一章/二章

 ひよりがしてきた家は、都心から電車とバスを乗りいで、二時間ほどの場所にある。

 しようしやな住宅街と言えば聞こえはいいが、要するにりんせつするのが民家でなく大根畑という、大変ルーラルな地域である。

 すぐ近くのマンションが、うぐいすの声が聞こえる街、といううたい文句で売り出されていたのを見た時には、物は言いようだと心底思った。

 確かにうぐいすやメジロはひっきりなしにやってくるが、それよりも庭でとうとつにぽつんとたたずんでいるたぬきやハクビシンを売りに出した方が面白そうなのに、とひそかに考えている。


 田舎いなかであるぶん、家はとても広い。日本家屋風でありながら、手入れがきちんとほどこされ、大きなくらまである。

 そこには古い家具や着物がたくさん詰め込まれているので、そのうち虫干しをしなければならないが、その手間を補って余りあるほどに、ごこのいい家だった。

 それも当然かもしれない。

 ここはひよりが昔よく遊びに来ていたおお叔母おばの家で、その時の良い思い出がいろく残っているのだから。

 窓を開け放てば、裏手にある竹林が、春風にさやさやと鳴る音が聞こえてくる。ひよりはある目的のために、軍手をはめてその竹林に出かけ──。

 そうして「彼」を見つけたのだった。


 ひよりがその青年と出会ったのは、春うららかな竹林の、一番奥にちんしている大きなの中だった。

「ああ、春のにおいだ」

 そう言ってまばたきする青年の、形のよい鼻であったり、小さなくちびるであったり、切れ長の美しい目であったり──そういう一つ一つに見とれていたひよりは、悲鳴を上げ忘れた。


 竹林のはしに井戸があることは前から知っていた。

 すでれていて、落ちると危ないからと何枚もの板でふうじられていた。一人の時はあまり近づかないようにと大叔母から言われている。

 今日に限ってそれに近づいたのは、その井戸から何か音がしたような気がしたからだ。

 庭によくまぎれ込むたぬきや鳥が、どこからか入り込んで、出られなくなってしまったのかも。そう思って井戸に近づき、厳重に封じられていたはずの板に触れたたん、それががらがらと音を立ててくずれてしまった。

 そしてその中から、書生風の和服をまとった青年が現れた、というわけである。

 私有地の井戸からいきなり現れた美青年。いかにもあやしい。

 けれどひよりは怪しみもせず、り取った青竹をにぎりしめたまま、井戸からい出てきた青年の顔をじっと見つめた。

 黒くれたそのひとみに、夢の中のようななつかしさを覚えたのだ。うまく説明できないけれど、まるでとても昔からの知り合いのような、そんな気がした。

 青年の、ぬばたま色にかがやく瞳がひよりを見つめ返す。

「ぴぇ」

 美青年に見つめられることにたいせいのないひよりがせいを上げると、青年は少し気分を害したように唇を引き結んだ。

「お前、一応やまの家に連なる者なのですね。みようななりをしていますが、力はあるのですか」

「力なら任せて下さい。この通り、青竹も一人で切れますからね!」

 切り落とした青竹をほこらしげにかかげてみせると、青年はひよりの返答を無視して、彼女の顔をしげしげとながめた。

「ぱっとしないむすめですね。とはいえ、お前はこの井戸の封印をかいしてみせた。他の陰陽師の封印を破壊できるのであれば、まったく力がないわけではなさそうだ」

「はあ」

「ずいぶんとまあ間抜けな顔をする。お前、ずっと追いかけていたものが自分のしつだったことに気づいた子犬のような顔になっていますよ」

「わあ、それってかわいいですね」

なごんでいる場合か。……ともかく、です。私はななに話がある。七生の所へ連れて行って下さい。今は西の方とのこうそうもありますし」

「七生ってだれですか? それに、西の方との抗争って?」

「そんなもの決まっているでしょう。野見山家を目のかたきにしているつちかど家が、勝手にけてきている抗争で……」

 言いかけて、青年はハッとしたようにひよりを見た。

「ちょっと待て。お前は野見山七生を知らないのですか?」

「野見山七生は私のひいおじいちゃんですけど、名前しか分からないです……。確か、七十年近く前に戦争でくなったそうなので」

 青年はぽかんとした表情でひよりを見た。そうすると、青年の美しい顔に、どこか迷子のような寄る辺なさがかぶ。

 彼の大きな細い手が、戦慄わななく口元を押さえるようにえられる。

 じっと地面をにらみつけたまま、青年はつぶやいた。

「……そうか。七生は、もうこの世にはいないのですね」

「戦争中に亡くなったと聞いてます。あの、ひいおじいちゃんの古いお知り合いですか?」

「古いお知り合いが井戸の中からひょっこり出てくるものか。少しはけいかいしんを持ちなさい。お前、名前は」

「ひ、ひよりです。野見山ひより」

「よろしい。七生に比べればおとるが、お前をあるじと認めます。けいやくを結びますが、いいですね」

「契約? でも……」

「式神は主がいなければしようめつしてしまう。お前を害する気はありませんから、安心して私の主になりなさい。……まさか、むざむざ私を消滅させるなどという非情なことは言いませんよね?」

 にっこり、と花のくようなみ。美しい花にはとげがあるというが、あいにくとひよりはその言葉を思い出すことができなかった。

 街を歩けばじようすいの売り込みに引っかかり、電話を受ければ光回線のセールスをしんけんに聞いてしまうひよりは、今回もやはり青年のたたみかけるような言葉にうなずいてしまった。

 小さな頭がこくんと上下するのを見るやいなや、青年はおごそかな声で唱えた。

「我が名はせい。野見山家にひもづく式神なれば、野見山に連なる者をあまねく守護せん。──おんみようどうたいざんくんの名にもとづきて、野見山ひよりを主とする」

 そう唱えたしゆんかん、ひよりの首筋がちりりと熱くなった。あわてて指でれてみるが、特に変わったところはない。

「式神を使えきすると、その陰陽師の首筋にはそのしるしが浮かびます。お前は……椿つばきの花の模様のようですね」

「え、わ、私って、陰陽師になったんですか」

 慌ててたずねると、ひよりの式神はあっさりとこうていした。

「ええ。あるていどのじゆりよくを持ち、式神を使役する者は、一応陰陽師の部類に入ります」

「ひえ……! お、陰陽師って何をするんですか。私、何にも知らないです!」

「呪力と式神をね備えた陰陽師は、呪術やうらないを生業なりわいとするものですが……。お前は何もしなくて良いです。ただ私が生きるため、主従関係を結んでくれればよろしい」

 そう言われてひよりは少しひようけする。

 何もしなくていい、というのは、期待されていないということでもある。陰陽師として、明日あしたからきりきり働けと言われるよりは良いかもしれないけれど。

「主従関係を結ぶだけでいいんですか?」

「ええ。お前の呪力にはあまり期待ができそうにないので」

「呪力ってなんですか」

「呪術や占いを行うのに必要な力です。七生の呪力が空をしくたかだとすれば、お前の呪力はなめくじといったところですか」

「な、なめくじ……」

「ええ。しかも呪力というのは、訓練でびるというものでもありません。そのは元々備わっている素質によって左右されます」

「つまり、なめくじは空を飛べるようにはならないってことですね」

み込みが早くて何より。お前を呪術も占いもできる有能な陰陽師にしよう、などとは夢にも思っていませんから、安心なさい」

 初対面のわりにずいぶんとたけだかな物言いをする式神である。これで一応ひよりの従者というのだから、式神とは自由ないきものらしい。

「なら、いいんです。期待されても、多分私、こたえられないでしょうから」

 ひよりはそう言って、少し切なそうに笑った。

 青磁はその表情をいぶかしげに見ていたが、ややあって尋ねた。

「ところでお前、どうして青竹など握りしめているのです」

「ああ、そんなの、決まってるじゃないですか」

 ひよりはにんまり笑って言う。

「至高のたけのこご飯をくためですよ」


    〇 〇 〇


 開け放った窓の向こうで、春風が竹林をさやさやと鳴らしている。

 かつて野見山七生の生家で、今はひよりのおお叔母おばのものとなっているこの家。青磁という式神によると、昔とほとんど変わっていないということだった。

「家の造りは変わっていませんが、あのくらは……少ししんしましたか?」

「はい。元々あったのを、おばあちゃんがアトリエにするために改築したみたいです。おばあちゃんはしゅうがすごく上手で、何度も賞をもらったって聞いてます。今でもあそこに作品がたくさん残ってるみたいですけど、まだ入ったことはなくって」

「お前の祖母ですか。七生には小さなむすがいましたが、もしかしてそのよめでしょうか」

 ひよりが頷くと、青磁は蔵をじっと見つめた。

 見えないものを見定めようとするようなその視線に、ひよりは小首をかしげる。

「もしかして、青磁さんには何か見えているんですか?」

「ええ。お前の祖母は、七生やお前に比べて、大した呪力を持たなかったようですね。ですが、ほんのわずかでも呪力を帯びた糸の群れは、悪いものを退ける役目を果たしている。結界とまではいかずとも、十分にこの家の守護を果たしていますよ」

「それは、おばあちゃんも陰陽師の力を持っていたってことですか?」

ちがうと思います。糸に込められた呪力が弱すぎる。陰陽師であれば、もっと強い呪力でもって、明確な目的のもとに針をすでしょうから」

 じゅりょく、と耳慣れない言葉を口の中でり返してみる。

 青磁の言葉を総合して考えると、呪力とやらが備わっていて、式神を使役する人間は、陰陽師になるのだという。

 そう言われても、ひよりには、自分が何か特別な力を持っているという自覚はまるでない。

 昔かられいかんと呼ばれるものもなかったし、かんが働くということもなかった。不思議なものが見えたり、ちようのうりよくがあったり、人の心が読めるということも、もちろん、ない。

 だから、今日から陰陽師であると言われても全くぴんときていない。そもそも式神というものだって初めて見るのだ。

 ひよりは失礼にならないように、横目でじろじろと青磁を観察した。

 見た感じはつうの美青年と変わらない。式神というものが何なのか、ひよりは全く分からなかったが、悪いものではないということは本能的に理解していた。

 これが陰陽師としての直感か、と思いたいところだが、基本的にひよりの悪人センサーは機能していない。お人よしの彼女は、だれでも良い人だと思ってしまいがちなのだ。

 しかも、本人はぬすみ見ているつもりなのだろうが、ちっとも視線をごまかせていない。

 青磁はため息をつく。

「何と言えばいいか……。われながら不思議です。なぜお前のようないかにもどんかんそうなむすめを主にしようと思ったのか」

「そうしないと青磁さんが消えちゃうから、ですよね?」

「それはそうですが、式神だって主の好みくらいあるのですよ」

「はあ。ご期待に沿えず、すみません……?」

「式神にけいけいに頭を下げない。期待はしませんが、せめて主らしく堂々とだいたんに、けれどけんきよつつましやかなる舞いを心がけて下さい」

「注文が多いなあ」

 ひよりは青磁に先立って、勝手口から台所に入る。

「お前、その青竹でたけのこご飯を炊くと言いましたが、なぜそんなとんきようなことを思いついたのです」

「この台所から、竹林が見えるでしょう。春風がふわっと舞い込んで、ああ春だなあ、たけのこご飯のシーズンだなあ──と思っていたら体が勝手に竹やぶのほうに」

「よく分かりました。春で頭がだってしまったのですね」

「でも考えてみて下さい。りたてのしゆんまっさかりなたけのこを、ふんだんに使った上に、竹のうつわで炊くたけのこご飯ですよ! 絶対美味おいしいに決まってます! 何と言っても青竹ですから、水分たっぷりでジューシーで! かおりも良さそう!」

 ふんふんと鼻息あらく青竹をでるひより。

 青磁はそれをちんじゆうでも見るような目で見ている。

「今確信しましたよ。お前は間違いなく七生のけつえん者です。あれもずいぶん食い道楽だった」

 そう言って青年は、ひよりの手から青竹をぱっと取り上げた。

「貸しなさい。私がやりましょう」

「あ、でも……悪いです」

「私はお前の式神ですからね。使用人として使っても構いません」

「そっか、私が使役? してるんですもんね。でも、その対価って何ですか? お、お金とかなら、私はらえないかもしれないです」

「意外とりちなのですね。私とお前は対等ではありません。お前が一方的に私を使役するのです。対価は不要」

 ひよりは青磁の言葉を理解しようとがんってみる。

 しかし、いきなり現れた美青年を一方的に使えきしろと言われても困る。第一使いどころが分からない。

「えっと、その場合、あなたにメリットがありませんよね」

「いえ、ありますよ。さっきも言ったように、おんみようけいやくしていない式神は形をとどめていられません。それに私が式神をやっているのは、ある願いをかなえるためですから」

 そう言って青磁は青竹を空中に放った。

 白い指先がちようのようにひらめく。風がさやかにほおを撫ぜ、いつしゆんのまたたきの後にからんというかわいた音。

「わあ……!」

 ひよりの目がかがやく。青磁の手の中には、まさにこのくらいの大きさ、と彼女が思っていたサイズに切られた竹があったからだ。

 小さなひよりの手でもにぎれるていどの太さで、おまけにふたが切り取られている。あとは米と具材をめて火にかけるだけ。

「すごい、式神パワーってこんなこともできるんですね!」

「私ほどの式神ともなれば、たいていのことはできますよ。……今、何かよこしまなことを考えませんでしたか?」

「え? ああいえ、客間の障子の張りえとか、客用おのカビ取りとか蔵の虫干しとか、そういうのもやってくれるのかなあと思ってました」

「悪だくみに向かない娘ですね」

「向いてるよりはいいんじゃないですかね」

 ちょうどいい入れ物を手に入れたひよりはごげんだ。下ごしらえしておいたたけのこを手に、いそいそと調理にとりかかる。


    〇 〇 〇


 料理をしない青磁は手持ちになり、居間に移動して、部屋のすみにある低いたんの上にかざられた写真をじっくりとながめていた。

 ていねいほこりの払われた写真立ての群れを、一つ一つ指でなぞる。

 野見山家の人々は誰もみな、人が良さそうな表情をしている。

 青磁は、先ほどあるじになったばかりの少女の顔を思いかべる。

 がらきやしやな体。お月様みたいに丸くて小さな、ぽやっとした顔をしている。

 黒目がちの目は小動物に近くて、こまごまと動く様子はほんとうにリスみたいだと思う。害がない。むしろ悪意を持った者にねらわれる側だろう。

 ともあれ、自分がにいる間も、野見山の人間がつつがなく過ごしていたというのは朗報だが、ならば自分はなんのためにいるのだろうと、青磁はつかの間苦い虚無感を味わった。

 七生の写真は見当たらない。考えてみれば、七十年前に早世した青年の写真を飾る理由は、あまりないように思える。

「……おや」

 しかし、七生の写真は、あった。

 写真スペースのはしのほう、日に焼けて白茶けてしまったその一葉。

 むかえたばかりの妻と並んで、かたい表情で写っている。

 せいかんな顔立ち、とはお世辞にも言えまい。ほそおもてで、けれどまゆと目の間がはなれているせいで、どこかあいきようのある顔になっている。

「この顔で、不退転のかくさけぶのですから、まったく手に負えませんね」

 青磁ののうを、別れぎわの言葉がよぎる。


『青磁。お前はここで、俺のいない間この家を守っていてくれ』

『ですが、今から前線に向かうのでしょう。ならば私も』

『だめだ。青磁、言うことを聞けないのならば、お前をここにふうじていくしかない』

鹿なことを。お前にそんなができますか。……七生?』

『ここはゆずらない。お前を戦場になんて行かせるもんか、お前は野見山家の、俺の、式神だろう』

『やめなさい、何を……! 七生、七生!』


 よみがえおくに顔をしかめ、何度か首を振って追い払う。

 井戸の中に封じられていた間、式神としての力は弱まることがなかった。主である七生が死してなお。野見山の一族と、この土地が青磁をつなぎ止めていたのだろう。

 あるいは七生が、なにかくわだてていたか。

「ありゃ、青磁さんここにいた」

 ひょっこりと顔を出したひよりが、青磁の視線の先にあるものを見て、照れくさそうに笑う。

「そこ、すごいでしょう。ご先祖さまたちの写真を、全部引っ張り出して並べちゃったんです。この家で一人だとどうにも広すぎて、気づまりで」

「この家に一人? お前ほどのねんれいならば、まだ家族と住んでいるものでは?」

「そうですね。高校二年生なら、つうは実家から通います。あ、高校二年生ってつまり、十六歳ってことなんですけど」

 うなずく青磁に、ひよりは続けて説明した。

「私、春から別の高校に行く予定なんです。それで実家を離れて、転校する高校に近いこの家で、おお叔母おばいつしよに住むことになったんですけど……。叔母さん、こしで入院することになっちゃって。それで急ですけど一人暮らしすることに」

 そう言うひよりの表情はどこかぎこちない。初めて見た時のやわらかさが消え、どこかよそよそしさを感じさせる。

「転校っていうより、げてきたみたいなものだから……。だから、一人になってちょっとほっとしてるっていうか、自分に向き合う時間ができたと思って、前向きに頑張ろうと思ってるんですけどね」

 青磁が何か言う前に、ひよりが、そうだ、と明るい声を上げた。

「そうそう、青磁さんを呼びに来たんだった。ご飯ができましたよ」

 式神は小鳥のように小首をかしげた。

「ご飯、ですか」


    〇 〇 〇


 にこにこと笑いながら、居間の大きなテーブルに料理を並べてゆくひより。先ほどのぎこちなさは消えうせ、鼻歌でも歌いだしそうなほど上機嫌だ。

 青磁は自分の前に置かれた皿を見、少しこんわくしたような表情を浮かべている。

「式神は食事をとらないのですから、別に私の分まで用意しなくてもいいのですよ」

「私の気分みたいなものですから。すみませんがつきあって下さい」

 そう言ってひよりはしよくたくに並んだメニューをしようかいする。

「たけのこのに、いそげに、かかまぶしですっ! そしてメインはこちらの、たけのこご飯!」

 しようの少しげたようなかおりと共に、竹のさわやかなにおいが鼻をくすぐる。

 切った青竹をうつわ代わりに盛られているのは、きつね色のたけのこご飯。青竹に詰めて直火でいたおかげで、竹のえも言われぬよい香りがただよっている。

 大きめに切られたたけのこと、くったりした油揚げとにんじんの取り合わせが、春めいてれいだ。

 半ばよだれを垂らしながら、ひよりがはしを手に取る。

「いただきます!」

 まずはたけのこご飯から。大きめに切ったたけのこが、口の中でジャクジャクと爽やかな音を立てる。醤油の焦げた香りと、油揚げのまろやかな味わいがじゅんわりとみてきて、ひよりは思わず犬のようにうなった。

「おい、しい……! ああもうたけのこってどうしてこんなに美味おいしいんでしょうね? このかかまぶしも、おかかのしょっぱさとたけのこの甘みがぜつみようで!」

「はあ」

 青磁は主にされるように箸を取り、たけのこを一つ口に入れた。

 ひよりはどきどきしながらその表情をうかがうが、白いとうのようなかんばせには、何の変化もなかった。

 式神はただ少し口元を押さえ──ほうっと、ため息をついた。

「お、お口に合わなかったですか?」

「そんなことはありませんよ。この歯ごたえはいい。香りも春らしくておもむきがあります」

「春といえば、そらまめなんかもいいですよねえ。焼いたやつを、あちち、って言いながらいてると、生きてて良かったって思いますもん」

 その言葉に青磁は、ふ、と笑う。

「あ、今ちょっと馬鹿にしませんでした?」

「まさか。つくづく七生の子孫だな、と思ったまでです。ところでお前、高校……と言っていましたが、お前は日中学業のために家を空けるということですよね」

「はい。昼間は留守にしていますね」

「ならばその間、この家の一間を使ってもいいでしょうか」

「もちろんです。どうせ余ってますし」

 もぎゅもぎゅと土佐煮をほおりながら、でも、とひよりがたずねる。

「何をするんですか?」

えんり屋を再開します」

「縁切り屋? それはおんみようと何か関係のある仕事なんでしょうか」

 初めて聞く言葉だ。げんそうに首を傾げるひよりに、青磁が簡潔に答えた。

「式神の縁を切るぎようです。陰陽師とは関係なく、私が独自でやっているものです」

 ついばむていどに食事をとっていた青磁だったが、ややあって箸を置く。

「ええ、これならちょうどいい」

「ちょうどいい、とは」

「このたけのこご飯をもう一度炊きましょう。そしてそれを赤い布で包んで下さい」

 背筋をりんばした青磁は、宣言した。

「これより土地神さまにあいさつに参ります」

 はあ、と間のけた返事をしたひよりは、土佐煮をごくんと飲み込んで一言。

「食べ終わってからでもいいです?」


    〇 〇 〇


 竹の器にめたたけのこご飯を、言われた通りに赤い布で包む。青磁はそれを見ると軽く頷き、勝手知ったる様子で野見山家の門を出た。

 風は生ぬるく土のにおいをふくみ、花のさかりを告げている。青磁はすっかり変わった周りの様子におどろいていたが、その足取りに迷いはなかった。

 青磁が向かっているのは、ひよりが普段あまり行かない、駅から離れた方角だった。

 すたすたと勢いよく進む青磁の足は、洋風の茶色いブーツに包まれている。書生風ので立ちといい、戦前というよりは、明治時代をほう彿ふつさせる。

「式神っていうのは、もっと陰陽師みたいな格好をしているものかと思いましたよ」

「主と同じ格好では示しがつかないでしょう。それに、あのなりで外を出歩くと目立つ」

 ひよりは頭のどこかで、青磁のことをまぼろしではないかと思っていた。

 けれど、チワワを散歩させていたみようれいのご婦人が、青磁の整った顔をじっと見つめ、通り過ぎてもなおその後頭部をながめ回していたところを見ると、この式神はほかの人間にもしっかり見えているようだ。

 通りすがりの女性のほとんどは、青磁の顔をちらちらとり返っている。それは、青磁の格好が書生風だからという理由だけではないだろう。

 何しろ彼の顔はおそろしく整っている。れいろうたるかんばせに流れるような所作、時折うれいを帯びてせられるまなしを、すくいあげてこちらに向かせたいと思う者は多いのではないか。

「式神ってだれにでも見えるんですね」

「誰にでもというわけではありません。多少なりともじゆりよくを備えている人間でなければ、式神の存在に気づくことは難しい。……ですがまあ、私ほどの式神であれば、力のない人間にも見えるのですよ」

 どこか得意げな様子の青磁に、ひよりは感心したような声を上げた。

「へえ、青磁さんはすごい式神なんですね!」

「まあ、すごいのは私というより、私の中に宿るつくがみのおかげなんですけどね」

 そう言って青磁は急に右に曲がった。そこに曲がり角があるとは思わなかったひよりは、あわてて彼の後ろについて行く。

 こんな道あったっけ、と思いながら、やけに大きな白い花のほこっている民家の前を通り過ぎる。

 見上げると、心なしか空がピンクがかっているように見えて、何度も目をこすった。

 やがてとうとつに大きな道に出る。

 そこには路面電車の線路らしきものがあり、さらにその奥には、石造りの階段があった。並ぶ民家は静まりかえり、鳥の気配さえない。

「こんなところあったんですね。っていうかこの辺って、路面電車なんてありましたっけ?」

「さあ? ここのあるじしゆでしょう」

 言いながら青磁は石造りの階段をひょいひょいと上ってゆく。結構急な階段で、ひよりはけんめいに青磁のあとをついて行った。

 じんちようの香りがふわりと漂ってくる。胸をかきむしられるような、正体の分からないなつかしさがつんと鼻筋をかすめる。

 石段を上り切ると、大樹の合間にかくされるようにしてそびえる鳥居がある。やけに大きく見えるその鳥居のはしを通ってくぐり抜けると、見たこともない神社にたどり着いた。

 のどを通って肺に染み込む、せいれんな空気。

「……ここは」

「土地神さまのおわす場所です」

「そうとも。俺の自宅へようこそ」

 やわらかな声が後ろからひびいてきて、ひよりは文字通り飛び上がった。

「うわあっ」

「また間の抜けたむすめだね。青磁、主は選べよ」

 さらりとひどいことを言うその人は、流れるような銀糸のかみを持つ青年だった。真っ白なかんばせに整った目鼻立ち、そうしてらんらんと赤くかがやく異形のひとみ

 青磁よりも少し大きいそのたいを、白いスラックスに黒いシャツ、そして長い白衣のような上着に包んだその男は、モデルと言っても通用するような出で立ちだった。

つわぶき

 青磁がその名を口にすると、男はうれしそうに笑った。

「ああ、名前を忘れないでいてくれたのは嬉しいな」

「あなたのようなあくらつな土地神を忘れるわけがないでしょう。このごうつくばりが」

すいものめ。久しぶりの再会をことぐ言葉も持ち合わせていないのか」

「私の力はすべち切ることへ注ぐと決めている。祝祭はあなたの領分でしょう」

「あっはは、そう言われちゃあ反論できんな。ま、押し問答はここまでにしよう。お前の小娘が情報を処理しきれていない」

 ひよりは突然現れた顔の良い男を、ただぼうっと見つめることしかできない。

 それに、今青磁はなんと言った? 土地神、だって?

「俺は石蕗。この土地をつかさどるもの。神と名はついているが、君たちの言葉で言うせいれいのようなものだ。力が強い精霊は、人間にとってはほとんど神のようなものだろうからな」

「精霊……この土地を守っている、とかですか?」

「そうなる。それにしたって青磁の主はどうしてこうみな間の抜けた顔をしているんだ? 目の前でからすにえさを横取りされたアヒルのようじゃないか?」

「えっと、多分、血筋だと思います」

「間が抜けていると言われてもおこらない辺り、筋金入りだな。好戦的なのよりはよほどいいが、せいぜい気張れよ小娘。青磁の主は大変だぞ」

「大変なんですか?」

「分不相応な願いをいだいているからね、こいつ」

 願い。そう言えば、ひよりの式神をやるのも、かなえたい願いがあるからとか言っていたような気がする。

「その願いってなんですか?」

「叶ったら教えてあげますよ。それより石蕗。また縁切り屋をやろうかと思うのですが」

「まあそうなるだろうな。お前の持つ、断ち切りばさみの宿命にはあらがえまい。いいだろう、耳の早い連中に伝えておいてやる」

「助かります」

「あ、あの、縁切り屋って具体的には何をするんでしょう。式神の縁を切るって……人間の縁じゃなくって?」

 たずねると青磁がすらすらと答えてくれた。

「式神は使えきする人間──陰陽師とけいやく関係を結びます。それはそうほうの合意があってなされる契約ですが、まれに双方の意思に食いちがいが生じたり、何らかの問題が起こったりして、その契約関係をしたいと願う陰陽師や式神がいます」

「技術的に問題が起こる場合もある。へっぽこおんみようが、切れない契約関係を結んじまったり、誤って違うやつを式神にしちまったりとかな」

「そういったあやまちのしりぬぐいはめんこうむりたいところですが……。ともかく、私はえんりの力をもって、それにあたるのです」

 ふんふんとうなずくひより。

「じゃあ、人の縁は切らないってことですね」

「そもそも、人間の縁は式神ていどには切れないのさ。俺だって切れるかどうかあやしい。もっと高位の神じゃなけりゃだめだろうな」

「どうしてですか?」

「人間の縁は複雑すぎるからだよ。式神と人は双方向の契約関係、いわば一本道だが、人間の縁は蜘蛛くもの巣のように広がっているからな。どこかを断てばどこかにほころびが出、その人間の人生をくるわせるかもしれない」

 神仏には明るくないひよりだが、縁切り神社に行くときは相応のかくを持ってのぞんだ方がいい、ということくらいは耳にしていた。そういうことなのかと得心する。

「ざっくり言うと、陰陽師と式神の縁を断ち切ることが、青磁さんの願いを叶えるために必要なことなんですね?」

「その通りだ。それを出しゃばってるとか、生意気だとかいう陰陽師もいるがな」

「一言多いぞ、石蕗。それに、そういういちゃもんをつけてきたのは、ほんのひとにぎりですよ」

 そう言って青磁は、安心させるようにひよりを見た。

だいじよう、お前に危害がおよぶことはありません。安心してあるじづらしていなさい」

「主面ですか……。こ、こんな感じですか?」

 ひよりは自分の中で一番えらそうな顔をしてみる。けれどそれははたから見ればくしゃみをまんしているポメラニアンのような顔にしか見えず、石蕗と青磁は同時にき出した。

「わ、笑うことないじゃないですかあ!」

「失礼。ふっ、くくく……」

「こら石蕗。人の主を笑うんじゃない。それは式神の私の特権ですよ」

「こんなおもしろい主を独りめするのはずるいだろう」

 笑いを残した顔のまま、石蕗はひよりの方に手をばす。

 冷たい指先がれたのはひよりの首筋。白いはだの上にうっすらと刻まれた、赤い椿つばきの模様をでる。

 それは青磁が、ひよりを主と決めた印だった。

「椿の花か。確か前の主は桜だったか?」

「そうでしたか。覚えていません」

 かたい声の返答。うそだな、とひよりは思う。きっと彼は覚えている。

 そうでなければ、初めて出会ったあのときに、あれほど七生をさがそうとするはずがない。あんな、置いて行かれた子どものような顔をするはずがないのだ。

 そうか、と言ってほんの少し悲しげに微笑ほほえんだ石蕗は、ひよりの頭をぽんぽんと撫でる。

「困ったことがあればたよるといい。ただし対価はもらうけどね。今日のところは、縁切り屋再開の宣伝料として、その包みの中のものを頂こうか?」

「たいしたものじゃないんです。たけのこご飯なんですけど」

「いや、いいものだよ。しかも青竹のうつわとはふうじゃないか? 俺好みだ」

 ひよりが差し出した赤い包みをふわりと開けた石蕗は、そのままそれを赤い包みもろとも、ぞぶりと腹に押し込んだ。

「えっ」

 それは神様の食事作法らしかった。へその辺りから、赤い布をつまみあげ、ひらりとはらった石蕗は、満足げなみをかべている。

 食べるというよりは、吸収する、といった感じだろうか。青竹の器に込められた春の気配ごと、そっくり取り込んでしまった。

 それを見てひよりはさとる。美しい人間の男性にしか見えない石蕗は、人間とは違う存在なのだと。そして、そんな存在と言葉をわしていることに、いまさらながらびっくりしていた。表情はあまり変わらないけれど。

「やあ、これはいい。楽しさにあふれている。春の喜びに満ちている。人のえいがふんだんに溢れた、とびきりの対価だな」

 そう言って土地神さまは、布をひよりに返すと、はふうと軽い息をく。するとそのひように木々がこずえをらし、もくれんの花弁がほとりと地面に落ちた。


 ほてほてと進むひよりの歩調に合わせるかたちで、二人は家にもどった。

 今日は色々なことが起こりすぎた。陰陽師、式神、土地神。自分の知らなかった世界から、色んなものが一気にひよりのふところに飛び込んできたような感じがする。

 ──それとも、ひよりが未知の世界に飛び込んだと言った方が正しいのだろうか。あのを開けた時から、目の前の景色はもういつもと違っている。

 こわい気持ちも、もちろんある。けれど、これからどうなるんだろうという期待の気持ちも、ないわけではない。

 そんな気持ちになったのは、ここ半年の中でも久しぶりだった。ここのところのひよりは、いつもおびえておどおどしていたから。

 それはきっとこの青磁という式神のおかげだろう。陰陽師と式神という関係性ゆえか、ひよりは青磁が決して自分を傷つけないことを理解していた。

「ねえ、青磁さん。青磁さんの叶えたい願いって、何ですか」

「教えません。主がだれであろうと、私はこの願いを伝えるつもりはないです」

「そう……ですか。でも、その願いを叶えるお手伝いをすることは、良いですよね」

 その言葉を青磁は鼻で笑う。

 十六歳かそこらのむすめ。彼女のそうのようなじゆりよくも知識も持たず、陰陽道についても全く知らないただの人間。

「お前に何ができると言うのです。式神がどんなものかも知らないくせに」

「知らなくても、できることはあると思うんです。ほら私、一応主ですし」

「主はただそこにいればいいんですよ。余計なことはしないで下さい」

「足を引っ張らないようにしますから!」

 いやに食い下がるひよりに、青磁はげんそうな顔をする。ともすればげんともとれる顔で、切り捨てるように言った。

「お前の手伝いはいりません。私を家から追い出さないでいてくれれば、それでいい」

「追い出したりなんてしませんよ。ちゃんとお手伝いできますから」

 ひよりのうすちやいろひとみに浮かぶのは、まぎれもない本気で、たわむれに口にした言葉ではないようだった。

「青磁さんの願いを叶えるための縁切り──私に、手伝わせて下さい」

 そうして青磁の主は頭を下げた。

「お願いします……! 呪力も大したことない私に、できることが少ないのは分かってます。それでも私にできることがあれば、なんでもしますから」

 青磁はかくてき尊大な物言いをする式神だが、主に頭を下げられるのに慣れているわけではない。あわててひよりのかたつかんで前を向かせる。

「私に頭を下げるのはやめなさい。……なぜそこまで私を手伝おうとするのです」

「だって私、今度こそ、役に立ちたいんです。何にもできなくて、ただ見ているだけなんて、もういやだ」

「今度こそ?」

 ひよりははっとした表情になる。それから、しどろもどろになりながら言った。

「えっと、ほら、私も高校二年生になったわけですし……。去年の自分よりは成長していたいというか……。と、ともかく! 青磁さんの役に立ちたいんです」

 青磁はしばらくひよりを怪訝そうに見ていたが、やがて白旗代わりのため息をついた。

「分かりましたよ。お前に何ができるか分かりませんが、必要があれば、手伝いをお願いすることにしましょう」

「ほ、ほんとうですか! 良かった……。これから縁切り、がんりましょうね!」

 ひよりはぱあっと晴れやかな笑みを浮かべた。


   ● ● ●


 すでにほとんど散ってしまった桜の花弁が、道できだまっている。

 新しい高校の制服はセーラー服だ。スカーフの結び方にちょっとしたコツがあるらしく、自分のスカーフだけちょこんと曲がっているのが、いかにも転校生らしくて、ひよりは嫌だった。

 ひよりは高校二年の学年に転入する。新学期からの転校だけれど、三年間クラスが変わらないので、教室の人間関係は完全に出来上がってしまっている。新参者の入る余地はないように見えた。

 それでもひよりはとなりの席の生徒に話しかけてみる。

「ねえねえ、さっき言ってた英語の宿題、ラジオ講座を聞いてって言ってたけど、それって……」

「あー、そういうの全部委員長が教えてくれるって」

「あ、そ、そうなんだ? 委員長さんって……」

「今いないっぽい」

 そう言うと隣の生徒は立ち上がり、自分のグループの方へ行ってしまった。

 ひよりは思わずからこしを上げて後を追いそうになったが、思い直して席に座る。

 だって前の学校では失敗した。クラス全員がとげとげしくて、常に戦場みたいだった。だから今回はしんちように人間関係を築かなければと思うけれど──。

 どう過ごしたら正解なのかが分からない。何と言えばつまはじきにされないのか、用語集のようなものがあるのならば教えてほしい。


 そんなひよりに話しかけてくる生徒は、今日もいなかった。

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