第9話 家族を裏切った母




家に着くとリビングから女同士の言い争う声が耳に入って来る。家は数少ない聖域なんだからあまり騒がしくしないで欲しい。



「──いちいち言われなくても分かってるよ!」


「……そんな言い方しないの優香。寝ながら食べるのは身体に悪いわよ?」


「チッ……うぜぇ」


一つが姉ちゃんで、もう片っぽうの声は……耳障りで仕方ない。


俺がリビングに入ろうか悩んでいると、中から姉ちゃんが飛び出して来た為、廊下で鉢合わせになる。

口論を聞かれたのが恥ずかしかったらしく、姉ちゃんは気まずそうに目線を逸らした。



「……帰って来たんなら、ただいまくらい言いな……ほれ」


「はい、ただいま」


「相変わらず間抜け面……くそウケる」


「帰って来てそうそう喧嘩売ってんのか?あんま調子乗んなよ?おん??」


「ああん?」


「おぉう……お姉様お許しを。その振り上げた拳をどうか収め下さい、可愛い弟をぶたないで」


「まぁ疲れてるからこの辺で勘弁してやる。優しい姉さんに感謝しなよ」


「ありがとう!!可愛い弟を許してくれるんだね!!もうお姉ちゃん好き!!」


「……可愛い強調するのやめろコラッ………で?優しい姉ちゃん、どれくらい好きなん?」


「優しい強調すんなコラッ………別にそこまで好きじゃねーよ」


「……………」


「ごめんなさい」


「謝んなら最初からイキんなし………つーか好きじゃないとか意味分かんないし、マジないわ……はぁ……」


文句をぶつぶつ垂れながら姉ちゃんは自分の部屋へ向かった。朝の件で殺されると覚悟してたんだが……どうやら命拾いしたようだ。

あと悲しい顔をしていたのが滅茶苦茶気になる。


というよりあの女、アイツと言い合いしてた割に随分と余裕があるな……もしや二重人格者か?

ただでさえヤンキーなのに、それに加えて精神異常者とか救いようがねーな。

弟として鼻が低いよ……怖いから本人の前では言わないけど。



──雄治が姉の行く末を心配していると、優香と揉めていた女性がリビングから顔を覗かせる。

そして雄治を見つけると嬉しそうに笑った。



「あ、雄治、おかえりなさい。今日は早くお仕事が終わったから早めに帰って来たの。学校は楽しかった?もし勉強でわからない事があったら──」


「大丈夫だよ、母さん」


「……う、うん。わかったわ……そうだ、夕飯できるまでコーヒーでも飲む?」


「部屋に戻ってる」


「そ、そう……それじゃ御飯が出来たら呼ぶわね?」


「わかった」


会話が終わると、雄治が母さんと呼んだ女性はリビングへと戻って行く。

普段なら雄治もリビングの中で寛ぐのだが、その女性と同じ空間に居るのが嫌らしく、姉と同じように自室へと向かった。



──先ほど話していた女性は雄治の母親。

名前を杏奈という。


高校生の子供が居るとは思えないほど若々しく、それで居て美しい容姿をしている。

また実年齢も36歳と非常に若く、雄治にとっては同級生にマウントを取れるほど綺麗で自慢の母親……だった。


しかしそれも昔の話だ。




──単刀直入に言うと、今の雄治は杏奈の事を嫌っている。


それは姉の優香も同じだが、彼女の場合は反抗期であり父親も同様に嫌っている。雄治のように母親だけに一方的な嫌悪感を抱いてる訳ではないのだ。



そして彼が杏奈を嫌悪する理由は至極簡単。


彼女が家族を裏切ったからだ。

三年前、母親と知らない男性がホテルの中から一緒に出て来るところを雄治は直接目撃してしまっていた。


その後、酒に酔わされ無理やり連れ込まれた、一緒に出てきた理由も警察に突き出すつもりだった……と、必死に弁明されていたが、あんな場面を見せられて信じられる筈もない。


行為には及んでなかったとも言われたが、例えそうでも許せるモノでは無かった。

母親が知らない男とホテルから出てきたシーンは、今でも雄治の脳裏にしっかりと焼き付いて離れないのだ。


あの日から、雄治の中の母は間違いなく消え失せている。

杏奈とこんな事になってさえなければ、雄治もあそこまで愛梨に怒りを感じなかっただろう。

この一件以来、交際にせよ何にせよ男女間のトラブルに潔癖になってしまっているのだ。



──因みに、この事を雄治は誰にも話しておらず、杏奈にも話させていない。

もちろん父にも姉にもタブーとしており、二人だけの秘密にしている。

当然それは母を思っての事ではない……下手に話を広げて家族の関係が壊れるのを雄治は恐れていた。


罪悪感に耐えかねた彼女が何度も本当のことを話そうとしても雄治はそれを許さなかった。傷付くのは自分と裏切った女だけで良いと考えている。


どんなに説得しても雄治は決して折れない為、杏奈は雄治に自分の行動を全て報告し、居場所がいつでも分かるようにGPSまで自身のスマホに取り付けた。

自分があの日から家族を裏切ってない事を、どうしても雄治に解って貰いたかったのである。


しかし雄治の疑心暗鬼の念は深く、それでも母を信用できずに居る。

もう大丈夫だと自身に言い聞かせてもダメだった……それは雄治にとっても辛い事なのだ。


母親があの日を境にどんなに頑張ってるのか、どれだけ後悔しているのか、どれだけ関係を改善しようと努力しているのか……それは雄治も充分に理解しているつもりだ。

アレだけ好きだった酒も、あの日から一切口にしなくなっている。


それでも心が拒否反応を示してしまう。本当に自分の意思ではどうにもならない問題なのだ。



「………運がないよな……近道だからって、あんな道さえ通らなかったら……母さんに会わなかったのに……」


雄治はベッドに寝転がり天井を見詰める。

恨むのはあの日、母親をあんな場所で偶然目撃してしまった自分自身に対してだ。

あんな場所で出会さなければ、何も知らずこれまで通りの親子関係で居られたと雄治は考えている。


でもそんな事を考えても仕方ないと、雄治は首を振って自身に言い聞かせた。




──雄治は夕飯が出来るまでスマホを弄りながら時間を潰そうと思ったが、唐突に姉から貰ったプリンを食べたくなった。


気分を落ち着かせるには甘い物を食べるのが良いと聞くが、それは本当の事かも知れない。

何故なら今の雄治は激烈に糖分を欲している。



「──でもリビングには行きたくないしな……どうしようか…………あ、そうだ!」


良い事を思い付いた、姉ちゃんに取りに行かそう。



──俺は姉ちゃんの部屋へと向かった。

ノックせずにそのままドアを開け放つ。怒られそうだけど、まぁ謝れば許してくれるだろう……ああ見えて案外チョロいし。


「姉ちゃん!可愛い弟からお願いが有るんだけど!」


「ぬはぁっ!!?ちょっ、急に開けんなし!」


「ふふっ」


「嫌な笑い方すんな!」


いやいやお姉様、制服のままベッドに寝そべるのはどうかと思うぞ?

慌ててスカートを抑えてたけど、足がこっち向いてたからバッチリ見えた。今さら顔を紅くしても遅いのさ。


「姉ちゃん……驚いたにしても流石に『ぬはぁっ!!?』は無いでしょ……可愛くないよ。あとベッドに寝転がるなら制服くらい着替えなよ……はしたない。俺はそんなこと絶対にしないぞ?」


「お、お前……!!──よし!良い度胸だ!ちょっとこっち来い!!」


「ごめんなさい」


「素直に謝れば毎回許して貰えると思うなよ?」


「え……?今回はダメな感じ……?」


「ふふっ」


「嫌な笑い方すんなし……!!──あ、そうだ姉ちゃん、朝可愛い弟にくれたプリンあるじゃん?アレ取ってきてよ」


「……私の怒りを無視すんなとか、自分で取りに行けとか、可愛い弟ネタいつまで引きずってんねんとか、言いたい事は山ほど有るけど……」


一旦言葉を区切り、優香は神妙な顔付きで言葉を続けた。



「……母さんを嫌うのは程々にしときなよ?アレっしょ?母さんに会いたくないから私に頼もうとしてるんでしょ?」


「……姉ちゃんには関係ないよ」


「いや関係あるから、今実際にパシリ頼まれてるし………てかあのさ」


優香はひとつ間を置いた。

それから繊細な弟が傷つかないように、なるべく言葉を選んで話を続ける。


「アンタと母さんの間に何が有ったのかは知んないけどね?あんま度が過ぎると取り返しが付かなくなるよ?──まぁ私が言っても説得力ないかもだけど……ただ私の場合ほら、本気で母さん嫌いな訳じゃないよ?反抗期的なアレよアレ」


「………」


もう取り返しが付かなくなってる。

それだけの場面を見てしまったんだから。

それに自覚のある反抗期とか意味が分からないぞ?思春期の無自覚な親不孝だからこその反抗期だと思うけど……



……ただ、仮に姉ちゃんに言ったらどうなるんだろう?

母さんの味方になるのか、それとも俺と同じで母さんを心の底から嫌いになるか……



………



………どっちになっても嫌だ。


だから絶対に秘密。あの日の事は言うべきではない。俺と母さんが犠牲になれば良いんだ。そうすれば家族を守ることが出来るんだから。


でも……どう言って姉ちゃんを誤魔化そうか──




──雄治はどう返せば良いのか分からず黙り込む。


それを観て優香は溜息を吐いた。

これ以上の詮索は良くないと察したらしく、話題を変える事にした。



「雄治、プリンは諦めな」


「え?どうして?」


「朝のアンタの態度がムカついたからさっき食った」


「……なに?姉ちゃん食ったの!?」


あ、あれか……寝ながら食うなとか注意されてたアレか……!!

くそっ!あの会話の中に伏線が敷かれて居たとは……この坂本雄治の目を持っても見抜けなかった……!!



「超美味かった。いやもうマジで最高。伊達に490円の高額値段付いてないわ」


「490円……?なにそれ?値段だけで既に美味そうなんだが……てか何で食べちゃうの?このプリンをどうしても食べたい気持ちどうすれば良い?なぁ姉ちゃんよぉ?」


「ごめんね」


「素直に謝れば許して貰えると思うなよ?」


「おっ!私ら流石姉弟……さっきから言うこと似てんね!」


え?なにこの女?

めちゃくちゃムカつくんだけど?




──その後、どうしてもプリンが食べたかった雄治はコンビニまで買いに行くのだった。

そして100円のプリンを食べながら、本来自分が食べる筈だったゴージャスな490円プリンを想い浮かべたという。






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