9
寝汗がひどい。
今までの記録からしても悪夢は良く見る方だが今回のはいつにもまして恐ろしい。
悪夢を見て夜中に起きると何故か必ず時計が01:48を指している。
何か意味があるのだろうか。
その時間に心当たりがあるわけでも無いが。
ー
このままでは不味い。ヤバい。
夢に意識が降り立った時に俺がまず思った事。
この場所はよく知っている。
薄くひび割れた鉄筋コンクリート。
緑色の無機質な床。
窓から見える花の無い桜の木。
無機質な床に垂直に立つ木造の引き戸に強い違和感を抱く。
間違いない。
ここは俺の小学生の頃の母校だ。
ただ母校にいるだけなら懐古な夢で終わる。
だがこの夢はそうではない。
何がヤバいのか。
俺は校舎の3階の廊下で一人、
全裸で立ち尽くしていた。
何故こんな事になっている。
最近夢で見る俺の格好がおかし過ぎる。
黒タイツ一丁だったり腰ミノ一丁だったり。
そんな特殊な
とうとう全裸ときた。
校舎に一人佇む猥褻物、
そんな俺に予期せぬ試練が訪れた。
それにはまず校舎の形を説明しよう。
校舎は3階立てで東と西の端に階段があり、そのちょうど間ぐらいの所にも中央階段がある。
その中央階段を軸に横長の校舎が校庭を囲もうとするように少しくの字に曲がっている形だ。
中央階段から西側が全て教室で、東側の2、3階は特別教室、1階には職員室があり、2階の東端には併設されている体育館への連絡通路がある。
これが我が母校の簡易的説明である。
その校舎の3階、中央階段から少し東側で途方に暮れる全裸の俺の耳に、遠くから話し声が聞こえてきた。
間違いない。これは西側の教室方面から聞こえている。
その話し声は段々と大きくなってきている。
どうやらこちらに近づいてきているようだ。
やはり今回も悪夢だと、俺はこの時点で気づいていた。
とにかく現状を何とかしなくては。
そう思うと同時にゲームが開始するかのように体を動かす事が出来るようになった。
やつらは西から来る。
階段は中央が一番近いが降りがかりに見つかってしまうだろう。それに降りた所に別の人間がいるかも知れない。
ならば選択肢は1つ、東へ俺は全裸全力で駆け出した。
特別教室が並ぶ東側なら人に遭遇する確率は西よりは少ないと踏んで俺は必死走る。
なのに。
俺の足は都度床を踏んでいるのにまるで宙で空回りするようにうまく前進してくれない。
これが夢である事を夢ながらに実感する。
夢の中で自分の意思で体を動かせるようになっても思うようにスムーズに動かせないのは現実で体が寝ているからだと何かの記事で読んだ。
きっとその通りなのだろう。
全くもって走れない。
少しずつ、少しずつ前に進んではいるがこのままでは、
とうとう後ろの方からキャーとかイヤーとか聞こえ出した。
ゲームオーバーだ。
もう早く目覚めたい。
いつもの悪夢なら災難のピークら辺で飛び起きるのに、
今回に限って何故起きられない。
まだ何か起こるのか。
声のする方からゆっくりと逃げ続ける俺は東階段に辿り着いた。
迷い無く階段を降りると更にその東、体育館への連絡通路が見えた。
こっちへ逃げれば何とかなるかも知れない。
そう思って俺は連絡通路に足を踏み入れ追手が来てないか確認する為に後ろを振り返る。
そこには何故か熊がいた。
体長は2メートル超に達するだろう巨大な熊だ。
もう書いていて訳がわからない。
とにかく俺は逃げるしかない。
夢の中でも何かに追われている時はリアルな恐怖感に襲われるものだ。
今間違い無く現実の俺は
体育館へと続く通路を空回りする足で走り必死で逃げる俺。
どうやらこの熊の足は遅いようだ。
ふと後ろを振り返るとその姿が見えない。
だが確実に近づいてきている気配はするのでまだ油断は出来ない。
俺は前を向き直して走り、やがて体育館入口に到着する。
この中ならどこか身を隠せる所もある筈だ。
そう確信を持って両開きの引き戸に手をかけるとまさかの閉錠。
どうする。このままでは熊に追いつかれてしまう。
こちらは全裸で熊の餌になる準備は完璧に整ってしまっている。
しかし食われてたまるか。
入口の周りを見渡すと、通路の隅に掃除用具箱があるのを発見した。
もうここしか無い。
俺は音を立てないように忍んで掃除用具箱に身を隠した。
息遣いが荒い、恐怖と緊張に自分の心臓の鼓動が外に聞こえるんじゃないかと思う程に早く大きくなる。
どす、どす、と足音が聞こえてきた。
熊は近くにいる。
用具箱の隙間から外を伺うと、四つ足でゆっくりと闊歩する熊の姿を認めた。
頼む。気付くな。引き返せ。
俺の祈りは届かないのか、熊は段々と用具箱に近づいてきた。
そしていよいよ目の前まで来てしまった。
息遣いが更に荒くなる。
心臓は今にも口から飛び出そうだ。
熊の表情がはっきり見えている。
口を閉じて無表情にキョロキョロと辺りを見回している。
ふと、熊の顔がこちらを向いた。
あ、と思った時には
熊の赤みがかった瞳がこちらを向いていて。
完全に目が合った。
その時熊は現実ではあり得ないような顔で、
探し物をやっと見つけて喜ぶかのように、
ニヤ~っと俺に笑いかけたのだ。
ー
夢の記憶はここで終わっている。
幸いにも食われる前に起きる事が出来た。
寒い季節だというのに体は寝汗にまみれている。
恐怖の余韻で少し体が震え、生きている事を実感する。
たかが夢の話だが、今俺の唯一の生活の刺激はこれである。
飯の後よりも、仕事の後よりも、夢から飛び起きた時の一服が一番うまい。
そこで筆を締めて、ベランダに出て夢で火照った身体を冷ましながら煙草に火を着ける。
ゆっくりと吐き出す煙に霞んだ月の優しい色が綺麗だった。
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