイナの存在に何かが変わる気がした。彼女の心の内を知ることが出来るなら、今の現状を惰性的で諦観の極めな状況を打破することが出来る気がした。

 それは夢みがち、昼行灯か百鬼夜行か、はたまた迷夢と迷霧の狂酔者か。

だから、俺は問うのだ。いつかの再現よりもずっと冷酷に卑劣にゴミのように。


「君は誰だ?」


 レイナは「は?」と眉を寄せて顔を顰め、低温の声音で俺を睨むように不審者を見るようにみた。当たり前だ。俺は彼女の名前を呼んだし、記憶喪失に突然なったわけでもない。意味不明にして理解不能。

 『誰』だなんて決まっている。彼女は深く呆れたようにため息を吐いて、腕を組んで俺を睨み見据えた。


「なんなの貴方?」

「……」

「……まーいいわ。一度しか言わないから覚えておきなさい」


 そう言って、彼女は自らの名を俺に刻む。ナイフで抉るように刻む。


「私の名前は日向レイナ。貴方、夜乃綴琉と同じクラスメイトよ。次、忘れたら許さないわよ」

「…………なるほど。伝え方を間違えたかな」


 何故かレイナの名を聞いて思案し始める俺に、レイナは意味わからないとばかりにまたもため息を大きく吐いて、「なんなのこの人……」と肩を落とす。そんな彼女はお構えなしに俺の思考は進む。


「友達になろう……違うな。仲間?恋人?……どれも違う。近いけど遠い。むしろ関係性として嵌らないのか?だったら、言葉とすると何が……」


 ぶつぶつと何かを唱えているような俺を辟易として見続けるレイナは、知らないとばかりに背を向けて置き去りにしようとして、けれど、俺からの一言にばっと振り返った。


 定義を決めて当てはまる関係性を探せども、俺が描く関係性と冠する言葉が見つからない。だから、曖昧な表現で言葉に当てはめるしかない。それしか、できやしない。だから——


「——俺と一緒に生きないか?」


 なんて、まるで告白かプロポーズのような言葉と言い方に、俺自身も放ってから気付くがもう既に遅い。ほんとにキザな言い文句に、それを正しくないように正しくレイナは誤解した。


「…………ふぇっ?ちょっちょちょちょっ!え?こ、告白⁉えっえっえっぇぇぇぇっぇぇぇぇぇっ——⁉」


 突然の告白に夕焼けのように真っ赤になるレイナは、素っ頓狂な声を上げて混乱を極める。レイナが告白されたのは初めてではない。だけど、こんなにもキザで億尾もなしに唐突なプロポーズ紛いの告白。そんな少しロマンティックな経験は初めてであり、それこそ女の子として夢見ないわけでもないので大変トキメいて盛大に慌てふためく。しまったと眼を泳がせている俺などいざ知らず、レイナは俺を改めて見て早口に述べる。


「わっ私!あ、貴方のこと何も知らないし、……それに、話したのだって初めてだし……。ちょっと待って!かかっ考える時間、じゃなくてその……えっと……」


 全くな見当違いをしているレイナを見て、けれど慌てふためく姿が可笑しくて可愛らしく、言い訳や訂正よりも先に何故か笑いが抑えられなかった。何故自分が笑っているのかわからない。意味がわからない。

 けれど、いつかの誰かとは違う、目の前のレイナを少しだけ知ることが出来たからかもしれない。いや、普通の女の子でもあるんだと、安心したからかもしれない。なぜ安心したのか、知る由はない。俺は俺をわからないから、この笑顔も本物なのか知る由はない。


「あははははは——っ」と笑う俺にレイナは羞恥に顔を真っ赤にして「ちょっと!何笑っているのよ⁉」と憤慨するが、全く持って意味のなきことと、理解の延長で「あーごめん。必死で可愛いと言うか、可笑しくてね」とスラリと言葉にすると「……ふんだ。そんなこと言うなら絶対に付き合ってあげないわよ」と、 腕を組んで唇を尖らせてそっぽを向くのだ。


 まるで違う。教室で過ごす彼女の姿と違って見える。クールにビューティーな頼れる美少女ではなく、普通の怒って恥ずかしくなって戸惑い混乱する少女でしかなかった。

 これは一つの違和感を如実に既視感へと変貌させる。俺の中である答えへと導く。不思議が不可思議に変わり映る。

 それが正しいかは知らない。当てはまるのかはわからない。けれど、そろそろ何かをしなくちゃダメなのかもしれない。


 (俺も変わらないといけないみたいだ。レイナがもしもそうだったら、俺はあの時の気持ちを取り戻せる……いや、抱き直せるかもしれない。もう一度だけでも)


 そう、これは俺自身のための酷く利己的で恣意的な強欲で傲慢な願望の成し方。ただ、そこにレイナを想う気持ちは確かに存在する。俺と少し似ている彼女に利用という文句で手を伸ばすのは、きっと情なのだろう。


 ——もう迷うな、逃げるな、どんなに醜くても情けなくても鬼の心でも一歩を踏み出せ。


 だから、手を差し伸べることのできる距離まで歩いて立ち止まると、やっとレイナは俺を見た。今だ不機嫌を素直に表した姿は俺が求めていた偽りない姿。取り繕った彼女じゃなくて、本当の彼女の姿なのだろう。それを見せてくれたことにフラれたのは結果往来と考え、故に真摯に向き合う事を戒めとする。


「そっそれで……その、私のどこが……いいと思ったのよ?」


 純粋な疑問は勘違いの果てであるので、それを否定することに若干の罪悪感たる申し訳なさが押し寄せてくるが、レイナを知ることのできた結果に罪悪感たちを無情に拭い捨てる。

 決めたのならそうであろう。俺自身もそうであらなければ為せれない。『俺』という本質の垣間を見せなければ話はできない。利用できない。


「ごめん。俺が言いたかったのはそうじゃない」


 ぱちぱちと瞬きするレイナ。理解不能、意味不明、告白じゃない?

頭に宇宙が浮かび強大な穴に渦巻かれる。そんな宇宙人思想に呑み込まれたレイナをなるべくわかりやすく、かつ怒らせないように慎重に言葉を選んでいく。否だ。端的に愚直に述べることしか許されない。


「恋とか愛とかそんなものじゃない。……俺が言いたかったのは本質的なことだ」

「……本質的?てっ、告白じゃないの?」

「ああ。恋とかじゃないけど、こう……一緒にいたいってのは言葉の綾かもしれないけどほんとのこと」

「……私のこと、好きじゃないの?」

「恋愛的な意味じゃない。好感はもってる。——君の本質に」


 恋愛という部分だけを否定しながらも、言葉の些細な欠片は本心であると伝える。その奥と所々に意味深な言葉はどれだけ伝わったか。

 視線を下げて沈黙する彼女の名前を恐る恐る呼ぶのには少しの勇気と、沢山のお願いを胸に、名を呼んでみる。


「……日向」

「うるさい!よくも私をからかったわねっ!いい気にのってバーカ。とか思ってるんでしょ⁉」

「?全く思ってないけど」

「うそつき!外国人の血が混じってるから弄りに来たんでしょ⁉これでも私は外国に行ったことないのよっ!」

「この状況での告白にどう答えたらいいのかわからないけど、とにかく落ち着いてくれる。俺は日向をからかいに来たわけじゃない」

「じゃあ、なんなのよっ!プロポーズまでしておいて!」


 どうやら全く伝わっていないようで、もしくははぐらかされているようで困ってしまう。


「はは……やっぱり言葉は難しいな。思っていることの全てを表現するのにも、過剰な意味は誰かを刺激して、伝わりそうで伝わらない。簡単なのに、人間だから難しいのか……。実感したはずなのに……しくじったな」


 そう宣った俺の声は嫌に響いた。二人しかいないこの中庭。誰かがいれば、夏菜や冬斗がいれば痴話喧嘩とおちょくられるのが関の山。

 怒気を含ませた訝しみの視線が俺を突く。冷汗のような脂汗を額に浮かべて視線を外した。罪悪感や申し訳なさの延長であれ、レイナから見ればやましいようにしか見えやしない。故に彼女は突貫する。


「なら、はっきり言って。ちゃんと私が理解できるように答えて、納得させて。回りくどいのもやめて。じゃないと、ほんとに許さないわよ」


 凄みあるレイナの声音は心臓を圧迫して絞るのと、なんら変わりない攻撃を与えてくる。一瞬で息が詰まり喉がからからになっているのが、無意識にから意識的に脳髄に誕生した。五感という五感から六感までもが敏感に研ぎ澄まされる。言わば恐怖の後の冷静感に似ている。

 鼓動、汗、熱、風、視線、唾液、乾燥、怒り、訝しみ、戸惑い、力、脚の付け根から頭の天辺までの自分の姿。鮮明に冷静に異常に把握できた。

 だから、何か一つでも間違えれば、レイナを告白紛いなことでからかった男子高校生のレッテルが貼られること間違いなし。

 俺は誰かとの関わりを持ちたくないわけではない。ただ、嘘と偽りで過ごして本当の自分が見えない、そんな人と仲良くしたくない。もっと言えばほとんどの人間が嫌いで、俺も俺のことが嫌い。

 それでも生きるためには求めるものを見つけないと、俺は死にたくなる。


 もう一度あの志を叫ばないと、生きていられない。


 だから、レイナを逃がさない。きっとそこに鍵がある気がするから。

 ぶるりと震える身体の奥から息を吐いて、心音の下に空気を補充した。


「……日向は嘘とか、嫌いだよな?」


 そんな唐突な始まりに首を傾げながらもほんのり頷いた。


「……だったらなに?」


 凄むレイナに考えて考えて考える。どうすればレイナを取り入れられる。どうすれば心を開けさせられる。どうすれば利用できる。きっとこの考え自体狂っている。普通の人には考えられないような思考回路かもしれない。そんなものは知らない。



 ——人間は等しく醜悪で酷く身勝手な生き物だ。



「本当の気持ちを隠して、周りの誰かや空気に合わせる。笑いたくないのに笑みをつくって、一人でいたいのに輪を乱さないように気を配って、誰かの期待に応えるために自分自身を繕って…………そうやって偽って過ごしている。そんなの嫌いだろ?」


「…………」


 沈黙は肯定とみなすことは今はしない。それはこの場にて浅はかだ。

 レイナの鋭く真摯な瞳が微かに揺れたのも、握りしめられる拳も、俺に寄せる感情の波も、知っているだけでいい。


「周りに合わせて機嫌をとったり、意見を曲げたり……誤魔化して笑ってため息を誰にも知られないように吐いて、それでまた普通に生きる。……誤魔化しも上辺も忖度も嫌いだろ?有邨さんみたいな素直で誰かを思いやれる人が好きなんだろ」


 最後だけは疑問ではなく確信で放つ。レイナに言ったどれもが俺に当てはまり苦笑いもしたくなるし、死にたくなる。皮肉だ。わかっていながらのこの有様と醜態なのだ。レイナに告げた言葉全てが、自分への皮肉である。けれど、彼女自身にも当てはまると願う。そうであってくれと言い切る。

 そして、口を噤むレイナを見て、俺の心の奥底はニヤリと口角を上げた。

 だから、示すべきである。

 俺という存在を。

 言葉だけでも、伝えなければならない。


「俺も一緒。その全部が嫌いで……だから、ある日突然、世界がモノクロになったんだ」


 まるで、小説の冒頭のような語り文句にレイナが「なにそれ?」と少し噴きだすように訊いた。

 俺もそう思う。こんなセリフを言えば主人公になった気分だ。でも、俺は主人公になれるような人間じゃない。かっこよくもなければ頭もそれほどいいわけじゃない。多少運動は出来るとしても冬斗のようにモテることも、和希のように誰からも慕われることもない。


 …………そんな脇役。そんな普遍。そんな無能。主人公の傍にいるようなただの傍観者。もしくは『友達』という名の張りぼて。


 だから、なのかはわからないけど、きっとヒロインはレイナなのだろう。見間違うことなく変化のできる特別な存在。オーラであり魅力であり力であり、俺には備わっていないものを全て彼女は天賦を受け貰っている。

 本当に皮肉で糞みたいだけれど、彼女の傍にいれば、俺は羽ばたけると、どこかで履き違えながらもそう思う。


 間違えながらも、あの場所へと、あの日へと、志を抱き帰れる気がする。



 こんな世界は、もううんざりだ。



「嘘を吐いて、偽って、他人の顔色ばかり窺って関係を作っているのが、物凄く無意味に無価値にバカバカしく思えていた。それで、気づいた時には……俺はもうそっちには行けない人間になってた。いや、なった。……仮面を被って本音や本心で過ごせない人たちと過ごすことが、俺は嫌いなんだ」


 吐露していく。感じた世界を吐き出していく。そんな俺の言葉をレイナは神妙に、けれど感じる何かを胸に静かに耳を澄ませる。


「だから、クラスでも下手に誰とも関わらないし、そんな関係なら友達だって要らない。誰も信頼しない、人間は平等に酷く醜悪で低俗だ。……俺はせめて『綴琉』という人間でありたいと…………今はそう思える」


 俺の『個性』を『個人』を表すための唯一の呼名。

 名前一つに自分がいて、自分じゃない偽りの俺もいる。だけど、本質の根本はきっと本心。

 それを手放したくない。俺は『綴琉』を誇りに生きていたい。そんな意味は届いただろうか。いつかのようなちょっとした吐露は彼女を刺激しただろうか。

 きっと届いたはずだ。だって、これから言う事は俺の言葉を理解できる人への利己心だ。


「きっと、日向もそうだと思う」

「私も……」

「ああ。嘘が嫌いで偽るのが嫌で、本音で楽しく過ごしたい人なんじゃないか?俺と似てるかもって」

「……どうして、そう思うの?」


 縋るような声音。迷うような瞳。願うような問い。俺の頬が自然に笑顔になった。


「だって彼女おれみたいな表情かおをしてるから」


 既視感からの都合のいいような推測だけで、宣う。

 レイナを知らない。知っていることがあれども知らないことだらけ。性格も交友関係も性も何も知らない。

 だけれど、その『表情』だけは知っている。世界がモノクロに見えている悲しい表情だ。為す事に迷いを生じ、虚無に堕ちていく悲観の表情だ。

 だから、碧眼の瞳を大きく開いたレイナに、俺は違う言葉で端的に申し出た。


「——俺と『仲良く』なろう」


「——っ⁉」


 その『仲良く』の意味合いにレイナはもっと目を大きく開け、小さな唇の間から吐息を漏らす。きっと適切な言葉は存在しない。だから、曖昧にそれでも強く意味だけはかなぐり捨てずに刻み込む。


「俺と日向は同士みたいなものだろ?だから、お互いに傍にいれば仮面を被ったり上辺で話さなくて、本音でいられる」


「……本音」


「ああ。言えば同盟みたいなものだ。だって、本音で言い合えるってわかっている相手がいれば、気が楽になれると思わないか?まー俺がそうしただけってものあるけど……」


 なんて苦笑う俺は何だか恥ずかしい感じで髪の毛を弄ってしまう。我ながら堂々とできてないと、肩を落とすも、レイナの様子だけは見逃さない。


 回る言葉。リフレインの過去。問われる己への本音。


 ぱっちりと大きく開いていた眼が瞬きを数回。口が開いて閉じて、何かを言いたくて、もどかしくて、でも言い難くて。逡巡して思案して俺の内を読もうと疑りかかって。

 そんな様々な想いの果て、呟くような小さな風に呑まれる声音が鼓膜を揺らした。


「貴方に合わせなくていいの?」

「いいよ。俺も無理に合わせないから」

「『本音』を語っていいの?」

「いいよ。俺も『本音』で言うから」

「貴方のこと好きじゃないけど……いいの?」

「……それまだ引っ張るの?俺も恥ずかしいからやめて」

「なっ!私の方が勝ってにあれこれ考えちゃって恥ずかしいのよ!別に弄ってもいいでしょ。お返しだから」

「そう。……なら仕方ないな。少しは満更でもなかったと」

「そんな事言ってないわよっ!バッサリとフルのが可哀想だったから、ちょっと考えてあげたのっ!私、これでも人気あるのよ」

「はいはいそうだね」

「ちょっと!ちゃんと聞きなさいよ!」


 そう叫ぶレイナに俺は笑った。そんな俺を見てレイナもまた納得いかないとばかりに、けれど釣られて笑った。


 青空の下を駆ける風に揺られる花々と一緒に笑顔を咲かせた。


 きっと、レイナはこんな本音で笑い合いたかったのだろう。本心で繋がりたかったのだろう。


 相手の顔色を窺って意味のない持て成しや忖度なんかじゃなくて、怒って笑って泣いて叫んで膨れて不機嫌になってご機嫌になって弄って弄り返して、やっぱり最後は清々しく夕陽でも青空でも花でも見たい。——そんな関係を求めていたに違いない。


 そこだけが違う、けれど本質は似ている。

 だから、彼女の考えはある程度俺にはわかる。ほんとのところは知らない。

 けれど、今目の前で笑っているその笑顔は、きっと夕焼けのように眩しく、いつか求めた淡さの純粋に等しく、今はもう願うことも求めることもしなくなった青い花が咲いていた。


 社会の縮図のような学校生活なんて嫌だ。

 華の高校生に待っているのは、清らかで泣いて笑って叫ぶような輝かしい青春じゃないと味気ない。キラキラと輝かしい青春を謳歌しなければ、きっと後悔する。

 それを成したいレイナは、俺と手を繋ぎ合わせないとダメなんだ。

 俺も彼女にそうであると手を繋ぎ合わせる。


 ……そう、俺は『俺』を誤魔化した。

 それが本心で本音であると、俺自身を無様に情けなく馬鹿みたいに偽った。

 こんな学校での青春なんて望んでいないくせに……。

 結局は嘘を吐かないだけで、秘密だらけなのに。

 それでも、俺を誤魔化して、この関係の先にあの日々の志を求める。それがどれだけ歪でも醜くても美しくても、俺は求める。

 ——————

 透明な風は澄んだ心のよう。囁くような草木は木漏れ日に浸る。

 もう直ぐ、影がなくなる。俺たちのいる世界に光が射す。

 燕の鳴き声、応援の掛け声、気合を入れる人気の音楽に時を忘れさせる熱。青春を象る群像の熱だ。

 憧れた高校生活。楽しみな青春。レイナは髪を払って俺をもう一度見つめた。



「——いいわ。貴方の我儘に付き合ってあげる」



 レイナは上からに、でも嬉しそうに俺に言い放った。個性と個人、己を表すその唯一無二の親に与えられた存在証明の『名前』と一緒に。


「…………ああ。これからよろしくな、レイナ」

「っ!こちらこそよろしくね!綴琉つづる!」


 こうして俺とレイナは微笑んだ。仮面を被らない、忖度も上辺もない本物のような関係性を求めて……。


「ところでどうして『一緒に生きよう』なんて誤解されるような言葉にしたの?」


 純粋な質問に俺は悩むように答える。


「……この関係を表す言葉が見つからなかったからかな。友達とも親友とも違うだろ。そうなると、同盟か、後は一緒に生きようって言葉しか浮かばなかった」

「まー私も貴方の立場ならそう考えるかもだけど……ちゃんと考えないとダメよ。仲良くは及第点ね」

「勘違いするから?」


 そう返すとレイナは「ぐぅぅぅっ!」と羞恥して怒りを覚える。そんなんでもない会話さえも輝いて見えた。



 この求めた輝きはきっと忘れない。この日の出来事はきっと忘れない。忘れない。……忘れられない。



「まーいいわ。それよりも、ほら行きましょう!」

「え?どこに?」

「決まってるでしょ。体育祭によっ!」


 そう言ってレイナは俺の腕を掴んで走りだす。慌ててついて行く俺に振り返ってとびっきりの心からの笑顔で伝えた。



「これから二人でも~~っと、楽しい青春を謳歌するわよ!」



 これが俺とレイナの出会いだった。輝かしく求めあった未熟な学生の青春劇の始まりだった。

 そして、彼女をいづれ傷つけると知りながら、傍に居続ける矛盾で酷く利己的な物語の始まりだった。 

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