序章

 そこは暗かったけれど、少しもこわいと思わなかった。


 おお叔母おばの家に遊びに行っていたひよりは、年上の従兄いとこいつしよに、近所でかくれんぼをしていた。大叔母の家はとても広いから、立派にかくれんぼができると小学一年生のひよりは思う。

 けれど、五歳年上の従兄は、もっと難しくて広い遊び場を求め、外に飛び出したのだ。

 何度か遊びに来ている場所とは言え、かくれられる所など思いつかないひよりは、季節外れの朝顔がいている広い庭に入り込み、すぐそばのとびらに手をかけた。

 きっと小さなだろう。そこに隠れていればまず見つからないとひよりは思った。

 けれどそこは、ひよりの想像とは少しちがっていた。

 まずりようわきに背の高いたながあって、上までぎっしりと物がまっている。それにひよりが歩いている道は、どこか遠くへ続いているようだった。足元にほのかな明かりがともっているだけで、すべてをわたすことはできないけれど、ずいぶん広い空間のようだった。

「ここ、どこだろう」

 ひよりは小さなはばで、とことこと進む。暗くてひんやりとしたその空間は、ひよりの存在をどこかおもしろがっているように感じられた。温かい気配が色んな所にあって、見守られているみたいだ。

「わあ……! すごい、ぴかぴかだ」

 子どもの目を引いたのは、棚の中ほどにあり、皿のように立てかけられたえんばんだった。

 それは土にまみれてくすんでいて、ひよりの言うような「ぴかぴか」ではない。

 けれどひよりはその円盤が鏡であることにすぐ気づいたし、彼女の目にはどんな調度品よりも美しくかがやいて見えたのだ。

 ひよりはうっとりと鏡を見つめる。丸っこい指で鏡にれようとして、あわててひっこめた。

さわっても構わないわよ』

 静かな女性の声がした。だれか、この鏡の持ち主がそばにいるのだろうか。

「でも、ぴかぴかだから、わたしがさわったらきたなくなっちゃう」

『ぴかぴか? 面白いことを言うのね』

「うん。あのね、前におまつりでね、りんごあめを食べたんです。そのときのぴかぴかとおんなじだと思う」

『りんごあめ』

「おねえさんは食べたことありますか? つやつやのぴかぴかで、すごーくきれいなの」

 ひよりはえんにちの思い出をり返る。提灯ちようちんの明かりに照らされたりんごあめは、ずっしりと重たくて、宝石のようなこうたくを放っていた。

「それでね、あまくて、なかみを食べるとちょっとすっぱいんです。歯を立てるとあめがくっついちゃうけど、ずっとなめてるとね、あまいのが口の中いっぱいに広がって、ゆめみたいにおいしいの」

 りんごあめを語るひよりの顔はとろけていて、声の主はくすっと笑う。

『そう。あなたにはそんなふうに見えるのね』

「ここはどこですか? おねえさんのおうち?」

『いいえ、ここはお店。いわくつきのつくがみのたまり場みたいなものだけれどね』

 そんなことより、と声は思い直したように言った。

『ねえ、聞いてくれる? 〝私〟のかりそめの姿は、ぴかぴかじゃないの。年月とどろにまみれて、すっかり格を落としてしまったわ』

 そこでひよりは気づいた。この声は鏡から発せられている。鏡がひよりに語りかけてきているのだ。

『……でも、そう。ほんとうの姿は、あなたの見ている通り』

 りんとした声が続けて言う。

『私がぴかぴかに見えるあなた、ほかのどんな人間も、年たあやかしさえもけなかった私の価値を、一目で見抜いたかしこいあなた。時が来たら、その丸い心で私を呼びなさい。必ず私はこたえましょう』

「丸い心?」

せいひつにしてやさしく、誠実にしてしんなるその在り方を、丸い心と呼んでいる。がたい心よ。おんみようの血を引くものであればなおさら。……といっても、あなたにそちらの才能はあまりないようだけれど』

 ひよりには難しい言葉だらけだ。首をかしげるひよりに、少しだけ声がやわらかくなった。

『前にもあなたみたいな人がいて、私はその人と約束したの。またその力を持つ者が現れたら、協力してあげるのよって。すごく昔のことだけれど、ええ、今も忘れてはいないのよ』

 よく分からなかったけれど、とてもしんけんな語調なので、ひよりも真面目まじめな顔でこくんとうなずいた。

 足元がゆわんとれて、視界がくらんだ。暑い日にぼうかぶらないで遊んでいたときのようだ。ひよりは夢うつつでたずねる。

「またお話しできる?」

『分からない。次会うとき、私はもうぴかぴかに見えないかもしれない。あなたはここに入ることすらできないかもしれない。……けれど』

 声が優しくひよりのまくをくすぐる。

『あなたならだいじよう。きっとたくさんの人たちが、あなたを助けてくれるから』

 さようなら。また会いましょう。

 そう言い残し、声はぷつんとれた。


 ひよりはのろのろとその建物を出た。

「なんのお店だったんだろう」

 女性の言葉は難しくて、半分も理解できなかった。ここが何を売っているお店なのかも分からずじまいだ。

 それでも、何か大切なことを告げられたことは、何となく頭に残っていて、ひよりは何度も振り返りながら、新しい隠れ場所を探してけ出す。


 いずれまたこの「店」をおとずれることになろうとは、つゆほども知らぬまま。

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