第三話 西郷隆盛

         七 廃藩置県と新政府





     一

 薩摩隼人、川口雪篷は西郷家を守っていた。

 西郷吉之助(隆盛)に留守役をまかされたのだ。只でさえ、西郷は薩摩の代表として忙しい。幕府はつぶしたが、残党が奥州(東北)、蝦夷(北海道)までいって暴れる始末の悪さ。彰義隊にも手をやいた。

 西郷は、勝海舟との間で『江戸無血開城』をなしとげたあとも激務におわれた。

 そんな中、川口は奄美大島へ向かった。

 西郷吉之助の島妻と子供を引き取るためだ。

 それは、吉之助の願いでもあった。

「愛加那はん、いとっとか?」

 川口雪篷は舟でつくと、暑い中、島村を訪ねた。

「わたくしですけんど…」

 愛加那は答えた。   

「西郷どんの、つかいできたでごわす。あんさんと、子らを鹿児島に連れてきゃりぇせと」

「ほんてごつですか?」

 愛加那は笑みを浮かべた。やっと……旦那さんにあえる…

「…愛加那!」それをとめたのは彼女の母・石千代だった。

「なんでごつ? 母さま」

「わかっとう?! あんたは島の愛人にすぎなか! 鹿児島にいってもやっかいものになるだけじやなかが!」

「…そ……そげんこつなか」

 愛加那はわかっていた。母のいう通りである。自分は只の愛人に過ぎない。

 だが、吉之助との間に子がふたりもいる。

「……わしは先にいっちょりますきに。舟でいきまそ」

 川口雪篷がそういって遠ざかると、愛加那はハッとして子を連れて駆け出した。

「…愛加那!」

 石千代は叫んだ。

「おいといきもうそ」川口雪篷が笑顔でいうと、駆け寄ってきた愛加那は息をきらしながら、すがるような目をした。

「どげんしたど?」

「…こ……この子だけ連れていきもうそ!」            

 愛加那はそういって川口に菊次郎少年だけを託すと、悲痛を堪えて家に駆け戻った。

 その後、号泣した。

 もう、旦那さんにも菊次郎にもあえない。そうわかっていたからだ。

「……愛加那、あんさんは偉きことしよっちょぞ。それでよか。それでよか」            

 石千代は娘・愛加那の肩を抱き、涙で嗚咽をもらし、崩れる娘を褒めた。

「いつかきっとでん。吉之助はんも感謝しもうそ」

 石千代は涙声でそういった。


    二

 勝海舟は旧幕臣たちの説得につとめていた。

 幕臣たちは何をおもってか、奥州や蝦夷にいきたがる。会津(福島県)でもひともんちゃくあったという。

「俺が新政府と戦っても無駄だっていってもきかねぇんだ。馬鹿なやつらだよ。

薩長は天子さまを掲げてんだ。武器や兵力、軍艦にしても勝てねえってことぐらい馬鹿でもわかりそうなのに………まったく救いようがねぇ連中だ」

 山岡鉄太郎は

「勝先生がすすんで〝裏切り者〟役をかってでていただいたおかげで、江戸は火の海にならないですんだんです。先生がいなければこの国はどうなっていたか…」

「てやんでい。俺に感謝せず、このかたに感謝しろ」

 いままで黙ってきいていた西郷吉之助が巨眼を見開いた。                    

「じゃっどん。幕府にしても慶喜公の隠居にしても……勝先生がいたからでごわそ?」

 勝麟太郎(海舟)は笑って、

「西郷先生、あとはあんたらの出番だ。幕府は腐りきって滅んだが、新政府はそういう風にならねぇことを願うねぇ。あとはあんたらがこの日本の舵取りをしていくんだ」

「……舵取り?」

「そうさな。政もそうだが、まず経済だな。どんな国でも経済がいい国は豊かな国だぜ。それと諸藩から広く人材を集めるこった。それでなきゃならねぇと俺は思うんだ。

 西郷先生はどうでい?」

「おいどんも賛成でごわす。国というのは経済が潤ってこそ政もうまくいくのでごわす。国の基礎は経済でごわそ」

 勝はにやりとして

「そういうことでい! 西郷先生、あんたわかっているじゃないか!」

 ふたりはがっちりと握手をかわした。

 維新二大英雄の握手である。

「日本国を頼むぜ、西郷先生!」

 勝海舟は強くいった。

「わかりもうした」吉之助も笑顔をつくった。……これからはおいたちの出番でもそ。

「わかりもうした! わかりもうした!」   

 吉之助は念仏のように何度もいい、頷いた。


 勝海舟との会談から五ケ月後、越中で「官軍」として戦っていた西郷吉之助の弟・吉二郎が戦死した。その訃報が吉之助の元に届いたのは夕方だった。

 陣で指揮をとっていた吉之助は驚き、思わず手にもっていたものを落とした。

「……吉二郎が……あの吉二郎が死んだでごわすか…」

 大きな溜め息が巨体から漏れた。

 その夜、吉之助はちょんまげを斬りおとして、机におき

「こいを吉二郎の墓に一緒に葬ってごわそ」といった。

 幕府は崩れ、新選組の局長・近藤勇は官軍にとらえられ処刑された。

幕臣・榎本武揚は、新選組副長・土方歳三とともに蝦夷にいき、臨時政府をつくるも敗退。土方は戦死し、榎本は捕らえられた。     

 明治元年九月二十日、会津鶴ケ城が落城し、ここに戊辰戦争は終結した。


    四   

 西郷隆盛は「維新後」、二千石の賞典禄を与えられた。

 大久保利通(一蔵)と、木戸孝允(桂小五郎)は千八百石。後藤象二郎、小松帯刀、岩倉具視が千石で、西郷隆盛は正三位に叙されたという。

 薩摩の殿様島津が従三位……家臣が殿より偉くなった訳である。

 西郷は終戦となるや薩摩兵をひきいて鹿児島へもどった。維新後の勢力は薩摩と長州藩主体だった、が、土佐、肥後といった藩も新政府に参加していた。

 しかし、諸藩の反発もすごくて「薩長だけで維新がなったと思っているのか?!」という不満も渦巻いていた。

 吉之助(隆盛)は鹿児島湾から海を眺め、

「おいの役目はおわりもうした。あとは百姓にでもなりもんそ」と呟いた。

 新政権ではドタバタ劇が繰り広げられ、吉之助の弟子の横井楠南が、自決するまでにいたった。西郷吉之助は、

「みな、おのれのことばかり考えちょる。こげんでは新しい世とはなりもうさん。駄目じゃ。いかんど」

 と、頭を抱えてしまった。

 吉之助はいう。

「万人の上に位する者は己をつつしみ、品性を正しくし、おごりをいましめ、節倹をつとめ、職務に勤労して人民の標準となり、下民、その勤労を気の毒に思うようならでは、政令はおこなわれがたし」

 西郷隆盛は『召還』に夢中になるようになる。

 つまり、特使として朝鮮にいかせてくれ、ということである。

 吉之助は弟の西郷従道(慎吾)と話しをした。

従道は立派なすらりとした男に成長して陸軍に勤務していた。

 従道は吉之助に

「なにごて兄さんは朝鮮にこだわっとでごわすか?」と問うた。

「なにごてて?」             

「兄さんは朝鮮攻っとですか?」

 吉之助は珍しく顔をしかめ「そげんこつでなか!」と強くいった。

「じゃっどんなにごて朝鮮にこだわるでごわす?」

「朝鮮を攻めるなんぞとおいはひとこともいっとらん。誤解じゃ誤解! 朝鮮とこの国をよくするためにいきたいだけじゃっどん。それが誤解されちょる。まるでおいが朝鮮攻めよ、と、いうとるみたいじゃなかど。そげんこつひとこともいうとらんに…」

「…そうでごわすか」西郷従道は制服の襟をなおして頷いた。

 山県有朋はプロシア(ロシア)、西郷従道は英国に留学していた。

従道はイギリスで、『スコットランドヤード(英国の警察組織)』を拝見していた。

 一方で、日本には職を失った浪人士族があふれている。

 かれらの就職先が当面の課題だった。

「兄さん。近代的な軍と警察が必要でごわそ?」

 吉之助は頷いた。

「おいもそう思っとうた。日本には職を失った浪人士族があふれてもうそ。そいたちを雇えば雇用は確保できるばい」

        

 西郷従道はその夜、東京の邸宅で妻・清子にすべてを話した。

 すると清子は「やっぱり義兄さんは朝鮮を攻めるといっているのではないのですね?」

 と笑顔になった。訛りはない。       

「そうでごわそ。やっぱり兄さんは兄さんじゃ。立派じゃ」

 西郷従道は笑顔でシャンパンを開けた。


    五

 一足先に東京の国会議事堂にいた西郷隆盛(吉之助)を追うように、アメリカNY号という船に乗り木戸や大久保、板垣退助らが東京にやってきた。

 明治四年一月三日のことである。

 西郷ら参議が命がけでとりくんだ最初の難題は『廃藩置県』であった。

 大久保も木戸もはやく日本国を共和制の国にしなければとあせった。

 そこで、まず薩摩、長州、土佐、肥後の藩を「藩籍奉還」として朝廷に献上し、領土を新政府にかえすという方法をとった。

 藩主をその県の主として残すということは、結局減らないではないか……ということにもなる。が、まず都道府県に別けて、そののち旧藩のすべてを解体して、かわりに県をおく。県を治めるのは新政府が思いのままに動かせる知事を任命する。

 これが『廃藩置県』の大改革である。


   六

 東京では軍事パレードが行われた。

 明治四年二月十八日、新政府は近代的な軍隊をつくった。

『廃藩置県』で殿でも藩主でもなくなった島津久光は、深夜、鹿児島湾に屋形船を浮かべ、何発もの花火を打ち上げさせ、ヤケ酒を呑んだ。

「わしをなめよってからに……西郷め! 大久保め! せからしか!」

  西郷隆盛が新政府へ迎えられると、新政府は組閣をした。


関白   三条実美

 参議   西郷隆盛(薩摩)板垣退助(土佐)大隈重信(佐賀)

 大蔵卿  大久保利通(薩摩)    

 文部卿  大木喬任(佐賀)    

 大蔵大輔 井上馨(長州)

 文部大輔 後藤象二郎(土佐)

 司法大輔 佐々木高行(土佐)      

 宮内大輔 万里小路博房(公家)

 外務大輔 寺島宗則(薩摩)

            他


 この組閣に、長州は怒った。

「長州から取り上げられたのは井上馨だけではないか!」というのだ。

 薩摩兵をひきいて東京にいた西郷隆盛は東京の邸宅を購入した。ときに明治四年春だった。

 この年年末、大久保利通らは『欧米視察』をすることになった。

 西郷はいかない。

「一蔵どん。無事にもどってくるんでごわすぞ!」

 西郷隆盛はいった。

「西郷どん。おいの留守中はこの国を頼みもんそ!」

「わかりもうした」

 親友でもあるふたりは堅い握手を交わした。

……なんにしてもこれからが勝負だ。

 その後、大久保利道、木戸孝允、岩倉具視らは十二月一日『欧米視察』のため艦船で海原へと旅だった。西郷は見送ったあと、一時鹿児島にもどった。

 久光へ『詫び状』を届けるためだ。

 薩摩藩城では島津久光が顔を真っ赤にして、激昴して上座にすわっていた。

 吉之助は下座で座り、平伏した。

「吉之助! おのれが!」

 島津久光は開口一発怒鳴った。

「お前たちが藩をつぶしたのだ! 薩摩藩は八百年もの歴史ある藩ぞ! そんれを『廃藩置県』なごてもうして……潰しおった!」

「久光公……もうこの国に殿様はいりもうさん」

「なにごて?!」

 吉之助は頭を上げた。

「この国は東京を首都とした近代国家となりもんそ。もう殿様はいらなかです」

「せからしか! 吉之助! 首をはねてくれるわ!」

 島津久光は怒鳴りっぱなしだった。刀を鞘から抜いた。

「日本国は民のもの。どうぞ! おいの首をはねとうせ!」

「いいおったな! 吉之助!」

 久光は刀をふりあげた。はねる真似をして、それからぜいぜいと荒い息をしてコンクリートのように固まった。吉之助はいささかも動じるところがない。

 久光は頭の中が真っ白になった。

「さ……さがれ! この外道!」

 吉之助は去った。

 すると久光は眩暈を覚えて、放心状態になり畳みに崩れた。

 ……せからしか! せからしか! ……もう声もでない。


    七

 明治三年十二月十七日、朝廷令が発せられた。

 六月五日、西郷隆盛(吉之助)は日本で初めての陸軍大将に任命された。中将はない。

 次は少将で、それには薩摩の桐野利秋が任ぜられている。桐野は、前名は中村半次郎で、維新の動乱のとき「人斬り半次郎」といわれた剣豪で、維新後まで生き残った最後の剣豪である。


 大久保たちが視察にいく前に会議が開かれ、やがて『征韓論』が浮上してきた。

「朝鮮を征伐してこの国の領土としよう」

 西郷は反対し、「おいどんは反対でごわす。まずおいを朝鮮に特使としてつかわせてくれもんそ」と頼んだ。

「しかし、西郷先生にもしものことがあったら難儀じゃ。それは出来ん」

「正常な外交なら軍隊はいらんでもそ?」

 一同は沈黙する。


  西郷は野に下った勝海舟と話をした。

「なに? 西郷先生は朝鮮を攻めるのかい? そんなんでなんになるってゆうんだい?」 

勝は深刻な顔の西郷隆盛にいった。

「おいは…」西郷は続けた。

「おいは朝鮮を攻める気はなか。只、門戸を開こうとしとるだけでこわす」

「西郷先生、そりゃああんたのいうことはいちいちごもっともだ。しかし……抵抗勢力に邪魔されているんだろ?」

「そいでごわす」西郷は素直に答えた。

「西郷先生! これからが大事だ。この国が栄えるも滅ぶも危機感をもって望む決意が重要だぜ。俺はもうあんたらにとっては必要ない者だ。あとは自分らで決めてくれ」


    八

 大久保は朝鮮との交渉に反対した。     

 大隈は「参議以外は発言を控えよ」と慇懃にいった。

「だまれ!」江藤新平は怒鳴った。

 大久保は議論に激昴して退場した。

『征韓論』は失敗した。

 西郷はいった。「おまさんら、維新で大勢の血が流れたことを忘れおったか? わずか五年前のことじゃっどん」

 一同はまた沈黙してしまった。

 二月四日閣議が開かれる。

 朝鮮との交渉に賛成したのは、西郷・板垣・後藤・副島、反対は岩倉・大久保・大隈・木戸であった。

 木戸孝允(桂小五郎)は「朝鮮より樺太と台湾が先である」と息巻いた。

 議論は空転し、やがて大久保と大隈と木戸は辞表を提出し、参議から去った。

 閣議は続く。西郷は公家の三条に迫り、「天子(天皇)さまにご決断をば!」といった。 三条実美も辞任した。

 西郷は、公家の岩倉具視に迫った。「天子(天皇)さまにご決断をば!」

 岩倉具視は押し黙ったままだ。

 西郷はさらに「朝鮮にばいき国交を開きまそ」と提案した。

 岩倉は「戦になるかも…」と恐れた。

「樺太も同じでごわそ。朝鮮は〝かませ犬〟じゃなか! 朝鮮に使者を派遣せねばならぬごて。そいがわからんでごわすか?」

「士族のため?」

「そうではごわさん」西郷は首をふった。

「このまんまでは国家百年の計あやまりおこるでごわす」

 吉之助は岩倉の袖をひっぱった。

「はなせ!」

「岩倉どん! わからんでごわすか?!」

 そんなひともんちゃくがあったあと、西郷隆盛は馬車で帰宅した。

 弟の従道とその妻清子がきた。

 西郷吉之助は大きな溜め息をもらし、「鹿児島にもどりもうそ」と独り言のように呟いた。彼は疲れていた。吉之助には一晩の熟睡と熱い風呂が必要だった。

 ……つかれたばい。つかれたばい…

「岩倉は天子さまに反対のこというじゃっとろう。西郷は朝鮮に戦しかけると思われるじゃなかど」   

「……兄さん」

「月照どんと海に落ちておいだけが助かった

……それもなにかの縁じゃ。鹿児島にもどり百姓にでもなりもんそ」

 吉之助はずいぶんと疲れていた。なによりも彼を迷わせたのは思い通りに政ができないことだった。西郷隆盛には大久保利通のような政治の才がない。

「兄さん! おいも鹿児島にもどりもうそ!」

 弟の従道は強くいった。吉之助はそれを断った。

「そげんこつは駄目じゃ! あんさんがいのうなったら誰が国守るど?」

 二十三日、再び閣議が開かれた。吉之助は参議を辞任した。四参議も辞任し、結局、参議は誰もいなくなった。

 東京は雨が降っていた。

 陸軍少将・桐野利秋(中村半次郎)、近衛陸軍少佐・別府晋介は激怒した。

「西郷どんのような維新の功労者を辞めさせるごて、そげな政府ならいらんでごわす!」     

「薩摩の者はみなやめて鹿児島に帰りもうそ!」

 陸軍少将近衛局長官・篠原国幹は「まて! はやまるな!」と彼らをとめた。

 しかし、無駄であった。篠原国幹ものちに辞めて、鹿児島へと向かっている。

 大久保利通は残念がった。

「……西郷どんには政治にはむいとらん」

 鹿児島で、西郷隆盛は犬を連れて散歩した。彼のまわりには薩兵十万の軍隊が集まった。「先生! 西郷先生!」

 桐野や別府、篠原は西郷隆盛(吉之助)を慕ってついてきていた。

「……国のことは大久保どんにまかせるばい」

 西郷隆盛は自分にいいきかせるように、いった。







        八 鹿児島私塾




     一

  明治六年十二月、鹿児島の西郷隆盛を頼って士族(元・武士)たちが大勢やってくる。

 酒場でも鹿児島市内でもお祭りのような大騒ぎである。

 桐野利秋は酒を呑みながら「西郷先生をたてて、新政府つくりもんそ」と笑った。

 別府晋介も「そうでごわす」と頷いた。         

「そいでよかごわそ」篠原国幹は酒をぐいぐいと呑んだ。

 明治七年十二月、岩倉具視が暗殺されそうになって河に飛び込んだ。大久保は「土佐か?」と尋ねたという。犯人は斬首になった。

 政府は「廃刀令」を発した。廃藩置県いらいの大改革である。

 それからは、失業した士族(元・武士)たちが次々と乱をおこした。

 熊本に「神風連」を結成した不平士族の挙兵。

九州の秋月の乱。

 長州士族たちによる萩の乱

 佐賀の乱…………

 政府は猛然と乱がおこる度に鎮圧のため海陸軍を総動員して立ち向かった。

 乱がおこるたびに、西郷吉之助は「さそい」をうけているが、

「よしなはれ」

 というだけだったという。首謀者たちは捕らえられ、斬首の刑になった。

 西郷隆盛は

「このままでは佐賀や熊本の二の舞でごわす」と危機感をもった。

 しかし、同時に

「もう内戦だけはごめんでごわす。維新で大勢の血が流れたのはわずか五年前ではなかが。こん以上、血はみたくなか」とも思った。

 ……自給自足の、政府に頼らない地方政治……

 いつしか、西郷の頭にはそれだけが浮かぶようになっていった。

 明治七年四月、西郷は仮設の学校に有志たちをよんだ。

「どげんしたでごわす? 西郷先生」

 桐野利秋がきいた。

「いよいよ戦でごわすか?」とは篠原国幹。

 別府晋介は「いよいよ新政府樹立でごわそ?」と興奮した。

 西郷は黙って首をゆっくり横にふった。

「利秋どん、晋介どん、国幹どん………はやまってはだめでごわすぞ」

「先生!」       

「おいは…」吉之助は続けた。

「おいはこの鹿児島に学校をつくるつもりでごわす」

「……学校? どげなです? 西郷先生」桐野利秋がきいた。

「私学校でごわす。今、東京にいる兵はだめでもんそ。政府に頼らず、自給自足の私学校をここ鹿児島でつくるでごわす」

「私学校? そいはよいでごわすな!」

 桐野利秋たちは賛成した。

「それで自給自足せば、政府などいらんでもうそ」

「校長らは利秋どん、晋介どん、国幹どん………おんしらでごわす」

「え?!」桐野たちは驚いた。

「校長は西郷先生でごわそ?」

「いんや。利秋どん、晋介どん、国幹どん…おんしらど」

「なら…規則を」

 西郷は笑って

「こん学校はおんしらが規則ど。学校では兵学、砲学、経済などを教える。その後、開墾もしもうす。おんしらでなければだめでごわそ」

「それはいい西郷先生! おいもそん学校設立に力貸しもうす」

 鹿児島県令・大山綱良が後援を約束した。

 西郷は顔をしかめ

「世間では士族(元・武士)たちのために西郷がたつなどとばいうて……おいは困っとりもうす。じゃっどん、学校なれば文句はないもうそ?」

 やがて、米国に留学していた吉之助の子・菊次郎と村田新八の子・村田岩熊の両青年が戻ってきた。

「おお! 菊次郎! 岩熊!」

 吉之助はおおいに喜んだ。

 菊次郎は米国で測量などを学んでいた。開墾にはかかせない人材になる。

「米国では男女平等というのがあってごわす」菊次郎青年は西郷家の晩食でおおいに自慢した。「この国みたいに女子が失礼にあつかわれない。むしろ女子は大事にされるとです」       

 イトが「ほんてごて? 女子が?」ときいた。

 西郷吉之助はにこりとしたまま御飯をほうばって何もいわない。

「そうでごす。女子にはレディ・ファーストといって先にすわらせるとか、踊り…ダンスも女子が優しくされるでごわす」

 菊次郎青年は続ける。

「それに米国には汽車というのがあって、それで移動するんど。蒸気で動いてそりゃあ早いでごわす」

 団欒には西郷隆盛の妹・市の子・市来亮介青年と従兄弟・大山巌の子、辰之助の姿もあった。

みんなはわきあいあいと食事を食べた。

 西郷吉之助はひとことも発せず、只、にこにこと食べ続けた。

 吉之助とイトは寝室で話した。

「旦那はん」

「……何ごて?」

 イトは言葉につまりながら

「あ…愛加那さん? 奄美の……文でも書いてあげたらどげんです?」といった。

「おんしが気をつかうことなか」

 吉之助は諭すようにいった。

「でも、菊次郎も無事にもどったことですから…」

「文ならいつでん出せもうそ?」

「そげんこつ……」      

「何ごておんしは愛加那に拘るでごわすか?」

 イトは言葉をのんだ。その後

「そりゃあ……菊次郎が…」と何かいいかけた。

「そげんこつ気にすることなか!」

 吉之助はそう強くいった。イトは抵抗をあきらめた。旦那のいう通り、気にすることはないのだ。島妻はしょせん愛人の域をでない。自分が本妻じゃなかか。


    二

 私学校生徒の冀望で開墾がはじまった。

 開墾の測量には菊次郎たちが役だった。生徒たちの自発的行動に西郷吉之助も喜び、

「おいも力を貸しもそ」

 といい、開墾地へむかった。

「若い者が、百姓に苦しみ、よろこびを共にするのはもっとも大切でごわす」

 共に泥まみれになって鍬をふるい、西郷を神のごとく敬う青年たちの感動はひとしおのものがあった。学生の数はしだいに増え、ピーク時には二万人にまでなったという。

 西郷と桐野利秋たちの話しの中で「ナポレオンの話」が話題にのぼった。

 すると西郷が

「革命をおこし、領土を広げたのはよかばってん。最後に自ら皇帝になりもうしたのは晩節を汚したことでごわす」

 と顔をしかめた。

 別府晋介も「そうでごわす」と頷いた。

「西郷先生はナポレオンみたいにならんでごわそ」篠原国幹はいった。

「……国幹どん。おいはナポレオンみたいにならんでごわす。おいには野心などごわさん」

 吉之助は謙虚にいった。                           

 陸軍少将西郷従道(吉之助の弟)はマラリアを理由に、鹿児島へ船で向かっていた。

「兄(あに)さん……馬鹿な連中に御輿にのせられておかしなことせんでもうせよ」

 従道は軍服のまま遠くに見えてきた桜島をみて、呟いた。

 彼は遠くをみるような目になった。不安は隠せない。

 しかし、そんな不安も、吉之助と再会して消し飛んだ。             

「兄さん! ひさしうござる!」

「おお! 慎吾(従道)! 慎吾じゃなかが!」

 ふたりは抱き合った。

「……兄さん。馬鹿なことしよっとじゃなかと心配しよったとでごわすぞ」

 吉之助は笑って

「馬鹿んごつて?」

「士族たちに御輿に乗せられて戦ばしよっとばってん。東京中のうわさじゃ」

「そげなことなか!」吉之助は強くいった。

「おいは学校つくって開墾しておるだけじゃ。生徒の中に士族たちもおるが……戦なんとぞ馬鹿らしか」

「そんでごつか? そげんこつきいて安心したでごわす」

「くだらんこと心配しおって…」

「やっぱり兄さんは兄さんじゃ。よかばってん。偉きひとじゃ」


     三                     

 西郷従道(吉之助の弟)はイトといるとき、ごほごほと咳をした。  

「風邪でごわすか? 従道はん」

 イトは、風邪薬もっときますか? といった。

 が、従道は断った。

「従道はんは陸軍少将でごわそ? 重要な人材なんでごわすから体には気いつけとうせ」

 イトの優しい言葉に、兄を疑っていた自分が恥ずかしくなった。

 なぜか、涙腺が潤んだ。

 従道は涙を、上を向いて堪えた。

「学校で開墾して…この薩摩を日本一の豊かな国にするばってん」

 深夜、ふとんの中で、息子の辰之助がいった。おいっ子の菊次郎も「おじさん。みててくれもうそ。薩摩は日本一になるでごわす」といった。

 暗くてわからないが、ふたりと村田亮介青年たちは笑っている気がした。

 従道は「そいはよか。そいはよか」と頷いた。

 翌朝、西郷従道は帰京することになった。

「慎吾(従道)……あんさんは国を背負っちょる。体に気いつけて頑張りもうせ」

 吉之助は励ました。

「……兄さん」

 市は土産をさしだした。

「これをもっておいてくれやす」

「そげん気いつかわんでもよかとに」

「気持ちですけぇ」

「……ありがたく頂きもうそ」

 西郷従道は頭を下げた。その後、菊次郎たちに

「おいの分も兄さんを助けてもうせ!」 と、頼んだ。

 これが、西郷吉之助と従道兄弟の最後の別れとなる。


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