第4話 変幻自在の君
「――…こいつは」
霧が急速に晴れ、元いた素朴な部屋が眼前に広がる。それでもアデランテの思考は、いまだ濃霧に囚われたままだった。
衛兵と店主の、まるでアデランテをお尋ね者として扱う口ぶりに、戦犯として手配される真似をした覚えもなければ、素行を咎められる問題も表沙汰には起こしていない。
「…この町には峠を越える前に物資調達で寄った程度だ。その時は衛兵に動きもなかった…つまり戦から戻ってきたタイミングで手配されたって事か…いや、それじゃ店主の“予約した時から”って言葉と合点がいかない……どうなってるんだ?」
【人間】
忙しなく記憶を遡るが、ふいに同居人が思考を遮る。咄嗟に顔を上げるが視界に映るはずもなく、相変わらず目のやり場に困ってしまう。
【外に衛兵がいる。身体を返せ】
「……お前はブレないな。それにしてもさっきのは店主の記憶、だったのか?受付でのやり取りが全部見えたかと思ったら、急に私の尻が映ったのはどういう事だ?」
【貴様と男の視点を組み合わせた光景を映したのち、男の視点に移した。身体を返せ】
「視点…何だかハエになった気分だったな……ところでカミサマにしても、あの店主にしても、何だって私の目の事を言ってくるんだ?…何かついてるのか?」
初めての過去視に興奮したものの、すぐに顔をしかめると左右に絶え間なく視線を移す。
鏡を探したが化粧台どころか、部屋には洗面所すらない。渋々窓辺に寄りかかり、薄っすら土埃で汚れた窓に顔を近づけてみると、最初に映ったのは肩まで伸びた銀糸の髪。
かつて邪魔だから切ろうと試みたが、亡き団長。並びに団員一同から“女らしさの維持”を訴えられて以来、そのまま伸ばしている。
忘れ形見のようで、それでいて邪魔くさい髪を乱暴に後ろに払った。
改めて自分の顔を見ようと目を凝らせば、次に意識は否が応でも左頬の古傷へ向けられる。何度も撫でると少しくすぐったくなったが、決して良い思い出は浮かばない。
パッと指を放してもう1度。今度こそ目的を果たすべく自身と向き合うが、視線を上げたところで身体が硬直した。
雲のない白澄んだ空のよう、などと柄にもなく団員に褒められた瞳の色は、思い出を忘れたように右目だけ変わっていた。
「……瞳の色が、金に変わってる…」
左は青。右は金。
道中でやたら視線を集めていたのは、何も古傷のせいだけでは無かったらしい。
左右非対称になった瞳の色を呆然と見つめ、ようやく窓から離れるとベッドにどっかり座った。
「…落石の時だろうな。視界がボヤけると思ったら右目が潰れてたのか……色が違うのはお前の仕業なのか?」
【知らん。満足したならば身体を返せ】
「何だ満足って。目のことが分かっただけで、何1つ解決してないだろ。それに返せって言われても、返し方なんか私が知るかよ」
【解決……手配の話か】
「そうだよ…しかし衛兵相手はなぁ……装備もないし。状況が把握できない以上、騒ぎを起こすのも面倒だし。さっきの店主と衛兵の話を見て聞いた感じ、話し合う雰囲気でもなかったよな…どうしたもんか」
【……謎が解ければ身体を返すか】
ふいに話しかけられた言葉に反応する間もなく、突如肌の下を熱が這いまわる感覚が襲う。咄嗟に身体を抱え込めばベッドからずり落ち、全身を駆け巡る刺激に歯を食いしばった。
抗おうにも身体の芯が火照り、内側からジワジワと執拗に。指の腹で撫でられる感覚に、視界も意識も徐々に蕩けていく。
満足に声も出せず、為すがまま蹂躙されていく我が身に床をかき毟り、胸を握りしめた刹那。
ふいに肌が玉虫色を帯び、液体の如く流動して全身を覆った。徐々に肉体は圧縮され、色彩が落ち着くにつれて手も小さく皺がれたものに変わる。
肩まで伸びていた銀糸も消え、チョコンと鼻先に乗った丸眼鏡をかけ直せば、腰を支えながらゆっくり起き上がった。
薄くなった頭部を掻き、思い立ったように踵を返すと、階段を下りて正面玄関へ向かう。
扉を開ければ鈴の音が鳴り響き、呼応するように衛兵が一斉に武器を構えた。
「…女はどこだ」
『すんません。どうも出掛けちまったみたいで』
「出掛けただぁ?さっき宿に入ったばかりのはずだろ!まさか報酬まで要求しておいて、気取られる真似でもしたんじゃないのか!?」
視線の先に映る店主の姿に、衛兵たちはすぐさま警戒を解いた。
しかし約束された指名手配犯の身柄はなく、憤慨した衛兵が再び剣を構える素振りを見せるや、店主は怯えた様子でジリジリ後退する。
『そ、そんな事するわけないじゃないですか!今でこそ下火ですが、昔はこの町1番の宿屋って言われる手腕を誇ってたんですから。騎士様もいずれ戻って来ますって』
「……開いてる部屋で待たせてもらうぞ」
調子のいい笑顔を見せる店主に、衛兵はいまだ険しい表情を浮かべている。だがもしも戻ってくるなら、宿の前で騒ぐのも得策ではない。
説得に応じたわけではないとばかりに宿の壁へ唾を吐き、悪態をつく隊長に続いてゾロゾロ彼の部下がついていく。
すかさず扉を閉めた店主は、足早に彼らの前に進み出て1階の部屋を案内するが、間取りは3階と何ら変わらない。
ベッド。
サイドテーブル。
壁。
窓の縁。
衛兵たちが各々好きな場所で待機する傍ら、バタバタ支度をしていた店主が戻ってくれば、片手に酒を載せた盆を持っていた。
ワインで満たしたグラスを慎ましく配り、初めは遠慮していた彼らも隊長の頷きと共に次々取ると、やがて小さな宴会が催される。
殺伐とした雰囲気も途端に和らぎ、自らもグイっと景気良く飲み干した隊長が盆にグラスを載せれば、店主は召使いの如く受け取った。
『あの~衛兵様?騎士様ご一行に…女1人にやたら執着してますが、何かあったんで?』
「公務に口出しをするな。終わればサッサと出ていく」
『いやいやいや。公務ったって騎士様ご一行が町を離れてから急にあちこちの宿に顔出して「戻ってきたら至急連絡しろ」だなんて言われたら、誰だって不安になりますって。ヤバい連中を町に入れたんじゃないかってあの時は噂になってたんですよ?』
「女を捕らえれば全て丸く収まる。お前は黙って指示された通りに動けばいい」
『ウチに予約が入った時から宿屋仲間にもわちゃわちゃ聞かれてるんですから、少し位教えてくれてもいいじゃないですか。何でしたら適当にデマを流して、有耶無耶にしちまいますから』
盆を机に置き、手を揉む典型的な小物ぶりを怪訝そうに一瞥されるも、酒で幾分か気を良くしたのだろう。
もったいぶって考える素振りを見せたが、やがて仕方がないとばかりに口を滑らせた。
「…俺たちも詳しくは知らされていない。上の命令で騎士共を拘束するようお触れが出ているだけだ。懸賞金まで掛けられては、第三者に捕まった暁には給料も減らされるしな」
『何かやらかしたんですかね』
「さてな。とにかく捕縛せよとの仰せだが、そもそも騎士団なぞ我々の手に負える相手ではないはずだと言うのに、それが1人しかいないのも解せない。おかげで公務も楽に済みそうだが」
『…そういや予約した時に騎士様が峠越えたずっと向こうで戦をやるって言ってましたけど』
「なら脱走兵の取り締まりを命じられたか。道理で長い間潜伏していたわけだ……待てよ。それでは最初から負けると知って手配した事に……訳は分からないが所詮王族にとって騎士団でさえ使い捨てに他ならないか…どこへ行く?」
『騎士様を捜しに行くついでに何かつまみでも買ってきますよ。ほかに客も来ないから暇なもんで』
「……いつも暇してるだろ」
背後から掛けられた声に愛想笑いを浮かべ、扉を閉めると宣言通りに宿を抜け出したが、商店に向かう事はしない。
むしろ詰所からも離れた道を進めば、やがて路地裏に置かれた樽に素早く身を潜める。
《謎は解けた。身体を返せ》
〈……国が私を?私たち騎士団を?……なんでそんなこと…〉
《身体を返せ》
〈協力には感謝しているさ。だけど結局何も解決しちゃいない。国に戻れば状況を掴めるだろうが、他の町にも手配が回ってるとなれば一筋縄にもいかないだろうし…う~ん〉
《身体を、いますぐ、カエセ!!》
〈とりあえず落ち着けって。今はお前が“表”にいるんだから、声が周りに聞こえるだろ?それに返せと言われても私にはどうしたら゛ァア゛ぅグクッッ…〉
気を静めようとした最中、突然呼吸が止まって声も出なくなる。
アデランテだけでなく、店主に化けた同居人すら発作を起こしたように胸を掴み、地面にうずくまってしまう。
ビクビク痙攣しながらも、ふいに身体の表面が波打つと小柄で貧相な身体の胸が膨らみ、腰はくびれて鍛えられた四肢が露になる。
それから心臓が力強い鼓動を取り戻した頃には、小柄な店主は跡形もなく姿を消し、代わりに路地でうずくまっていたのは1人の女だった。
銀糸の髪は頬にしな垂れ、しばし地面を眺めていたものの、呼吸が落ち着くと身体を起こして膝立ちになる。
見上げれば狭い路地から細長い空が映り、微かに吹きつける風が無性に心地良い。
しかし穏やかな表情もすぐに険しくなり、顎を荒々しく拭うと入って来た道とは反対側の。さらに奥へ続く薄暗い路地へ、睨むように視線を向けた。
「……聞いてるか化け物」
【何だ人間】
話しかければ山彦のように返事が戻ってくるが、その声は自分の声とは似ても似つかない、身の毛もよだつ無機質さを帯びている。
「私らの慈悲深いカミサマは、不毛な言い争いより依頼をこなせとご立腹だぞ」
【…奴は気に喰わん】
「はんっ、初めて意見が合ったな…悪いけどお前に身体を返す方法は検討もつかない。だけど1度失くした命だ。いつか私が使命を果たした時、必ずお前に身体を返す。騎士として、元ウィルミントン公国騎士団第3番隊副団長の名に懸けて…そういえば団長に昇進したんだったな。ははっ……すでに滅びた団とはいえ、お前との誓いは必ず果たすよ」
【使命はすぐに終わるものなのか】
その問いに一瞬口を開き、また閉じる。
表通りを眺めれば、路地の暗がりに見向きもしない往来が右に左に行き交っている。だが1度でもアデランテの顔を晒せば、所詮はよそ者。
目立つ外見も相まって瞬く間に注目を集め、衛兵を呼ばれてしまうだろう。
故郷までの道のりはますます遠のき、小さな嘆息を吐けばやりきれない様子で頬を掻いた。
「……国に戻れば、なんて思ってたけど単純な話でもないみたいだしな。当分先の話になるだろうよ。それにカミサマの依頼が優先らしいから、悪いけどそれまで私に付き合ってもらうぞ」
そう告げるや否や、溜息に似た唸り声が頭の中で聞こえて、思わず苦笑してしまう。
最後にもう1度振り返り、路地に注意が向いていない事を確かめると日の差さない通路へ歩を進めた。その暗さたるや、まるでこれからの先行きを暗示しているようで。
少し憂鬱な気分にさせられたが、つい数日前まで死人同然だった身。現状を鑑みれば、不思議と己が運命をすんなり受け入れていた。
「…そういえばお前に名前はないのか?化物って呼び続けるのも味気ないし、話しかける時に不便なんだけどさ」
ふいに思い付いた疑問が自然と零れ、虚空に向かって投げかけたが返答はない。
深入りするつもりもなく歩き続けるが、やがて歯切れの悪い唸り声が聞こえると、頭の中を言葉の切れ端が並んでいく。
【ジャジア、ムーガン、モルビス、ゲルト、テルガナ…】
「…ずいぶん多いんだな。それが全部お前の名前なのか?」
【最後に喰らった者とその交友関係に連ねられた名】
「店主のかよ……もしお前が良ければ、なんだけどさ。私が名前をつけるって言うのはどうだ?犬や猫のように扱う気はないけど、やっぱり呼び名は無いよりあった方がいいだろ」
【好きにしろ】
提案に全く興味を示す様子は無いが、対照的にアデランテは得意気に笑みを浮かべる。
「ふふぅん、と言っても実はすでに考えてあるんだ。姿を変えられるって聞いた時ピンッと来てな…“ウーフニール”でどうだ?」
【…ウーフ、ニール】
「子供の頃に聞いた童話でな?“変幻自在のウーフニール”って言うんだ」
“変幻自在のウーフニール。
様々な姿に変身して弱きを守り、悪しきを滅ぼす夜の住人。
嘘か真か。誰もその姿を知らず、男か女か。
そもそも生き物なのか、その目的すら定かではない。
それでもウーフニールはいつも人々の影の中にいる。
いつでも人々の傍にいて、何処にでも現れて、その目を常に光らせている”
子供の時分、その話を何度せがんで語ってもらった事か。
会うために何度こっそり夜の町を徘徊したか。
当時の純粋さと間抜けさに笑みが綻ぶが、返答が一向に戻ってこない事に気付くと思わず足を止めた。
「……ウーフニール?」
恐る恐る名前を呼んでみるが返事はない。しかし拒絶される事もなかった。
表情も見えない同居人に嘆息を吐き、それでも無言を肯定と受け取ったアデランテは決定事項とばかりに歩き出す。
太陽はいまだ空高く昇り、夜になるまで時間はまだある。
だがアデランテはゴザの町の暗闇に溶け込み、宿に姿を現したのを最後に忽然とこの世から消えた。
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