第五話 西郷隆盛

    一

「……小兵衛さま」

 西郷隆盛(吉之助)の末弟・小兵衛の妻まつは嘆いた。

「ほんてごつ…必要な戦じゃろうがか?」

 イトは複雑な思いだった。

「旦那はんが士族たちの御輿にのせられもうして……こげんこつに…」

 やりきれない思いだった。旦那はんはもう……帰ってはこんじゃろうか?

 鹿児島県警の牢屋では、ひとり喜ぶ者があった。

 中原尚雄である。

「はははは…」牢屋で大笑いである。

「おいの策にはまりおって……何が維新の英雄ぞ! まんまとおいの策にはまって……戦ば始めおった。馬鹿じゃ」

 もはや鹿児島では「西南戦争」の煽りで混乱しており、もはや中原尚雄の処分どころではない。

 ……まんまとおいの策にはまって……馬鹿ばい! 馬鹿ばい!

 牢屋の外の、行軍の無事を祈るラッパの音、をききながら中原は腹を抱えて笑った。

 三月十日、鹿児島城に政府軍がやってきた。

 前の藩主・島津久光は下座にいて、いきおい平伏のようになっている。

 黒田清隆は久光に「廃藩」の書と、「西郷隆盛軍討伐」の書を上座からみせた。

「そいでは、おいはこれで」

 黒田が場を去ろうとすると、久光が、

「偉うなったもんじゃのう。え? 黒田清隆! 元々はおんしはわしの家来じゃやなかど」

 と嫌味をいって、苦虫を噛み潰したような顔になった。

「……時代が違いもうす」

 黒田清隆はそういった。

「もうこの国に殿様はいらんがかでごわす」

「おのれ! 呪ってやる! のろってやる!」

 久光が暴れるのを尻目に、黒田清隆は城を後にした。

 そののち、元鹿児島県令・山本綱良が警視庁に逮捕され、東京に護送された。その後、数か月後、山本は処刑されてしまう。

 雨が激しく降る。田原坂では、武力に勝る官軍も薩摩軍の勇猛さに手を焼いた。警視庁隊に警視庁一等大警部・佐川官兵衛がいた。

彼のシャツには会津戦争で死んだ戦友たちの名がかかれている。

新選組の土方歳三をして「鬼の官兵衛」といわれて恐れられた男である。彼はいった。

「勝てば官軍、負ければ賊軍。俺はかならず勝つしかないと思う!」

 佐川官兵衛は警視官たちに激を飛ばした。

 しかし、そんな官兵衛も戦死してしまう。

 三月二十日、雨……

 薩摩軍と政府軍との戦い。山形から参戦した伴兼之が、弾丸を受けて死んだ。政府軍の中には伴の兄・鰄(すずき)成(なり)信(のぶ)がいた。弟を探していた。その後、

「?!」となった。弟の死体を発見したからだ。山林に弾丸や大砲が乱れ飛ぶ。

「おい! おい!」成信は血だらけの弟の死体にすがりついた。

 しかし、悲劇はその後に起こる。伴が殺されたと思って、怪我して彷徨っていた篠原政治は、鰄成信を背後から斬り殺した。

 が、そんな篠原政治も流れ弾に当たって死んだ。

 菊次郎は大砲の爆風で、右脚を失った。ぎゃあああ~っ!

 菊次郎は激痛で悲鳴をあげた。

 四月六日、激戦。死骸の山が山林に大量に横たわっていた。

 四月十九日、薩軍は敗走しだす。

 陸軍三番隊隊長・永山弥一郎は、

「もはやこれまででごわす」と弱音をはいた。

 政府軍の大砲の音が轟く。部下は、

「西郷先生を守りもうそ! 隊長!」とすがった。

 永山は、「もう無理でごわそ? おいはもう駄目じゃと思う」

 と呟くようにいった。

「なにごて?! 西郷先生が生きておる限り、薩摩は負けもうさん」

「……じゃっどん。もう敵に囲まれとうぞ」

「先生は維新の英雄じゃっどん。負ける訳なか!」

 永山は「せからしか!」といい、脇差しをもち自刃した。

「隊長! おいたちも一緒にいきもうす!」

 部下たちも次々と自刃した。

 五月五日、薩摩軍と政府軍は鹿児島近くで激突した。薩摩軍はバタバタと敗れて数が少なくなった。鹿児島の西郷邸では逃げる状況にあった。

 川口雪篷は「はよう! 急いで逃げにゃ政府軍が来るとぜ」とせかした。

 イトたちは荷造りをしている。

「急がんせ!」川口はハッとなった。政府軍の制服さんたちが襲撃してきたからだ。

「なにごて?!」川口は文句をいった。

「おいたちがなにしよっと?!」

 軍人たちはイトたちを連行して「人質」にしようとした。

「せからしか! 何すっとか?!」

 すると、西郷隆盛のいとこ大山巌が軍服のままきて「おんしら、去れ! さがりもうせ!」と怒鳴った。政府軍兵士たちは去った。

「……大山どん」川口は弱々しくそういってへたりこんだ。

 こうして、西郷隆盛の家族たちは助かった。

 またも薩摩軍と政府軍は鹿児島近くで激突した。

 銃にしても薩摩軍は旧式なのに対して、政府軍の銃はマシンガン連発銃である。

 薩摩軍は次々と敗走しだす。

 そんな中に銃弾を浴びて大怪我をした大山辰之助が、政府軍に捕まった。

「辰之助! 辰之助!」

 父親の大山巌が軍服のまま病院に駆けつけた。

「しっかりしろ! 辰之助!」

 寝ている辰之助に、父・巌は声をかけた。

「なんしても、死なんでよかとか」

 すると辰之助が目を開けて、父親にツバを吐きかけた。

 重体で起き上がることさえできない。

「何すっとか?! 辰之助!」巌は叱った。

 辰之助は「西郷のおじさんは政府と話しようと立ち上がったの…で…ごわす」

 と、あえぎあえぎいった。

「……辰之助!」

「政府……に……尋問…の…筋…これあり…」

 そうあえぎながらいうと、辰之助は息をひきとった。

「……辰之助! 辰之助!」

 父・大山巌は遺体にすがって泣いた。

……なにごてこんな子供まで死なねばならんとがか?! こげんこつ許されていいかが?!


    二

 京都で、木戸孝允は病のなかにあった。

 木戸はふとんで横になり、激しく咳き込んだ。大久保利通がみまっていた。

「…大久保さん……もう僕は駄目かも…知れないよ」

 木戸は弱音を吐いた。

「なにごて?」

「僕の役目はおわったってことだよ」

「何を弱気なことを……天下の木戸孝允が。天下の桂小五郎が」

「…ぼ…僕らはね歴史に選ばれたのだよ。だから維新の動乱…を…生き抜けた」

「…木戸どん!」

「でもね」

 木戸孝允は咳こみながら

「でもね。維新がおわって必要となくなったら……神仏は僕らを天に召されるのではないかい? 必要なくなれば僕らは歴史の波に流されてしまうのだよ」といった。

 大久保は「弱気はいかんがど。木戸どん」

「……国づくりは新しいひとに…まかせ…よう。大久保さん」

 木戸は激しく咳こんだ。

 ……何を弱気なことを……天下の木戸孝允が。天下の桂小五郎が…

「木戸どん。維新を無駄にしてはならんとぞ」

 大久保利通は木戸にいった。

 こののち木戸は「西郷たいがいにせいよ!」と言って病死、あの〝殺戮集団〟新選組ともわたりあった木戸孝允(桂小五郎)はあの世のひととなった。

 八月二日、西郷隆盛の弟・従道は船で鹿児島へ向かった。といっても戦争に参加するためではなく、天皇の巡幸の警護のためだった。

 従道は甲板に立ち、悲運な最期をとげるであろう兄・西郷隆盛(吉之助)のことを思った。……なにごて兄さんは御輿に乗ってしもうたがとです?

 ……惜しか。兄さんは維新の功労者…英雄じゃなかとでわないがか。そんな兄さんがつまらん戦をおこして自決するのはみたくなか。……

 従道の頭の中に走馬燈のように「西郷隆盛」の言葉が、勇姿が、浮かんでは消えていった。小さいときに鹿児島の野山で遊んだことも。

 ……惜しか。あまりにも惜しかひとじゃっどん。犬死にみていなのは兄さんには惜しかことじゃ。じゃっどん、もうとりかえしがつかなか。……

  

     三

 八月十四日、政府軍は熊本の薩摩軍支配地を占領、薩軍は鹿児島へ遁走しだした。

 薩摩軍の病院には、大勢の怪我人が運び込まれ治療を受けていた。

 その中には右脚を失った西郷菊次郎(吉之助の息子)の姿もあった。

「みんな、すまんかったど」

 突然、電撃的に西郷吉之助(隆盛)が病院にやってきた。軍服姿である。

「…さ…西郷先生!」

 病人も怪我人も一同が驚きの声をあげた。中には泣き出す者まででる始末だ。

「明日はおいが指揮をとる。駄目なら全軍は解散じゃっどん」

 西郷吉之助はいった。

 すると、菊次郎が「おいもいき申す」とあえぎながらいった。

「菊次郎……もうおまはんの軍人としての役目はおわったが。今はこの病院を守るのがおまはんの仕事ぞ」

 西郷吉之助は優しい微笑みを浮かべて、息子にいった。

 その後、一同に「政府軍の中には鹿児島の仲間も大勢いっと。おんしらを殺すようなことは絶対にありもうさん。安心せい」と激を飛ばした。

 西郷は紙に筆で『病院』と書いた。

「これを玄関に貼ってもうせ。せば間違いはおからんじゃろう」

 吉之助は、無理に口元に笑みを浮かべた。

「……菊次郎。今度はおまはんが皆を守る番じゃっどん」

「父上!」

 菊次郎は涙を流した。これが、西郷親子の永遠の別れとなった。

「では、もうひと暴れしてくるもんそ」

 西郷隆盛は去った。

 八月十五日、薩摩軍と政府軍がはげしく激突する。

 西郷は犬をつれて軍服で、別府晋介や桐野利秋らと歩いていた。

 銃弾や流れ弾が飛び交う。

 血で血を洗う戦の中、西郷家の下僕や親類たちも自刃していった。

「こげんこつ負け戦とばなるとは、思っちょりもうさんでごわした」

 西郷隆盛は弱音を吐いた。

「西郷先生! 戦は勝つも負けるもときの運でごわそ?」

 桐野利秋は自分にいいきかせるようにいった。

「じゃっどん。もう薩軍はほとんど壊滅状態じゃなかが」

 桐野は言葉がでなかった。

「篠原国幹どんの死を……無駄にしないで頑張ってやりもうそ」今度は、別府晋介が口をはさんだ。

 西郷は顔を変えずに、

「国幹どんは自ら死を選んだごて。赤い派手なマントを着て、銃弾をうけて死んだとでごわす。自殺と同じど」

 といった。

 ……篠原国幹どんの気持ちばわからんでもなか。……

 政府軍は、薩軍の病院までやってきた。

 館の玄関に『病院』と書いてある。西郷隆盛の手書きだ。

 政府軍兵の突入に怪我人たちもいきり立ち、「薩摩への裏切り者!」

 との声があがった。

 菊次郎は脇差しを手にもち、自決しようとした。

「よさんか!」

 それを止めたのは西郷従道だった。

「……叔父上! 死なせてくれもうそ!」

 西郷従道は「いかんがど!」と菊次郎を諫めた。

「いかん! 命を無駄にしてはならんど!」

「じゃっどん……おいどんらは負けたとでごわす」

 菊次郎は涙を浮かべた。

「あの『病院』いう字は兄さんの字ではなかが? 兄さんはおんしらに生き抜いてほしいて思ってあれ書いたとばい」

「……じゃっどん」

「もうよか!」従道は強くいった。

「もうよか! もう誰も死ぬことなか!」


    五

 大山巌と西郷従道は鹿児島へ入った。

 従道は「天皇陛下にことの次第をご報告しない訳にはいかぬ」と顔をしかめた。

「陛下はなんとお言葉を述べられるであろうか?」

 大山巌は素直にきいた。

「知るものか。天皇陛下は只おききしているだけであろう」

「そうでごわそうか?」

 従道の言葉に、巌は口をはさもうとした。

「陛下は吉之助どんを許して生かしてくれんじゃろうか?」

「無理でごわす! それでは維新は本当にはおわらん。また士族たちの御輿に乗せられて兄さんは暴走するだけじゃど」

「……じゃっどん。吉之助どんは維新の英雄じゃなかが」

 従道は、

「維新の英雄でも、今は朝敵になっておる。このまえ勝海舟先生におおたら、西郷さんは情に弱すぎるから御輿にまんまと乗せられたんでい……とばいうちょった。

兄さんのはひとつの病気みたいなものじゃ。負けねばわからんのよ」

「従道どん。それではあまりにも吉之助どんが馬鹿みてぇなことになるじゃっどん?」

 従道は首を横にふって、                   

「おいは兄さんを馬鹿扱いなどしとらんど」と否定した。

「…ならなして吉之助どんを批判する?」

「挙兵が無謀だっただけじゃというとる。おいも兄さんに生きて帰ってきてほしか。榎本武揚は捕まっても殺されなんだ。兄さんも白旗あげて投降すれば命だけは助けられるかも知れん」

 大山巌も「そいがよか。投降してくれればありがたか」と同意した。


    六

 西郷はついに全軍を解散して、八月十九日朝……わずか五百人の兵をひきいていた。 紐につないでいた秋田犬・シロとクロの縄を解いてやり、逃がした。

「どこんぞでも好きな場所で暮らせ。銃弾にあたってはつまらんぞ」

 西郷は駆ける犬たちに笑顔で手をふった。

 桐野は「まるで主人のいうことをよくきいているように駆けていくじゃっど」

 と感心した。

「西郷先生の犬は賢こか」        

 別府がいうと、一同は笑った。もう皆肝がすわっている。

 ………もう戦に勝つことはできない。元武士らしく潔く自決しよう……

「鹿児島(かごぉんま)?」           

 山県有朋は部下にききかえした。

「西郷とその側近らは、九月十九日、鹿児島へもどったそうです!」                      

 部下の言葉に、有朋は「鹿児島? いよいよ西郷先生も意を決したでごわすな」

 と神妙な面持ちになった。                     

「旦那さんが鹿児島に戻ってきたそうな!」川口はイトにつげた。

「……旦那はんが?! 勝つたのでごわすか?」

 川口は深い溜め息をつき、肩を落とし

「いやぁ、負け戦じゃっど。先生はわずか五百余りの兵に守られて岩城に立て籠もっとるそうじゃ」

「旦那…はん……やはりもうあんさんにはあえんとでごわすなぁ」

 イトは涙を浮かべた。

 西郷たちは私学校校舎に向かい、破壊された校舎を茫然と眺めた。

 鹿児島中パニックの中、涙の西郷残党軍は、武器を城山へと移した。

 城山は、旧島津家の居城……鶴丸城の背後にある標高一、五キロメートルのちいさな山であるが、天然の森林と多数の亜熱帯植物がおいしげり、冬でも鬱蒼な緑に覆われている。

 西郷隆盛は、政府軍の砲撃をさけるため、城山の祠にわずかな残党兵たちをひきいて山頂に陣取っていた。籠城である。堂々たる薩軍を率いて……?

 いや、もう戦には負けたのだ。

 薩摩の女たちも、

「西郷先生がお気の毒じゃ」と岩城に食事や酒を運んだりしたという。 官軍(政府軍)はそれを見て見ぬふりをした。

「そのまんまにしてとうせ」

 官軍もなかなか理解がある。

 政府軍の中にも「西郷ファン」が多い。……西郷先生が死ぬことなく降伏してくればおいも嬉しか……


   七

「西郷先生!」桐野は軍服のままで

「何考えちょっとごわす?」ときいた。

「なんも……ただ、死あるのみ」

 桐野利秋は泣いた。

「すみません先生! おいらがふがいないせでこげんなこつに…」

「いや、利秋どんのせいではなか」

 河野圭一郎は「おいが先生を命がけで助けもうす! 官軍に降伏すれば先生の命だけは助かりもうそ」といった。

 西郷は首をゆっくりと横にふり、

「おいだけ生き残ったら……死んだ同志たちに顔向けできもうさん」といった。

「じゃっどん……」

「もうよか。もうよか」吉之助は覚悟をきめていた。

 政府軍は完全に岩城を包囲してじらし作戦をしていた。

 薩摩軍から投降した中津によって、西郷隆盛が生きて城山にいることがわかった。

「城山への総攻撃は九月二十八日である」山県有朋は籠城する西郷軍残党に告げた。

 九月二十七日、西郷吉之助の下僕・熊吉爺が、イトに着物を渡された。麻染の新しい着物だった。イトは「旦那はんの軍服も汚れちょうだろうからこの服を城山に籠城している旦那はんに……届けておくれ」と頼んだ。

「わかりもうした!」

 熊吉爺は了解した。

 熊吉爺は官軍に狙撃されながらも、銃弾の中を城山へ到着、吉之助の妻・イトの差し入れでもある「新しい服」を吉之助に手渡した。

「熊吉爺! よくきてくれた!」

 西郷は風呂敷をあけて、中の新しい服をみた。

「イト……」涙がこぼれそうになった。

 その夜、吉之助は、亡き君主・島津斉彬公からたまわった島津家の家紋入りの脇差しを洞穴の中で見た。

「何を落ち込んでいるんだ、このやっせんぼ(弱虫)!サムライが重い刀を腰に二本も差してふんぞり返っている時代なんざ、もうすぐ終わるんだ。西郷……ただひとつ、真心で事にあたれ!」

西郷は思い出していた。涙が目を刺激する。

「殿……殿のおっしゃるとおりの時代になりもうした。もはや、日本にサムライも藩も大名も身分の差もないでごわす。こいが、殿の目指した民主国家・日本国でごわすなあ。

殿、明日、殿の元に吉之助まいりまする」

夜空を見上げると大きな蜜柑色の星がおおきくひとつあり、他の星々より輝いている。

これはこの時、地球に接近していた火星だったが、西郷の最期のこともあったのか?

民衆はこれを『西郷さんの星』『西郷星』と呼んで、西郷の死後ののちに笑顔で合掌したという。

「明治新政府軍の百姓や商人たちの兵隊たちも、なかなか強かじゃっどなあ。サムライのおいどんら精鋭兵たちよりも強いかも知れん。これならいつ外国が攻めてきても負けんど」

西郷隆盛は洞穴を出て、笑顔で、兵士たちにいう。

一同は「そいは先生の教え方(訓練)がよかったからじゃあ」

西郷は「そいはちょっしもた(しまった)。敵になる兵隊達を強かにしておいは自分で自分の首ば絞めたでごわすか……しもたああ」

その冗談で爆笑が起る。

焚き火をして陣をといていると、誰かが小型アコーディオンを弾きはじめた。

 ♪タタタッタッタッタッタータタ、タタタタッタータタター

 西郷は興味をもち、「そいは何の曲ぞ?」と尋ねた。

「革命の曲でごわす。フランス革命でごわす」と汚れた背広の村田新八。

「そいはいい」

 一同は円陣を組み、腕をからませて「革命(『ラ・マルセイエーズ』フランス革命の歌・フランス国歌)」の曲にもりあがった。

 西郷は少年兵たちを逃がし、いよいよ西郷隆盛の近辺にはわずか百にもみたない兵だけになった。

「西郷先生!おいどんらは……やっと死ねるのでごわすなあ」

「おまはんら……。すまんど! おはんらの死に場所はもう少しいいものにしたかったじゃっどん」

「何をもうされまする西郷先生! ここは最高のおいどんらの最高の死に場所でごわす!」

「そうです!!」

「桜島を眺めながら死ねっとじゃあ」

「おおぉーつ!」

「いっど!鹿児島(かごぉんま)が死に場所じゃあ!」

「チェストー(やあー)!」

桐野利秋の言葉に一同が雄叫びをあげる。

西郷隆盛は「こいでよか……」と、悟りの境地でもあった。


  明治十年九月二十四日、午前三時五十五分。

 号砲が鳴り渡るとともに、政府軍は城山の岩崎谷を目指して総攻撃を開始した。

 砲弾や銃弾が乱れ飛ぶ。

 空が紫色になり、朝がやってきた。

 政府軍は、城山から徒歩で降りてきた西郷たちに大砲や銃弾を浴びせかける。

 西郷隆盛は、浅黄縞の単衣に紺の脚絆、草鞋穿きの姿で、腰に短刀をさし、杖をついて整列した桐野、村田、別府、池上らとともに、

「そろそろいきもうそ」

 と、いった。ときに五十一歳である。

 この朝の猛攻撃は二時間もかかったという。

 政府軍の銃声や大砲はやまない。

「おいが防ぐ。そのあいだに西郷先生を守りとうせ!」

 桐野が別府にいった。

 その後、桐野は刀を抜いて駆け出した。

 進軍のラッパがきこえる。

「………行きもうそか」

 誰にいうでもなく、西郷隆盛は歩きだす。

 岩崎谷では砲弾、流弾がとびかい、死ぬ者も続出する。西郷はのろのろと歩き続けた。 このとき、西郷に付き添うのは別府晋介と辺見十郎太のふたりのみとなっていたという。

 村田も池上も、その他の幹部たちも銃弾にたおれ、バタバタと死んでいった。

 岩崎谷を出た。

 急に展望がひらける。

 桜島の噴煙がみえた。

 別府晋介が駆け寄り、

「西郷先生。この辺で、ゆわでごわそ?」ときいた。

 この辺で自決しましょう、ということだ。

 政府軍の喚声と銃弾が飛び交う。銃弾しきりだった。

 西郷隆盛の巨体がくずれたのはこのときだったという。

 西郷は弾丸に腹と脚をやられた。血がしたたり落ちる。

「西郷先生!」

「晋(別府)どん。弾にやられもうしたばい」

 と、西郷隆盛はいう。

「先生! ここで、ゆわごわんすか?!」

「晋(別府)どん……おいの首はねもうせ…」

「はっ!」 別府は刀を抜き、地面に崩れてうなだれた西郷隆盛の首に狙いを定めた。

「もうここらでよか。陛下……この臣・吉之助…おさらばで……ござる」

「先生!……ごめん!」

 打ちおろした別府の一刀で、西郷隆盛の首は落ちた。

「……先生の首を渡すな!」

 午前九時頃、城山に、まったく銃声は消こえなくなった。

 西郷の首は、熊吉によって埋められたが、のちに発見された。

これより先、首のない西郷の遺体が政府軍により発見された。が、年少のころに右腕に受けた刀痕と病気によって肥大した巨大な皋丸によって、西郷の死が確認されたそうである。

 イトたち西郷家の女たちは城山を遠くでみていた。

「……銃声がなりやんだど」イトは遠くの岩山に思いをはせた。

 やがて、馬にのって大山巌がやってきた。

「大山どん! 戦は?! 旦那はんは?!」

 大山はやりきれない思いで、「戦はおわりもうした。皆、死にもうした…」といった。

「……これで、西郷家の女たちはみな後家になりもうした…」

 イトは放心状態で呟いた。

「大山どん、あいがとさげもした。わざわざ伝えて頂いて……」

「いやあ」大山巌は首をふった。

「西郷先生は軍服ではなく羽織着ちょったそうでごわす」

「……羽織り? あたしが届けさせたもんじゃろうか?」

「姉さん。わしは用があるので……これで失礼する」

 大山巌は馬にのって去った。

 イトの全身の血管の中を、悲しみが駆けめぐった。それは冷たいなんともいいようもない悲しみ、絶望で、身がちぎれるほどの痛みが胸にきた。

 ……旦那はんが戦死しよったばい……

 イトの瞼を涙が刺激した。小刻みに震えた。その後、号泣した。

 旦那はん! 旦那はん!

 これが、イトと西郷隆盛との別れである。

西郷死亡の報せを聞くと大久保は号泣し、時々鴨居に頭をぶつけながらも家の中をグルグル歩き回っていた。

この際、「おはんの死と共に、新しか日本が生まれる。強か日本が……」と呟いたという。

西南戦争終了後に「自分ほど西郷を知っている者はいない」と言って、西郷の伝記の執筆を重野安繹に頼んでいたりしていた。

また暗殺された時に、生前の西郷から送られた手紙を持っていたと高島鞆之助が語っている。


  イトは、奄美大島の愛加那に、西郷隆盛の死をしらせる文をおくった。その愛加那は明治三十五年に六十五歳で亡くなる。その子、菊次郎と菊草も長生きして、六十歳の天寿をまっとうする。

西南戦争では薩摩軍兵士三千七百人が戦死した。

 のちに供養塔がたてられたのも当然のことである。

 大久保利通は、その後も政治にたずさわり、励んで一歩一歩日本を近代国家に近づけるために邁進した。が、明治十一年五月十四日の朝、馬車に乗り赤坂・紀尾井坂を通過したところ襲撃され、石川県士族・島田一郎らに刀で何度も斬りつけられた。

 馬車の乗員は逃げ、大久保は早朝、血だらけのまま馬車からころげ落ち、のたうった。

「……木戸どん……おんしの…い…う通りに…なりもうしたばい…所詮おいどんら…は…歴史の波に流され…ただけじゃっどん…」

 大久保利通暗殺……

 享年四十七歳。

 こうして、西郷、大久保、木戸という真に維新に貢献した英雄たちは新政府発足後わずか十年でこの世を去った。

 そののち、西郷隆盛の名誉回復につとめた勝海舟も世を去った。

明治三十一(一八九八)年十二月十九日(西郷隆盛の死後二十一年)、東京上野に西郷隆盛の銅像が完成して、御披露目となった。

そのイベントにはすっかり年老いた西郷隆盛の未亡人・イトと、西郷隆盛の弟・西郷従道が列席していた。

「いよいよですね? お父様」

「楽しみじゃっとなあ、櫻子」

「はい。お父様」

「……姉さん。いよいよでごわすぞ」

 壮大な音楽とともに、銅像にかけられていた幕が引き落とされる。

 ……銅像は、丸い巨漢の巨眼の男で犬までつれていた。………

 イトは不思議そうな顔で銅像に近付き、じっと眺めた。

 その後、

「違(ちご)う!うちの旦那はんはこげなひとじゃなかよ」と呟くようにいった。

「……姉(あね)さん。皆みとるきに」

「違(ちご)う、違(ちご)う…じゃっどん、こげな人じゃなかとよ。こげなひとじゃなか」

 イトが違うといったのは外見だったのか、それとも何か別のものだったのか?

 それは今となっては確認のしようがない。

 こうして、西郷隆盛の維新はこれで、本当に、おわった。        おわり 





<参考文献>

なお、この物語の参考文献はウィキペディア、『ネタバレ』、池波正太郎著作、池宮彰一郎著作『小説 高杉晋作』、津本陽著作『私に帰せず 勝海舟』『巨眼の男西郷隆盛』、司馬遼太郎著作『竜馬がゆく』『翔ぶが如く』、『陸奥宗光』上下 荻原延濤(朝日新聞社)、『陸奥宗光』上下 岡崎久彦(PHP文庫)、『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦(PHP文庫)、『勝海舟全集』勝部真長ほか編(頸草書房)、『勝海舟』松浦玲(中公新書)、『氷川清話』勝海舟/勝部真長編(角川文庫)、『坂本龍馬』池田敬正(中公新書)、『坂本龍馬』松浦玲(岩波新書)、『坂本龍馬 海援隊始末記』平尾道雄(中公文庫)、『一外交官の見た明治維新』上下 アーネスト・サトウ/坂田精一(岩波文庫)、『徳川慶喜公伝』渋沢栄一(東洋文庫)、『幕末外交談』田辺太一/坂田精一校注・訳(東洋文庫)、『京都守護職始末』山川浩/遠山茂樹校注/金子光晴訳(東洋文庫)、『日本の歴史 19 開国と攘夷』小西四郎(中公文庫)、『日本の歴史 18 開国と幕末変革』井上勝生(講談社文庫)、『日本の時代史 20 開国と幕末の動乱』井上勲編(吉川弘文館)、『図説和歌山県の歴史』安藤精一(河出書房新刊)、『荒ぶる波濤』津本陽(PHP文庫)、日本テレビドラマ映像資料『田原坂』『五稜郭』『奇兵隊』『白虎隊』『勝海舟』、NHK映像資料『歴史秘話ヒストリア』『その時歴史が動いた』大河ドラマ『龍馬伝』『篤姫』『新撰組!』『八重の桜』『坂の上の雲』、『花燃ゆ』『西郷どん』漫画『おーい!竜馬』一巻~十四巻(原作・武田鉄矢、作画・小山ゆう、小学館文庫(漫画的資料))、NHK『大河ドラマ 龍馬伝ガイドブック』角川ザテレビジョン、他の複数の歴史文献。「文章が似ている」=「盗作」ではありません。盗作ではありません。引用です。

『竜馬がゆく(日本テレビ・テレビ東京)』『田原坂(日本テレビ)』『五稜郭(日本テレビ)』『奇兵隊(日本テレビ)』『勝海舟(日本テレビ)』映像資料『NHKその時歴史が動いた』『歴史秘話ヒストリア』映像参考資料等。

 大河ドラマ『翔ぶが如く』『西郷どん』、司馬遼太郎著作『翔ぶが如く』、林真理子著作『西郷どん』他の複数の歴史文献。『維新史』東大史料編集所、吉川弘文館、『明治維新の国際的環境』石井孝著、吉川弘文館、『勝海舟』石井孝著、吉川弘文館、『徳川慶喜公伝』渋沢栄一著、東洋文庫、『勝海舟(上・下)』勝部真長著、PHP研究所、『遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄』荻原延寿著、朝日新聞社、『近世日本国民史』徳富猪一郎著、時事通信社、『勝海舟全集』講談社、『海舟先生』戸川残花著、成功雑誌社、『勝麟太郎』田村太郎著、雄山閣、『夢酔独言』勝小吉著、東洋文庫、『幕末軍艦咸臨丸』文倉平次郎著、名著刊行会、ほか。


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おいどん!巨眼の男 西郷隆盛 長尾景虎 @garyou999

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