第14話 結城との電話

 もしもし、と応答すれば、3秒ほどの時差があって、幾許か元気な様子の挨拶が返ってくる。3週間前には、入院しているこちら側が心配になる程、弱々しい挨拶が帰ってきていたが、3日ずつ、段々と彼が元気になっていくのがハッキリと分かり、心から安堵してしまう。遠く離れた私が彼に出来ることは、この3日に一度の電話口で彼の愚痴や不安、不満を聞いて、自分の方も不満や不安をぶつける事だ、と、お互いに思っての電話である。色気のない共依存に陥りつつあるのかも、知れない。


 新工場の設備の凄さや、同僚やパート職員の並々ならぬ仕事への情熱に影響を受けている事や、新機構故の不具合の多さの不満、忙しさのせいで、未だに新天地の観光や、聖地巡礼を済ませられていない事などを聞いた。少しずつ彼も変わっていっている事を実感し、共感したり、ふとした事で盛り上がったりした。とある事情で同棲する事になった某上司との生活については一切触れる素振りはなかったため、こちらも触れないでいてあげるのがいいのだろう。


 私は、五郎先生のお陰で、少しずつ毎日に色が戻ってきている事を報告した。彼は喜んでくれて、またそこで話が盛り上がった。気付けば通話時間は1時間を超えて、やがて会話は終わりを迎える。私は久々の楽しい会話の満足感と、長時間喋った事による喉の痛みを心地よく感じていた。

 

「結城」という男とは、物心付くかつかない頃からの友人であり、私がこの様に、5度も6度も「遁走」を繰り返しても疎遠になる事もなく、気の置けない親友をさせて貰っている。入院当初は病院の近くに住んでいた事もあり、ちょくちょく見舞いに来てくれたが、つい2か月前、仕事の関係で箱根へ異動が決まり、その直後から、こうして3日に一度電話をくれている。


 アニメ、映画、クレー射撃やキャンプを趣味とするアウトドア系のオタクである彼とは、20代を通してよく彼の実家で呑み、徹夜で話し明かしたものである。さまざまなアルバイトを転々とし、行き着いた先は、日本一のシェアを誇るモヤシ専門の食品会社、へし切り食品株式会社の、当別工場であった。


 彼のモヤシへかける情熱は、並々ならぬものがあり、下手に飲み会の話題がモヤシに向こうものなら、彼のモヤシ愛に溢れたモヤシトークを止められる者は居なかった。その話をつまみに食べる、彼特製のモヤシサラダは美味い。それぞれのモヤシにベストマッチする切り方、付け合わせに非常なセンスを発揮し、味付けは塩だけの筈なのに、大いなる満足感を与えてくれた。しかしそれ以外の料理はからっきしであり、ふた月前の一人暮らしデビュー後、道民にはキツい箱根の夏の熱気と、モヤシばっかり食べている食生活により、案の定職場で倒れたことがあったそうだ。


 彼にとって、今回の箱根への異動は悲喜交々の複雑な感情を抱かせる異動であった。移動先の、へし切り食品株式会社箱根モヤシ工場は、へし切食品が実験的で挑戦的な、全く新しい概念のモヤシ栽培に挑む、最新鋭の工場であった。社長自らがこのプロジェクトのため、モヤシ愛に溢れた人材を探して、全国の工場を行脚し、見事にその眼鏡に適った人材として、結城を発掘したのだ。当然、最先端の工場へ、社長直々の勅命での異動だ、栄転である。しかし、モヤシと各種趣味、地元愛以外の執着を持ち合わせていない彼にとっては、正直言って迷惑なところが多かった様で、出発前には面会時にその愚痴を聞いていたものだ。最終的に、箱根は彼の愛して止まない某アニメの聖地である事を力説され、見事に社長に口説き落とされ、様々な準備を周到に用意して、意気揚々と出発して行った。


 しかし、現地に着くと、まず暑さにやられてしまった。社長が気を利かせて、新工場の近くに借り上げたアパートの一室に当たった彼だったが、その部屋のクーラーに故障が見つかり、交換まで1週間をその部屋で過ごしたのだ。周辺の宿泊施設は、自粛によって営業しておらず、頼れる人もおらず、アパートは満室で、どうにもならなかったのだ。


 続いて新工場の新機軸が思わぬトラブルを頻発し、そのストレスと残業に精神をやられてしまった。更に自炊に拘った結果、モヤシばかりの食生活がトドメとなり、箱根上陸2週間目に倒れてしまったのだった。


 彼の窮状は上司の知る所となり、彼は半ば強制的に、上司の部屋へ引き取られていったという。その上司から、友人と電話する事を勧められて、この3日に一度の電話は始まったのだった。


 一つ面白い、いや、面白くないのは、その上司、深見さんと言うらしいが、結城曰く同世代の美人で、独身の恋人もいない人なのだとか。今の所は何がある訳でもないが、仕事で顔を突き合わせる上に、家に帰れば家事を分担して快適に暮らしているらしい。側から聞いているとどう聞いても同棲だ。けしからん。いずれ彼の両親の耳に入れなければいけないと、私は決心していた。


 しかし、友人がなんとか新天地で平穏に過ごしているのなら、これほど嬉しいことはない。時計を見ると、既に20時半を回っている。私は本日の活動はこれまで、と、寝る準備に取り掛かる。


 20時45分、またもスマホが着信を告げる。そこには、結城と同じく幼馴染の、「真田」の名前が表示されていた。今日の夜は、どうやら長くなりそうだ。

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