第7話 カウンセリング第一回目①

 翌朝、いつものように朝食までのルーティンを繰り返した私は、カウンセリング用の相談室へと向かっていた。診察室とカウンセリング用の相談室は別室となっており、病室から2つ隣の部屋であるため、診察室より近い位置にある。

 緊張せず、ありのままを正直に答えなければいけないと、今朝起きてから心を落ち着けることに専念して、この時間を迎えた。思うのは簡単で、自分は思いのほかすぐに嘘という衣をかぶってしまう所がある。それを反省し、すべてをさらけ出すつもりで相談室のドアをノックした。

 7畳ほどの部屋に少し洒落た内装を施された相談室には、五郎先生が座って待っていた。

 まずは朝の挨拶と、現在の体調を聞かれ、快調である旨を答える。それでは、ここからは先輩の「遁走」が、どのように始まったのか、その謎を解いていく時間にしましょう、と、五郎先生は言った。まずはご自身の人生を振り返ってみましょう。もちろん、語りたくないことがあれば、伏せていただいても大丈夫ですよ、との言葉に、私は自身の人生を振り返るのだった。


 北海道の大都会、札幌で生まれた私は、物心つく直前に近郊の小さなベッドタウンに引っ越したと聞いていた。物心がつく頃、最初の記憶は、初めてできた地元の友人と雪遊びをしていたことだったと思う。新興住宅地であった実家の周りは、まだ緑にあふれており、道端に大きなクワガタムシが歩いていた、そんな写真も残っている。

 幼稚園の頃は落ち着きもなく、家の周りをちょろちょろと走り回る子供だった。その割には少し臆病なところもあり、当時幼稚園で2大派閥、まぁ、今思えば可愛いものだが、その一方のリーダー的存在の男の子と、家も近くて仲が良かった。

 やがてそれぞれ子供たちも、仲間たちとそれぞれの家にお邪魔して遊ぶようになったが、私はあまり人の家にお邪魔したり、招待することが得意ではなかったように思う。なぜだったのかな。


 ここまで一気に語った私は、持参してきた麦茶を一口飲んだ。五郎先生はノートにポイントを書き込んでいるようであるが、逆文字読解の素養を持たない私には判読できなかった。こういう医者の取ってているメモは、昔から気になっていたのだが、一向に読み取ることはできていない。視線に気づいた五郎先生は顔をあげて、気になりますか、と聞いてきたが、大丈夫、気にしていない、と答え、供述を再開した。


 何の話からだったか、そうだ、小さい子供の頃ののコミュニケーションが不得手だったことだったか。きっとおそらく、父親が苦手だったからだ。私の父は教育関係者で、しつけは厳しい方であった。仕事も忙しそうであったし、そんなところを邪魔するのはいけない、と、いらない気を廻していたのかもしれない。それが、もしかしたら八方美人となる原点であったのかもしれない。

 一つ思い出した。あれは幼稚園の頃、冬にソリ滑りがしたいとわがままを言った私を、父が近くのそり滑りができる場所へ連れて行ってくれたことがあったんだが、あいにくとお休みの日だったんだ。癇癪を起して泣きわめく私に、父が一言怒鳴りつけた。すでにもう、なんと言っていたのかは忘れたが、あの一件で、父に逆らっちゃいけない、不愉快にさせると怒鳴られる、それと不信感みたいなものを覚えてしまったのかもしれない。


 麦茶の残りを一気に飲み干すと、もう一本持ってきた分の蓋を開ける。まだまだ話は進んでいないのに、かなり集中力を持っていかれた気がする。

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