第5話 食欲の知識添え

 馬車を乗り継いで町から村へ。

 村から町へ。

 手当たり次第に声をかけながら移動を続け、ようやく知り合いの商人から聞いたという朧な情報を掴んだ。

 心許ない方針を頼りに進み続けるが、ゴザの町から遠く離れようといまだ目的地は見えない。


 やがて終着駅“バルジ”で降りたアデランテは荷下ろしを手伝い、御者に別れを告げる。長旅で凝った身体をウーンっと伸ばし、見回せば町には武具や飲食店が点々と立ち並んでいた。 


 一帯は旅人や御者でそこそこ賑わい、片田舎の様相を物足らなそうに眺めるが、それでも平和な光景に少しだけ肩の強張りが緩む。

 早速聞き込みを始めるべきなのだろうが、アデランテの本能に任せて道端を進めば、町の片隅に佇む看板もない飲食店を一瞥した。

 注意を払わなければ見過ごす店構えに、抜け目なく扉の隙間へと滑り込む。

 

「いらっしゃいませー!1名様で宜しいですか?」


 そして入店と同時。給仕の屈託のない笑みが出迎え、不意打ちに驚かされたものの、頭からすっぽり被ったフードの端を掴めばコクリと頷いた。

 給仕も最初は顔を見せたがらない客に首を傾げていたが、旅人に変わり者は多い。何より金を落としてくれるなら、詮索や選り好みも野暮というもの。

 再び笑みを浮かべれば好きな席に座るよう促し、颯爽と給仕はカウンターへ踵を返した。


 取り残されたアデランテは店内を見回し、店の半分を占めるカウンター席に、壁際を囲う団体席を一瞥。目論見通り客は1人もおらず、普段は町の住人が利用しているのだろう。

 しばし見回していたものの、やがて団体席に腰を下ろした途端に給仕が迫れば、おしぼりとメニュー表が渡される。


「ようこそジャンクの路地裏飲食店へー!…やっぱり美味しそうな響きじゃないわよね。オホンッ、改めていらっしゃいませ。ご注文は如何なさいますか?今日は新鮮なラム肉が入ってて、こちらのメニューなんかお勧めですよ?」

「…じゃあそれと、これと……ず~っと行ってココまで」

「……へっ?」

「ココから、ココまで」


 メニューの端から端まで。そう告げる客人に、給仕が浮かべた鉄壁の笑みは音を立てて崩れた。

 ぎこちなくメニューを回収すれば、逃げるようにカウンター裏の厨房に撤退し、こそこそ囁く声がアデランテまで届く。

 直後に店のシェフが顔を覗かせたが、女客を訝し気に見つめてすぐに奥へ引っ込んだ途端。慌ただしい音色に続いて、香ばしい香りが店内を漂い出した。


 空腹がますます急き立てられ、やがて厨房から給仕が盆を両手に現れると、アデランテの席に小走りで迫ってきた。


「お、お待たせしましたー!…ハァハァ、ラム肉のステーキとポテトサラダ。牛のヒレ肉揚げに魚の丸焼きになりま~す……あと15品、お作り次第お持ちしますので、ぜひ味わって食べてくらはい!」


 慣れた手つきで料理を並べるが、疲労を取り繕う余裕は無かったらしい。精一杯の決まり文句を告げて去るも、彼女が厨房へ戻る頃には1皿目をペロリ。

 魔法のように消した2皿目も積み上げ、3皿目を半分以上頬張っていた。


「お待たせしましっ……へっ!?」


 再び戻ってきた給仕が目にしたのは、4皿目がカラになろうとする瞬間であり、驚くあまりに料理を落としかけたが、前のめりに歩いて無理やり机の上に置いた。

 強引な着地ではあれ、伊達に給仕をやっているわけではない。肉汁1つとして零す事無く、身体を引き戻す勢いで空き皿を抜け目なく回収。

 反動でメニュー名を告げ忘れたが、懸念がよぎる前に厨房へ戻って行った。皿は全て洗い場に投下し、すかさず調理の仕込みを手伝う。

 厨房の熱気と客席への往復で手元は覚束ないが、そんな彼女をチラッとシェフは見つめ、身体で覚えたレシピに沿って手が勝手に動く。

 おかげで思考は暇を持て余し、一代で築いた店の功績を軽く振り返っていた。



 まず“ジャンクの飲食店”では、大量注文など決して珍しくはない。


 団体様。

 餓死寸前の遭難者。

 フードファイトを繰り広げる旅人。


 しかし今いる客はいままでとは別格。料理を運んでもペースは落ちず、注文を待たせかねない勢いで呑み込んでいく。

 珍客に遅れまいと調理に専念するが、彼の頭をもたげたのはそれだけではない。


 大食いの客とはどれも男ばかりだというのに、奥で食べ続けているのは女。

 目深く被ったフードや、隙間から覗く銀糸の三つ編みだけでは性別を判断できないが、強調される胸元の膨らみや女特有の身体つき。

 何よりも長年信頼する給仕の証言も合わさって、疑いようもないだろう。


 宴会並の注文数を1人で消化できるのか疑問は浮かぶも、客は客。深入りせずに料理を盛り付け、サッサと給仕に渡せば次の調理に取り掛かった。




「むぐむぐ…ンっ、んんーーッ!ぱぁ~……やっぱ食事はこうでなくっちゃな!」


 料理が運ばれては手をつけ、忙しく往復する給仕を意に介さず皿を積んでいく。

 しかしアデランテの身体のどこに詰め込む場所があるのか。それは自分でも分からなかった。


「んぐッ…騎士団の訓練時代から結構食べる方だったけど、どんだけ腹が減ってたんだろ。まだまだイケそうだ」

【恐らく血肉の補給】

「ちにく?そりゃ血は流したし、肉も…まぁ削げたけど、お前が代わりになってくれたってカミサマは言ってたぞ」

【無から肉体を再生出来ると思っているのか】


 常識とでも告げる言い回しにムッとなるが、言われてみればそうなのだろう。舌を楽しませる料理に苛立ちも収まり、文字通り血となり肉となる食事を頬張る。

 視界に映った物から順次消していくが、ふと肩に掛かった髪の束を見ると指で軽く弾いた。


「まさか髪までお前に結ってもらえるとはな。落石で髪留めがどっかいったみたいだし……けどフードはいつまで被ってなきゃならないんだ?何かお尋ね者みたいで嫌というか…邪魔くさい」

【貴様の容姿は目立つ。注目を集めるのは本意ではない】

「瞳の色が左右で違うのは私のせいじゃないだろ。傷の方はともかく…なぁ、宿の店主に変身出来たなら、“コレ”くらい隠せないのか?」


 皿に載った最後の一切れを呑み込むや、左頬の古傷をソッと撫でる。


 傷にせよ、左右非対称の瞳にせよ。オーベロンの依頼を“秘密裏”に遂行するには確かに目立つ。

 しかし戦場ですら視界不良を理由に兜を拒んだ身には、フードの着用は許容し難い。その都度“変幻自在”のウーフニールに要求したが、隠せないと言い放つ彼の言葉の最初には“何故か”が必ずつく。

 

 多少の不満はあれ、無いものねだりをしても仕方がない。水で満たしたワイングラスをクッと流し込み、胃を落ち着かせていた矢先。


【いつまで喰らっている。早く移動しろ】


 ふいにウーフニールが脳内を揺さぶり、2口目の水を飲む手を止める。


「お前は店主を摂り込んだから良いだろうけど、私は馬車の手伝いばかりで殆ど食べてないんだぞ。おかげで金は貯まったけど」

【乗り継いだ馬車を手伝っている事象自体が噂の対象になりかねん。現在の食事量も人間の規範から逸脱している事は、店側の反応からも判明している。用が済んだならば早々に町を離れろ】

「でもやっと一息つけたんだぞ?もう少しゆっくりさせてくれよ。今は顎を休めてるだけで、まだ胃袋に余裕もあるし…」

【金は尽きた。それ以上の注文は不可能だ】


 不満そうに口を尖らせたのも束の間。突き付けられた現実に、思わず取り出した金貨袋を勢いよく振る。

 当面の生活を保障する心強さを感じたが、すかさず袋の上に数字が浮かぶ。空き皿の上にも同じく表示され、数値は辛うじて金貨袋の方が上回っている。

 そして虚空に頼りなく漂う2桁の残金に、それ以上の説明は不要だった。


 渋々最後の水を呷り、空き皿を抱えると真っすぐ会計に向かい、厨房に差し掛かるとばったり給仕に会う。

 自然と彼女に受け渡せば、ふいに奥で佇んでいたシェフと目が合った。


「おっ、サンキュー姉ちゃん。いい食いっぷりだったねぇ!」

「美味しかったからな。ごちそうさん」

「あいよ!」


 シェフの称賛も受け、店で出来る事はやり尽くした。あとは代金を支払うだけだが、金貨の量に慌てて給仕は数えていく。


「え、え~っと…5の15の…50の…」


 間違いがないよう声に出していたが、久しぶりの上客に落ち着く暇もなかったのだろう。ゴールドを分ける指先は疲労で震え、水仕事で少し荒れている。

 しかし弱音を吐かずに勘定する姿を眺めれば、無意識の内に彼女を観察していた。

 

 化粧はあまりしないのか。頬に浮くそばかすは目立つが、店の看板娘に恥じない整った顔立ちをしており、そこはかとない力強さが声と瞳からも伝わってくる。

 彼女を眺めているだけで町の豊かさが感じられ、気を緩めると口元が綻びそうになるも、一息吐いた彼女の声が意識を現実に引き戻す。


「はい、確かに受け取りました!お会計ありがとうございまーす!」

「ご馳走さま」

「いえいえ、見ていて私も気持ちよかったですし……あの少し窺いたいんですけどぉ…」


 挨拶も程々に踵を返した直後、潜められた声に思わず足を止める。厨房を一瞥した給仕の様子から、シェフには聞かれたくない話らしい。

 肩越しに覗けば彼は皿洗いに勤しみ、視線が戻されたのを合図に口火が切られた。


「お客さん、スタイルの維持ってどうやってるんですか?」

「…スタイル?別に何かしてるわけでもないけど」

「むぅ~…身体を頻繁に動かされてるとか?」

「それは良くしてるな。最近は旅続きだから、こうして腰を落ち着けるのも実は久しぶりなんだ」

「そうなんですかぁ~…思い切って何処か遠くに出掛けようかしら」


【マルガレーテ】

「あぁ、そうだった。ついでに私からも1ついいか?」


 腰回りを鋭い眼差しで観察していた給仕も、声を掛ければハッと顔を上げる。


 旅の目的は食い倒れではなく“マルガレーテの町”。せめて名前だけでも聞いた事がないか尋ねるも、いままでの収穫はほぼゼロ。

 希望も抱かずに話を振れば、脈絡のない唐突な質問に最初は給仕も目を見開く。


 しかしすぐに考え込むように俯くや、険しい表情を浮かべながら瞳を左右に動かした。


「…そういえば私の、その…友達が知ってたような気がします」

「本当かッ!?」

「ひっ!あ、でもずっと前に聞いた話なので、定かじゃないんですが…」

「それでも構わないさ。それで、町の場所は?」

「え、えっと…確かずっと南……それとも東だったかしら。そっちの方角だって言ってたような…でもやめた方がいいですよ?町があるかはともかく、森の深い山に出るだけですから。山道も整備されてませんし」


 頬に手を当て、首を傾げながら天井を見つめる様は確信に迫るものではない。それでもこれまでの成果に比べれば、遥かに有用な情報に自ずと期待も高まる。


 南と東。つまり南東へ向かえばいい。

 ようやく定まった明確な旅路に礼を述べ、再び店を離れようと踵を返すが、厨房の奥から響いた声がアデランテの足を止めた。


「何だ何だ?職場で惚気か?」

「なっ!ちょっ、違っ…勝手なこと言わないでください!って言うか何盗み聞きしてんですか!」


 洗い物も終えて暇になったのだろう。シェフが見送りがてら、スッと覗けば直後に彼を押し込めるように給仕が迫る。

 客に聞かれないよう声は抑えられても、厨房で反響して内容は駄々洩れだった。


「友達って例のアイツだろ?別に隠すこたぁないだろ」

「だからってお客さんの前で言う事ないじゃないですか!からかわないでください!」

「最近なかなか会えないって愚痴零さなきゃ振るつもりもなかったっての」

「それは私と彼の問題であって、ジャンクさんが口を挟む話じゃ…でも前は店によく山菜とか差し入れてくれたんですよね。山賊が出たとかで最近は行かないようにしてるみたいですけど…」 

「ま、愛しのハニーに会うべくまた店の売り上げに貢献しに来てくれるっての。ヒュー!」


 わざとらしく甘い声を上げる男に続いて、再び荒ぶった給仕の悲鳴が轟く。調理や片付けとは無縁な騒音まで聞こえるが、支払いはもう済んでいる。

 いまだ聞こえる一方通行な言い合いを耳に残し、「ごちそうさまー」と呟けば、会話の邪魔にならないようソッと店を後にした。

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