第三話 坂本龍馬

     六

 キューパー総督は薩摩藩の汽船を拿捕することにした。

 四つ(午前十時)頃、コケット号、アーガス号、レースホース号が、それぞれ拿捕した汽船をつなぎ、もとの碇泊地に戻った。

 鶴丸城がイギリス艦隊の射程距離にあるとみて、久光、忠義親子は本陣を千眼寺に移した。三隻が拿捕されたと知ると、久光、忠義は戦闘開始を指示した。

 七月二日は天候が悪化し、雨が振りつけてくる嵐のような朝になった。

 ニールたちは薩摩藩がどんな抵抗をしてくるか見守っていた。

 正午までは何ともなかった。だが、正午を過ぎたとき、暴風とともに一発の砲声が鳴り渡り、イギリス兵たちは驚いて飛び上がった。

 たちまちあらゆるところから砲弾が飛んできた。最初の一発を撃ったのは、天保山砂揚げ場の台場に十一門の砲をならべた鎌田市兵衛の砲兵隊であったという。

 イギリス艦隊も砲弾の嵐で応戦した。

 薩摩軍の砲弾は射程が短いのでほとんど海の中に落ちる。雲霞の如くイギリス艦隊から砲弾が雨あられと撃ちこまれる。拿捕した薩摩船は焼かれた。

 左右へと砲台を回転させることのできる回転架台に、アームストロング砲は載せられていた。薩摩藩の大砲は旧式のもので、砲弾はボンベンと呼ばれる球型の破壊弾だったという。そのため、せっかく艦隊にあたっても跳ね返って海に落ち、やっと爆発する……という何とも間の抜けた砲弾攻撃になった。

 イギリス艦隊は薩摩軍に完勝した。砲撃は五つ(午後八時)に終わった。

 紅蓮の炎に燃え上がる鹿児島市街を遠望しつつ、朝までにぎやかにシヤンパンで祝った。

 イギリス艦隊が戦艦を連れて鹿児島にいくと知ったとき、麟太郎は英国海軍と薩摩藩軍のあいだで戦が起こると予知していた。薩摩藩前藩主斉彬の在世中、咸臨丸の艦長として接してきただけに「斉彬が生きておればこんな戦にはならなかったはずでい」と惜しく思った。「薩摩は開国を望んでいる国だから、イギリスがおだやかにせっすればなんとかうまい方向にいったとおもうよ。それがいったん脅しつけておいて話をまとめようとしたのが間違いだったな。インドや清国のようなものと甘くみていたから火傷させられたのさ。 しかし、薩摩が勝つとは俺は思わなかったね。薩摩と英国海軍では装備が違う。

 いまさらながら斉彬公の先見の明を思いだしているだろう。薩摩という国は変わり身がはやい。幕府の口先だけで腹のすわっていねぇ役人と違って、つぎに打つ手は何かを知ると、向きを考えるだろう。これからのイギリスの対応が見物だぜ」


  幕府の命により、薩摩と英国海軍との戦は和睦となった。薩摩が賠償金を払い、英国に頭を下げたのだ。

 鹿児島ではイギリス艦隊が去って三日後に、沈んでいる薩摩汽船を引き揚げた。領民には勝ち戦だと伝えた。そんなおり江戸で幕府が英国と和睦したという報が届いた。

 しかし、憤慨するものはいなかったという。薩摩隼人は、血気盛んの反面、現実を平静に判断することになれていたのだ。


    七

 この頃、庄内藩(山形県庄内地方)に清河八郎という武士がいた。田舎者だが、きりりとした涼しい目をした者で、「新選組をつくったひと」として死後の明治時代に〝英雄〝となった。彼は藩をぬけて幕府に近付き、幕府武道指南役をつくらせていた。

 遊郭から身受けた蓮という女が妻である。清河八郎は「国を回天」させるといって憚らなかった。まず、幕府に武装集団を作らせ、その組織をもって幕府を倒す……まるっきり尊皇壤夷であり、近藤たちの思想「佐幕」とはあわない。しかし、清河八郎はそれをひた隠し、「壬生浪人組(新選組の前身)」をつくることに成功する。

 その後、幕府の密偵を斬って遁走し暗殺されることになる。


 文久三(一八六三)年一月、近藤勇に、いや近藤たちにチャンスがめぐってきた。それは、京にいく徳川家茂の身辺警護をする浪人募集というものだった。その頃まで武州多摩郡石田村の十人兄弟の末っ子にすぎなかった二十九歳の土方歳三もそのチャンスを逃さなかった。当然、親友で師匠のはずの近藤勇をはじめ、同門の沖田総司、山南敬助、井上源三郎、他流派ながら永倉新八、藤堂平助、原田左之助らとともに浪士団に応募したのは、文久二年の暮れのことであった。

 微募された浪士団たちの初顔合わせは、文久三(一八六三)年二月四日であった。

 会合場所は、小石川伝通院内の処静院でおこなわれたという。

 幕府によって集められた浪人集は、二百三十人だった。世話人であった清河によって、隊士たちは「浪人隊」と名づけられた。のちに新微隊、新選組となる。

 役目は、京にいく徳川家茂のボディーガードということであったが、真実は京には尊皇壤夷の浪人たちを斬り殺し、駆逐する組織だった。江戸で剣術のすごさで定評のある浪人たちが集まったが、なかにはひどいのもいたという。

 京には薩摩や長州らの尊皇壤夷の浪人たちが暗躍しており、夜となく殺戮が行われていた。将軍の守護なら徳川家の家臣がいけばいいのだが、皆、身の危険、を感じておよび腰だった。そこで死んでもたいしたことはない〝浪人〝を使おう……という事になったのだ。「今度は百姓だからとか浪人だからとかいってられめい」

 土方は江戸訛りでいった。

「そうとも! こんどこそ好機だ! 千載一遇の好機だ」近藤は興奮した。

 すると沖田少年が「俺もいきます!」と笑顔でいった。

 近藤が「総司はまだ子供だからな」という。と、沖田が、「なんで俺ばっか子供扱いなんだよ」と猛烈に抗議しだした。

「わかったよ! 総司、お前も一緒に来い!」

 近藤はゆっくり笑顔で頷いた。


 龍馬は「新選組」のことをきいて、「馬鹿らしいぜよ」と思った。「そんな農民や浪人出身の連中に身辺警護をまかせなければならねぇ世になったきにか?」

 龍馬にはそれが馬鹿らしい行為であるとわかっていた。

 だが、京は浪人たちが殺戮の限りを尽くしている。浪人でもいないよりはマシだ。

 そんなおり幕府が長州藩の追放を決定した。どうやら薩摩の謀略らしい……

「世の中、どうなっちまうのかねぇ」龍馬は頭をひねった。

 しかし、龍馬とて脱藩して、今はただの浪人である。

「わしはもっとでかいことしたいぜよ!日本の〝洗濯〝じゃきに!」

 龍馬は心の中で叫んだ。

         七 池田屋の変



    一

 数日後、龍馬は旅支度をした。

 塾生たちは長州にいくのだと思った。

「いや。わしは江戸にいくきに」

「旦那はなぜ東に? 京にいてはまずいんですかい?」藤兵衛がいぶかしがるのもむりはない。京では一触即発の変事がいつおきてもおかしくない。

特に、長州は何かやらかすつもりである。

「わしは勝先生に頼まれて軍艦を工面しにいくんじゃ」

 龍馬は笑った。軍艦を手にして、天下をとるかのごとしだ。

「わしはこの乱世を一手におさめるんぜよ」

 いうことだけはおおきい。

 長州は何かやらかすつもりである。無駄死にではあるまい。かれらの武装蜂起は、幕府や日本を動かすかも知れない。しかし、三百年続いた徳川の世がわずか数十人の浪士たちで壊せるはずもない。これはいよいよ薩摩と長州をふっつけて、大軍にして幕府を恫喝するしかない。

 龍馬は江戸に着いてすぐ、千葉道場に入った。     

「兵法はすすんだか?」

 貞吉老人は即座にきいた。

「いや、別のことやっちゅうりますきに、いっこうにはかが参りませぬ」

「海軍に夢中になっているのであろう。佐那子がまっておるぞ」

 貞吉はにやりと笑った。佐那子は年頃の美貌の娘になっている。

 龍馬は佐那子の部屋にいくと、「やあ!」と声をかけた。

「龍さん! あいたかったわ!」抱きついてくる。

「……乙女姉さんみたいな臭いがするきに」

「嫌いですか?」

「いや」龍馬は笑って

「いい臭いじゃ。わしはこういう臭いが好きじゃ」

「では、佐那子も好き?」

「じゃな」龍馬は頷いた。畳みにゆっくりと押し倒した。


     二

 龍馬はうちわで争っているときじゃないと思っていた。このままでは勝先生のいうように日本は外国の植民地になってしまう。龍馬は薩摩と長州をなかよくさせようと走った。京、土佐、江戸、九州……

 出会った人物は、土佐藩北添、薩摩藩西郷吉之助(隆盛)、小松帯刀、熊本藩横井小楠、紀州藩伊達小次郎、福井藩三岡八郎(由利公正)、越中守大久保一翁……

 師匠・勝海舟(麟太郎)。勝こそが維新のための頭脳であった。

 長州藩ら尊皇壤夷派が七卿を奉じて京都を去った今、家茂の上洛は必然のものとなった。役目は、朝廷を警護し、大阪城にとどまって摂海を防衛することである。

 麟太郎は、九月二日、順動丸で品川沖から大阪へ向かった。                

 老中坂井雅楽頭、大目付渡辺肥後守らが同船している。

 麟太郎は坂井に説く。

「ご上洛にうえは、ただ事変のご質問をなされるばかりにて、鎖港の儀につき、公卿衆に問われようとも、何事もお取りつくろうことなく、ご誠実にご返答なさるのが肝要と存じまする」

 老中がその場しのぎの馬鹿なことをいってもらっちゃ困るのだ。

 八日に紀州和歌山沖を通り、大阪天保山沖に到着したのは九日である。

 麟太郎は、順動丸に乗り込む塾生の坂本龍馬や沢村たちを褒めてやった。

「おぬしどもは、だいぶ船に慣れたようだな。あれだけ揺れても酔わねぇとはたいしたもんでい」

 麟太郎の船酔いはいつまでもなおらない。船が揺れるたびに鉢巻きをして、盥に吐き続ける……おえおえおえ。

 神戸海軍塾は、操練所より先に完成していた。龍馬たちは専称寺から毎日荷物を運んだ。 

麟太郎は順動丸を神戸に移動させて、新井某に、航海でいたんだ箇所を修繕させ、十五日の朝、砲台建設箇所を見聞したあと、操練所と海軍塾を見た。

 海軍塾は麟太郎の私塾である。建設費用は、松平春巌から出資してもらった千両で充分まかなえたという。

 佐藤与之助にかわって坂本龍馬が海軍塾塾頭になり、その龍馬が建前入用金を記した帳簿を麟太郎に見せた。

「屋敷地八反余、ならびに樹木代六両とも五十二両。

 建物一ケ所、右引移り。地ならしとも三十両。

 塾三門(約五・四メートル)幅、長さ十間(十八・二メートル)、新規畳健具とも百七                   

十両。ほか台所、雪隠(トイレ)、馬屋、門番所、新規七十七両……」

 ほかにも塀や堀、芝などの代金がこまごまのっていたという。

 麟太郎は感心して「お前は何事も大雑把なやつだと思っていたが、以外とこまごまとした勘定をするのだな」と唸った。

 龍馬は師匠にほめられてぞくぞくと嬉しくなった。

「じゃきに、先生とわしは生い立ちが似ちょうとるきに。わしの祖父も商人だったっきに勘定もこまのこうなるますろう」龍馬は赤黒い顔に笑みを浮かべた。

 麟太郎がみると、塾はまだ未完成で、鉢巻きの人足が土のうをつみあげている最中であった。「龍馬、よくやった!」勝海舟は彼をほめた。

 翌日、ひそかに麟太郎は長州藩士桂小五郎に会った。

 京都に残留していた桂だったが、藩命によって帰国の途中に勝に、心中をうちあけたのだ。

 桂は「夷艦襲来の節、下関の対岸小倉へ夷艦の者どもは上陸いたし、あるいは小倉の繁船と夷艦がとも綱を結び、長州へむけ数発砲いたせしゆえ、長州の人民、諸藩より下関へきておりまする志士ら数千が、海峡を渡り、違勅の罪を問いただせしことがございました。

 しかし、幕府においてはいかなる評議をなさっておるのですか」と麟太郎に尋ねた。

 のちの海舟、勝麟太郎は苦笑して、

「今横浜には諸外国の艦隊が二十四隻はいる。搭載している大砲は二百余門だぜ。本気で鎖国壤夷ができるとでも思っているのかい?」

 といった。

 桂は「なしがたきと存じておりまする」と動揺した。冷や汗が出てきた。

 麟太郎は不思議な顔をして

「ならなぜ夷艦砲撃を続けるのだ?」ときいた。是非とも答えがききたかった。

「ただそれを口実に、国政を握ろうとする輩がいるのです」

「へん。おぬしらのような騒動ばかりおこす無鉄砲なやからは感心しないものだが、この日本という国を思ってのことだ。一応、理解は出来るがねぇ」

 数刻にわたり桂は麟太郎と話して、互いに腹中を吐露しての密談をし、帰っていった。


     三

 十月三十日七つ(午後四時)、相模城ケ島沖に順動丸がさしかかると、朝陽丸にひか          

れた船、鯉魚門が波濤を蹴っていくのが見えた。

 麟太郎はそれを見てから「だれかバッティラを漕いでいって様子みてこい」と命じた。 坂本龍馬が水夫たちとバッティラを漕ぎ寄せていくと、鯉魚門の士官が大声で答えた。

「蒸気釜がこわれてどうにもならないんだ! 浦賀でなおすつもりだが、重くてどうにも動かないんだ。助けてくれないか?!」

 順動丸は朝陽丸とともに鯉魚門をひき、夕方、ようやく浦賀港にはいった。長州藩奇兵隊に拿捕されていた朝陽丸は、長州藩主のと詫び状とともに幕府に返されていたという。         

 浦賀港にいくと、ある艦にのちの徳川慶喜、一橋慶喜が乗っていた。

 麟太郎が挨拶にいくと、慶喜は以外と明るい声で、

「余は二十六日に江戸を出たんだが、海がやたらと荒れるから、順動丸と鯉魚門がくるのを待っていたんだ。このちいさな船だけでは沈没の危険もある。しかし、三艦でいけば、命だけは助かるだろう。

 長州の暴れ者どもが乗ってこないか冷や冷やした。おぬしの顔をみてほっとした。

 さっそく余を供にしていけ」といった。

 麟太郎は暗い顔をして「それはできません。拙者は上様ご上洛の支度に江戸へ帰る途中です。順動丸は頑丈に出来ており、少しばかりの暴風では沈みません。どうかおつかい下され」と呟くようにいった。

「余の供はせぬのか?」

「そうですねぇ。そういうことになり申す」

「余が海の藻屑となってもよいと申すのか?」

 麟太郎は苛立った。肝っ玉の小さい野郎だな。しかし、こんな肝っ玉の小さい野郎でも幕府には人材がこれしかいねぇんだから、しかたねぇやな。

「京都の様子はどうじゃ? 浪人どもが殺戮の限りを尽くしているときくが……余は狙われるかのう?」

「いいえ」麟太郎は首をふった。「最近では京の治安も回復しつつあります。新選組とかいう農民や浪人のよせあつめが不貞な浪人どもを殺しまくっていて、拙者も危うい目にはあいませんでしたし……」

「左様か? 新選組か。それは味方じゃな?」

「まぁ、そのようなものじゃねぇかと申しておきましょう」

 麟太郎は答えた。

 ……さぁ、これからが忙しくたちまわらなきゃならねぇぞ…


    四              

 若き将軍・徳川家茂の上洛は海路よりとられ、やがて上陸した。

 この夜、家茂は麟太郎を召し寄せ、昼間の労をねぎらい、自ら酒の酌をして菓子を与えるという破格の扱いをしたという。

 船は暴風にあい、あくる日、子浦にひきかえした。

 各艦長らは麟太郎を罵り、「上様に陸路での上洛をおすすめいたせ!」といきまいた。その争論をきいた家茂は「いまさら陸路はできぬ。また、海上のことは軍艦奉行がおるではないか。余もまたその意に任す。けして異議を申すではない」とキッパリ言った。

 この〝鶴の一声〝で争論は止み、静寂が辺りを包んだ。麟太郎は年若い家茂の決然とした言葉を聞き、男泣きに泣いたという。

 麟太郎は家茂の供をして大阪城に入った。

 勝海舟(勝麟太郎)は御用部屋で、「いまこそ海軍興隆の機を失うべきではない!」と力説したが、閣老以下の冷たい反応に、わが意見が用いられることはねぇな、と知った。

 麟太郎は塾生らに幕臣の事情を漏らすことがあった。龍馬もそれをきいていた。

「俺が操練所へ人材を諸藩より集め、門地に拘泥することなく、一大共有の海局としようと言い出したのは、お前らも知ってのとおり、幕府旗本が腐りきっているからさ。俺はいま役高千俵もらっているが、もともとは四十一俵の後家人で、赤貧洗うがごとしという内情を骨身に滲み知っている。

 小旗本は、生きるために器用になんでもやったものさ。何千石も禄をとる旗本は、茶屋で勝手に遊興できねぇ。そんなことが聞こえりゃあすぐ罰を受ける。

 だから酒の相手に小旗本を呼ぶ。この連中に料理なんぞやらせりゃあ、向島の茶屋の板前ぐらい手際がいい。三味線もひけば踊りもやらかす。役者の声色もつかう。女っ気がなければ娘も連れてくる。

 古着をくれてやると、つぎはそれを着てくるので、また新しいのをやらなきゃならねぇ。小旗本の妻や娘にもこずかいをやらなきゃならねぇ。馬鹿げたものさ。

 五千石の旗本になると表に家来を立たせ、裏で丁半ばくちをやりだす。物騒なことに刀で主人を斬り殺す輩まででる始末だ。しかし、ことが公になると困るので、殺されたやつは病死ということになる。ばれたらお家断絶だからな」


    五

 麟太郎は相撲好きである。

 島田虎之助に若き頃、剣を学び、免許皆伝している。島田の塾では一本とっただけでは勝ちとならない。組んで首を締め、気絶させなければ勝ちとはならない。

 麟太郎は小柄であったが、組んでみるとこまかく動き、なかなか強かったという。

 龍馬は麟太郎より八寸(二十四センチ)も背が高く、がっちりした体格をしているので、ふたりが組むと、鶴に隼がとりついたような格好になったともいう。龍馬は手加減したが、勝負は五分五分であった。

 龍馬は感心して「先生は牛若丸ですのう。ちいそうて剣術使いで、飛び回るきに」

 麟太郎には剣客十五人のボディガード(身辺警護)がつく予定であった。越前藩主松平春巌からの指示だった。

 しかし、麟太郎は固辞して受け入れなかった。

 慶喜は、麟太郎が大坂にいて、春嶽らと連絡を保ち、新しい体制をつくりだすのに尽力するのを警戒していたという。

 外国領事との交渉は、本来なら、外国奉行が出張して、長崎奉行と折衝して交渉するのがしきたりであった。しかし、麟太郎はオランダ語の会話がネイティヴも感心するほど上手であった。外国軍艦の艦長とも親しい。とりわけ麟太郎が長崎にいくまでもなかった。 慶喜は「長崎に行き、神戸操練習所入用金のうちより書籍ほかの必要品をかいとってまいれ」と麟太郎に命じた。どれも急ぎで長崎にいく用件ではない。

 しかし、慶喜の真意がわかっていても、麟太郎は命令を拒むわけにはいかない。

 麟太郎は出発するまえ松平春嶽と会い、参与会議には必ず将軍家茂の臨席を仰ぐように、念をおして頼んだという。

 麟太郎は二月四日、龍馬ら海軍塾生数人をともない、兵庫沖から翔鶴丸で出航した。

 海上の波はおだやかであった。海軍塾に入る生徒は日をおうごとに増えていった。

 下関が、長州の砲弾を受けて事実上の閉鎖状態となり、このため英軍、蘭軍、仏軍、米軍の大艦隊が横浜から下関に向かい、攻撃する日が近付いていた。

 麟太郎は龍馬たちに珍しい話をいろいろ教えてやった。                   

「公方様のお手許金で、ご自分で自由に使える金はいかほどか、わかるけい?」

 龍馬は首をひねり「さぁ、どれほどですろうか。じゃきに、公方様ほどのひとだから何万両くらいですろう?」

「そんなことはねぇ。まず月に百両ぐらいさ。案外少なかろう?」

「わしらにゃ百両は大金じゃけんど、天下の将軍がそんなもんですか」

 麟太郎一行は、佐賀関から陸路をとった。ふつうは駕篭にのる筈だが、麟太郎は空の駕籠を先にいかせ後から歩いた。暗殺の用心のためである。

 麟太郎は、龍馬に内心をうちあけた。

「日本はどうしても国が小さいから、人の器量も大きくなれねぇのさ。どこの藩でも家柄が決まっていて、功をたてて大いに出世をするということは、絶えてなかった。それが習慣になっているから、たまに出世をする者がでてくると、たいそう嫉妬をするんだ。

 だから俺は功をたてて大いに出世したときも、誰がやったかわからないようにして、褒められてもすっとぼけていたさ。幕臣は腐りきっているからな。

 いま、お前たちとこうして歩いているのは、用心のためさ。九州は壤夷派がうようよしていて、俺の首を欲しがっているやつまでいる。なにが壤夷だってんでぃ。

 結局、尊皇壤夷派っていうのは過去にしがみつく腐りきった幕府と同じだ。

 誰ひとり学をもっちゃいねぇ。

 いいか、学問の目指すところはな。字句の解釈ではなく、経世済民にあるんだ。国をおさめ、人民の生活を豊かにさせることをめざす人材をつくらなきゃならねぇんだ。

 有能な人材ってえのは心が清い者でなければならねぇ。貪欲な人物では駄目なんだ。まずは藩だとかではなく日本人として考えろ! それが第一でい!」


    六

 麟太郎が長崎にいくと、「長崎には長州藩士たちがはいってきていて、麟太郎を殺す算段をしている」という情報がはいった。

 二十六日、長州藩士たちが蒸気船を訪ねてきた。龍馬と沢村が会った。龍馬はいつでも刀を抜き、斬り殺せるように身構えていた。

「貴公がたは、何のようで先生に会見を冀望しとっじゃきにか?」

「軍艦奉行殿にわれらの本意を申しあげとうござりまする」

「じゃきに、本意とはなんですろう?」

 龍馬は今にも刀を抜こうかと、鋭い眼で相手を睨む。

「長州藩は勅命を奉じ、下関を通る外国船を砲撃したのでござる。それが長州藩追放とは納得いきません」

「幕府が異人をそそのかして下関を攻撃させたっちゅうのは嘘じゃがに。先生は米国や英国に交渉して攻撃をとめようとしちゃがてすろう」

 長州藩士たちは「拙者どもは明後日帰国しますから、それまでに勝先生に会いたいのです」と嘆願した。龍馬はそれを勝麟太郎に伝えた。麟太郎は気安く答えた。

「明日は西役所にいって機械買い上げの話をしなくちゃならねぇから、明後日の暮れ六つ(午後六時)に来るがいい、と言ってやれ」


    七

 三月六日、麟太郎は龍馬を連れて、長崎港に入港し、イギリス海軍の演習を見た。

「まったくたいしたもんだぜ。英軍の水兵たちは指示に正確にしたがい、列も乱れない」 その日、オランダ軍艦が入港して、麟太郎と下関攻撃について交渉した。

 その後、麟太郎は龍馬たちにもらした。

「きょうはオランダ艦長にきつい皮肉をいわれたぜ」

「どがなこと、いうたがですか?」龍馬は興味深々だ。

「アジアの中で日本が褒められるのは国人同士が争わねぇことだとさ。こっちは長州藩征伐のために動いていんのにさ。他の国は国人同士が争って駄目になっている。

 確かに、今までは戦国時代からは日本人同士は戦わなかったがね、今は違うんだ。まったく冷や水たらたらだったよ」

 麟太郎は、四月四日に長崎を出向した。船着場には愛人のお久が見送りにきていた。お久はまもなく病死しているので、最後の別れだった。お久はそのとき麟太郎の子を身籠もっていた。のちの梶梅太郎である。

 四月六日、熊本に到着すると、細川藩の家老たちが訪ねてきた。

 麟太郎は長崎での外国軍との交渉の内容を話した。

「外国人は海外の情勢、道理にあきらかなので、交渉の際こちらから虚言を用いず直言して飾るところなければ、談判はなんの妨げもなく進めることができます。

 しかし、幕府役人をはじめわが国の人たちは、皆虚飾が多く、大儀に暗うございます。それゆえ、外国人どもは信用せず、天下の形成はなかなかあらたまりません」

 四月十八日、麟太郎は家茂の御前へ呼び出された。

 家茂は、麟太郎が長崎で交渉した内容や外国の事情について尋ねてきた。麟太郎はこの若い将軍を敬愛していたので、何もかも話した。大地球儀を示しつつ、説明した。

「いま外国では、ライフル砲という強力な武器があり、アメリカの南北戦争でも使われているそうにござりまする。またヨーロッパでも強力な兵器が発明されたようにござりまする」

「そのライフル砲とやらはどれほど飛ぶのか?」

「およそ五、六十町はらくらくと飛びまする」

「こちらの大砲はどれくらいじゃ?」

「およそ八、九町にござりまする」

「それでは戦はできぬな。戦力が違いすぎる」

 家茂は頷いてから続けた。

「そのほうは海軍興起のために力を尽くせ。余はそのほうの望みにあわせて、力添えしてつかわそう」

 四月二十日、麟太郎は龍馬や沢村らをひきつれて、佐久間象山を訪ねた。象山は麟太郎の妹順子の夫である。彼は幕府の中にいた。知識人として知られていた。

 龍馬は、麟太郎が長崎で十八両を払って買い求めた六連発式拳銃と弾丸九十発を、風呂敷に包んで提げていた。麟太郎からの贈物である。

「これはありがたい。この年になると狼藉者を追っ払うのに剣ではだめだ。ピストールがあれば追っ払える」象山は礼を述べた。

「てやんでい。あんたは俺より年上だが、妹婿で、義弟だ。遠慮はいらねぇよ」

 麟太郎は「西洋と東洋のいいところを知っているけい?」と問うた。

 象山は首をひねり、「さぁ?」といった。すると勝海舟が笑って

「西洋は技術、東洋は道徳だぜ」といった。

「なるほど! それはそうだ。さっそく使わせてもらおう」

 ふたりは議論していった。日本の中で一番の知識人ふたりの議論である。ときおりオランダ語やフランス語が混じる。龍馬たちは唖然ときいていた。

「おっと、坂本君、皆にシヤンパンを…」象山ははっとしていった。

 龍馬は「佐久間先生、牢獄はどうでしたか?」と問うた。象山は牢屋に入れられた経験がある。象山は渋い顔をして「そりゃあひどかったよ」といった。


 麟太郎は、わが息子ほどの年頃の家茂が、いとおしくてたまらない。

 彼は御前を退出したのち、龍馬たちにいった。

「あんな明敏な上様が、ばかどもに取り巻かれて、邪魔ばかりされ、お望みのようにお動きにおなりねぇのをみると、本当に涙がこぼれるよ」

 その〝馬鹿ども〝幕臣たちにはこういった。

「あいつらの心中は読めているさ。鎖国なんてできっこねぇのを知りながら、近頃天狗党だのという過激派がはびこっているんで、恐れているだけさ。しかも、その場しのぎに大言壮語しやがる。真に憎むべきは奴らだよ」                        

 麟太郎はこの年、安房守に出世した。安房とは現在の千葉県のことである。


    七

 十二日の夕方、麟太郎の元へ予期しなかった悲報がとどいた。前日の八つ(午後二時)       

頃、佐久間象山が三条通木屋町で刺客の凶刀に倒れたという。

「俺が長崎でやった拳銃も役には立たなかったか」

 勝麟太郎は暗くいった。ひどく疲れて、目の前が暗く、頭痛がした。

 象山はピストルをくれたことに礼を述べ、広い屋敷に移れたことを喜んでいた。しかし、象山が壤夷派に狙われていることは、諸藩の有志者が知っていたという。

「なんてこった!」

 のちの勝海舟(麟太郎)は嘆いた。

「勝先生……どげんすっとじゃろう?」龍馬はその報をきいて、勝海舟がどんな動きをみせるか、興味を、もった。



 朝は開国、夜は壤夷といわれた土佐藩主・山内容堂の〝大獄〝がはじまった。

 岡田以蔵は勝海舟の元を離れ、土佐(高知県)にもどったところを土佐藩士たちに取押さえられた。

 以蔵は最初、刀を抜いて殺そうと思ったが、勝のいう言葉を思いだして刀を抜かなかった。この土佐の山内容堂の〝大獄〝は尊皇壤夷たちを土佐からすべて殺戮してしまおうと     

いうものだった。まるで幕府の井伊大老のやったのちにゆう〝安政の大獄〝のままだ。

 岡田以蔵は籠にいれられて拷問を受けた。

 土佐の開国派だった吉田東洋たちを殺したというのだ。

 それをやったのが岡田以蔵らであり、黒幕がいるというのである。

 黒幕の容疑で、武市半平太も牢獄にいれられた。

 しかし、武市半平太は『白札』だったために拷問は受けない。

 ただ、質問を受けた。

「吉田東洋さまや京で土佐藩士たちを殺戮指示したのはお主か?」

 武市半平太は答えない。

「もう一度きくぞ! 吉田東洋さまを殺すようにいったのは貴様か?!」

「……土佐藩士は口を割りますまい」

「なに?!」

 岡田以蔵はさらに拷問を受けた。石のぎざぎざ石床に座らされ、脚に石を積まれて木刀で殴られる。それでも以蔵は悲鳴をあげるだけで、口を割らない。

 ……以蔵耐えよ……

 武市半平太は遠くの悲鳴をききながら、考えた。

 ……以蔵がすべてのことをひとりでやったとあれば私は助かるかも知れない…

 虫のいい考えである。

 すべて岡田以蔵に罪をかぶせようというのだ。

 東洋たちの暗殺指示者は間違いなく武市半平太である。

 岡田以蔵はさらに拷問を受けた。

 他の土佐勤皇党の連中は次々と斬首される。

 岡田以蔵は口を割らないままに夜になった。

 龍馬は武市半平太や岡田以蔵たちの逮捕の報をお田鶴さまからきくと、駆け出した。

「龍馬さま~っ! いっても無駄です! 殺されますよ!」

 しかし、龍馬は土佐にむけて駆け出した。

 武市半平太は意を決した。

 ……以蔵がすべてのことをひとりでやったとあれば私は助かるかも知れない…

 武市は夜、自分の息のかかった武士を牢屋に呼んだ。

「……用意したか?」

「はっ。これが毒薬にござりまする。これをまぜたおにぎりを以蔵に食べさせまする」

 ひそひそいった。

 すべては岡田以蔵すべてに罪をかけようとした。

 岡田以蔵は薄暗い牢屋で横になっていた。拷問で、ぐったりと地面に横になっている。

彼は武市半平太を先生と呼んでおり、弟子だった。

 謀殺しようと、武士の男は横たわる以蔵の牢に入り、水とおにぎりをやった。

「武市先生からの差し入れだ。ろくなもの食ってないのだろう」

 岡田以蔵はおにぎりを貪るように食べた。その後、吐いた。

「先生が……わしを殺そうとしおった……先生が…」

 武士は動揺して、バレた、という顔をした。

 以蔵は藩の役人にすべてを話した。

 吉田東洋などの暗殺指示者が武市半平太であることや土佐勤皇党の関与……

「わしは土佐藩のものではない。勝海舟先生の弟子の岡田以蔵じゃ!」

 岡田以蔵は斬首された。享年二十八歳。また、武市半平太は武士として切腹して果てた。享年三十七だった。武市半平太には愛する妻・富子がいた。

 龍馬が駆けつけたときはすでに手遅れ、富子は号泣して龍馬を困らせた。

 姉の乙女はそんな龍馬を叱った。

 龍馬は雪のふりしきる中、以蔵たちの墓にいき、号泣した。

「……以蔵さん。武市さん……おんしらの命をうばったのは…身分じゃ。わしは……身分も何もない国にこの日本国を…そう日本をつくるきに…」

 龍馬は墓にすがって、男泣きに泣いた。

 すべては幕府が悪い、藩が悪い……この国は回天させねばならん!

 それが龍馬の信念になっていく。

「まずは薩摩と長州をくっつけて新しい政府ばつくるぜよ! それしかないきに!」





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